休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

奈良市北部の古墳をあるく⑪ ~元明天皇陵(養老ヶ峰古墓)~

2021-05-09 23:25:21 | 史跡を歩く

 「奈良市北部の古墳をあるく」、第2シリーズというところで、佐紀盾列古墳群の東群及びその周辺の古墳等を訪ねて歩くこととしたい。

 まずは、奈良時代の最初の天皇、元明天皇陵を訪ねるところから始めよう。

 元明天皇陵へは、県道44号線(奈良加茂線)を北上していくことになる。途中、聖武天皇皇太子那富山墓に入る小径があるのだが、まずは、元明、元正天皇陵を訪ねてからということで、無視して歩いていくことにした。

 少し歩くと、黒髪山トンネル跡という山を切通しにしたところがある。かつて奈良に大仏鉄道が走っていた頃、ここには黒髪山トンネルがあったそうだ。(大仏鉄道については、以前「幻の大仏鉄道をあるく」で取り上げている。)

 

 この後もしばらく歩くことになる。ちなみに最寄りのバス停は、「奈保山陵前」なのだが、バス停は、両方ともの御陵へ行く道を少し行き過ぎている感じである。

 日本料理の大きなお店の前を通り過ぎて、信号があり、右へ行けば元明天皇陵、左へ行けば元正天皇陵ということで道が分かれている。

 まずは、元明天皇陵ということで、右へ入っていくのだが、結構この道が寂しい。近くに建築関係の資材置き場があるようで、トラックがよく通るが、それ以外はあんまり人通りはない。

 

 それでも、しばらく歩くと御陵三点セットの一つ、駐車場が右手にあった。

 元明天皇については、天智天皇の娘であり、天武天皇と持統天皇の皇子草壁皇子の妃となり、文武天皇と元正天皇を生んでいる。文武天皇が、早逝したため、文武天皇の子首皇子(のちの聖武天皇)を皇位につかせるために即位した。

 

 主な事績としては、平城京の遷都、古事記の完成、和同開珎の鋳造などがある。

 

 天皇陵とされている場所については、写真の通り、古墳と言うよりは、普通の丘のような感じである。

 奈良時代になると、天皇の御陵も薄葬化が進んでおり、元明天皇については、薄層の詔があり、「葬儀をしないこと」「火葬によること」「改葬を禁じること」「『刻字之碑』をたてること」を命じたとされる。

 

 元明天皇についても、おそらくこの丘のどこかに遺骨が埋葬されたのだろう。そのためか陵域はこの丘のほとんどの部分となっており、規模としてはしては、とても大きく感じる。

 

 ちなみに「刻字之碑」と呼ばれるものは、実際に見つかっており、現在も陵墓の中に建てられているらしい。

 現在、この「刻字之碑」があることから、元明天皇陵については、ほぼこの場所であろうということは間違いないと考えられている。それから、元明天皇陵については、「養老ヶ峰古墓」と言う名称が用いられている場合もある。

 なお、陵墓の東にある奈良豆比古神社には「刻字之碑」の拓本が残っているそうだ。

 しかしながら、元明天皇陵も中世には、所在が分からなくなっており、この「刻字之碑」が見つかるまでは、例えばウワナベ古墳が元明天皇陵だと考えられていたこともあったらしい。

 

 元明天皇陵の陵域にあった小さな五輪塔。誰のものかはわからない。

 ここからは、元来た道を引き返し、元正天皇陵を訪ねていくことにした。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奈良市北部の古墳をあるく⑩ ... | トップ | 奈良市北部の古墳をあるく⑫ ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

史跡を歩く」カテゴリの最新記事