1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『三玉山霊仙寺を巡る冒険〜2.彦岳、震岳(ゆるぎだけ)、不動岩、それぞれを形づくる岩石〜』

2021-11-27 18:01:16 | 三玉山霊仙寺の記録
『三玉山霊仙寺を巡る冒険』

〜2.彦岳、震岳(ゆるぎだけ)、不動岩、それぞれを形づくる岩石〜

前節は、山鹿市三玉地区の山や土の特徴を見事に捉えた不動岩の首引き伝説を紹介した。物語に出てくる彦岳、震岳、不動岩は互いに隣接しながら全く異なる山容であることが、古くから地域の人々の心を惹きつけ、その結果として、この伝説が色褪せることなく現代まで語り継がれてきたのだと思う。

言うまでもなく、我々が暮らすこの大地の殆んどは、地表を覆っている表土を取り除けば、その下には堅牢な岩石の世界が広がっている。そして、その岩石の世界は、そのでき方によって大きく三つに分けられている。ひとつはマグマが固まってできた「火成岩(かせいがん)」。ひとつは礫・砂・泥、火山灰や生物遺骸などが、海底・湖底などの水底または地表に堆積して固まった「堆積岩(たいせきがん)」。そして、最後のひとつが火成岩や堆積岩が地下の深いところで強い圧力や高温の熱の影響を受けてできた「変成岩(へんせいがん)」だ。

奇しくも、彦岳、震岳、不動岩の三者は、それぞれ異なる三つの岩石からできていて、それが特徴的な形となって我々の眼前にその姿を現しているのだ。

彦岳は広義では変成岩に分類されるが、元の岩は3〜5億年前のマグマ活動のうち地下の深いところでゆっくり冷えて固まった「はんれい岩」と呼ばれるもので、海洋プレートの一部であったと考えることができる。そして、それが数億年という気の遠くなるような年月経て大陸プレートに接近して潜り込み、地表から数10kmという地下深部の高温、高圧のもとで「変はんれい岩」になったものだ。このとき地下深部に潜り込んだのは海洋プレートだけではない。大陸プレートと海洋プレートがぶつかり合う海溝やトラフと呼ばれる凹地では、陸側から運ばれてきた砂や泥が堆積して堆積岩が作られ、これらの一部は海洋プレートもろともに地下深部にまで引きづりこまれる。そして、引きづりこまれた堆積岩は高温、高圧のもとで「結晶片岩(けっしょうへんがん)」という変成岩に変わる。震岳の山体は、まさに、この「結晶片岩」から形成されていて、その変成年代は約2億年前とされている。

さらに悠久の時の流れの中、次は隆起という地殻変動によって、地下深部にあったものが地表へ顔を出すのが1億年前頃と考えられるのだが、その隆起の過程で、にわかには信じられないような大事変が起こっているのだ。それは時代的に古く地層の順番としては下にあるはずの「変はんれい岩」が、「結晶片岩」を乗り越えて数10kmも移動してきているというのだから驚きだ。いや、「結晶片岩」が「変はんれい岩」に潜り込んだと言ったほうが理解しやすいかもしれない。いずれにしろ、このときの大規模な地層のズレは、ほぼ水平と言えるような極めてゆるく傾斜した断層(衝上断層)として現れていて、あたかも「結晶片岩」の上に「変はんれい岩」が乗っかっているようなのだ。震岳の山頂付近の凹んだ僅かな範囲は、実は、「変はんれい岩」なのだ。

そして、こうした地殻変動を伴って陸地化した8千万年前頃の地表では、活発な火山活動が起こっていた可能性が高く、大地の上では恐竜たちが闊歩していたに違いない。この頃、内陸には大河や湖沼も形成されていたと考えられ、陸域に近い浅海で堆積して固まったものの一部が不動岩を形成している「礫岩(れきがん)」なのだ。さらに時は流れ、隆起・沈降を繰り返し、また、気候変動による風雪や乾燥、豪雨を受けて現在のような地形が作られたのだ。

ややこしい話しになって申し訳ないのだが、上述したように、彦岳、震岳、不動岩を形作る岩石は、私達の想像を絶する時の流れの中で作られた産物なのだ。次回は、実際にこの山々に登った感想を交えながら、彦岳と震岳にまつわる物語を紹介したいと思う。

《参考文献》
熊本県地質図編纂委員会『熊本県地質図(10万分の1)』一般社団法人熊本県地質調査業協会 平成20年
島田一哉、宮川英樹、一瀬めぐみ「不動岩礫岩の帰属について」『熊本地学会誌』120 p.9-18 1999年
西村祐二郎、柴田賢「”三郡変成帯”の変斑れい岩質岩石の産状とK-At年代」『地質学論集』第33号 p.343-357 1989年
石塚英男 鈴木里子 「オフィオライト変成作用と海洋底変成作用」『地学雑誌』104 p.350-360 1995年
早坂康隆、梅原徹也「熊本県山鹿変斑れい岩体のナップ構造」『日本地質学会第101年学術大会講演要旨集』p.173 1994年
矢野健二、豊原富士夫、武田昌尚、土肥直之「九州西部、三郡変成岩類に衝上している変斑れい岩」『日本地質学会第98年学術大会講演要旨』p.212 1991年

画像は、衝上断層のイメージ(熊日)、大陸・海洋プレートの衝突と熊本の地質の関係のイメージ(自作)、と山鹿市北部の鳥瞰図(自作)。


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