ヒーメロス通信


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パレーシアステースとしてのプラトン、『「自己への配慮」と詩人像』「ヒーメロス」18号より

2012年07月23日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
季刊個人誌『ヒーメロス』18号2011年6月25日発行より

〔長期連載エセー〕
自己への配慮と詩人像(十)前編
小林 稔

37 パレーシアステースとしてのプラトン

 実際少なくともわたしの著書というものは、それらの事柄に関しては、存在しないし、またいつになってもけっして生じることはないでしょう。そもそもそれは、ほかの学問のように、言葉で語りえないものであって、むしろ、〔教える者と学ぶ者とが〕生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点じられた燈火のように、〔学ぶ者の〕魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです。(プラトン『第七書簡』341C‐E)


 プラトンはなぜ、例えばアリストテレスのように自らの哲学を論文として提出することなく、すべて対話篇という形式、すなわち文学作品とも分類できる形式で叙述したのであろうか。もちろんプラトンの著作は哲学以外の何ものでもないのだが、そこにはプラトンの「書く」ということに対する深遠な想いが、哲学と真理の存在様態が隠されていると思われる。この論考ですでに二回に亘り『パイドロス』という対話篇を記述された順序に従って紹介し論じてきた。その最終部分においてエクリチュールの問題に辿りついた。フーコーは『自己と他者の統治』でエクリチュールの問題は新たなる言説の存在様態の歴史という視点、そして弁論術との関係における真なる言説の特徴づけという視点からのみ扱いたい」と延べ、言説の技術のうちに位置づけられるべきか否かに深く立ち入ることは避けたいと断っている。現代における文学とエクリチュールの問題は、プラトンの考える真理とロゴスの問題とは様相を異にしていると私は考える。プラトンがほぼすべての著作に登場させるソクラテスという人物自身は「書く」ことをしなかった。人々との対話を通して活動しただけであり、対話が哲学にとっての重要な意義と感じ入ったプラトンが、対話篇においてソクラテスという人物を描き出そうとしたのは必然であった。プラトンは哲学を書物化することに抵抗があったにもかかわらず、なぜ書くことを志向したのか。ソクラテスを師と仰いだプラトンにとって、哲学は実践を伴うものであり、哲学的問答法の中でのみ真理をつかみ出すことのできるものであるという信念に貫かれている。そこにソクラテス的パレーシアというべきものが大きく関与しているのだ。一方、私の最大の関心は、まさに他者を内在させる「実践としてのエクリチュール」にあり、この論考の後半の「詩人像」で充分展開しなければならない問題である。
 先を急がずに、『パイドロス』の主要テーマを要約し、私たちの「書く」という概念との大きな相違を確認したい。右の挙げた引用の「私の著書というものは存在しない」と記したプラトンの、私たちが二五〇〇年を経て読むことを可能にしているプラトンの著作とは一体何なのかを考えてみよう。



 パレーシアの誕生と変遷
 パレーシアの発生とポリスの政治体制の誕生とは密接に関係している。ポリス発生以前の世界では、ホメロスの叙事詩に描かれたような、神々が支配権を掌握している時代であった。やがてイオニアで科学的精神と同時に抒情詩が生まれ、「個」の意識が芽生え始めるのだが、その後「個」の意識を俯瞰するようにして、神々と人間の葛藤を描く悲劇が創作されるようになる。悲劇もまたポリスの確立に大きく関与し、「法律」が樹立されていく。パレーシア(自由に語る権利)は民主政治の三つの原則、イセーゴリア(平等な発言の権利)、イソノミア(法の下での平等)とともに、アテナイで生まれた自由民に限られた権利であり、女性や子どもや奴隷には与えられていなかった。中山元氏は『賢者と羊飼い』という書物で、「アテナイの市民は、女性からではなく、大地から生まれた民(アウトクトネス)であるという神話があった」として、プラトンの『メネクセノス』の中の戦死した兵士への追悼演説を引用している。ギリシアのポリスは「女性、奴隷、居留民、異邦人を排除することをその原理とし」、「ギリシア以外の諸国をバルバロイと呼んで軽蔑することで成立していた」のであり、「ギリシアのポリスの限界を示すもの」であったと述べている。
パレーシアは政治的な概念として提起されたのであったが、エウリピデスの『オレステス』で描かれているように、ポリスにとって危険なものと把握されるようになっていく。つまり、善きパレーシアと悪しきパレーシアとして人々に認識されるようになったのである。フーコーの『自己と他者の統治』によると、パレーシアは「制度化され習慣的なものとなった組織」であり、「危険を伴った、本当のことを語るという義務」であったという。私の論考(「自己への配慮と詩人像第六回、「ヒーメロス十四号2010年6月10日発行」ですでに紹介したように、フーコーはエウリピデスの悲劇『イオン』やトゥキュディデスのテクストで描かれたペリクレスのパレーシアには、「闘争的な領域の内部、政治の領域において本当の言葉(パロール)を発することによってまつわる危険が絶えず感じられるような」ものがあり、紀元前五世紀末のアテナイの状況の反映であったが、紀元前四世紀前半の、プラトンの時代にはパレーシアの大きな変化が見られるとフーコーは指摘する。第一はパレーシアが民主制の機能だけでなく、専制的、寡頭制、君主制的体制において位置すべきものになったことだ。「民衆と同様に君主たちもパレーシアを必要とする」のである。良い君主は助言者の真実の語りに耳を傾けなければならなくなったということ。第二に、「パレーシアの概念がある種の両義性、ある種の価値のあいまいさへと移行したことがある。パレーシアは最高の権力者からいかなる民衆にまで与えられた権利であり、相手に恐怖を与えること、あるいは与えられることの恐れから沈黙してしまうことになる。よって「偽りで歪められた言説、つまり悪しきミメーシス(模倣)であるような言説によって充たされてしまう」危険があった。出来上がった言説を真実であるかのごとく示すことが行なわれるようになる、つまりそれは追従と呼ばれるものであるとフーコーはいう。パレーシアと追従というカテゴリーは、古代ギリシア・ローマ時代全体を通じて政治思想における二つの大きなカテゴリーであったとフーコーは述べている。第三は、本来政治的領域で行使されるべきパレーシアが、個人と集団に語りかけなければならないという二重の責務を課せられたということである。つまり、「パレーシアが直接語りかけるような政治形態から、他者を統治するための自己の統治への移動」である。国家に向けられる単なる意見ではなく、統治すべき人が自らを統治し、それによって国家も統治される活動であるとフーコーはいう。民主制であれ君主制であれ、「その内部でいかに〈真実の語り〉のための場所を確保できるかということ」である。それは哲学的=政治的であり、哲学的=道徳的でもあり、「統治すべき人々が、彼らに対して助言する人々のパレーシアによってしかるべく自己自身を統治できるために、どのような手段と技法を用いるべきか」という目標の移動であるとフーコーはいう。第四には、先に述べた追従を見分けられなければならないことや助言を与えるだけでなく、統治する人々の魂を導かねばならなくなるということである。「誰がパレーシアを占有できるのか」。「弁論術と哲学のあいだの大きな亀裂が明らかなものとなり始める」。この論考ですでに『ソクラテスの弁明』や『パイドロス』を読んできた私たちに身近になった、ソクラテス=プラトンが浮上してくることであろう。「真理の言説が説得力となるような技術的条件のもとで語る」弁論術と、「パレーシアの新しい要求に応えることができるような唯一の言語実践として哲学が姿を現す」のである。前者は集会などで多くの人々に語りかける「制度的な領域の内部」に対して、後者は個人に対しても同じように語りかけることができる。政治的パレーシアから哲学的パレーシアの可能性へと移動したのである。「パレーシアが、追従として現れてくる自分自身の影を分身を常に追い払わねばならないとすれば、まさしく哲学以外の何が、そのような区別をすることができるであろうか」と、フーコーは述べるのである。



 真理のゲームにおける言説の存在様態
 民主制体制から生まれた政治的パレーシアが、ソクラテスの登場によっていかに哲学的(道徳的)パレーシアが成立していったのかを、プラトンは『ソクラテスの弁明』と『パイドロス』で描き出したといえよう。フーコーがこれらのテクストから解読し、彼自身の思想の核心としたものは「真実の言説の存在様態」であった。『自己と他者の統治』の記述から引用し要約してみよう。この書物(一九八三年のコレージュ・ド・フランス出の講義録)の冒頭において、主題は表象体系の歴史ではなく表象作用の分析であり、「思考の歴史である」と述べる。それは「〈経験の源〉とでも呼べそうなものの分析」であり、「さまざまな主体が取りうる潜在的な存在様態」であるという。フーコーがプラトンの対話篇や後期ストア派の書物などから導き出されたテーマであったと考えられる。問題になっているのは「世界についての知」や「人間存在や魂や内面性についての知」ではなく、「事物についての知の様態化」であるという。それは、「主体の移動によって事物の実在性と価値を同時に把握する可能性が与えられ」、「霊的な知において、自分自身の現実の姿を見ること」が必要とされ、「霊的な知が認識的な知へ変貌する」。それは十七世紀のデカルトに起こったこととは正反対のことである。(すでに私の論考「自己への配慮と詩人像」で論じた。)「真理の語りの存在論の歴史」は、次の三つの問いを提起できるという。一つ目の問いは、「これこれの言説が、ある特定の真理のゲームを現実のうちに導入するとき、その言説固有の存在形態はどのようなものか」。二つ目の問いは、「行使する真理のゲームを通じて、それが語っている現実に対して付与する存在様態とは、一体どのようなものか」。三つ目の問いは、「真実を語る言説が、それを語る主体に課し、その主体が特定の真実のゲームをしかるべく行えるようにする存在様態とは、一体どのようなものか」であるという。それらの問いを考慮しながら、フーコーは『ソクラテスの弁明』と『パイドロス』を解読している。両者とも弁論術言説と哲学の言説の対立を通じて、哲学的な〈真実の語り〉について読み進めている。(この私の論考「自己への配慮と詩人像」で全体的な話はすでに論じ終えている。)フーコーは『ソクラテスの弁明』を三つに分け、最初のテクスト(17A―18A)では(自分を告発する者たちの弁論(言説)に対して自分自身の弁論を証明する仕方にかかわる」ものであり、二番目のテクスト(31C-32A)は「自分の政治的役割についての問いを提起し」反論に答えようとするものであり、三番目のテクスト(32B-D)は「彼が実際に国家の中で演じた役割」に関するものであるという。
最初のテクストでは、自分を告発する人たちは嘘しか語ってこなかったと、ソクラテス自身から語られる。それは「説得力のある嘘」であり、自分自身も納得させられるほどであるとソクラテスはいう。なぜそのよう
な皮肉とも取れることをソクラテスは言うのか。それは、真実を語る者は、逆に「他者を説得させる技芸や技術」とは関わることがないことを言うためである。つまり「あらゆるテクネーの外にある〈真実の語り〉」であるが、それではソクラテスはどのように真実を語るのか。ソクラテスは言う、「もう年が七〇になっているが裁判所に来たのは初めてなのです。だから、ここの言葉づかいは、わたしにはまるでよその言葉なのです」(17D)と。ここで述べられるような、法廷に召喚されたことは今までになく、政治的領域に対してはよそ者であり、いかなる党派にも属していないと語ることは、当時の法律に関する作品によく現れる主題であるとフーコーは指摘するが、しかし一般的な意味との違いもあるという。法律的制度で使用される言葉との相違は、ソクラテスの言葉が日常言語であること、「ありあわせの言葉でもって、むぞうさに語られるでしょう。」(17C)とソクラテスが発言するように、技巧をこらさず思いつくままに語ること、それらによって示される「彼が考えていることを語る」ような言語であること、つまり「信頼と誠実さと信用の言語」であるとフーコーは要約する。上記した事柄はパレーシアにとって特徴的な統一体を構成するものであるとフーコーは指摘する。さらにこれら三つの基準(飾ることなく語る、精神に浮かんでくるままに語る、本当だと信じつつ語る)をもつことによって、哲学的言説が真実の言説になるのかをフーコーは解明しようとする。
フーコーは、ギリシア的な考え方についての一般的な形態としてlogos etumos(真正なロゴス)という考え方を述べる。「真正なロゴス」は「言語や言葉や文章が、それらの現実そのものにおいて、真実に対する原初的な関係を持っているという考え方があるという。つまり、言葉は自ら本質であるという、私たちが西洋文明の根幹をなすものと知らされている「ロゴス」という概念ではないだろうか。おそらく古代ギリシアや古代ユダヤ思想に神の概念とともに内在しているものであるが、今はこれ以上述べることはやめよう。ここで問題になっているのは、フーコーの解説を要約するなら、「人間の精神に虚偽が入り込み、あやかしが真実をかわし、あるいは隠してしまうとしたら、それは言語それ自体が持つ固有の効果のせいではなく、逆に、言語に固有なかたちに何かが付け加えられたり、変形や作為が与えられたり、ズレたりするせい」であることである。「裸の状態の言語」こそが真実に近く、真実が語られるという考え方があり、それが弁論術に対立する存在様態としての哲学的言語の特徴であるとフーコーはいう。
二番目のテクストで問題になるのはソクラテスの政治的な役割についてである。本当のことを語ろうとするのなら、なぜ民会の前で意見を述べようとしなかったのか、つまり政治的なパレーシアステースであったことはなかったのかという反論に対してソクラテスは答える。子どものころから起こることで、ダイモーンの合図があり、何かをしようとするとき自分を制止する声があることを述べ、その反対の声の意味するところを自ら解き明かし答えるのであった。「政治上のごたごたに手をそめようと企てたならば、わたしはとっくに身を亡ぼし、あなたがたのためにも、わたし自身のためにも、なんら益することがなかったでしょう。」(31D)アテナイの民主制が本来の機能していなかった、パレーシアがうまく機能していなかったことをソクラテスは言及しているのだと、フーコーはいう。つまり政治的領域でパレーシアの機能を演じないようにダイモーンが命じたのは、命の危険を回避するためであったのだ。ソクラテスは、三十人政権の後の、民主制の廃止から復活に至る時期、政治的急進派のどこにも属していなかったこと、アルギヌーサイ島沖の戦いの将軍たちを裁くことになったとき、違法決議をした人たちと行動を共にするよりは、国法と正義の味方になってあらゆる危険を冒すべきであるとして、死の危険を冒したという事実を語るのが三番目のテクストである。
民会で多数派に反対するのは命を危険にさらすことになるので意見を控えるということと、死の危険を冒しても独裁者の命令に背き、命を危険にさらしてでも正義を貫くことという二つの状況(民主制と専制政治)にはどのような違いがあるのか。フーコーによると、前者は他者に対する政治的権力の行使としてなされるパレーシアであり、一人の人間が真実を語るために他者に支配力を行使するのは、政治的であっても哲学的ではないということである。哲学は政治に対してある役割を果たすべきであるが、政治のなかでの役割を果すべきではないというプラトンの考え方がある。つまりはソクラテスが、それを描くプラトンが考えていたのは、政治的パレーシアではなく哲学的パレーシアであったことを意味するのである。政治について真実を語らないという態度である。しかし後者の場合、ソクラテスは前記したように政治的なゲームに捉えられていて、三十人政
権という専制政治の内部にいて何かを要請されたとき、「自分自身のことを配慮するがゆえに、また、自分自身に配慮しつつ自分自身のあり方を気にかけるがゆえに、彼はそうした不正を行うことを拒否する」のは、国家の犯す不正が自らの犯す不正であるとき、哲学者は拒否するということである。ここで問われているのは政治的主体についての問いであるとフーコーはいう。哲学は、「国家の正義や不正の問題ですらなく、行為する主体、市民として、臣民として、さらに君主として行為する主体にほかならないような何者かによって犯される正義や不正といった問題」なのである。「哲学にとっての問いは政治の問いではなく、政治における主体という問いである」とフーコーはいう。さらに後者の例では、命令が不当であると公の場で述べることはなく、行動で示したのである。つまり「言葉(logô)によってではなく、行動(ergô)によって」(32D)であった。
哲学的パレーシアでは、行為する主体が救われることが問題になるのであって、国家全体が救われることが問題になるのではなく、ロゴスを通じて行われるものでもなく、事物そのもののうちに現れうるものであり、物事を行う仕方のうちに、存在の仕方のうちに現れうるものであるとフーコーは指摘する、哲学者とは「自分の真正(etumos)な言論において真実を語る人であるだけでなく、その存在の仕方において真実を語り、真実を表明する人であり、また真実の人でもあるような人なの」であるとフーコーはいう。ソクラテス的なパレーシアがいかに弁論術の言説と対立しているかが明確になる。集会や法廷で行使される言説との断絶があり、他者を説得することのない言説である。つまり「それを語る者、そしてそれが語りかけている相手にとって試練にさらすような言説」である。ソクラテスがパレーシアスト(パレーシアテース)であることによって国家を覚醒させるために必要なことなのだとフーコーは述べる。
哲学的言説の存在様態を標定するために、フーコーが取り上げるもう一つのテクストは『パイドロス』である。哲学の言説と弁論術の言説の対立がこのテクストにおいても問題になるが、『ソクラテスの弁明』では、ソクラテス自身の命に関して行使したパレーシアに対して、『パイドロス』ではエロースが問題になっている。この論考ではすでに論じ終えている(「自己への配慮と詩人像(八)と(九)、「ヒーメロス16号、17号」」が、ここでは本当の愛を讃える言説を問題にするとき、(自らが真実と取り結ぶさまざまな関係を自らに問題にする」ので、真実に対する関係は二重になるとフーコーはいう。神話(ミュートス)を通過して描かれ、ロゴスに対する本当のテクネー(技術)という考察に向けられていく。それは弁論術であるかそうでないか、そしてエクリチュールは「言説のテクネーのうちに位置づけられるべきものなのか、それともそうでないのか」。フーコーは、最終部分のエクリチュールの問題には触れず、「新なる言説の存在様態の歴史という視点」から解読しようとする。



ここで『パイドロス』の後半部(269D-279C)を要約してみよう。

(話すことについて。)
①説得力を備えた真の弁論家の技術はどのような仕方でどこから身につけることができるか。
   ↓
 ・ものの本性について高遠な思索を必要とする。技術と弁論術は同じ事情にある。医者は身体の本性を、弁論術は魂の本性を分析する。魂に、法にかなった訓育と言論を与え、相手の中にこちらが望むような確信と特性を授ける。
 ・全体の本性を理解しなければならない。ヒポクラテスの言葉と一致するか調べる。
②弁論の対象→魂の本性を教え示すべきである。
   ↓
・魂とは一つの相似た性格のものなのか、それとも多くの種類があるものなのか。
・魂とは何によってどのような作用を与え、何からどのような作用を受けるか。
・話し方の種類と魂の種類、ならびに反応の仕方を分類整理した上で、その原因を調べる。
 ③言論の機能とは魂を説得によって導くことにあるから、魂にどれだけの種類の型があるかを知らなければならない。
 
    ↓
・言論の種類と性質を知る。
・人々の性質にあう性質の言論を考える。実際の生活の中で見る。
  ↓
・どのような性質の者がどのような性質の言論によって説得されるか、または語るべき適切な時期を学ぶ。
④弁論家の主張とはどのようなものであるか。
・真実らしくみえるものこそ追求すべきである。真実のものに似ているからこそ、多数の者に真実らしく見える。
   ↓
・真実への類似を発見できる者は真実そのものを知っている者である。
・聴衆のさまざまな性質を分類し、事物を種類ごとに分割し、一つの本質的な相によって総括する。
  ・これらの能力を獲得するのはたいへんな労力をはらうことになる。
⑤分別のある人はそのような労力をはらう目的を、人間相手の話や行為におくべきではない。
     ↓
・神々のみこころにかなうことを語り、神々のみこころにかなう仕方で振舞うことが大切である。(弁論術の否定)

(ものを書くことについて。)
①ものを書くということはどのような条件のもとにおいて立派なことだといえるのか。
     ↓(エジプトの神々の話。前回詳しく論じたので省略。)
・技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された記述が、それを使う人々にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判断する力をもった人とは別の者である。
・人々が文字を学ぶと記憶力の訓練がなおざりにされる。
・彼らは書いたものを信頼して、思い出すのに自分以外のしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力で内から思い出すことをしなくなる。
・文字の発明は記憶の秘訣ではなく想起の秘訣であり、前者は知恵の外見(博識家の知恵)、後者は真実の知恵である。
②一つの技術を文字の中に書きのこしたと思いこんでいる人、書かれたものの中から明瞭で確実なものをつかみ出せると信じている人、またその技術を受け取ろうとする人は、たいへんなお人よしである。
     ↓
・言葉は書きものにされると、話しかけなければならない人にだけ話しかけ、そうでない人には黙っていることができない。
・書かれた言葉と兄弟関係にある、もう一つの種類の言葉がある。
   ↓
・学ぶ人の魂の中に知識とともに書きこまれる言葉、語るべき人に語り、黙すべき人には口をつぐむ言葉。
・ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉。書かれた言葉は、これの影である。
③ものを書くとは、同じ足跡を追って探求の道を進むすべての人のために覚書をたくわえるということである。
     ↓
・ひとがふさわしい魂を相手に得て、哲学的問答法の技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるとき美しいことになる。
     ↓
  ・自分自身だけでなく、植えつけた人をもたすける力をもった言葉である。
     ↓
  ・一つの種子を含んでいて、その種子から新たな言葉が新たな心の中に生まれ、不滅の命を保つ。

(話すこと、書くことの共通事項)
①言論を語ったり書いたりすることはどのような場合に立派といえるか。
     ↓
   ・書かれた文章の中に何か高度の確実性と明証性が存すると考えて書くことは恥ずべきことである。
     ↓
・正と不正について、善と悪について、覚めて見る真実のすがたと夢の中の影像の区別を知らないから。
②次のような人こそなりたいと祈る人たちである。
     ↓
・書かれた言葉にせよ、語られた言葉にせよ、多分に慰みの要素が含まれるものであり、真剣な熱意に値するものものとして話が書かれ、語られることはないと考える人。
・書かれた言葉の最もすぐれたものでさえ、ものを知っている人に想起の便をはかるという役目を果すだけのものであると考えている人。
  ↓
・正しきもの、美しきもの、善きものについての教えの言葉、学びのために語られる言葉、魂の中にはほんとうの意味で書きこまれる言葉、ただそういう言葉の中にのみ、明瞭で、完全で、真剣な熱意に値するものがあると考える人。
  ↓
・そのような言葉が自分自身の中に内在する場合、何かそれの子供とも兄弟ともいえるような言葉が、ほかの人の魂の中に生まれた場合、それらを自分の生み出した正嫡の子と呼ぶべきであると考え、それ以外の言葉にはかかずらうのを止める人。
③真実がいかにあるかを知り、自分の書いた事柄について訊問されたときに、書いたものをたすけてやることができ、書かれたものは価値の少ないものだということを、みずからが実際に語る言葉そのものによって証明するだけの力をもっているならば、そういう人は、それらの書き物からつけられる肩書きで呼ばれるべきではない。外面的なものが内なるものに調和することを願う人こそ知恵ある人である。
     ↓
・愛知者(哲学者)と呼ぶにふさわしく、作品以上に価値のあるものを自己の中にもっていない人は詩人、作文家、法律起草家の名で呼ぶにふさわしい。

ロゴスとミュートス
 ギリシアにおける一般的形態とされるlogos etumos(真正なるロゴス)は、哲学と修辞学の分岐点になるものとしてプラトンは考えていたといえる。修辞学である弁論術を哲学との対立概念として引き合いに出しながら、詩人によって書かれた言葉も修辞学の領域に入れていることがテクストから知られる。ソクラテスは二種類の言葉を挙げる。一方は、書かれたものには高度の確実性と明証性が存すると思って書く人の言葉であり、他方は、「書かれたものは価値の少ないものである」ことを知り、「ふさわしい魂を相手に得て、哲学的問答法の技術を用いながら、その魂の中に知識とともにまいて植えつける」言葉であるとする。また前者の例として、「作品以上に価値あるものを自己の中にもっていない」人によって書かれた言葉であるという。先述したように詩人や作文家や法律起草家を同様に扱っているが、ここで私は詩人と言葉の関係を明らかにし、哲学者の言葉に対する考え方と比較してみよう。
 『パイドン』の中に詩作について語られる箇所がある。「快楽と呼んでいるものは、なんとも奇妙なものらしい。それは、まさに反対物と思われているもの、つまり苦痛と、じつに不思議な具合に生来つながっているの

ではないか」(60B)と、ソクラテスは寝椅子の上に体を起こし曲げた脚をさすりながら話を始めたのであった。
裁判で死刑を命じられたソクラテスは、刑の執行される日、足枷をはずされ苦痛から解かれたあとに快楽がやってきた。苦痛と快楽は、一方を追い把えると、もう一方も把えざるをえない。アイソポスなら、争う快と苦の両者の頭を神さまが一つに結びつけ、仲のよいものにしようとくわだてたという物語をつくったであろうとソクラテスは語ると、その場にいたケベスが機を捉えたように、以前には詩作をしなかったソクラテスが、ここに来てアポロン神への讃歌などを造られるようになったのはなぜかを尋ねた。するとソクラテスは、「自分のみたいくたびかの夢について、それが何を語っているのかをたしかめようとしたまでのこと。そして、この夢がもしかして、そういう種類のムッサイの術(文芸・音楽)をなすことをわたしに命じているのであれば、その責をはたして、みずからの浄めをなそうとしたまでなのだ。これまでの生涯に、しばしばおなじ夢が自分を
おとずれた。それは、その時々によって現われるすがたは異なるにしても、つねに同じことをいう。(ソクラテス、ムッサイの術をなし、それを仕事とせよ)と」。裁判後に処刑がすぐになされなかったのは、アテナイの人々デロス島へ派遣する祭使の船の準備や逆風で一ヶ月ほど遅れたためである。ソクラテスは、自分がみる夢は自分が今なしていることを励ましていると解釈する、なぜなら「知を求めるいとなみ(哲学)こそは最高のムッサイの術である」と思うからであるという。またアポロン神への祭祀が自分の死を延期させているので、夢で詩作を命じているのはアポロン神であると思われ、浄められたものとしてこの世を去ることがたしかな途であろうと思い、アポロン神にささげて詩をつくったのだと説明し、「詩人というものは、いやしくもほんとうにつくるひと(ポイエーテース)であろうとするならば、けっして事実の語り(ロゴス)をではなく、むしろ虚構(ミュートス)をこそ詩としてつくるべきなのだ」とソクラテスは述べる。『パイドン』(プラトン全集1に収録)の訳者、松永雄二氏の註によると、「ムッサイの術」という言葉は、単純に「文芸や音楽」ということばではおきかえられない意味をもち、パイデイア(教養)という言葉と同じ広がりをもつ言葉であり、「哲学は、魂の形成にあたって、一般の文芸・教養の究極にあるものであり、その最高のものだという意味で、語られたとなしうるだろう」と言い、「魂の浄化をなすものとしての音楽と哲学との結びつき解読する注釈者もいる」という。また、ロゴスとミュートスの区別は『ゴルギアス』(523A)でも語られ、『国家』(376E)においても「肉体のためには体育術があるごとく、魂のためにはムッサイの術がある」という記述があることを松永氏は註で述べている。このようなことから考えられることは、魂の教育には音楽と文芸は必要と考えられていて、詩における言葉やその音楽的要素がいかに人々の内面に深く浸透していたかということである。人間の生き方に関わる価値の問題を扱う場合、ソフィストや弁論家の言説よりもはるかに古い伝統をもち倫理的問題から日常生活に至るまで文学(詩)は大きな役割を果していたと、『国家』の訳注で藤沢令夫氏は述べている。(私はすでに「ヒーメロス13号」の「自己への配慮と詩人像」というエセーで詳しく論じた。)しかし、芸術(詩)は感覚からつくられるものであるがゆえに非理性的になるという危険に陥りやすいことを見抜き、芸術(詩)が人間の生き方を支配していた時代に、芸術(詩)は〈善のイデア〉を形成しようとしたプラトンが総力をあげて立ち向かう相手だったのだと藤沢氏はいう。つまり哲学的な〈真実の語り〉は、修辞学の外部で対話法によってのみ語られる言葉であり、詩はミュートス(神話)の領域でなされるものであることを、プラトンはソクラテスから学んだのである。
 


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