ヒーメロス通信


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パレーシアステースとしてのプラトン、季刊個人誌「ヒーメロス」18号から

2012年07月29日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十)

37 パレーシアステースとしてのプラトン(中篇)
小林稔


真理を語る三つの審級とロゴス
私がここで論じようとするのは、古代ギリシアにおけるロゴスという概念である。神とロゴスとの関係はどのようなものであったか。『A.BAILLY DICTIONNAIRE GREC‐FRANCAIS HACHETTE』で「ロゴス」を調べると、言葉、発言権、理性、論理など多くの意味があるが、その中のrévélation divine(啓示)という項目に関心をもった。使われた例として『パイドン』(78D)が記載されている。「おのおのの存在の本来的なもの、すなわちわれわれが問いかつ答える過程を通じて、それのまさに何であるかを、言葉において示す(定義づける)そのものについてみてみるのだ」。つまり定義づけられるような言葉がロゴスであろう。日本語訳で読む限り、直接には神的な意味は伝わってこない。上記の辞書のすぐ後で、そのこと(啓示)からréponse doracle(神託の答)という意味がありピンダロスの「ピュティア」(4,105)で使われているとある。ロゴスが言葉や理性を意味するよ
うになる以前の原初的な意味として、私は神から示される言葉、または巫女や預言者が人間に伝える神の言葉を想起する。例えばデルポイの神託「汝自身を知れ」やオイディプスに示された予言である。しかし神々が運命の支配権を掌握するホメロスの時代から抒情詩の時代に個の意識が芽生え、やがて悲劇では神々と人間との対立・葛藤が主題になる。『賢者と羊飼い』で中山元氏は古代ギリシアにおける真理の三つの審級を論じている。中山氏は、フーコーの行ったカトリック・ルーヴァン大学の講演「悪を行い、真理を告白する」を基にして、古代の世界では、真理は神が明らかにするものだった分析する。神から告げられ、あるいは神から「かすめとる」には「真理の顕示」を必要とした。つまり儀礼的な手続きによって明らかにする必要があった。真理を語るものは権力を行使でき、それらには預言者や、供犠僧、夢占い師などがいた。真理を語る神と預言者、真理を語る英雄、真理を語る市民という時代順に変遷してきた三つの審級があるという。興味深いことに、ソフォクレスの悲劇『オイディプス王』には、このすべての審級が登場すると中山氏は指摘する。つまり、神と預言者の語る真理、そしてオイディプスとイオカステという英雄が語る真理、そして羊飼いと伝令という市民が語る真理である。アポロンは「テーバイの疫病の原因が、ライオス殺しにあることを明らかにするが、動機や犯人については沈黙する。預言者テイレシアスはアポロンの神託を受けて、真理を知っている。最初は真理を語ることを拒むが、「犯人の一味」とオイディプスから疑われたため真理を語る。しかし「あなたのたずね求める先王の殺害者は、あなた自身だ」というテイレシアスの言葉をオイディプスは信じようとしない。コロスもまた同様である。預言者という真理の審級に対しては、ポリスの法的な制度は機能しないのだ。ポリスの法的な機構で証明されるまでは神の語る真理は受け入れないことを意味する。つまり「真理の審級が神と預言者から、ポリスの市民たち(コロス)の審級に、そしてポリスの法的な機構に移行しつつあることを示すものと考えることができる」と中山氏は指摘する。真理を受け入れるには「証拠」が必要なのである。中山氏は、英雄の審級と奴隷と伝令の審級を詳細に論じているが、ここでは割愛し、「真理」を「ロゴス」という言葉で置き換えてみたらどうであろう。神の語る真理は預言者を媒介にして言葉で示される。神の真理で運命を掌握されていた時代から、英雄たちの時代を超えてポリスの市民たちが法的な機構(裁判と法律)のもとで真理を語る者になる。ロゴスが神から後退し、市民たちの場に置かれる。市民たちの中から正、不正に関わる倫理が要請され、真理を語る市民の行為がやがてパレーシアと呼ばれるようになったと中山氏は指摘する。それでは神の語るロゴスは消え去ったのであろうか。否、心の深層で生きつづけ、言葉(ロゴス)の二義的な意味作用として機能できる機会を窺っていたのではないかと私は思うのである。ソクラテス=プラトンの哲学的パレーシアがそれであり、〈善のイデア〉を最高峰とするプラトン哲学の確立ではないだろうか。プラトンが文学(詩)と哲学を峻別した、言葉(ロゴス)の存在意義とは何かをもう少し深く解読してみよう。

 先述した『パイドロス』後半の要約で明確になったように、プラトン(ソクラテス)は二種類の言葉を区別する。弁論(言論)の機能は魂の誘導にある。したがって魂の本性を理解しなければならない。弁論家は「神々のみこころにかなうことを語り、神々のみこころにかなう仕方でふるまうべきだ」という結論が示された。弁論術の内部矛盾が暴かれ否定される。弁論の技術の有無を考察し終えたソクラテスは、次なる話題が、「言論の技術」をいかに伝えるか、いかに書くべきであるかということが残された問題であると告げる。最初に、書くということの立派な条件とは何かを考える。言論の技術を生み出す者が必ずしも書かれたものが使う人に与える害や益をもたらすのかを判断できる人とは限らないという。書かれたものは記憶力を減退させる。文字の使用は記憶するためのものではなく、「自分の力で内から思い出す」想起のために使用すべきである。書かれた言葉によって言論の技術を教えたり、教えられたりすることはできない。書物はほんとうに必要とすべき人だけに話しかけるだけでなく、そうでない人にも話しかける。後者の場合はむしろ害をもたらすであろう。テクストの最終部では、言論(パロール)と記述(エクリチュール)の両者がどのような場合に立派なことであるといえるかという考察に入る。「真剣な熱意に値するものとして話が書かれ、語られることはない」とソクラテスは言い切るのである。「書かれた言葉の最もすぐれたものでさえ、ものを知っている人に想起の便をはかるだけのものである」というのだ。しかし、このような第一の言葉のほかにもう一つの種類の言葉を対置する。それ
は、「学ぶ人の魂の中に知識とともに書きこまれる言葉」であり、それは「生命をもち、魂をもった言葉」である。第一の言葉はそれ(第二の言葉)の影に過ぎないと語られる。第二の言葉においては、書く人も受け取る人(読む人)もたすける力をもった言葉である、つまり「一つの種子を含んでいて、その種子から新たな言葉が新たな心の中に生まれ、不滅の命を保つ」言葉であり、そのような言葉がたくわえられた覚書(書かれたもの)を書くことが立派な行為と考えられている。それを可能にするのが「哲学的問答法」であり、書かれたものに少しの価値しか見出させないプラトンが、対話篇として多くの書物を残した理由であろうと思われる。

 哲学的問答法(ディアレクティケー)
 ソクラテスを師と仰いだプラトンは、ソクラテスの道徳的パレーシアから哲学的主題を見つけ、いわばソクラテスの生き方に哲学的パレーシアを見出し、自ら哲学的パレーシアステースとして生き、より深めたイデア世界を構築したといえよう。「神々のみこころにかなう仕方で言葉を語る」というプラトンには、「哲学的問答
法の技術」のほかに立派な行為はないであろう。「自己に配慮せよ」と町行く人ごとに説いて歩いた実践の人、ソクラテスと、継承者プラトンとの相違は、プラトンにのみ存在する、「書くという行為」にあるだろう。あれほど多くを書きのこしたプラトンに、ハイデガーやデリダのような現代哲学者が、プラトンはパロールを重視し、エクリリュールを否定したという批判はありえないことである。(前回、このエセー「自己への配慮と詩人像(九)で論じたのでここでは繰り返さない。」書くことの全面否定ではなく、いかなる条件のもとに書くかということが問われなければならない。それにしてもプラトンの「第七書簡」にある、「教える者と学ぶ者が生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く重ねていくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点じられた燈火のように、学ぶ者の魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれを養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです」という、プラトンが自らの著作について語った言葉は魅力的である。(もちろんプラトンは自らの著作という言い方を嫌うであろうが)、ここに哲学的問答法のすべてがあるといえよう。書簡はさらにつづき、上記したような文章を語るのは「私」(プラトン)自身が語ることこそふさわしい、なぜなら下手に書きたてられたら苦痛を感じるのは「私」自身であるからだという。「私」の著作がすべての人たちに伝わるのであれば「人類のために大きな福音」であろうが、実際は少数者に伝達されるであろう、なぜなら「わずかの示唆をたよりに自分で発見できる」者は多くないからである。そうでない人たちには「見当はずれに、この問題を不当に軽蔑する気持」や「何か厳粛なことを学んだとでもいったような、思い上がった空疎な夢想」を引き起こしかねないからである。フーコーによると、プラトンはこの書簡で「哲学は教育され得ない、つまり、ある人々にとっては示唆しか必要ではないのだからそれ(教育)は無益」であり、哲学は共同生活(スヌーシア)を通じて習得されるものであると考えていたという。「スヌーシアとは、共にいることであり、結合や接合のこと」であり、「性的結合という意味すらある」がここではそういう意味は一切なく「共存」という意味に取るべきであるとフーコーはいう。翻訳では「教える者と学ぶ者とが生活を共にしながら」としているが、フーコーは哲学する者と哲学の共存としている。「火の傍らにいる時のように哲学のそばにいて」と解釈している。つまり「哲学は魂自身を糧としなければならない」のである。「哲学が知識系のかたちで書かれ、伝達されるなら」危険なことである、なぜなら、先に述べたように「虚栄やうぬぼれや他者を軽蔑する心を持つようになる」からである。つまり、「哲学における現実は、哲学の実践のなかにある」。プラトンが提起するのは、「単なるロゴスとしてではなくエルゴン(行為)として思考しようとしたとき、一体哲学とは何なのか、という問題である」とフーコーはいう。プラトンにとって哲学は政治と深く関わりをもつものであるが、「人々に法を与え、その理想国家の拘束的なかたちを提示するのとは全く別のこと」である。第七書簡にはいくつかの問題が指摘できるとフーコーはいう。一つは書くこと(エクリチュール)の拒否である。「書くことの拒否は、それ自体onoma(言葉)やロゴス(定義、名詞や動詞の作用、等々)と通じて現れる認識を拒否することとして明らかにされ」、「書くことと、書くことに結びついたロゴスの拒否は、ロゴスそのものではなくtribéつまり実践、労苦、労役、そして自己の自己に対する苦心に満ちた関係のある種の形態の名においてなされ、書くことの拒否のうちに読み取るべきは、ロゴス中心主義の到来では決してなく、全く別のものの到来」、「哲学にとっての現実が、まさしく自己の自己についての実践に他ならないような哲学の到来」なのであるとフーコーは強調する。プラトンには『国家』や『法律』などの政治的な著作があるが、「全体主義的な政治思想の基礎や起源、重要なかたちを見ようとするのは見直さねばならない」とフーコーはいう。政治に対する哲学にとっての現実の試練とは、国家や人々に与える拘束的なあり方の言説ではなく、哲学の真面目さは、哲学にとっての現実そのものは自己が自己に対しておこなう実践のうちにあり、また認識の実践であり、そのあらゆる認識の様態を通じて上り下りし、互いに擦り合わされて、人は〈真実性〉そのものの現実を目の当たりにすることにあるとフーコーは主張する。




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