ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

海よ、小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社1999年刊より

2012年07月30日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』
小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社1999年より

海よ
小林稔

海よ、私の身をどこへ連れ出そうとしているのか。
私が生まれて間もない頃、世界は重油で浸されていた。
今また、私は揺籃の海に漂う流木のようではないか。
君の声が舞い上がる蝶のようで、
いくつもの海原を渡ってくる気がしてならないではないか。

(音を消したテレビの画面で、ビルが崩れ落ちていく。炎が上がり、民家の外
壁が厚紙のように舞い、倒壊した家の人々が泣き叫んでいる。盛った砂山が、
打ちつける波に壊されるように、私の心が霧散する音、を聴き取っていた。見
えていたものが見えなくなる。)

生命が物質に宿るとき何が起こっているのだろう、
と、初めてこんなことぼくらは話したね、と言いながら
きらめいた君の瞳の奥に、
宇宙の塵のような君と私の、危うい結びつきの糸のようなものを私は見たのだが、
それが真実結ばれていたか知れなかった。

真昼の青の海は私の細胞に染み亘る。
岸辺に泡と消える波のように
私の想いが寄せてはまた滅びて寄せる。
やがて時が経ち、私の肉体と君の肉体がばらばらに失せ、
土になり岩になり樹木になるだろう。

私は今日、曲がりくねった道を曲がりくねって
一握りの人と会い、君に遠くから叫んで
いくつもの顔のバリケードに阻まれ、
封印されて今は私も解読できない伝言を君に伝えようとする、

海よ、私の想いをどこへ漂着させようとするのか。
私が見て、聞いて、触れて、味わったこの世界への欲望と断念、
その言葉と意味をどこへ辿り着かせようとするのか。




copyright 1999 以心社
無断転載禁じます。


コメントを投稿