ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

ストラッドフォード・アポン・エイボン、小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』(旧天使舎)以心社刊

2012年08月01日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』

小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』(旧天使舎)以心社2003年刊より

P100~103
ストラッドフォード・アポン・エイボン
小林稔





 鉄道駅を発ったバスは、街を離れ田舎風な木造の民家が軒を並べる曲

がりくねった道を走っていたのに、浅い眠りに襲われた私は、適度な間

隔を置いて植えられた樹木の林にバスが入り込んでいることに気づいた。

木洩れ日が斑模様を作っている道があった。薄緑色の下草が広がり、木

の幹につる草が絡んで、新緑に染め上げられている。自然とはいえ人手

が加えられたであろうことは容易に見て取れるが、ずいぶんと昔のこと

であり、人は滅んでも樹木は残って、後の世の人々と調和を奏で丈高く

四月の晴れた空に伸びている。いちめんの緑色の風景を目の当たりにし

て私の中で荒々しくなっていく意識が抑えようもなく上気した。私の身

体を傷つけたら、緑の血が流れるだろうと信じられるほどであった。薄

緑から陰影を落とした濃緑までの外界に浸されてしまったのだ。季節を

人生に喩えるなら、私の見ている自然の輝きに満ちたこの季節は、まさ

に青春期である。それなのに私は今ここで何をしているのか。何もでき

ないでいるのだ、という焦燥に追い立てられ、鬱積した思いに激怒が、

むき出す牙のように身体から湧き上がって来た。種子が芽を吹き、花を

咲かせ、収穫の時を迎えるというのに、私は詩の一行も書けずに放浪に

身を委ねているのか。夢を追っているだけで、しっかり大地に根を降ろ

した生活というものがない、いつかは、という思いで青春を浪費してい

るのだ。すると、緑一色の風景がもはや緑であることをやめ、緑の内奥

に潜んでいた黒が溢れ出し、たちまちに視界を塗りつぶした。それは一

瞬のことであったが、異相の現実に向かい合ってしまったようで、私の

心に深く刻まれた。自然界の生長に秘められている惨たらしさを見せつ

けられたと思った。青春への警鐘に違いないのだ。四月は一番残酷な月、

というT・S・エリオットの詩、『荒地』の最初の一行を思い起した。

 林の中のゲストハウスとして使われている白い館には若者たちが集ま

っていた。館を覆いつくすように樹木やつる草が這い入っている。広い

リビングにはソファーがいくつも置かれ、さまざまな国から来た若者た

ちが憩い、本を広げて読みふける者もいれば、それぞれの旅の話を、瞳

を輝かせて語ったり聞いたりしている者もいる。部屋は若い息で満ちて、

旅から収穫を得ようと、しなやかな身体に宿った夢で心が揺さぶられて

いるようであった。私もいく人かの大学生と語り合った。


 翌日、友人と私はシェイクスピアの生地と晩年を過ごしたというニュ

ープレイスを徒歩で訪れた。ゆるやかにカーブする田舎の道をゆっくり

と歩いた。やがてヨットを岸辺に繋いでいるエイボン川が見え、ボート

遊びをする人の姿があった。さらに歩いて街に入ると、シェイクスピア

をあて込んだレストランやカフェが並んだ一角に、シェイクスピアが家

族と暮らした家があった。観光客が空間を埋めつくして感慨がない。ひ

とまわり小さかったスペインのグレコの家を思い起した。画家が物思い

にふけったに違いない、庭に続く佇まいに魅了されたのであったが、シ

ェイクスピアの家では、見物客に視界を遮られ彼の生活に思いを馳せる

ことができなかったのは、私たちにとって不幸なことであった。私たち

は早々とそこを立ち去るしかなかった。白い館に向かう帰路で再び触れ

る自然の美しさに、シェイクスピアの精神を養ったものを感じ始めてい

た。昨日の焦燥感はもう私から消えて、しばし美しい風景に感覚を呼び

起こされ、いつか記憶に留めることになるであろう青春の残された日々

を、友人とともに歩いていたのである。
                    (次回につづく)



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ドーバー海峡を越えて、小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』2003年(旧天使舎)以心社刊

2012年08月01日 | 小林稔第6詩集『蛇行するセーヌ』

小林稔第六詩集『蛇行するセーヌ』(旧天使舎)以心社2003年より

『蛇行するセーヌ』P96~99
「ドーバー海峡を越えて」
小林稔


 フランスのカレーから船に乗り、ドーバー海峡を越えイギリスに渡った。そこから列車を乗りついでロンドンのヴィクトリア駅に着いた。
         駅構内のインフォメーションでB&Bを紹介してもらい、歩いて向かうことにした。掲示板には週単位の求人広告が貼られてあった。ロンドンなら苦労しないで暮らしていけるかもしれない。
                                         駅構内を踏み出した時、次々に過ぎる車の流れがあった。
                一台の車の窓から、黒い布をまとったイスラム圏の二人の若い女が、笑いながら私

たちに向かって何かを叫んだ。彼ら特有の親しみの気持ちの顕示に私たちは手を振って返答した。


 白い円柱のある建物のファサードをいくつも通り過ぎる。
                         なんと優しい様相の町並みだろう。
 

 パリを最初に見た時の、どっしりと構えた建物と葉をすっかり落とした街路樹の静けさはここにはない。
                                              パリは私に抵抗

した。新参者を拒んでさえいた。私を嘲り笑っているようでもあったが、それでもしっかり見定めれば、街の形象が私

の身体を包み込んで心の深部に重低音の波動が走り、一気に感動の渦が私の胸を昇り始めた。
                                        おそらく孤独と向き合おうとするものだけに感応する美である。
              月日を重ねていくにつれ、生きていくことの喜びを静かに感じることができるだろう。

 歴史の重さと明晰な精神が造り上げたこの街で、美が現われるのを目撃すればいい。

(そのことにも絶望したらどうすればいいのだろう。)
                        ところがどうだ、ロンドンは私たちを優しく迎え入れようとして

いる。友人はこの街が気に入っているようだが、私はこの二つの街のあまりの相違に、対処の仕方がわからず戸惑いを

感じてしまったのである。
          テムズ川に沿った道で、国会議事堂やビッグベンを見上げ、立ち去ったばかりのパリを思い出さ

ずにいられなかった。ロンドンの親しみやすさが気に入らないのだろうか。セントポール大聖堂にも、パリのノートル

ダム寺院を訪れた時のような感慨はなかった。


 ピカデリーサーカスへ二階建ての赤いバスで行き、それから大英博物館まで歩いた。アテネのパンテノン神殿の彫刻

の一部があり、これからいつか訪れるギリシアに思いを馳せると、ますますこの街との繋がりがみえにくくなるのであ

った。
 駅の食堂で口にしたサンドイッチがまずかった。地下鉄に乗って目にした人々の暗い表情。何もかもパリとは違って

いた。
 そうだ、パリは私のたびの経過に特別な意味があったのだ。これまでのヨーロッパの旅の終結点にパリがあった。街

から街を移動するというそれまでの旅に、どこかで終止符を打っていたのだ。
                                 再び始めた旅に戸惑いを感じているのだろ

う。まして今回は一人旅ではない。イタリア、ギリシアに真っすぐ向かうべきだったのか。そんなことを思いながら


も、ロンドンでの滞在が日増しに快く感じ始めていた。

                       イギリスの地方をこれから知ることで、ロンドンがもっとよく見え

てくることがあるかもしれないと思った。一人で旅をしていたころとは違う旅の楽しさが判り始めていた。

(次回につづく)





(旅の概略)

 横浜からソビエト船で日本を発ち、シベリア鉄道でシベリアを横断し、北欧に辿り着く。少しずつ南下して、西ヨーロッパを時間をかけて回り、イベリア半島まで降りた。スペインでイスラムの影を強烈に感じながら旅する自分を放浪の民に重ね合わせ、モロッコに辿る。ここまでのスペイン、モロッコの旅が、詩集『砂漠のカナリア』に書かれている。スペインに戻り、一気にパリに直行する。パリを目にしたとたん、ここは住むべきところと知り、考えあぐねた末、六階の屋根裏部屋に五ヶ月滞在する。そこに日本から友人がやって来る。四月になるのを待って、友人と私はイギリスへ渡った。そのときの最初の場面が今回の部分である。このあとイギリスの地方を旅することになる。この作品『蛇行するセーヌ』では、モロッコから帰った「私」がスペインからパリに向かう夜行列車の情景から始まり、イギリスから帰って、フランスの地方を地中海沿いに辿るところまで描かれている。私が一連の旅を顧みる部分であり、危険と魅惑のアジアルートからの帰路を思い描く。パキスタン、インドに入る時期が迫っている。ギリシアで帰ることになっていた友人は帰国せず、インドまでいっしょに旅することになった。
 イタリア以降帰国までの旅の記述はすでに大部分は書き終えて、同人誌「ポアソン」に十年以上前に発表している。日本出発から北欧諸国、オランダ、ベルギー、ドイツ、スイスなどの自然と、美術の旅も一部は書き終えている。これらの旅は、日本で詩作に絶望した「私」が詩と生の繋がりを追求するというものであり、いわば詩人が変貌するための修行時代を経験していたといえようか。今日まで、「生の変革」を求めて詩作をつづけるが、今は実際に旅することはなく、詩作と併行して哲学の領域において意識の狩猟を探求していると自分には思われ、詩学の確立に踏み出したところである。




注記・
全体的な構成(詩人の二十代の旅)1975~76
一、 『暗喩の空の下に』(出発からロシア、ヨーロッパ諸国、スペインに辿るまで)未刊
二、 『砂漠のカナリア』(スペイン、ポルトガル、モロッコ)既刊
三、 パリ滞在と南仏、イギリスの旅『蛇行するセーヌ』既刊
四、 イタリア、ギリシア編(執筆中)
五、 『異教の血』(仮名)(トルコから帰国まで)未刊

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