1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

選挙バカの詩×23『支援依頼』

2013-05-22 22:17:10 | 雑談の記録
 十ニ月四日が公示日だった。その日の午前は健軍神社で出陣式だった。健軍神社と言えば勝負に祀ることで広く知られ「出陣」には持ってこいの神社だ。過去の二回の選挙もここがスタートで、そのときはパフォーマンスの一環で僕と勝山は三原候補と共に自転車でこの神社を出発しただった。このときは、テレビクルーにも追われたりで、僕は少し面白半分だった。しかし、今回の出陣式でそのようなパフォーマンスは無かったようだった。僕は仕事でその日の出陣式には行けなかったが、参加者の多くから大変雰囲気が良かったという感想を聞くことができた。
 また、その日の午後は黄城高等学校近くの黄城会館前での出発式があった。勝山が学ラン破帽に裸足という出立ちで木原候補に必勝の演舞を送ったとのことだった。この鬼気迫る様子は、後に、有名な男性雑誌に紹介されるほどのものだった。
 しかし、このようにして華々しい公示日を迎えることができたのだが、選挙事務所の我々のブースにはいつもの十人弱の同級生を除き人が増える雰囲気は全くなかった。限られた人員で、ただひたすらいつ終わるともわからない作業を夜遅くまで必死でやる以外になかった。
 出陣式の翌日は、前月の事務所開きから休み無しで働きづめだったスタッフの慰労もあって夜十時に事務所は閉ざされた。我々にとってはこれからという時間で少しでも作業を進めたいという思いもあったが、その日の勝山は我々に早々と作業を終えるよう促すのだった。そして、話しがあると言って、その日集まっていた七人を近所の居酒屋に引き連れて行ったのだった。
 
 勝山の苦渋に満ちた表情が話すより先に我々には伝わっていた。この少ない人数で今後の選挙活動を行うことは極めて困難であることを。また、同級生の集まりが少な過ぎるという批判の声が熱心に支援をしている先輩や後輩から上がっていることも報告された。
 このことに最初に噛みついたのは、同級生の間では勝山の次に有名な門田だった。
 彼のことは「唄の祭典」無しに語ることはできない。僕らが高校の頃、黄城高の文化祭のといえば「唄の祭典」と言われるほど市内の高校生では有名なステージショーがあった。文化際は受験を数ヶ月に控えた秋に行われるのだが、この祭典の企画・運営・出演は部活の垣根を越えた黄城高バカ男子による一大イベントなのであった。夏の部活動が終了すると受験勉強を始めるのが進学高校生の普通の姿だ。しかし、3年男子には、この「唄の祭典」に部活以上の情熱を燃やす者達が数多くいた。なぜなら、僕らは1年の頃から先輩達が企画した「唄の祭典」に爆笑、魅了されていたが、本当の大きな理由は、そのステージを楽しみに本校生徒数を軽く凌駕する近隣女子高生が多数やってくるからなのであった。ただ、このステージショーは当時の現役進学率を低下させる一因と考えられており、県議会から中止の要請が出るほどだった。
 そんな『伝統』のステージショーを強力なリーダーシップを発揮してアホ男子を取りまとめ企画・運営・演出に携わりながら、また、ステージでは司会をこなすという偉業を成し遂げたのが門田のである。二〇〇〇人の学生によって埋め尽くされた体育館は、門田の緻密かつ大胆な演出によって何度も何度も笑撃波により揺さぶられたのである。そのときの門田は確かに輝いていた。
 
 門田は、後輩からの突上げの声に対してそのような事を言われる筋合いは無いと断固とした姿勢を示した。
 「、、オレたち、こんなにやってんのに、なんでそんなこと言われなくちゃいけねぇんだ!?、それ、誰が言ってんだ!?」
 門田は怒りを露わにしたが、勝山はもっと露わに言い放った。
 「そんなの、誰だっていいだろ!、そう言われてるってのが事実なんだよ!、わかるだろ!、後輩の立場になってみろ、ロクに同級生も出てきちゃいねぇのに、支援してくれってムシのいいこと言われたらアタマに来るだろ!」
 「けど、そう言われるのは、やっているオレとしてはたまんないね、テンションめちゃ下がるし、、サイアク、、もうやりたくなくなったぜぇ、、てか、それって、事務所に来ない同級生を悪く言ってるようにも聞こえるぜ、、地元に残ってる同級生って、ほとんどが公務員じゃねぇか、、銀行員も多いし、、無理は言えねぇよ、、」
 「、、わかってるよ、、だからこうやって、いい知恵がないか集まってもらってんだよ、、実際のところ、オレだってどうしていいのかわかんないんだよ、、これから先、いったい、どうすりゃいいってんだ、、この人数でこれから先無理なのは、みんな、わかってるだろ、、」
 勝山の最後の言葉が我々の前に沈黙の雨を降らせた。ただ、一人、門田だけは軽く雨宿りしながら、面白おかしくボヤキを続けていた。
 「、、他に、、意見はないか、、ヒガシ、オマエ、なんかないか、、」
 勝山が僕に話を振ってきた。
 「これから先のことを、どうのこうの言う前に、、」
 自分自身のガス抜きが必要だった。これまでの選挙活動の最中に三原に対する批判の声を僕はずいぶん耳にしていた。
 「オレ、ミハラにも問題があるんじゃねぇのかって思ってんだけど、、」
 「、、なんだよ、問題って、、」
 「ずばり言うけど、ミハラから応援をヨロシク頼むってお願いされたことは一度もねぇぞ、、そりゃ家の前にミハラの看板は出しているから年に一度はお礼の挨拶には来てるみたいだけどよ、、お願いされたことは一度もねぇな、、まずはミハラ自身が同級生にお願いするのがスジってもんじゃねぇのか?、、オレたちはその次でいいんじゃねぇのか?」
 「ヒガシ、お前の言ってることはよくわかる、、けど、そこがオマエとオレの違いなんだよ、、オレはミハラにそんなことは望んでないし、、オレだってミハラからそんなこと頼まれたことは一度だってない、、」
 「そりゃ、オレだってミハラから直接頼まれたいって思ってるわけじゃねぇけど、他の同級生には直接会ってお願いしたっていいんじゃねぇのかぁ!?、だから、いつもこんな調子なんだよ、、バッカみてぇ!、、自分で自分のクビを絞めてるようなもんじゃねぇかっ!、、」
 僕はそのとき薄々気づいていた。勝山が同級生に対するお願いを三原には控えるよう仕向けているに違いなかった。それは「本物」の政治家を作るための一手段ではあるのだが、このことについての考え方は、僕と勝山の間に隔たりがあり、この短時間に着地点を見出すのは困難な状況だった。しかも、それは以前からお互い分かっていたことで、この時間に激しく議論する内容でもなかった。しかし、コトが既に崖っぷちだっただけに、決死のダイブ前の雄叫びが僕には必要だったのだ。勝山は同窓生からの突上げに苦しんでいたが、僕は一部の議員からの圧力に屈しかけていたのだった。
 平行線をたどっている僕と勝山の間に、山崎が橋を架けるかたちになった。
 「、、オレは逆に燃えるけどな、、確かに、今の状況じゃぁ後輩たちに突上げ喰らったって、そりゃ当り前の状況じゃねぇか、、しかし、そう言われると、逆にやってやろうじゃねぇかって気持ちになるぜ、、もう一回、マジ(本気)で同級生に頼む以外ねぇだろ、、、」
 山崎は野球部のエースだった。この負けん気の強さが山崎をエースに仕立てた原動力であったが、このときの一言が、そこに集まった同級生の気持ちを一つにしたのだった。
 いつの間にか我々の深夜会議は居酒屋のオーダーストップの時間になっていた。この会議には某社会人の軟式野球チームに敏腕マネージャーとして頑張っている永遠の乙女こと松本さんと、最近カルメンに凝っているという白衣の美天使こと鈴木さんの二人の女性同級生がいた。そして、二人は閉店間際にお店の人に気を遣いながらデザートを注文したのだが、幸せそうに真夜中のチョコレートサンデーを頬張るその姿に四十代女性の強さを感じずにはいられなかった。
 僕は家に戻ると自分は全力を尽くして事に臨んでいるのか自問したのだった。心の隅に、「これ、所詮、ボランティアじゃん」という思いがあったことは否定できない。しかし、不毛な作業を「ボランティアをやってます」というマスターベーションで覆い隠すほどの器用さは僕にはなかった。勝山が苦しんで頭を掻いている姿が脳裏から離れなくなっていた。
 パソコンを立ち上げた。電話ができるような同級生は本当に限られていた。僕ができることは、書いて友人たちに思いを伝えることだけだった。深夜のうちに下書きし、翌日の昼に投稿したのだった。

続く、、、
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