1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

血祭り

2008-11-03 23:30:21 | 雑談の記録
学生の頃、大学の近所にあったスッポン料理の店で食事をした晩に、鼻血を出してしまって血の海になった自分の布団を見て「やっぱ、スッゲー効くなぁ、スッポンの生き血は・・・」って感心したことを憶えている。


我がKMMリーグの球団会長の交友幅は各方面に広いみたい。
昨日、グランドに来ていた会長からスッポンを貰うことになっているから一緒について来いと言われ、NGTオヤジの車で会長の友人宅に向かったのだ。
出発前、スッポン料理については会長も詳しく知らないみたいで、調理はどうしたもんかとアレコレオヤジたちと話してたけど、そんなことは貰ってきてからでも遅くはないだろうということになったのだ。

その会長の友人宅というのは江津湖(湧水の湖)近くの低平地にある昔ながらの集落内にあって、屋敷の敷地面積は300坪といったところ。5箇所の井戸からは地下水が自噴しており、その湧水を利用して箇所箇所に瀟洒な石作りの桝池が作られていて池には食用の丸々太った鯉が泳いでいた。また、屋敷の東側には水深1.5m程度のプールがあり夏場は親族の子供たちが遊びにきているだろうことを窺わせる遊び道具があった。

会長とボクとNGTオヤジは、どこかにスッポンがいるんじゃなかろうかと、それぞれの桝池を覗き込んだけどそれらしい生き物は見当たらず、そんな我々の行動を見かねたのか屋内から家人のARKさんが外へ出てきた。

ARKさんの風貌はその屋敷には全く不釣合いで体の動きもぎこちなく、失礼かもしんないけどボクはこの屋敷の使用人ではないかと思ったくらいだ。ま、そんなことはどうでもいいんだけど、会長はARKさんとは古い友人で、最近はARKさんの長女がやっているお店(スナック)に遊びに行くこともあるようだった。
数年ぶりに会った会長とARKさんは、しばらく庭作りについての意見交換や共通の知人たちの近況について話してたんだけど、件のスッポンに話しが及ぶとARKさんは我々を屋敷の裏手に案内した。屋敷の裏手はちょっとした厨房風になっていて、なにやら芳しい香りが漂っていた。屋内に目をむけると台所のテーブルには野菜類が盛られた大皿があってその横には土鍋があった。再度、外の厨房風のところに目をやると、営業用大型ガスコンロの上には炊き出し用の大鍋があって、その大鍋が香りの源であることがわかった。
ARKさんがナベのフタを開けて中を見せてくれた。
そのナベの中には甲羅らしきものが浮いて見え、周囲にはまっ黄色の脂身やゼラチン状の物体が見えた。
「オワ~、スゲェ~、スッポン鍋だ~」
このスッポンの重さは2kgほどだったとのこと。江津湖のサワガニ採り用の網に掛かったものらしかった。ときどき掛かるという。

生きたスッポンを頂くと思っていたのが、スッポン鍋を頂くことになった。


ARKさんの招きで古民家風に設えられた居間に通された。
掘り炬燵様になった居間には長テーブルがあって、その上にはガスコンロおよび鍋道具一式があった。準備万端といったところだった。
付き添い兼運転手として一緒に来たボクとNGTオヤジは、ご馳走になっていいものか戸惑ったけど、ま、いいか、と互いに目配せで確認したそのとき、玄関から元気のいい女性の声が聞こえてきた。買出しに出掛けていたARKさんの奥さんと次女、奥さんの妹の3人の女性が戻ってきたのだ。
家の空気が一気に暖かくなったようだった。

奥さんとその妹は二人ともすでに引退しているんだけど、水商売を長くやっていたそうでノリはいわゆるイケイケで元気がよく、その昔は、どちらも美しい女性であったことが容易にうかがえる雰囲気と魅力が残っていた。
いよいよ宴が始まった。
スッポン鍋における乾杯と言えば、生血での乾杯だ。凝結を避けるため焼酎で少し薄められた生血はビールグラス一杯分あり、それをお猪口に四等分して乾杯した。
なんとも言えない生臭い味が口いっぱいに広がり、だけど、なんだか猛々しさを感じる味だったりするのだ。
しばらくして、会長からお土産を持ってくるように言われたSGAオヤジも合流した。
車で来たSGAオヤジとNGTオヤジは乾杯以外のアルコールは控えての酒宴だったからボクはすごく気の毒だったけど、ボクは、今日は帰れないことを覚悟すると同時にもうこうなったら楽しんじゃぇの精神で、会長につき合うことにした。
ARKさんは見た目とは違い、酒量は豪傑そのものだった。生血でも乾杯が終わるそばから奥さんにドンブリを持ってこさせ、焼酎をビールで割って飲み始めたのだ。「グラスじゃぁめんどくさかろうがぁ、グビッ、グビッ・・・」
(ヒェ~、さすが会長のオトモダチ、桁が違う)。
奥さんとその妹も現役顔負けの飲みっぷりで、ボクがお酌を忘れていると早くしなさいなんて怒られることもあった。ちなみに奥さんの次女は妖艶な38歳、大阪でお店をやっているそうで、寡黙な中にただものではない雰囲気を漂わせていた。

酒宴は2時くらいに始まったと思う。1時半が経過した3時半くらいだったと思う。熊本の繁華街でお店をやっている長女が1歳半の息子を連れてやって来た。次女と違いイケイケの40歳。マシンガンのような毒舌でボクらを切りきり舞にしてくれたけど、旦那のことを訊くと「マグロを獲りに行っとって、来年にならんと帰らんとたいッ、何度も訊くなボケカスッ」ってとぼけるところが可愛らしかった。

1歳半の孫に目を細めるARKさんとその家族。宴もたけなわになったころ、突然の来客があった。家出をしていた次女の18歳の娘が戻ってきたのだ。18歳の彼女はARKさん夫妻の前に座り涙をボロボロ溢しながら今までの非行・不幸ぶりを詫びているようだった。
18歳の彼女は今風の化粧で素顔を覆っていたけど、芸能人にしてもいいくらいの美貌と強さを兼ね備えていた。
話しを聞けば次女は18歳で結婚。19歳で子供を生んだあと、その子を親に預けて大阪へ。
子供はARK夫妻がずっと面倒を見ていたそうだ。そして、その子は16歳のある日、突然、家を出て、今日、この日まで姿をくらませていたとそういうことらしいのだ。

ハッキシ言って、こんな場面にボクらは居ていいのだろうかと思ったけど、後になって会長と話してみて納得できたことなんだけど、どうやらボクらは上手い具合にARK家族の再会のダシに使われたのではないかと、そういうことらしいなのだ。

なんでかっていうと、ARKさんはホントはスゴイ酒乱で、お酒が無くても家族だけのときは、それは相当に気難しい人物らしいのだけれど、誰かお客がいると嘘みたいにいい人らしいのだ。確かにARKさんの酒乱ぷりを垣間見るシーンは何度かあって、これはもうヤバイかもっていう一歩手前でうちの会長がやんわりと諭していたところがあったのだ。

そういうワケで、7時くらいまでボクと会長はARKさんちにお邪魔になって、そのあとは会長の行きつけのお店に行って、馬レバ刺しをつまんだのだった。で、結局、会長は9時すぎに帰宅したけど、SGAオヤジ、SKG オヤジ、HRNオヤジと再合流したボクは12時まで飲み続けたけど、ナナナナナナント、○○○はちゃんと○○○して○○○できたから、やっぱり効くなぁ~と思った。
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