ヒーメロス通信


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ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容(後編その二)小林稔個人季刊誌『ヒーメロス』19号

2012年08月31日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十一)

38 ユダヤ教の成立と初期キリスト教への変容(後編その二)
小林稔



イエスのユダヤ教批判
 イエスはユダヤ教に革新をもたらしユダヤの社会を改革しようとしたのだが、歴史上のイエスを語る「伝承のイエス」とキリスト教教団で作られた「復活のイエス」を分離する必要があると中山氏は語る。前者はマタイ、マルコ、ルカの福音書から再構成しなければならないとはいえ、使徒たちの思い描いたイエス像であることを忘れてはならないという。イエスの思想をメタノイア(悔悛)とアガペーという観点から福音書にある譬えを中山氏は解読している。アガペーとは神の愛と呼ばれているが司牧的な愛の典型であるので、フーコーの
司牧者の概念を理解する上で深く考える必要があるという。
 『ルカによる福音書』(七章三七―五〇)の「罪深い女」の話を中山氏は挙げる。ファリサイ派の人の家で食事をするイエスの足許に近寄り、足を涙で濡らしてイエスの足に接吻し香油を塗った女がいた。イエスが預言者であるならこの女が誰か分かるだろうとファリサイ派の人がいう。イエスはその問いに直接答えず、金貸しの
喩え話をする。二人の人が金貸しから金を借りた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンを借り、返す金がないので金貸しは借金を帳消しにした。借りた二人のどちらが金貸しを多く愛するだろうか。イエスがシモンにそう尋ねると、イエスはうなずく。イエスは自分がこの家に入ったとき誰も足を洗ってくれなかった。この人の罪を赦されることは、自分に示した愛の大きさで分かるとイエスは言った。「あなたの信仰があなたを救ったとイエスは女に告げた。ここで問題になっていることは、公式の場に女は同席できないというユダヤ教の規律を犯して、姦通の罪を犯したかもしれない女が入ってきたことをファリサイ派の人々は非難する。女性の涙は悔悛(メタノイア)を表し、イエスは女性の愛(アガペー)の大きさを知り罪を赦したのであるが、イエスは娼婦と食事を共にし、足に触れされるという宗教上の罪を犯したことになる。中山氏は『ヨハネの黙示録』のマリアという女性と同一人物と考え論を進めている。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」とイエスが言ったとき、誰も石を投げるものがなく立ち去った話を取り上げる。律法を無視するイエスを指摘する。中山氏は荒井氏の指摘を紹介している。つまり、キリスト教がローマの国教となる以前は、信者は「背教者」としてキリスト教を否認したが、後に悔悛することで協会に受け入れられたことの隠喩である。女性に石を投げつける者がいなかったということは、「人間はもともと律法を守りきれるものではない、つまり人間は原初的に〈罪人〉なのだ、という人間の限界」を示しているのである。
 『ルカによる福音書』(一五章一一―三二)の「メタノイアを経験する若者の譬え」を中山氏は挙げている。それを紹介してみよう。ある人に二人の息子がいた。弟は父親から遺産を先にもらって異邦を旅してすべて使い果たす。ある人のところで豚の世話をして生きながらえた。ユダヤ人にとって豚は穢れた動物と考えられているから、弟は異邦人の奴隷になり、宗教的に汚れ、ユダヤ教神政体制から排斥された者になったことを意味していると宮本久雄氏は『福音書の言語宇宙』で指摘しているという。やがて弟は餓死に直面しメタノイアの経験をした。故郷と父を思い起こし故郷に帰る。父親は奴隷にまでなった息子を宴会を催して歓迎する。弟は律法で決められた贖罪を果していないといって兄は不服を唱えた。父親に長年仕えてきた兄にはこのように宴会を開いてくれたことなどない。先に取り上げた罪人の女を受け入れるイエスと同じ理屈である。「律法を守ったものに正当な評価と報酬が与えられるユダヤの律法主義を痛烈に批判しているのだと中山氏は指摘する。
 ユダヤの伝統的思考では死後の生は存在しないという。彼岸はなく冥界があるだけだと中山氏はいう。しかしイエスは本当の命はこの世とは別の生であると語る。この世だけで終らない別の命、来世での命、つまり神の国における命を語っていると中山氏はいう。

「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。そこでピラトはイエスに言った、「それではあなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。(『ヨハネの福音書』十八章)

 イエスは十字架に命を架けることで、自分の国が神の霊的な国であることを証明しようとしたと中山氏はいう。神の国とは貧しい人、飢えている人、泣いている人のための国であり、反対に迎えられない人とは、富んでいる人、満腹している人、笑っている人、褒められている人である。イエスは『出エジプト記』で犠牲に捧げられる子羊と自分を同一視し、旧約の物語を反復しようと姿勢をみせるものである。自らの生を放棄することでユダヤ教の正統性を奪い取ってしまうという戦略があるという、谷泰『「聖書」世界の構成論理』の解釈を中山氏は司牧者の論理二かなった解読として紹介している。永遠の彼岸にすべて望みを託すように導かれている。旧約の『イザヤ書』の第二イザヤに重ね合わせてイエスのメシアとしての使命を説いたと中山氏は指摘す
る。つまり旧約のキリスト教的読み替えが初期のキリスト教では行われていたということである。

パレスチナ教団とヘレニズム教団
 イエスは晩年にエルサレムに向かった。ユダヤ当局の腐敗を批判し、ローマに対する反逆罪で問われ、ローマ法によって十字架刑にされたといわれる。荒井氏は、先に取り上げたような「終末論的」特徴に対して「今日における神支配」を語ったのだという。イエスは、「律法を守ることにより、自己の、あるいは自己の属する共同体の義を立てて、それを救済に至る条件にしていこうとする」姿勢を、「律法学者、パリサイ(ファリサイ)人」の中に見出し、それを激しい批判の対象としたのだが、そのときユダヤ教の終末思想の、洗礼者ヨハネの神の国の概念を手がかりに明確化していったと荒井は主張する。直接的には政治的発言はしなかったが、宗教的言行が政治的文脈に関わらざるをえなかったのは当然であり、反体制的宗教家として、反ユダヤ的・反ローマ的王位僭称者として、体制の権力によって処刑されたと荒井氏は結論する。
 荒井氏によると、イエスの死後、エルサレムに彼をキリストと信じる最初の教団が成立しが、ガリラヤの諸地域に別にいくつかの教団が成立していたという。前者はエルサレム教団と呼ばれぺテロをはじめ、「ガリラヤ人」を中核にして十二人で構成されていたが、ルカのいう十二使途なるものや財産共有制度は実在せず、教会の理念であり史実ではないと荒井氏はいう。教団には祭司やファリサイ派の信徒たちも加わったが、ユダヤ教の主流派とは区別され、他のユダヤ人のように律法を遵守していたので、復活信仰を唱えても迫害の対象にはならなかったであろうと荒井氏は述べる。しかし教団内の少数ではあるが「ヘレニストたち」は律法違反の罪で迫害を受けた。まずステファノが捕えられ殉教の死をとげ、他の「ヘレニストたち」もエルサレムから追放されたことが知られている。
 先述したガリラヤの諸地方にいた他のいくつかの教団は「イエスの生に神支配を読み取り」イエスの奇跡物語を伝承し、伝道を行なった可能性があると荒井氏は見る。キリストの復活に立ち会ったという人々がいた。イスラエル預言者の召命体験に近く、「神はイエスを蘇らせた」という最古の宣言定式が生まれ、やがて「イエスは甦った」という信仰告白定式になったという荒井氏の主張には説得力がある。洗礼の祭儀においてイエスと共に甦るという現在時での救済の意味と、復活信仰と救済信仰が結ばれた将来時の救済の意味が生まれたが、これらは「ユダヤ教の黙示思想を前提とするキリスト信仰」であろうという。復活信仰はキリストの死を救済に結びつけ、キリストは「われわれの罪のために死んだという告白定式が生じてくる」。十字架の意味が二つに分類されるであろう。一つ目は「救済の現在性に強調点を置くヘレニズム教団に固有なキリスト論」、二つ目は「イエスの死をわれわれの罪の赦しとみなす贖罪信仰があり、旧約の預言の成就とみなす救済史観と結びついている」と荒井氏は分析する。「罪とは律法違反の罪である限り、罪の赦しとは律法からの自由」であるkとになり、「イエスにとっての神支配が、信徒たちにとってのイエス支配になった」のであると荒井氏はいう。しかしここで留まるなら新しい律法の授与者と変わらずユダヤ教と同じ閉鎖共同体に形成される可能性がある。がだ「ヘレニストたち」はユダヤの伝統主義に否定的に関わった可能性があると荒井氏はいう。それはどのようにしてかを考えてみよう。それにはパウロの伝道をもとにしてヘレニズム教団の実態に迫らなければならない。
 
 パウロの伝道とヘレニズム思想
 ステファノの殉教の死を目撃したファリサイ派の若者サウロは、十字架に処された者をメシアと称えるのは神への冒瀆であると思った。エルサレム教団にも迫害の危険が迫り、使途以外はエルサレムを脱出しなければならなかった。サウロはこの迫害に参加するユダヤ教徒であった。サウロはダマスカス近郊で突如、イエスの声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」。地に倒れていたサウロは起き上がったとき眼が見えなくなっていることに気づいた。ダマスコニに住むアナニヤがイエスを幻に見て、サウロの目を癒すようにイエスから指示される。さらにサウロには異邦人に伝道する使命が与えられることを告げた。アナニヤはサウロのところに行き、イエスのことばを告げると、サウロの目からうろこのようなものが目から落ち、目は見えるようになった。サウロは洗礼を受け世界に向けて伝道を開始した。これが「パウロの回心(改心)」と呼ばれて
いる。小アジアのキリキア地方(現トルコ)、タルソス生まれのサウロはギリシア語読みでパウロと発音された。アンテオキオを中心に少なくとも三回の伝道旅行を行い、シリアからマケドニア・ギリシアに至る都市に教会を創設した。しかし、六一年ごろにはローマに護送され二年間、軟禁された後、スペインまで足を伸ばしたとも言われたが、六四年にネロ帝に迫害され殉死をとげた。彼が創設した教会に送ったとされる手紙が新約聖書に収録されている。荒井氏はそこからパウロの固有な思想を読み取っている。それによると、律法の聖性は認めるものの、「罪を個々の律法違反とは見ない。彼にとって罪とはむしろ、人間が律法を満たすことによって自己を立てようとするヒュプリス、一つの悪魔的な力」であると考えていた。パウロにとっての律法とは、「多くの場合その規則ではなく、その全体を意味する」。「罪が律法によって顕にされると言うと同時に、他方において人間はアダムにあって罪を犯した」。「神はキリストの十字架を通して、このような罪から人間を贖い出した。これがいわゆるパウロの福音」というものであると荒井はいう。この福音を受容することによって、神の側から無罪が宣告される。だから律法を守ることで神の義をえようとする姿勢を放棄しなければならない。このような姿勢が、エルサレム教団やヘレニズム教団からの批判の対象になったと荒井氏は指摘する。つまり信仰において人種や男女の壁は除かれ、すべてキリストの甦りに与っているということである。ヘレニズム世界の人々には受け入れやすい考えである。密議に参加して復活を体験し、神的なるものと人間の本来的自己との同一性を認識することで救済を見出し、「観念からの自由の中に欲情なき境地を確保できた」のであり、「ヘレニズム教団の中に、信徒はすでに復活した、すでに自由になった、すでに全き者になったと称して、このような知恵や認識を誇る者が出てくる」が、救済の超越性を一義的に信じ、自己と歴史の現実から離れて、「脱歴史的神秘主義」を激しく批判したと荒井氏は指摘する。キリストを信じる者も現実には肉であり、現実的には宗教的・社会的規定に従って生きていかなければならないが、当為(行為)は存在に至条件ではなく、「存在はすでに霊の賜物として与えられて」いて、これを「なお古きにある自己とこの世の中に貫徹していかなければならない」。

もしわたしたちが御霊によって生きているのなら、また御霊によって進もうではないか。互いにいどみ合い、互いにねたみ合って、虚栄に生きてはならない。(ガラテヤ人への手紙第五章二五)

 「存在の賜物」が「当為の課題」を基礎づけることになり、「律法は隣人愛に総括されて、積極的意味を獲得する」。このようにパウロにとって「キリスト者の生は途上の、変革の生」と認識される。しかし、「パウロにおける射程は自己の領域に留まり、社会・政治の領域にまで至らなかった」し、この世との妥協を拒否したが、この世の権威に対してはむしろ服従を勧めたと荒井氏はいう。古い自己と歴史を否定し超越すると同時に、自己と歴史を新しく肯定し、その中に内在していくというパウロの福音書理解は新しい自己理解であり、そこに否定と肯定、超越と内在の終末論的緊張を見ることができると荒井氏はいう。ヘレニズムの超越・普遍主義とヘブライズムの歴史的内在思想が逆説的に結合されていることを知ると荒井氏は指摘する。パウロは、「キリスト教が普遍的宗教になることを促進したと同時に、イスラエルの歴史から遊離して一つの神秘主義的セクトに陥ることを防いだと、荒井氏は説明する。パウロと時代を同じくするフィロンは、超越神の属性を人格化し人間と何らかのかかわりを持つ存在と見なしていた。ロゴスは世界の創造に与し、ヘルメスと同一視され啓示的役割を果すと考えられていたり、知恵(ソフィア)が神から遣わされて人間界に住み神の意志を伝えるが、それを受け入れられず、苦難を経て天に帰るという表象が見られると荒井氏は説明する。また「エジプトのユダヤ教の周辺に成立した思われるグノーシス主義では、ソフィアの堕落と救済が宇宙の創造と万物更新の原型と見なされている」。しかし「パウロは行動の原点を神の啓示に置いて、異国人ないしは諸国民の使途として伝道した」と荒井氏はいう。

 エピストロフェーとメタノイア
この私の論考においても中心的な課題である「自己への配慮」は、紀元前四世紀から紀元五世紀までギリシア哲学、ヘレニズム哲学、ローマの哲学、キリスト教の全体を貫いているとフーコーは指摘する。フィロン(紀
元二〇ー五〇)プロティノス(紀元二〇五―二七〇)やニュッサのグレゴリオス(紀元三三四―三九四)など、自己への配慮がキリスト教的禁欲主義に至るまで長い歴史があるとフーコーは『主体の解釈学』で述べる。しかし、紀元前の数世紀から紀元後の初めまでの道徳(ストア派、犬儒派、エピクロス派の道徳)、「西洋にかつて存在しなかったようなもっとも峻厳かつ厳格な道徳が構成された」「極度に厳格な道徳の母体となるような皇帝的原則であったが、キリスト教道徳にも非キリスト教的な近代の道徳にも登場する」。自己放棄というキリスト教的な形式を取ることもあれば、他者に対する義務という近代的形式を取ることもある。つまりキリスト教徒近代世界は非・自己中心主義の道徳の中に基礎づけたのだが、もともとは自己への配慮の義務によって誕生したのであるとフーコーはいう。
 自己自身への立ち返りという主題は、プラトンにおいてはギリシア語のエピストロフェー(方向転換)の概念という形で現れる。フーコーは四つの要素を挙げる。一、何かから離れる仕方として登場した。二、自分自身の無知に気づき、自己に配慮し、自己に専念することを決意することによって自己に回帰すること、三、想起へと導く自己への回帰から出発し、自分の祖国、本質、真理の、存在の祖国へと帰還することである。一は現世と来世の対立、二は牢獄、墓としての身体から魂を引き離すという主題、三は自らを知ることは真実を知ること、それは自らを解放することである。そして四、それらは想起の行為において結び合うとフーコーは分析する。次の時代、ヘレニズム及びローマの文化では、一、現世と来世の対立はなく世界への内在そのものにおいてなされることになる回帰である。私たちの権内にないものから私たちの権内にあるものへと移動されようとする。内在性の軸そのものにおける解放であり、「私たちが主人たりえないものからの解放、私たちが主人となるようなものに到達するための解放」なのである。二、身体からの切り離しではなく自己の自己への適合においてこそなされることになる。三、認識は重要な役割を果しているが、プラトンほど決定的で根本的な役割を果していない。プラトンにおいては想起という形で認識することが本質的な要素であったが、認識というより訓練、実践、鍛錬、アスケーシスが重要な要素になる。次にそれ以後の時代、三世紀以降、とりわけ四世紀以降にキリスト教において展開される立ち返りを考えたとき、前者二つとは全く様相を異にする。キリスト教は立ち返りをメタノイアという語で捉えていて、悔悛でありなおかつ変化、思考と精神の根本的な変化であるとフーコーはいう。一、突然の変異を含意するということ。「主体の存在様態を一撃のもとにひっくり返し、変容させてしまうような、特異な、突然の、歴史的であるとともにメタ歴史的であるようなひとつの出来事を必要とする。二、この立ち返りには移行がある。一つの存在型から別の存在型への、死から生への、暗闇から光への、悪魔の支配から神の支配への移行である。三、立ち返りが生じるのは、「主体の内部で断裂が生じる限りにおいてのみである」ということ。立ち返る自己は自分自身を放棄した自己であるということである。以前の自己とは何の関わりのないもう一つの自己に、新しい形式において再生することである。
 プラトンのエピストロフェーとキリスト教のメタノイアの間に位置するのが、ヘレニズムおよびローマ時代における哲学や道徳、自己の陶冶における立ち返りである。エピストロフェーは、ピュタゴラス=プラトン概念として紀元前四世紀には明確に練り上げられていたであろうとフーコーは推測する。それ以降のエピクロス派や犬儒派、ストア派の立ち返りはプラトン的な思潮の外部で深い変更を加えているとフーコーはいう。マルクス・アウレリウスやセネカやプルタルコスが「自己自身を見つめよ」というとき、「自分自身のうちに真理の種子を見出せ」というプラトン的な視線ではない。視線を自己に向けるとは他者たちから視線を逸らすということ、世界の事象から視線を逸らせるということを意味する。「他者たちにたいする不健全な好奇心に、自己自身の真剣な検討を置き換える」ことであるとフーコーはいう。「ゴールに向かう際の緊張について、恒常的なつねに目覚めた意識を持つこと」、到達しなければならないものは自己であり、「運動選手的なタイプの集中のことを考える必要があるとフーコーは指摘する。

 主体の釈義と自己放棄
 フーコーは『主体の解釈学』において、プラトン主義的モデルとキリスト教的モデル、そしてヘレニズム的モデルを対比して、それぞれの特徴を述べ、相互の反発と浸透を明確にしようとしている。以前にも解説した
が、ここで簡単に要約しながらキリスト教的モデルを検討してみたい。まずプラトン主義的モデルとは何か。自己への配慮と自己認識の関係は三点を中心に成立しているという。一、自分が無知であることに無知であったという発見。したがって自己を配慮しなければならない。二、自己への配慮は、配慮すべき自己を知ることを要求される。「魂は叡智界の鏡の中で自己を認知し存在を把握する。三、魂が自己を発見するのは想起によること。想起において自己への配慮と存在への回帰が魂の一つの運動の中で合流しまとめられている。
 紀元三、四世紀になると、キリスト教的モデルが形成されてくる。一、聖書に書かれていたり、啓示によって与えられる真理を知るには、心を浄化しておかなければならないが、「心は自己の認識によってしか浄化されえない」。「自己を知ることと自己への配慮の関係は循環的」である。二、魂と心の内部に作られる誘惑を認め、誘惑を失敗させること。そのためには自己の釈義が必要になる。三、自分自身に帰るのは、自己を放棄するためである。これら二つのモデルは当初は対立していたが、キリスト教の境界で発展したグノーシス主義において、プラトン主義的と呼ばれるものが取り上げられるということが起きたのである。「自己へ回帰することと真実についての記憶を取り戻すことは一つのこと」と彼らは考えていた。キリスト教の教会は釈義で対抗したとフーコーはいう。つまり霊性と修道院的な修徳主義はグノーシス運動との間に切断と分離を確保することにあった。魂の中に生まれる内的運動の本性と紀元を探り出す釈義的機能を与えてくれたのであり、自分の圏内に取り込もうとした。聖書に書かれた言葉や啓示によって与えられた真理を知ることが自己の認識に基づいて、神の言葉を知るには心を浄化していなければならないとフーコーは解く。つまり自己を知ることと真理を知ることと自己への配慮は循環的な構造になっている。しかしキリスト教の歴史の最初の数世紀に、プラトン主義的モデルはグノーシス主義といわれる運動に見出されるとフーコーはいう。プラトン主義的といわれるのは存在の認識と自己の認知は同一であるという図式であるからである。フーコーはこの二つのモデルがキリスト教を支配し、キリスト教によって西欧の文化史全体に受け継がれていったと考える。二つのモデルの間にヘレニズム的モデルがある。その厳格な道徳をキリスト教は利用し取り込み実践によって練り上げた、それが主体の釈義と自己放棄であったとフーコーはいう。グノーシスについては後半の詩人像で詳しく考察することになる。プラトン主義的モデルとキリスト教的モデルの間にあるヘレニズム的モデルからキリスト教は厳格な道徳を再び取り上げ練り上げたとフーコーは指摘する。
 
 キリスト教における魂の教導
 「何らかの主体に、あらかじめ定められた一連の技能を付与するような関係を教育的関係と呼ぶならば、話しかけられる主体の存在様態を変容させることを機能とするような真理の伝達を魂の教導と呼ぶことができる」とフーコーはいう。そして魂の教導という点で古代ギリシア・ローマの哲学とキリスト教の間に大きな転移や変容が起こっているとフーコーは指摘する。前者では、真理を語るとき問題となるのは常に師、つまり忠告を与える者が重要な役割を担うかぎりにおいて教育的関係に近いものであったといえる。「真理と真理の義務は師の側にある」。しかし、キリスト教では、「真理は魂を導く者に由来するのではなく、別の様態(〈啓示〉〈聖書〉〈福音書〉など)によって与えられる。もちろん導く者に責任や義務は発生するが、「真理や「真理の語り」の本質的な価値を担っているのは、あくまで魂を導かれる者」であるとフーコーは指摘する。魂を導いてもらうためには「真実の言説を自分自身に対してみすから言表すること、自分自身についての真実の言説をみずから言表することが必要なのであり、魂の教導と教育を分離し、教導される魂、導かれる魂にたいして、真理を語ることを要求する」。導かれる者だけが真理を語ることができ、保持することができる。つまり「キリスト教の霊性においては、導かれる主体こそが真実の言説の内部に現前し、この真実の言説そのものの対象として現前しなければならない」とフーコーはいう。古代ギリシア・ローマでは真実の言説に現前しなければならないのは指導者であった。「指導者は言表行為の主体とみずからの行為の主体の一致として現前している」のに比べて、キリスト教では、言表行為の主体は言表の指示対象でなくてならない、それが告白の定義であるとフーコーは要約する。


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