條庚申塚古墳から元の道に戻って進んでいくと、不意に説明板らしき看板の姿が遠目に見える。墳丘らしき盛土はあるものの、一部はコンクリートで擁壁化している。
これが、あの條ウル神古墳なのか?石舞台古墳にも匹敵するぐらいの巨大横穴式石室を持つと聞いているのに想像よりもかなり小さくてこれがそうなのという感じであった。近くに寄ってみると確かに條ウル神古墳という説明板があり、確かにと納得はしたが・・・。
説明板は、読み取るのも困難かぐらいに色あせてボロボロ。御所市も何とかしてあげてほしい。(最近、国の史跡に指定されたのをきっかけに新しくなったという話もある。)
私有地につき立入禁止という事で、外から石室らしきものは見えないかと古墳の周りをうろうろしてみる。
石室の入り口だろうかというような石材がある所もあったのだが、確信は持てず。
條ウル神古墳は、6世紀後半に築造された全長約100mの前方後円墳と言われる。ただ、航空写真を見ると、長方墳のようにも見える。そして埋葬施設は、全長15.6m以上の長さがあり、玄室は長さ7.1m、高さは約4mもある巨大な両袖式の横穴式石室である。また、石室の中には、刳抜式の家形石棺があり、8個の縄掛け突起をもつ珍しいものだという。残念ながら2002年の発掘調査後に埋め戻されている。
石室内には、まだ副葬品等がある可能性も示唆されており、今後、もし石室内の発掘調査が行われれば、2002年の時と同様に大勢の人が訪れることになりそうである。
墳丘は結構削られており、特に前方部は顕著。綺麗に前方部の一部を断ち切っている。
また、前方部にも埋葬施設があったらしく、石室や石棺の破片が点在しているのだそうだ。
ちなみに被葬者は、この辺りを治めていた豪族、巨勢氏ではないかと考えられている。
この後は、近くに日本武尊白鳥陵があるのでそれを見に行くことにしよう。
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