1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

NAKOGOTAA!

2007-11-09 23:28:26 | 雑談の記録
NAKOGOTAA!
翻訳すると「泣きたい気分だ」ということになる。

この気分になってしまったイキサツを簡潔明瞭に表現するのは難しいと思う。

だけど、このイキサツはこのバカブログにあまりに相応しく、これを記録することこそが、このバカブログの真骨頂なのかもしれない(大袈裟な前フリ)。

昨日は、7時半から行われたチームの保護者会にギリギリセーフで間にあって、今月23日に計画している交流戦の運営について遅くまで話し合った。

今日は、7時半から自宅でYKB先輩と打ち合わせを予定していて、7時25分に帰宅した。
YKB先輩は7時半ちょうどにやってきた。

せっかくだからYKB先輩のことを少し記録しておこうと思う。
YKB先輩は高校の先輩で3~5歳くらい年上と思う。男である。体育会系公務員でイベント運営にメッポウ強い、というか、それでメシを食ってるフシがある。高校時代に留年風の経験をしているとかしていないとか。カラオケは氷室京介が得意で、タバコはマイセンで携帯灰皿をバックに忍ばせている。目下の悩みは、小4のムスメが一緒に寝てくれなくなったこと。日常的習慣は、朝の味噌汁作りと自転車通勤。得意技は、月に一度の居酒屋ごっこ。
そんなYKB先輩とはズイブン前からPTA役員仲間として懇意にしてもらっていて、だけど、酒の席では、ボクはいつも殴られている。そんな肉親には優しく、他人には暴力的なYKB先輩のことを、ボクはナゼか尊敬しているから世の中フシギなものである。

YKB先輩との打ち合わせ内容は、今月25日に開催される小学校の10周年記念式典の午後の部のステージ運営についてだった。
午後の部のステージは以下の内容で約1時間30分となっている。
①地域の方による祝舞(日本舞踊)
②中学校の吹奏楽部
③PTA図書ボランティアによる影絵
④音楽部OBによる合唱
実行委員のボクがこんなこと言ったらダメだけど、大した内容じゃぁないと思う。だけど、マジメにちゃんと取り組むことが何といっても重要で、大した内容じゃないものを大したものにするのがステージの運営であったり司会の力量だったりするのだ。

そんなムダに気負ってみたところで、どうなるものでもないんだけど、やるからには最善を尽くしたいというバカな思い上がりに押されまくられるのが、ボクの一番ヒドイ欠点なのかもしれない。

そういうワケで、出演者にインタビューしたり、中学校の音楽部の顧問の先生に挨拶に行ったり、練習にやってくる音楽部OBの保険加入の手続きを手伝ったり、まぁ、どうでもいいことに汗を流してしまうのだ。
そして大きな、大きな勘違いをブチかましてしまうのだ。


日本舞踊と聞いて、読者のみなさんはどんなものを想像するのだろうか。
日本舞踊と聞くと、ボクはある女性のことをいつも思い出す。
高校のときの同級生だ。
彼女ほど破天荒な女性をボクは知らない。
傍目には札付きの不良少女で学校ではいつも先生に体罰を喰らっていた。
だけど、ボクにはどうしようも無いくらいに壊れそうな美しいガラス細工に見えていた。
彼女とは同じクラスになったことはないけど、友人の縁で友達になることができた。
大学時代、剃りこみの入ったオーストラリア人の白人男性の彼氏と一緒に、研究室にフラリと遊びにやってきたことが懐かしい。
そんな彼女は、30歳になる春の日に交通事故で亡くなった。
そのとき、ボクはビョーキで彼女のお葬式に出席することが出来なかった。
何年か経って、ボクは漸く彼女の墓前に手を合わせた。そして、その日、彼女の実家である鮎料理屋を訪れ、彼女のお母さんにお葬式に出席できなかったことを詫びることができた。お母さんはボクの訪問をことのほか喜んでくれた。注がれるままボクはビールを飲み、お母さんは彼女の生前のビデオを見ていってくれないかと言った。
ブラウン管に映し出されたのは、国立劇場の舞台だった。
舞台で舞っているのは彼女だった。そこにはボクの知らない彼女の姿があった。美しさ艶やかさ荘厳さに圧倒されて、ボクは涙をこぼした。
お母さんは、彼女の日本舞踊に掛ける情熱と不断の厳しい稽古について語ってくれた。彼女が稽古をしていたという座敷を見て、ボクは彼女を感じて言葉を失ってしまった。
まっ、日本舞踊と聞けばボクはそんなことを思い出すのだ。

・・・記念事業の午後のステージの初っ端は日本舞踊による祝舞。実行委員会では謝礼に関して議論になった部分がある。日本舞踊なのだから・・・・・。

YKB先輩との打ち合わせが一段落し、名取から借りてきた祝舞に使う曲を聴いてみようということになった。曲はカセットテープ入り。カセットテープには達筆で「玉杯の舞」「風林火山残照」と書かれてあった。
ボクは長女のユーにラジカセを持ってくるように頼んだ。

再生ボタンを押した。

くぐもってひび割れた音がスピーカーから漏れてきた。
ど演歌風のイントロに引き続き、男性のダミ声が・・・・

ボクは停止ボタンを押すと、テーブルに頭を激しくぶつける勢いで突っ伏してしまった。そして、気分はマリアナ海溝よりも深く、ブラジルに達する勢いで沈んでいった。

YKB先輩が言った。
「泣くな」
YKB先輩に初めて優しくしてもらった夜だった。
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