鬱が酷かったときのことだけど、ボクは、古びた人が住まなくなった家や廃屋を見ると、いたたまれない気持ちになったものだ。
今、思えばそのいたたまれない気持ちの度合いが鬱のバロメーターだったように思う。
病状の快復とともにその気持ちは小さくなり、気がついたときには廃屋を見てもなんにも感じなくなっていた。
ゴミ屋敷の問題が叫ばれて久しいけど、昨年、選挙の手伝いでいろんな地域をローラーしていたとき、各所でゴミ屋敷を見たのだった。
敷地一杯に貯められたゴミ、山積みの不用品を見ながら考えてしまった。
ボクはゴミ屋敷の住人と言葉を交わしたことがないから本当のところは分からないのだけれど、そういうゴミや不用品は、きっと本人にとってはゴミや不用品ではないのだと思う。
ゴミ屋敷の住人は寂しいのではないか。孤独なのではないか。
本当は、自分のことを価値の無い社会の不用品と思っているのではないか。
だけど、それを認めることができずにもがいている。
街中に捨ててあるゴミや不用品に対して、無意識のうちに自分自身を投影しているのではないか。そして、それらを必要品として収集することで、自分自身を救おうとしている行為なのではないか。
ゴミ屋敷の解決の糸口は、住民を社会の一員として認め、何か役割を担ってもらうことなのかもしれない。
今、思えばそのいたたまれない気持ちの度合いが鬱のバロメーターだったように思う。
病状の快復とともにその気持ちは小さくなり、気がついたときには廃屋を見てもなんにも感じなくなっていた。
ゴミ屋敷の問題が叫ばれて久しいけど、昨年、選挙の手伝いでいろんな地域をローラーしていたとき、各所でゴミ屋敷を見たのだった。
敷地一杯に貯められたゴミ、山積みの不用品を見ながら考えてしまった。
ボクはゴミ屋敷の住人と言葉を交わしたことがないから本当のところは分からないのだけれど、そういうゴミや不用品は、きっと本人にとってはゴミや不用品ではないのだと思う。
ゴミ屋敷の住人は寂しいのではないか。孤独なのではないか。
本当は、自分のことを価値の無い社会の不用品と思っているのではないか。
だけど、それを認めることができずにもがいている。
街中に捨ててあるゴミや不用品に対して、無意識のうちに自分自身を投影しているのではないか。そして、それらを必要品として収集することで、自分自身を救おうとしている行為なのではないか。
ゴミ屋敷の解決の糸口は、住民を社会の一員として認め、何か役割を担ってもらうことなのかもしれない。
覗き屋ピー助です(笑)
私も鬱…とまではいきませんけど、酷く気分が沈んだときは、廃屋やらアスファルトに打ち捨てられたガムやら見るといたたまれなくなります。
昔ゴミ屋敷特集番組を見た限りでは、ゴミ屋敷の主は最愛の妻を亡くした、家族を事故で亡くした等の人が多かったです。
所詮テレビなのでヤラセの線もありますが…
ゴミに自己投影はありそうですね。
孤独でいたくない自己防衛が働いているのかな?と思います。
長文失礼しました。
実は、この考えは、仕事で助手をしてくれてる団塊世代のJNKネェさんとの休憩中の世間話から出てきたモノなんですが、そのJNKネェさんが甚く感心してくれて、ちゃんとしたところに投稿しなさいって勧められて、それでこのバカブログに投稿したってことなんです。
モノに自己投影することって他にもあるかもしれませんね。
観察するネタが増えました!。
「覗き見」も自己投影だったりして!?
なんつって。
ありがとうございました!