ヒーメロス通信


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ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容、小林稔個人誌『ヒーメロス』19号2011年10月25日発行から

2012年08月11日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
小林稔個人季刊誌『ヒーメロス』19号2011年10月25日発行より

〔長期連載エセー〕自己への配慮と詩人像(十一)(前編)
小林 稔



38 ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容


 ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーが一八七一年五月十三日付のイザンバールに宛てた、世間に流布する「見者の手紙」で記述したJe est un autre.「私とは一つの他者なのだ」というフレーズにおいて、Je suis un autre.とすべき表現をJe est un autre.と造語し、il(彼)とje(私)を入れ替えたことで言い表そうとしたことは、ルネ・デカルトのcogito ergo sum.「われ思う、ゆえにわれあり」のパロディであるが、ランボーの、いわゆる「他者の思考」を、私のこのエセー「自己への配慮と詩人像」の根幹である、ミシェル・フーコーの晩年の哲学思想、「真理と主体」のフィールドに移すとき、古代哲学における、ピュタゴラス派から引き継がれた「哲学と霊性」の問題が、キリスト教神学とスコラ哲学を経由し、デカルト、スピノザを通過して十七世紀以降の近代哲学に、とりわけ十九世紀のヘーゲルの『精神現象学』に噴出するのを見出すのである。
 デルフォイの神託gnôthi seauton(グノーティ・セアウトン)「汝自身を知れ」と表裏一体を成すepimeleia heautou(エピメレイア・ヘアウトゥー)「自己への配慮」という観念には、フーコーによれば紀元前五世紀から紀元五世紀の千年にわたる変容(哲学的な訓練からキリスト教的な禁欲主義の初期形態まで)が見られ、それ以降、霊性は認識の哲学によって隠蔽され、ニーチェやボードレールが「自己の美学」や「自己の倫理」の中に甦生させるまで、「汝自身を知れ」が思惟という貨幣の表に向けられて、「自己への配慮」という概念は転覆の機会をうかがっていたことになる。配慮すべき自己とは何か。主体は認識によって真理への到達を保証されない。「主体は自らを修正し、自
分自身とは別のものにならなくてはならない」とフーコーは霊性の原理を解明する。これこそがランボーの「他
者の思考」でなくて何か。(フーコーはこのことにはまったく言及していない。)霊性とは、「主体自身の上昇」運動によって「真理が主体に到来し霊感を与える」ものであるとフーコーはいう。エロース(愛)とアスケーシス(修練)。(すでにこのエセーで考えつくされた。)このような古代的な哲学が、なぜランボーという十九世紀の一詩人に現象したのか。ランボーは同時代の詩人たちの列から、神と崇めたボードレールからさえ、独り駆け抜けていったではないか。どこへか? この世の果てへか? 否、言語表現の彼方ではないだろうか。(この論考の後半、「詩人像」で究明することになる)。私は論を先に進めすぎたようである。これからキリスト教の誕生の基盤となったユダヤの思想に降りていかなければならない。司牧の権力とはいかなるもので、いかなる背景のもとに生まれたのか。来るべき詩にとって反抗が反抗たりえるのは、思考の変遷の証人たるかつての「生と思惟」において、肯定と否定の両義性に葛藤しながら、時代の趨勢をつくり上げてきた無数の精神の継承とその実践にある。


生存の技法
 フーコーは『性の歴史』(全三巻)の第二巻「快楽の活用」の序文で次のようにいう。「強制も禁止もない場合でさえも道徳上の関心がつよい、という事態がしばしば起こっている」、つまり「禁忌と道徳的問題構成とは別々のもの」であることから、「いかなる形式において、性の活動が道徳領域として構成されたか」という問題をギリシア文化やギリシア・ラテン文化に対して問い、「ある実践の総体」と結びついているのであろうと考え、「生存の技法」と名づけている。それは「自分の生を、ある種の美的価値をになう、また、ある種の様式基準に応じる一つの営みと化そうと努力すること」であるという。このような「自己にかんする技術」はキリスト教の司牧権力の行使によって、あるいは後の教育、医学、心理学の実践に統合され、重要性と自立性をなくしてしまったが、再び考察されなければならないものであるとフーコーは述べる。
 「古代にはどのようにして性の活動と快楽が、ある《生存の美学》を働かせながら、自己実践をとおして、問題として構成されたか」を証明するため、古典期古代に始まり最初の数世紀のキリスト教時代まで遡って考えようとした。その研究成果が、古典期ギリシアの文化に当てられた「快楽の活用」であり、西暦の最初の二つの世紀に当てられたのが第三巻「自己への配慮」であった。この私のエセー『自己への配慮と詩人像』ではすでに論じられたが、キリスト教思想との比較において、ふたたびギリシアの古代や紀元後の二世紀のヘレニズム文化を要約して示し比較することによって、キリスト教思想の特異点を浮上させてみたいと思う。

 
 キリスト教性道徳との相違点
 フーコーによると、キリスト教は、性行為の価値に悪や原罪や失墜や死を結びつけ、生殖中心の一夫一婦制を唱え、したがって同性愛なるものを激しく糾弾し、禁欲と永遠の処女性に高度の道徳的で宗教的な価値を与えた、という真実らしい考えが恒常的になされているという。そのことに対してフーコーは、初期キリスト教が古代の道徳哲学から借用した緊密な連続性を挙げる。キリスト教のテキスト、アレクサンドレイアのクレメンスの著『教育者』には、古代哲学から借用した性と悪の結合、同性愛への非難などが見られるという。さらに長いスパンで見れば、キリスト教倫理と近代ヨーロッパ社会の道徳を特徴づけたものには、すでに古代ギリシア・ローマ思想の中核に現れていたと主張する。西暦一世紀のギリシアの医師アレタイオスによって記された遺精に関する書物やアプレイウス、エピクテトスなどの書物からいくつかの例を挙げている。さらにプラトンの『饗宴』に描かれたソクラテスに禁欲のある模範例をフーコーは述べる。多くの男たちに求愛された少年アルキビアデスの美しさに対して、ソクラテスは自制力で距離を保っていた。やがて少年の美しさが消え、青年に成ったアルキビアデスにソクラテスは声をかける。つまり自己抑制は知恵の一つの形式に結びついて、真理の存在に近づけてくれる活用なのである。「性の禁欲と真理への接近とのあいだの関係という主題群がすでにはっきり強調されている」とフーコーは指摘する。性行為に関する古代道徳の寛容さと性行為に対する生殖以外の厳格な拒絶といった簡単な図式で考える一般論に牽制をかけているのである。
それでは何が違うのか。「古代ギリシア・ローマにおける厳格さのこれらの主題は、社会面や世俗面や宗教面
の重要な禁止事項が線引きをしていたかもしれないもろもろの分割とは合致していなかったという事態」に注目すべきであるとフーコーはいう。一般的に道徳が要請するのは禁止や強制力をもつ義務である。キリスト教や近代ヨーロッパの歴史はそれらを示している。しかし古代においては違っていた。以前にもこの論考で取り上げたが、同性愛に寛容な社会において彼らは自らの倫理を築き上げようとしていたのである。しかし見落としてはならないのは性行動に関する道徳的省察に特有な「不均衡」であるとフーコーはいう。つまり道徳が差し向けられるのは男性であって女性ではない。しかし極端に厳格な拘束を女性は強いられていたという事実。つまり「男性によって考えられ、書きしるされ、教示され、しかも自由民たる男性に差し向けられた道徳、男性側の道徳なのである」とフーコーはいう。女性は客体であり、一人の男性の権力下にあるときのみ教育し管理するが、他の男性の権力下に置かれたときは感知しない。つまりは男性本位の行為についての入念な磨き上げであり、自分の権利と支配力と権威と自由を用いる際の男性に向けられる道徳であるとフーコーはいう。
 「何らかの行動が《道徳的》だと言われるためには、それを、ある規則や、ある法律や、ある価値に合致する、一つの行動もしくは一連の行動に帰着させてはならないのである」とフーコーはいう。なぜなら、道徳的行動とは場所としての現実と規範との関係を含むが、自己との関係を含むものであるからである。自己との関係とは、《道徳的主体》である自己であり、自分自身の道徳的完成という価値をもつ存在様式である。そのためには自分を抑制し、試練にかけ、変革しようとする。そして《鍛錬》あるいは《自己の実践》をともなうからである。一方で、行動の全領域を含む規範を活用し、服従を求め、違反すれば罰する権力機構がある。こうしたなかでは道徳的主体は法に関係し、怠れば罰する。これをキリスト教のモデルと考えるのは誤りで、宗教改革以前のキリスト教徒たちは法制化と戦ったのである。
 古代ギリシア・ローマにおいてもキリスト教においても重要であったのは、自分を道徳的主体として組み立てるために個人に求められるものを考える必要があるとフーコーはいいたいのである。自己との関係の形式、それを磨き上げる技術、認識すべき客体としての自己への専念する際の鍛錬と実践であり、倫理に方向づけられる道徳も、キリスト教では規範へ方向づけられる道徳も重要であったし、両者には競争と対立、あるいは和解があったとフーコーは述べる。「古典期ギリシアにおける思索から肉欲にかんするキリスト教の教義および司牧者準則の設定にいたるあいだに、どのようにして主体が明確なものとなり、姿を変えたかを検討することが重要である」とフーコーはいう。古代からキリスト教に借用された教義は、「ソクラテスは誘惑と戦う砂漠の教父ではない」ように、あるいは「女装したアガトンに対するアリストファネスの笑い(喜劇『女だけの祭り』でアガトンを登場させた)は、性的倒錯者の価値剥奪と共通点を持たない」ように、連続性を形づくっている結論を引き出すことはできないとフーコーはいう。一筋縄ではいかない古代とキリスト教思想の継承と変貌を知るためには、キリスト教がどのようにしてヘブライ思想の変革として登場したのかを見なければならない。


司牧者権力の四つの命題
 フーコーは、ヨーロッパ社会での政治権力の形態は時代が進むにつれ集権化されたという通念に対して、それとは逆行するもの、つまり中央集権国家への推移とは別に、権力に関わるもう一つの権力に注目する。それは、「個人を対象としながらしかもその個人を継続的、恒常的に支配するための政治技術、個別化を行うものとしての権力のことであり、フーコーは牧人権力(司牧者の権力)と呼び、その起源を古代史上における様相をしようとする意図を『フーコーの〈全体的なものと個別的なもの』という書物で述べている。
 古代オリエント社会(エジプト、アッシリア、ユダヤ)では、神自身が「羊飼い」であり、君主もまた「羊飼い」の称号を受けていた。しかし、「牧人のテーマを発展させ増幅させたのはやはりヘブライ人であったとフーコーはいう。古代イスラエル民族の父といわれたアブラハムは牧人としてパレスチナを流浪していた。後に神と格闘し勝利したヤコブは神からイスラエルと命名され、後に民族名をイスラエルとすることになった。さらに後代に、イスラエル統一王国の第二代王ダヴィデは牧人の名で呼ばれ、神が家畜の群れを呼び集める役目を託した。ユダヤ教の旧約聖書には羊飼いについての話が数多く表されている。フーコーは左記の挙げた書物で、ギリシアの政治思想との比較を通じて司牧者権力の四つの典型的な命題を取り上げている。
 一つ目は、「牧人は大地にではなくむしろ家畜の群れに対して権力を行使する」ということ。神々が大地を所有し、それが人々と神々とのあいだの関係を規定していたギリシア人と比べると明確になるが、ユダヤ思想は、羊飼いである神と家畜の群れの関係が起源的であり根源的であるという。
 二つ目は、「牧人が自分の群れを呼び集め、みちびき、引き連れていく」ということ。羊の群れに比喩される人々は、牧人として比喩される首長の存在と行動によって存在する。ギリシアでは立法者が人々の抗争を解決すると退き、シテ(都市)の存続が可能であるという法律を所有している。対立より統一に重きを置く考え方はギリシア思想にもあるが、ユダヤ思想の牧人が呼び集めるのは「離散した個」であるとフーコーはいう。
 三つ目は、「牧人の役割は自分の群れの安全を確保することである」ということ。ギリシア人は「優秀な首長を暗礁から船を守り続ける舵取りにたとえていた」が、牧人は救うだけでなく「慈愛が恒常的で、個別化され、かつ最終的であるか否か」に問題の中心があったとフーコーはいう。牧人は群れが渇きや飢えに苦しまないように心を配らなければならないからである。このような「個別化された慈愛」「出エジプト記」の注釈書にある、「なにゆえヤハウェはモーゼを人民の羊飼いにしたか」をラビが説明する箇所では、「モーゼはたった一頭の迷った羊を探しにいくためであっても自分の群れを離れる必要があったのだ」と記されていることをフーコーは挙げている。ギリシアの神には群れの世話を日々することは求められていなかったという。
 四番目に、「権力の行使はひとつの義務であると考えられていたこと」。ギリシアの首長もすべての人々の利益を考え決定を行うことが求められていたが、そうした首長の義務は栄誉としての義務であった。戦争で命を賭け戦わなければならないが、彼の犠牲は不死という能力によって償われていたとフーコーはいう。牧人の慈愛はいわば「献身」に近いものであり、群れの利益のためにすべてを行うことであるという。羊が眠っているとき牧人は見張っていなければならないのである。こうした献身には、全体のおいても細部において個別的な配慮を前提としているとフーコーは述べる。


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