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チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

運命という限界線

2006-03-16 23:43:17 | 気づき
 悩んでいる人と話をしている時に必ず見えてくるのが限界線です。

 自分自身の持つ能力や可能性に限界線を引いていて、「私の能力はこんなものだ」「これ以上は自分にはできない」「私はこんな人間だ」と決め付けているように感じます。

 この限界線は防衛線にもなっていて、限界線の向こう側から「あなたは素晴らしい才能を持っているよ」「あなたの力はこんなものじゃないよ」とか、「助けてあげるからこちらにおいでよ」と声をかけ、その線を越えて入ろうとしても、その線は硬く閉ざされ超えることができません。

 たまには相手に自信をもってもらうために、その人の言う「限界」が正しいと感じ「能力の限界かな」と感じた時でも「そんなことはない」と励ます時もあります。

 でも多くの場合、私は本当にその限界線は正しくないと感じているから「そんなことはない」といっているように思います。
周囲から客観的に見たほうが、本人よりも、その人の能力や限界線が妥当かどうかがよく見えるような気がしています。

 「人の能力には限界はない。自分自身が限界線をひいたところが限界になる」と私は信じています。

 ただ、今日気づきました。こんな私にも限界線があることを。

 それは自分の能力についてではなく、変化に対しての限界線です。

 私は「私におきることを変えられない」と思っていることに気がつきました。運命という言葉のほうがイメージが湧きやすいのかもしれませんが、それは変えられないと思っているようです。

 私自身は「待ち」という状態や、その感覚は好きではなく、自分からどんどん責めていく、開拓していくことが好きです。

 でも、時々動きが悪くなることがあったり、方向を見失なうことがあります。こういったときには、運命という自分が引いた限界線に支配されているような気がします。

 運命という限界線を自分自身で引いて、自分はそれを変えられないと思ってます。

リーダーのコミュニケーション

2006-03-15 23:46:25 | リーダーシップ
 毎週1回水曜早朝5時15分から1時間、アメリカでリーダーシップワークショップに一緒に参加しているメンバー5人と電話会議をしています。

 リーダーとしての成長をお互いが支援することを目的として定期的なコミュニケーションを持っています。会議のテーマはその目的に沿って、毎回毎回、その回のリーダーが決めます。

 またリーダーは2人いるのですが、「今週のリーダーは私がやります」と立候補したこともあって、私が今日のアジェンダを決めました。アジェンダを決めるのは私にとってはそんなに苦にはならないのですが、リーダーとして会議を進行するのはたいへんな苦労が伴います。

 一つは言葉の問題です。そしてひょとしたら言葉の問題以上に大きな問題は、学習をうながすリーダーとしてのコミュニケーションです。タイミングや声の要素といったテクニカルなものからりーだーとしてのありかたそのものにも問題があるような気がしています。

 リーダーの最も大切な役割は「学習を促進する」ことです。このことを意識の底に常に横たわせておいて、常に場のエネルギーを感じながら、自身が適切と考えるエネルギーレベルとなるように会議をリードします。

 最近流行のファシリテーターと似ているように感じるかもしれませんが、似ているところもあるものの決定的な違いがあります。

 リーダーは明確な意図を持って、自身のインパクト(衝撃力)を使いながら、場のエネルギーを必要に応じて操作、自身が適切と考えるエネルギーレベルとなるように意識を働かせながら、参加者の持っている能力を最大限に引き出して、メンバーが大きな学びを得られるようにします。

 これは例えば、会議のような場で、リーダーは最初から答えを持っていて、その答えをメンバーに押し付けるといっているのではありません。
リーダーが答えを持っていたとしても、その場のエネルギーを踏まえて、答えそのものは、元のものと変えることにも柔軟に対応します。

 仮にリーダーの持っている答えが最善のものだったとしても、それをメンバーにおしつけて、メンバーがいやいややるよりは、最善でなかったとしてもメンバーが前向きに取り組めるものであるほうが、結果として成果が出る場合もあります。

 また、そのときだけが全てではないような場合、あえて失敗をする選択を方向修正しないという選択も時としてリーダーは行う必要があります。その失敗をメンバーの学習として、次にそのような失敗がなくより大きな成功が生めるようにメンバー自体が考えて行動できるようになればよいわけです。

 わかってはいるけれども、なかなか上手くはいきません。私の協働リーダーがいなければ今朝は大きな失敗をして落ち込んでいたかもしれませんが、幸い今日は助けられました。そして協働リーダーからたくさんのことを学びました。

90:10の法則

2006-03-14 23:56:53 | 覚えておきたい考え
 今日一日よくしゃべりました。

 マネジメントの立場にある人の最も大切な役割はメンバーとのコミュニケーションだと思っています。でも、私は外から来る電話やメールについつい気がとられがちで、メンバーとの大切なコミュニケーションをおろそかにしてしまいます。

 外への対応が終わり、その合間でメンバーと話そうと思うと、今度はメンバーが席にいないとか、ほかの事で忙しそうで声がかけずらく、結果としてコミュニケーションがとれません。

 直接のコミュニケーションが良い場合でも、忘れる前に連絡しておこうと、席空のメンバーにメールを送ることも時々あります。

 コミュニケーションが大事だとわかっていても、そんなこんなでふだんはなかなかできないから、話せる時にはまとめて話すようになります。今日はそんな日でした。

 でも、そこにまた反省があります。

 コミュニケーションはただ話せばいいというものではなく、誰が話すかが大切ですよね。

 私が昨年教わったルールに『90:10の法則』というものがあります。

 これはリーダーが複数のメンバーと会議をする時のコミュニケーションにあてはまるルールで、コミュニケーションの量の90%はメンバーが行い、リーダーが10%程度のコミュニケーションにとどめるのが良いというものです。

 リーダーは話すよりも聞くコミュニケーションが大切というものです。

 確かに、たくさん話をした時、ちょうど今日のような日ですか、とても満足感が高く「今日はよいコミュニケーションをした」とか思ってしまいますよね。
だからこのルールはメンバーにできるだけ話をしてもらう、90%話してもらうのがよいということになっているわけです。

 今日の私は80:20ですね。私が80です。

 しゃべりすぎです。

 「自分の思いは伝えた!」なんて話が終わった時には感じてましたが、これは大きな勘違いですね。一方的にまくしたてたかもしれません。反省です。

チョイ悪おやじに似合う街

2006-03-13 23:36:23 | 身近な出来事
 今日は日帰りで東京出張でした。

 仕事では、同世代の経営者2人にお会いしてこちらからのお願いごとをしたり、お話をきかせていただいたりしました。

 「同世代でも、経営者は一本すじが通っているな」と、強く感じました。

 相手が経営者だという先入観を、私が多少は持って見ている部分をさしおいても、ふたりの風格や発言には経営者であることを感じさせるものがありました。

 「社長になれば社長らしくなる」「ポジションが人を作る」というような言葉がありますが、外的な要因からだけでなく、本人自身の自覚、自分は経営者だという自覚が経営者を育てるのだと思います。

 少なくとも二人にはその自覚が感じられました。

 予定より少し仕事が早く終わったので、丸の内から大手町へ街を少し歩きました。3年ぶりくらいでしょうか。その間に街がずいぶん変化したように感じました。新しいオフィスビルも建っていれば、昔からあるビルにも通りに面して海外ブランドのショップが数多く立ち並び、とても洗練されオシャレでインターナショナルな感覚を覚えました。

 私の主観ですが、以前のこのあたりはビジネスの雰囲気はただよっていても、洗練、おしゃれ、インターナショナルという言葉は出てこない街でした。ロンドンやニューヨークなどのヨーロッパやアメリカの大都市に比べても、デュッセルドルフサンフランシスコ、シドニーなどの中規模な都市とくらべても、東京のビジネス街はどこか垢抜けしないつまらない街だと感じていました。

 今は歩いていてとても気持のよくなる街です。そして、もっとすごい街になるのではという期待をいだかせます。個人的な趣味かもしれませんが、六本木ヒルズや汐留、品川といった新しく作られて整然としすぎた街並みよりは、オープンモールで、建物の形や店に自然発生的な個性がある街並みが好きです。

 ただ、外から見るだけで店に入ったりショッピングするまで手が出ないところが少し残念です。

 帰りの飛行機でたまたま隣の席に友人が座ったのですが、彼はちかごろ流行の『チョイ悪おやじ』の生態を東京にリサーチにいっていたとのことでした。

 彼の結論として、『チョイ悪おやじ』になれるのはお金を持っている人だということです。

 私も『チョイ悪おやじ』になってやろうと少し思っていましたが、彼の話を聞くと、今の私は経済的な点を含めて『チョチョチョチョチョイ悪おやじ』くらいですね。

 でも今日歩いたこの街は『チョイ悪おやじ』には似合いそうですが、広島ではあまりチョイ悪オヤジが似合いそうな街はないように思います。

 まあ、今は『チョチョチョチョチョイ悪おやじ』くらいでいいか。

牛角で育つ

2006-03-12 23:00:13 | 覚えておきたい考え
 今晩の食事は牛角で食べました。4人で食事をして¥11,000は安いですよね。味も悪くはないですし、「喜んで!」という声が飛び交う店の雰囲気はいいですし、店員さんの明るい笑顔や声はとても気持がいいです。

 隣のテーブルには、中学生、小学生、幼稚園のくらいの3人の子供のいる家族が食事をしていました。3人とも男の子で、網の上に山のようにおかれた肉やソーセージがあっという間になくなります。こども達はとても美味しそうに食べ、焼き役のお父さんも忙しそうにしながらも楽しそうでした。それを見ているお母さんもとても明るい表情をしていました。

 「おい、肉食べ過ぎや!もう少ししっかり噛め、すぐに飲み込んだらもったいないやろ。肉ばっかり食べないでごはんもちゃんと食べろ!」
こんな言葉を今日は一度も耳にしませんでしたが、これでは、肉を食べにきているのか、食べてはいけないのかわからず、子供もかわいそうですよね。

 食べ盛りの子供がいるような家庭では牛角はとても有難い場所だとあらためて感じました。最近は安い焼肉チェーンも増えてきましたが、牛角やそのようなチェーンがなければ家族がお腹一杯焼肉を食べることはなかなかできないですよね。

 実は、牛角に今晩食事に行ったのは『想い 三茶の焼肉、世界をめざす』西山知義著、Ameba Booksを読んだからです。

 西山さんは牛角の創業者で、現在は「am/pm」「成城石井」の経営をしている、レックス・ホールディングの社長です。
 
 1966年生まれ現在39歳の西山さんは、大学中退後1998年に牛角を始めるまでは苦労をし、失敗をしながら不動産会社の経営をしていました。
ある時、ベンチャー起業家の集まりに参加し、そこで「差別化」という言葉に出会い、自分のやっている不動産ビジネスには何の差別化もないこと、日々ハウスメーカーへの接待をしてその見返りとして仕事をもらっていい気になっていたことに気がついたそうです。

 そして、差別化を図るのは不動産業では難しいと感じ、自分に何ができるか、自分は何が得意かを考えている時に、ふとしたきっかけで焼肉屋に出会い、このビジネスにはいったようです。

 西山社長の成功要因はいくつもあり、差別化から生まれているものも多くありますが、違った切り口から見ると次のような点だと感じました。

1. 熱い想い~商売通じて素晴らしい価値を提供する。そして商売を成功させる、ビジネスを大きくするという強い想いです。

・最初の店を開く時に「日本一お客様に喜ばれる焼肉チェーンをつくりたい。ブランド牛のようにおいしい肉を、一皿490円くらいで出したい」という想いを持ち、「当社も人件費を削り、販売管理費を削って、できるだけ安く出せるように努力している、お肉やさんも八百屋さんもできるだけ頑張っていただいて、チームでとこよりも安くていい商品をお客様に提供しましょう」と粘り強く説得を続けた。

・「人を驚かせたい」「喜んでいただきたい」という願望、それは「自分が生きていることの価値を周りの人達に伝えたい」という想いを持ち、それをあきらめなかった。

2. 持てるものの最大限の活用~お客様やパートナー(アルバイトの呼び名)の活用と、人が持てる能力の活用

・1店目を開店した時、店のサービスに悪口を言って下さったお客様には300円をお支払いするというサービスをし、その苦情をサービスの改善につなげていった。
・職人不在、アルバイト主体のビジネスの仕組みを作るとともに「アルバイトでも、店の理念に共感してもらい、我々は何のために仕事をするのかということを理解してもらった上で働いてもらう」「パートナーとは、自分でものを考え、行動し、解決していく、かけがえのない人」「パートナーの成長を具体的に支えるため、徹底して社内の評価制度を構築した」
・「何ごとにつけ「自分はできない」と漠然と思っている人間は、それを言い訳にする。しかし、少なくとも私は、「どうすればできるか」と自身に問いかけ続ける」


 牛角は、そのリーズナブルな値段で食事を提供することを通じ子供達を育て、会社の中で感動を通じて人を育て、そして結果としてお客様、パートナーの力で会社自体も育っていく、そんなことが成り立っているんだと感じました。

 私もこんな会社を作りたいです。

すじ焼きと私

2006-03-11 20:08:14 | 気づき
 京都からの仕事の帰りに神戸の実家に帰ってきました。

 神戸に帰ると必ず出かけるところがあります。それは駅前にあるお好み焼き屋で、そこに『すじ焼き』を食べに行きます。

 『すじ焼き』とは、関西風のお好み焼きの具として、牛すじとこんにゃくを甘辛く煮込んだものを使ったお好み焼きです。いかやぶたといったものの代わりに、お好み焼きの表面にざっとこの牛すじ&こんにゃくをしきつめます。

 『すじ』と聞くとこりこりとした触感を想像されるかもしれませんが、ここのすじはよく煮込んであるせいか、それとも素材そのもの特徴かは知りませんが、いかやぶたなんかよりも柔らかいんです。こんにゃくのほうが少しこりこりとした触感を感じるくらいです。
 
 今日食べたのはこの『すじ焼き 大』で780円でした。
 
 母親のおごりです。
 
 私が好きなことをよく知っている母親は、神戸に帰ってくると必ず「お好み焼きを食べに行こう」と誘ってくれて、そしてごちそうしてくれます。

 このお好み焼き屋に始めていったのは小学生のころで、その時も母親が連れて行ってくれました。母親と買い物にでかけると「お好み焼きたべて帰ろう」とよく連れて行ってくれました。

 母親といっしょにお好み焼き屋にいって、母親がお金を払ってくれる。子供のころと同じですね。

 「もう大人なんだから、いつまでも子供の時のようにしなくていいよ」と私がいっても「まあ、いいから」といってお好み焼き屋に連れて行ってお金を払ってくれます。それだけでなくいろいろなこともしてくれます。

 親にとっては、いくつになっても子供は子供なんでしょうか?
 それとも私の中にある、子供の部分が見えていて、まだいろいろなことをしてやらないといけないと思うんでしょうか?

 きっと後者のほうだと思います。
 
 自覚していなくても自分はまぎれもない大人で、自分は責任のある仕事をしていて、そして「自分はリーダーだ!」とか言ったり、やったり、親の知らない世界でしているわけですが、親からしてみれば、まだまだ子供の姿が私の中に見えるんでしょう。

 親は正しいと思います。私はまだまだ子供だと思います。

うどんの汁

2006-03-10 19:30:07 | 気づき
 今日は午前中は岡山、午後は京都で仕事をしていました。

 岡山というところは、香川に近いせいか『讃岐うどんや』さんがたくさんあるんですね。
岡山駅から一つ東の高島駅というところから歩いて仕事先に向かったんですが、駅近くに何件かある食べ物やさんには全て『讃岐うどん』の看板がかかっていました。
うどん屋さんだけでなく、お好み焼きやさん、寿司屋さん、喫茶店などいろんな店に『讃岐うどん』の看板がかかっていました。

 私が育った神戸も、私が子供のころにはうどん屋さんがたくさんありました。
3件食べ物やがあればその内の1件はうどん屋さん、もう1件はお好み焼き屋さん、あと1件が喫茶店だったり寿司屋だったり中華料理屋さんだったり、多少おおげさかもしれませんが、そんな記憶があります。

 そんなこともあって、うどんは小さいころからよく食べていて、うどんにはいろいろな思い出があります。

 駅前に立ち食いうどん屋さんがあって、ここは小学校のころに塾の始まる前によく友達と一緒に食べに行きました。
メンバーに体の大きなのが一人いて、彼はうどん一杯では足らず、一方で2杯目のうどんを食べるお金をもっていなかったので、他の友達が食べ終わったころに「汁を残すんなら俺にくれ」といって残った汁を全部飲んでいました。

 うどん屋さんを見るとこの記憶がいつもよみがえってきます。そして「私には彼と同じことはできないな、どうやったらできるんだろう」と感じていたことを思い出します。

 「たとえお腹が空いていて汁を全て飲みたいと思っても、汁を残さず飲むのは格好が悪い。いくら汁が欲しくても、汁をくれと人にお願いをするのは格好が悪い。そんな格好が悪いことをためらいもなくできる彼は私が持っていないものを持っている。」 

 漠然とですがこんなことを感じていたように思います。

 そしてこれはうどん話だけではなく、その当時の話だけでもありません。

 「汁を残さず飲む」ことは、自分自身の力を全て出し切って一つのことをやりとげること、人の目を気にせず、自分に必要なこと、やりたいと思うことをやること。

 「汁をくれと人にお願いをする」ことは、自分が必要とするもので自分が持っていないものを他の人に出してくれようお願いすること、人の力をかりること。

 今の私の課題です。

いろんな偶然

2006-03-09 23:52:14 | 覚えておきたい考え
 日、月、火、に行って、昨日の水曜日は飲みで休んで、今日もくよう日も行ってきました。

 最近熱心にジムに通っています。2月中旬に左肩の調子が悪くなり、少しトレーニングの頻度が低くなり、負荷も抑え気味だったのですが、肩を気遣いながらも少しづつトレーニングを強くしています。

 今年の目標としている大会への参加、体脂肪率一桁に向けてジムには真面目に通おうと思っています。
また、それ以外に日曜日にトレーニングに行った際、私の尊敬するビルダーの人と話ができたことも刺激になっている気がします。

 その人とは、ふとした偶然で仲良くなりました。

 その偶然とは11月にサンフランシスコから成田について、広島行きの飛行機でその方と偶然お会いしたことでした。ニューヨークの大会に参加して成田経由で帰るところだったようで本当に偶然でした。

 またその方は、昨年の世界チャンピオンなので、ジムでは有名で当然私はその人のことを知っていました。その一方で、チャンピオンも私のことを知っていたのには驚きました。

 それ以前には一度も話をしたことはありませんし、お互いにたまに会っても挨拶もろくにしていない関係でした。

 それがお互いに「偶然ですね」と声を掛け合いました。

 それ以来ジムでお会いした時には気楽に声をかけていただけるようになりました。

 こんな偶然の出会いですが、私は運命論者のようで、そんな出会いも偶然なようで何かの必然があったと私は思っています。
何の必然かはわかりませんが、私の経験的には何かの成長のきっかけが私にあたえられるはずです。

今年の目標を実現することに関係があるのか、そのこととは全く別のことなのか、いずれにしてもこれから何かおこりそうでとても楽しみです。

 そういえば今度アメリカに行った時にアバクロでの買い物をしてくるよう頼まれました。そしてその方から頼まれたものと同じようなものを私は2月にアバクロで買ってきました。

 いろんな偶然があります。

 ちなみに言っておきますが、その人にも私にも『ホ』の気は全くありません。

新たなステップ

2006-03-08 23:20:51 | 身近な出来事
 今晩は大切な仲間7人での特別な飲み会でした。

 大切な仲間は、同じ組織にいるのに専門はばらばらで、一緒に仕事をしたことはほとんどなく、一番若い人と年長の人とでは15歳以上年が離れていて、女性もいれば男性もいる。自分達のことを客観的に見たことはありませんが、知らない人が見れば「職場の飲み会かな、でもちょっと変わった職場そう、そしてとても楽しそう」。今晩のメンバーを想像するには、そんなイメージをうかべてください。

 仲間の正体はこれまで一緒に勉強をしてきたメンバーです。

 仕事が終わったあとにハーバードなどのケースを使って議論をしたり、企業価値のテキストを一緒に読んで内容を教えあったり、組織の現状について情報を交換しあい、そんな勉強会が終わると飲み屋にくりだして、自分達の組織の将来について話をしたり、そして自分達自身の将来や夢を話し合ったりするメンバーです。

 皆すごく前向きなところは同じでも、持っているものがそれぞれ違っていて、そんなところに魅かれ、自分にないものを発見し、刺激を受けられる。お互いのことを認め、お互いの違いを認めているから、上下関係もなければお互いに変な気を使う必要もない。たいせつだけどとても気楽な仲間です。

 今晩の飲み会もそんな楽しい雰囲気でした。
 ただ、これまでの飲み会と一つ違うのは、今晩はこの楽しい会を作るきっかけを作ってくれたメンバーの送別会ということでした。

 見た感じはおとなしそうで少し線が細く見えるものの、中身はとても熱く、そして自分が決めたことはそれに執念と責任感をもって粘り強くやりぬくタイプの彼。

 そんな彼が自分の夢を追って組織を去っていきます。夢といってもとても現実的で、自分自身の能力を少しストレッチっせて高めて行くためのステップ。

 仲間は皆、彼の決断を素晴らしいと思っています。ただ、会いたいと思った時に気軽に会うことができなくなるのが残念なくらい。そんな話は誰もしなかったものの、そんな気持をお互いに感じていることは十分に伝わってきました。

 「お互いに成長しないと仲間としての魅力が薄れてくる、新たなステップを踏み出す彼に負けないように、自分達も成長するぞ!」

 こんな風に感じた気持を、新しいステップを踏み出す彼を見送りながら、組織に残るメンバーはみな感じていたと思います。 

今度は仕事の決意表明

2006-03-07 23:52:34 | 覚えておきたい考え
 私が6年前から関わっている教育プログラムを、他社に展開する取り組みを最近行っています。このプログラムはとてもユニークで、また最近の時代にあったプログラムのようで、概要を少し説明すると、教育・人材育成に関わる人だけでなく、経営計画を社内に浸透したい、組織文化の変革をしたいと思っているマネジメントは、だいたい強い関心を示します。

 「うちでもやってみたい」という話をこれまで何度も聞きましたが、その一方で多くの場合、形になる前にやめてしまいます。というのも、私の説明を受けると感度のいい人はポイントをつかんで表面的なことはすぐにまねできるのですが、形にするためにはいろいろな環境を整えたり、そのためのさまざまなノウハウが必要になるからです。

 個人的には、「やってみたい」という人にはいくらでもサポートしてあげたいと思っていましたが、仕事上の立場もあってこれまで十分にサポートすることができませんでした。

 今の状態は「時期がやってきたな」という感じです。
 
 特定の会社に対してサポートすることが私の仕事の一部になり、これまでできなかったサポートがどんどん行えるようになったのです。そしてさらに、私自身の力も次第についてきて、サポートを行える段階になったように感じています。

 ひょっとしたら、年々強くなる「やってみたい」という思いが現在の状況を引き寄せたようにも感じます。

 ここで自慢をしたいのではありません。私が感じている少し不思議な感覚をここに残しておきたかったのと、これから直面するさまざまな出来事に正面から向き合っていくことをここに記録しておきたかったのです。

 よし、やるぞ!!

ルールが自由にしてくれる感覚

2006-03-06 23:48:41 | 覚えておきたい考え
 ルールについて考えていました。

 ルールというとどこか堅苦しい印象があり、そして自分自身をしばりつける響きがあって私のあまり好きな言葉ではありませんでした。

 ありませんでした、と過去形にするのは今日ふとしたきっかけでルールは必ずしも人をしばりつけるだけでなく、人を自由にするものではないかと感じたからです。

 実際のところルールの不自由さの中に自由を見つけたのは今日がはじめてではなく以前もみつけたことがありますが、それとは少し次元が違うような気がします。

 以前みつけたものは「ルールそれさえ守っていればいい」という感覚です。私は以前4年半ドイツに住んでいたことがありますが、ドイツはとてもルールの多い国でした。
・夜の10時以降は静かに過ごし、大きな音は決してださない。シャワーも極力控える
・昼も1時から3時くらいまでは静かにすごし、公園で子供を遊ばせない
・外から見える窓にはきれいな飾り付けをする
・ごみは細かい分別をする
・車の暖機運転、エンジンをかけっぱなしはだめ、長い信号ではエンジンをとめる
・日中はライトをつけない、一方霧が出ている時には即座にライトをつけ、霧が晴れれば即座にライトを消す
・雪が降れば、家の前の道路の雪は全て取り除く
・外から見える家の芝生は全てきれいに手入れをする
・外から見えるところに洗濯物をほさない

 これらは一例で、日本の生活に比べれば本当にたくさんのルールがあります。
守らないとどうなるか、確実に注意されます。法にふれるようなことならば密告されます。皆がルールを守っていてお互いに監視をし、ルールを破る人を許しません。日本人でノイローゼになる人もいました。

 私も慣れるまでずいぶん神経がピリピリしていました。でも「ルールそれさえ守っていればいい」わけで、ルールがわかりそれを守っていれば快適な生活が過ごせました。

 ルールがあってもそれを破る人がいる社会では、守っているほうが損をすることもあり、不公平な感覚をもつこともあります。このようなことから、ルールが厳格に守られている社会では、不自由さの中に逆に自由があると感じました。

 前置きが長くなりましたが、今日見つけたルールの中の自由とは、人を自由にするルールがあることに気がついたからです。

 人の行動や思考を自由にする自由があるということです。

 「誰一人として間違っている人はいない」という言葉は、私がコーチングを学んだCTIのルール#1ですが、この言葉はまさに人の行動や思考を自由にするルールだと思います。

 人はともすれば、自分自身の殻に閉じこもり、自分自身に限界線を引いてしまいがちです。そんな時に、このような人の行動や思考を自由にする言葉をルールとして決めて、それを絶対に守るということがとても役に立つような気がしました。

目覚ましの方法

2006-03-05 08:10:20 | 身近な出来事
 季節が春に向かうにつれ、だんだんと朝起きことが楽になってきましたね。まだまだ朝は寒くてベッドを抜け出すときに勇気がいりますが、ブラインドの外に見える、日々早くなる朝の光が起きることを応援してくれます。

 私はどちらかというと朝が得意なほうだと思います。まず、早起きすることが好きですし、朝起きてすぐに活動を開始できます。目覚まし時計をかけなくても、毎日の決まった時間には目が覚めます。また、いつもより早い時間におきる時なども、パッと目が覚めて時計を見るとアラームがなる一分前というようなこともよくあります。
人間の体の中には時計があるということを聞いたことがありますが、こんな経験を私は何度もしているので、体の中に本当に時計があることを疑いません。

 昨日の夜は、部屋を掃除していた時にでてきた井上陽水の『レビュー』というアルバムをベッドに寝転がりながら聞いていたのですが、このアルバムには私の好きな曲が何曲もはいっていたので、聞いているとなかなか眠れませんでした。

 井上陽水が作詞、安全地帯の玉置浩二が作曲しヒットした『恋の予感』や『ワインレッドの心』は陽水が歌うと玉置浩二が歌うのとはまた違うよさがあって何度も聞いてしまいました。
「今度カラオケに行ったら歌おう」と思って、布団の中にもぐりこんで一緒に歌っていました。

 そんなことをしていると、寝たのは2時くらいになりましたが、今朝もアラームのなる6時15分の3分前に目が覚めました。

 こんな私ですが、今年になって朝起きれなかったことが一度あります。それは2月にアメリカでリーダーシップのワークショップに参加していた時のことです。私は毎朝5時におきると決めていて、その時間に目覚まし時計をセットして眠っていました。
でも、実際は3日に2日は目覚まし時計がなる直前に目が覚めますし、アラームがなっても恐らくなった瞬間にアラームをとめています。
これがすごく役立つのが、部屋が4人部屋で、ルームメイトは皆6時くらいにおきるため、彼らの睡眠を邪魔しないですむのです。

 その日も目覚まし時計を5時にセットして眠りましたが、眠ってしばらくして頭の中にはいってくる「ゴー、ゴー」という音で目が覚めました。
隣の人のいびきです。最初は我慢してねようと思ったのですが、眠れません。

 こちらで何か音をさせると、いびきがとまることがあるので、何度か試してみましたが、確かに音をさせたときはいびきはとまるもののまたしばらくすると始まります。
仕方がないので、おくの手を使ってなんとか眠ることができました。

 次の日の朝目が覚めると、時計は6時半を指していました。
なぜ自然と目がさめなかったのか、また、アラームを聞いた覚えがないことが一番の不思議でした。

 朝食の時、ルームメイトに「今朝はおきれなかったんだよね」という話をすると、「お前以外はみんな5時におきたよ」とニコニコしながら話します。「みんな今日は早起きだったんだね。いつものは6時におきるのに」と私が話すと、「お前のアラームでみんなおきたんだよ、起きなかったのはおまえだけだよ」ということでした。

 それで思い出したのは、私はいびき対策で夜中に耳栓をしたのでした。ルームメイトに平謝りです。

 耳栓をするとアラームの音は聞こえない、でも耳栓をしないと眠れない場合があるとして、あなたならどうしますか?

最初のスピーチ

2006-03-04 23:25:08 | 身近な出来事
 今日はトーストマスターズクラブでの始めてのスピーチでした。時間は5分間で、"The Ice Breker"というこれからスピーチ経験をつむ最初のステップで、自己紹介をすることが課されています。

 導入、中心となる内容、締めというスピーチ中のポジションをしっかりと意識し、そこに多少の工夫をすれば「名前は、出身地は、趣味は...」でもよいとされています。
でも欲張りの私はそれではつまらないと考え『コミュニケーションについての私の関心』というテーマで、聞くこと、話すことについての私の関心や、それらについて私自身の能力を高めるためにこれまでやってきたことを紹介しました。

 事前に内容をしっかりと準備して、それを暗記して本番に望もうと思い、こんなことを話そうあんなことを話そうと日本語で書きとめてはいましたが、最終的な原稿になるまでにはいたりませんでした。話の導入部分と、主要なトピックについての箇条書きだけを持って、あとはぶっつけ本番でした。

 私自身の経験を話せば良いことであり、また「内容よりも思いがたいせつ」との意識を強く持ち、それを少し逃げ道にもしていました。

 結果として、内容はたいしたものにはなりませんでした。

 でも、私の思いだけは十分に伝えられているという感覚はスピーチをしながら実感できました。以外に頭は冷静でアイコンタクトをしっかりとりながら、またタイマーが表示する残り時間をしっかりみながら、きっちりと時間内におさめたスピーチができました。

 会が終わってから「良かったよ」「もっと内容がききたい」「私もやりたい」といってくれる人が何人も私のところに話しに来てくれたので、どうやら思いはしっかり伝わったようです。

 それにしても、日本語ならもう少ししっかり伝えられたと思いますが、やっぱり英語はきつい。

 でも「英語力を向上しTOEIC930とカジュアルな会話力を習得」は今年の目標の一つなので、これからもう少し真面目に計画的にこの目標に取り組もうとあらためて思いました。

 英語の力も「思いが大切、思いがあれば伸びる!」であればいいのですが、なかなかそうはいきませんね。

思いが大切

2006-03-03 22:49:45 | 覚えておきたい考え
 「思いが大切。内容よりも思いが人に伝わる。」
  
 1月にユーモアワークショップを開き、それをビデオ撮影しアメリカでのリーダーシップレーニングのリーダーに見てもらった際に、そのリーダーが私に言ってくれた言葉です。

 「用意したレッスンプランを時間内に全てやりきろうとして、その運営に意識がかなりいっていました。
イメージしていたようなワークショップができたように感じません」と私が話した後にリーダーは私に「どんな思いでワークショップをやろうとしたの」「どんな思いでワークショップをやっていたの」質問をし、最後にこの「思いが大切」という言葉を言ってくれました。

 「しっかりとした思いをもっていたなら、多少内容が予定通りいかなかったとしてもきっと良いワークショップになったはず」ともリーダーはいってくれました。

 この言葉を聞いた時の私の正直な感想は「リーダーは私がワークショップを計画通りに運営できなかったことでがっかりしていると感じ、なぐさめようとして言ってくれている」というものでした。

 でも、それからひと月以上の時間がたち、今週になって私はこの「思いが大切。内容よりも思いが人に伝わる。」という言葉を何度も人に話しています。今日も、私が関わっているプロジェクトを他社でも進める取り組みの中で、関係者にこの言葉を熱く語っていました。

 私の頭のどこかにこの「思いが大切」という言葉がひっかかっていて、そのことについて考えたり、無意識のうちにいろいろな実験をやっていたようにも思います。

 今の私はもうこの「思いが大切。内容よりも思いが人に伝わる。」という言葉をひと月以上をへてようやく納得し、その言葉に疑いをもたなくなっています。

 例えばプレゼンテーションをする場合、内容がよいものにこしたことはありませんが、一方でいくら素晴らしい内容であったとしても、それをたんたんと伝えたのでは相手に十分に伝わらない場合もあります。その内容を伝えたいという強い思いや、その人の本気度や情熱はその内容以上に相手に伝わり、人を動かすと信じています。

 いくら素晴らしい内容のプレゼンテーションを聞いたとしても、その全てを覚えておくことはできませんし、時間がたてばその内容のほとんど全てを思い出すことが難しくなります。そんな時でも、それを伝えようとした人の思いはなかなか忘れることはありませんし、ちょっとしたきっかけでそのことを思い出すことができますよね。

 「内容はおぼえていないけど、あの人は真剣にはなしていたよな」「話しながら涙をながしていたよな」といったことは、何年も前の話でもすぐに思い出され、心が熱くなるという経験は、決して私だけの経験ではないですよね。

お願いします

2006-03-02 04:20:31 | コーチング
 今年の目標の一つに「聞く力、引き出す力をコーチレベルにまで向上」というものがありますが、これを「聞く力、引き出す力を一流のコーチレベルにまで向上」というものに変えることにしました。

実力がコーチレベルに達したからということでは決してないのですが、さらに目標を高くもつことで、そのための努力をしようというものです。

昨年CTIジャパンのコーチング応用コースを修了し、そこで基本的なところは学び、また現在継続中のアメリカでのリーダーシップコースのトレーニングでコアクティブ(協働)な関わりを学んでいますが、一流のコーチレベルにするためにさらにCTIのコーチングトレーニングを継続することを決めました。

一方でトレーニングを継続するためには、私のコーチングを受けていただく方が必要です。
そこで、私のBLOGを読んでいただいている方へのお願いです。

コーチングに興味を持っておられ、自分自身の能力を引き出すためにコーチングを受けてみようと思われる方、そのために私の力を使ってみようと思われる方は私にコーチングをさせてください。

コーチングには興味はあるが、実際のところどういうものかわからないという方も多いと思います。また、お互いの相性もありますので、一度サンプルセッションを行わせていただいた後に、そこでの印象を踏まえて、どうするかを決めていただければと思います。

興味をお持ちいただいた方はぜひメールをください。よろしくお願いします。 hirono1_2001@yahoo.co.jp