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ほとんど食日記、時々旅行記&犬日記です。

旧吉田茂邸見学バスツアー

2006-09-24 01:21:58 | 小旅行
レポートをやらなきゃいけないのは重々承知ですが、それでもこのチャンスを逃しちゃ~いけない、と思ったので毎日新聞主催のバスツアーに参加してきました。

朝8時に東京駅集合。バスに乗り首都高、東名にのって御殿場ICを降りて箱根の仙石原へ。ススキ野原を見物。

一面が銀色に輝いてとてもきれいでした。

その後、1時間くらい走って大磯にある吉田茂邸へ。敷地1万坪、建坪300坪。
案内人の説明に沿って見学です。(案内をしてくれたのは大磯プリンスの営業の人でした。普段はガイドではなくプリンスで営業をしているとのこと)

貿易商の養父から莫大な遺産を継いだ吉田茂ですが、晩年に残っていたのはこのお屋敷だけ。で、ある時、その近所に有る三井家の別荘地がどこやらに買収され、開発計画がでて近隣住民の猛反対で最終的に町が買い上げて公園とすることになったのを見た佐藤栄作が同じことが吉田邸に起こってはいけないと、堤康次郎に管理を託したとのこと。依頼、ずっと西武が管理してきたんだそうで。ご存知の通り、色々とあってその所有権を国に移そうと話し合っていたのだけど、国が引き取りを拒否。なので、現在、大磯市と神奈川県と交渉中なんだそうです。

さて、まずは門。

これは、裏千家の今日庵の門を作ったのと同じ人が作ったもので、釘を一本も使わずに作られたもの。別名兜門とも呼ばれているらしいです。

それから、轍のように見えるのは大理石の石畳なのだけど、一度、現在の天皇陛下が皇太子時代にここを訪問をする際、家の側まで車で入ってこれるようにと、車の車輪の幅に合わせて敷いたものだそう。実際には門のところまで吉田茂自ら迎えに上がったので、そこで陛下も車を降りられて、この轍を使って車が入ってくることは無かったのだそう。

その門をくぐってすぐ左にある大正天皇御成りの碑。

実はこの地に大正天皇がお越しになったことは無いそうで。近所にご典医の橋本家があって(今も宮内庁の医師らしい)そこに用事があってきたときに、これまたこの近所にあった日本で初めてサフランの栽培に成功して宮内庁に納めていたお百姓さんのところに大正天皇がお訪ねになった、という話を聞いた吉田茂がそんな碑を家の庭に建ててしまったんだそうで。(笑)

さらに進み、京都の苔寺(西芳寺)のをモデルにした心字池を見た後(写真なし)、

五賢堂の碑(?)を見ながら七賢堂へ。

これは元々、近所に有る伊藤博文の別宅に岩倉具視、三条実美、大久保利通、木戸孝允を称えて奉った四賢堂を伊藤博文の死後、移してきて、伊藤博文を入れ、五賢堂として奉っていたそうです。(このお堂の中の入口の上に吉田茂筆の五賢堂という板がかかってます)
それを昭和34年に西園寺公望を入れて6人になり、吉田茂の死後、佐藤栄作が吉田茂もそこに奉り、七賢堂となったそうです。
七賢堂の字は佐藤栄作によるもの、手前の灯篭は増上寺から持ってきたものなんだそうです。

見学したときはお堂の扉は開いていて、中に賢人達の写真?絵?が飾られていました。
吉田茂と西園寺の命日が共に10月だったことから、毎年、10月に七賢人を偲ぶ追悼会(言葉は違ったかも)を開いているそうで、以前は歴代総理が来ていたそうですが、一番直近で最後にきたのは小渕総理だそうです。
ちなみにお孫さんの麻生さんは2年前に参加されたそうです。

その後、さらに高台にのぼり、一番上の銅像がある「富士見台」へ。
ここだけはバイパス沿いにあるサイクリングロードから入ってこれるようになっていて、10時から3時の間、開放されているそうです。
この場所は吉田茂のお気に入りの場所だったそうで、この銅像は富士山を背負うようにして、サンフランシスコに向かって立っているのだそうです。
この近くにお墓が立っていたのですが、それはこの邸宅の直ぐ側にある東海道で行き倒れた無縁仏のお墓なんだそうですが、その内1つは「ポチの墓」というのもありました・・・。(母がしっかり見つけてきた)そのポチが吉田茂の犬なのかどうなのかは不明。
ただ、他の場所に「愛犬の墓」というのもあるのでそこと別になっているということは行き倒れの犬だったのかもしれません・・・?

吉田茂は愛犬家だったらしく、アメリカから犬を2匹もらってきたときにはサンとフランと名づけ、その犬が子供を産んで、その子にはシスコとつけていたんだそうで。(一応複数の証言があるので確かな話だと案内の人がいってました)

その後、吉田茂の養父が作っていた醤油用の大豆を煮る釜を見ながら(山印に吉の字がついてます)

竹林を抜け

家の中を見学。

家の中は撮影禁止なので一切写真はありません。
しかも、左に見える温室(家に直結している)と居間に風呂場(?!)があったらしく、その湿気で2階部分はかなりのダメージを受けているので、見学不可。見せてもらえたのは、居間と玄関とダイニング。
総ヒノキ造で、設計したのは吉田五十八(イソヤ)。この方は太田胃酸の創始者の次男なんだそうで、58歳の時にできた子供だから五十八とつけたんだそうです。(結構安易?)
建てたのは北村伝兵衛だそうです。(私は全く知らないのですが、有名な棟梁だそう)

吉田茂由来の遺品は全て娘さんの和子さんが外務省に寄贈してしまったため、家にはそういったものは一切残っていないとか。
ダイニングの壁は羊の皮張りで、その時代、A4サイズのそれが1枚が1万円。これが230枚(だったと思う)使われているそうです。その当時の公務員の初任給が8000円だったということです・・・

居間の棚には各国の政治家、著名人の写真が並んでいて、それらは全てオリジナルからのコピーでオリジナルは全て外務省に寄贈されたらしいのですが、1枚だけオリジナルの写真があると。それはタイの王女の写真で、以前吉田茂邸を見学して帰国した後、そこに飾って欲しいと写真を送ってきたんだそうで・・・
一国の王女様なので断るわけにも行かず、とりあえず飾ってあるとのこと(笑)
なので、その王女様には吉田茂は会ってません、とのことでした(笑)

それから、居間には孔雀の剥製があってネルー首相から頂いた孔雀だとか。
現在もその子孫がお庭で飼われていました。

他にもインドの大使からもらったシャコ貝とか、台湾での何か問題解決を手助けしたお礼にと蒋介石がくれたという衝立が残っていました。

ダイニングにあるテーブルは吉田茂が使っていたもの(椅子は違うとのこと)とのことで、かかっていたクロスをめくってみたら、立派な一枚板のテーブルでした。しかも片側に15人は軽く座れる長さ。さすがです。

以上で吉田邸見学会はおしまい。
きちんと補修して、管理して、2階とかも公開してくれればいいのになぁ~。

この後、伊藤博文の別宅を一部残した大磯プリンスで中華ランチ(量が多かった)、食後は伊勢原にある日向薬師(日本3大薬師の1つなんだそう)に行きました。

階段を登っていくと10分ほどでお堂につきます。結構階段がきついですがとても厳かな感じのお寺でした。


その周辺は彼岸花の自然群生地。
越生にある巾着田とは違い、棚田のあぜ道に群生している、って感じです。
丁度稲刈りの作業の真っ最中で、刈られた稲と彼岸花のコントラストがいかにも日本の田園風景、って感じでよかったです。


この後はひたすら東京に向かって移動。
バスの中で私は熟睡。いつもは運転する身なので、寝てればいいバスツアーって楽だなーと思いました。
40数名の参加者だったのだけど、皆時間厳守(1分前には集合完了)で素晴らしかったです。

また面白そうな企画があれば参加してもいいかな、と思いました。


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2 コメント

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すごいね~ (るい)
2006-09-26 10:19:19
chiちゃん、ちゃんとメモ取りながら見学してたの?

情報量の多さにびっくりだわ。



いつも車を運転するchiちゃんにとっては、ずっと寝ていられるバスツアーは天国だよね♪

参加者みんなが時間厳守だったってのは素晴らしい。

やっぱりテーマの性質上、ちゃんとした人が多かったのかしら?

食べ放題とかのバスツアーによく参加する友達によると、平気で集合時間に遅れる人は結構多くて、ストレスたまるらしいよ
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お返事遅くなってすみません (chi)
2006-09-30 23:19:14
うん。人の名前がずらずら出てきて憶えられないのは明らかだったので、メモ取りました。

判読不明の文字もあり、その辺は記憶に頼ったけど・・・(笑)

そうだね、ツアーの種類によるのかもねー

数年前に永平寺と白川郷にいくツアーに乗ったときは、うーん?って人、いました。(そんなにひどくはなかったけど)

ツアーを催行している会社にもよるのかな?(近○とかトラ○ッ○スとかだと分母も大きいから変な人に当る確率も高そうだけど、毎日旅行なんて参加者層も限定されそうじゃない?)



内容が良いものがあれば又行ってもいいかな、と思いました♪
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