1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き野球バカ×10

2012-05-07 21:49:44 | リトルリーガーの記録
さて、このシリーズもずいぶんと長くなったが、そろそろ「無力感」について記録しておこうと思う。
言葉のアソビになるが、「無力感」を感じているうちはホントーの無力でないのであろう。
しかし、自分に力が無いことを知る、あるいはソレを受け入れるということは、人生において、結構大事なことではないのだろうか。ひょっとして、ボクは「イマサラ」なことを言っているのかもしれない。
自分に力があると信じて頑張るのも結構なことだと思う。「こんなはずじゃぁないッ!、オレはまだまだデキルッ!」。ダルビッシュがメジャー初先発時に、スタンディングオベーションされながらも、それを無視してベンチに下がったあの姿!、正直、メチャカッコイイと思った。でも、それはダルだからの話し。四十過ぎの老眼・白髪交じりのセックスぐらいしか能のない零細極小企業のオッサンサラリーマンが、「オレはまだまだデキルッ!」っと力んだところで、四十肩を悪化させるぐらいのものである。

で「無力感」。力が無いということを知るからこそ、そこからまた新しい努力が始まるのだと思う。「無力の力」って表現はどうだろうか。
今までは、ひたすら自分の利益、自分の力をさらにパワーアップさせるための努力に心血を注いでいたような気がする。で、結局は、オレはこんなに頑張っているのに、・・・なんて心の中で呟いていた。サイテーヤローである。
「オレはデキソコナイである!」
プライドを捨てているワケではない。まして、草食系男子の如く“対傷心バリア”を張り巡らそうなどと思っているワケでもない。
ただ、デキソコナイのデキソコナイによるデキソコナイのための生き方をデキソコナイらしく謙虚に処方したいだけなのである。具体的には、「明日は明日の風が吹く」精神を取り戻しながら、にこやかに健やかに世のため人のために尽くすことが新しい生き方として、短小短足の身の丈にあった自分自身に提示したいだけなのである。しかし、独りよがりの自己満足型になってはいけない。

息子と少年野球を通じてボクは多くのことを学ぶ事ができた。一方、このバカブログにでさえ記録できないようなバカバカしいことも何度も経験できた。刺激的だったこともある。面白かったこともある。腹立たしかったこともある。虚しかったこともある。悲喜こもごもといえば早いかもしれない。
だけど、今となっては全て過去のことであるから、それはボクの記憶の世界の話しでしかなく、人間の記憶などアテにならないという前提に立てば、一連の記憶というものは、実はボク自身によって塗り替えられた可能性も考えておかなくてはいけない。ボクとしてはバカバカしい記憶であっても、別の角度からは真剣で重要な忘れ難き記憶であるかもしれないのだ。つまり、過去の「事実」は、実録が無い限り、異なる記憶を頼りに「言葉」によって語られるため、「事実」についてはいつも争いの種が含まれることに気を付けなければならないのだ。ま、小難しいことはさておき、現在のボクをボクたらしめているのは、記憶がどうであろうと、過去の出来事が原因であることは間違いないわけで、そういう意味において過去の重要なワンピースとなったのは、「おとうさん、明日も野球あるよ」と言った息子の言葉、息子の存在なのである。
なんだかヤヤコシくなったが、つまり、ボクは今の自分が好きになりつつあるのだが、そういうふうに思えるようになれたのも息子のお陰なのだと思うのである。
息子のミニ小説の最後にこんなコメントが添えられていた。
-こんなことが想像できる自分が幸せです-
なお、ボクもお陰様で幸せである。

・・・続く・・・
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誇り高き野球バカ×9 | トップ | 誇り高き野球バカ×11(最終回) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

リトルリーガーの記録」カテゴリの最新記事