大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

2017年4月16日主日礼拝説教 マタイによる福音書28章1~10節

2017-04-20 18:15:57 | マタイによる福音書

説教「あの方は復活なさった」

<おはよう>

 キリストは「おはよう」とおっしゃって婦人たちと出会われました。「おはよう」、これはギリシャ語の原語の意味では「喜びなさい」という意味がありますが、当時の使われ方としては、ごく一般的な挨拶と考えられる言葉です。「おはよう」とか「こんにちは」「ごきげんよう」と訳される言葉です。昨日の夕方、道で別れた友人とまたこの朝、出会って挨拶をする、「おはよう」、毎日会う職場の人、近所の人といつものように挨拶をする「おはよう」、そんな気軽さで復活のイエスは婦人方と出会われました。

 先週までの受難節にずっと読み継いでいたキリストの受難の物語からは、唐突なように復活のキリストは人々の前に姿を現します。狂気に満ちた「イエスを十字架につけろ」という人々の叫びも、生身の肉がえぐられた残酷な鞭打ちも、さらし者にされ、血を流し、衰弱して死んでいかれた十字架の上のお姿も、まるで何もなかったかのように、「おはよう」、そうおっしゃって、昨日の続きのように、主イエスはそこにおられました。

 復活というたいへんな奇跡が描かれているにしては聖書の復活の場面は考えようによっては、あっさりしているのです。光り輝くなかに神々しい主イエスが華々しい宣言と共に現れてもよさそうなものですが、そうではありません。ただ日常のあいさつの言葉をもって「おはよう」と、婦人たちの前に現れるのです。

 もちろん、今日お読みした最初のところには地震が起こったと記されています。そして主の天使の姿が稲妻のように輝いていたとも記されています。その天使を見た番兵たち、それなりに屈強の男たちだったと思いますが、その番兵たちが震え上がり死人のようになったとあります。そのようなただならぬ天使たちの様子がありました。それに対して、主イエスのお姿に関しては、特別な様子は記されていません。主イエスと出会った婦人たちは近寄って足を抱いたとあります。足のない幽霊でもなんでもない普通に肉体を持ったお姿で復活されたのです。キリストは幻でもなんでもなくリアルな存在として婦人たちに現れたのです。それにしても、聖書の多くの奇跡の中で、奇跡中の奇跡、そしてまた福音の根幹をなす復活の出来事がこれほどあっさり記されていることは不思議です。

 <すべてが新しくされた>

 すべてが新しくされたからです。昨日から続く今日ではないからです。世界が変わってしまったのです。すべてが過ぎ去り、すべてが新しくされた、その朝に、キリストは「おはよう」とおっしゃっているのです。言葉だけを聞くと不思議な感じがします。昨日の続きのような「おはよう」です。しかし、あれほどの出来事、十字架の出来事があった、それはほんの二日前のことです。しかしいまその二日前のことをなにひとつ引きずることなく、キリストは復活されました。昨日の続きの今日ではない、新しい朝です。新しい命の中に主イエスはおられます。キリストは死なれ、陰府にまで下られた、しかし、もうそのことはすべてが過ぎ去ってしまった。キリストは肉体をもって新しい命の中におられる、その命のただなかで新しい朝にキリストは「おはよう」そう言って出会ってくださったのです。

復活のキリストと出会った婦人たちはまだそのことがはっきりとはわかっていません。

<墓は空>

 キリストと出会う前に、婦人たちはまず空の墓を見せられます。「空虚な墓」というのは復活という出来事において象徴的なことです。そこには亡骸があるはずでした。金曜日の主イエスの死から三日目です。十字架から降ろされた亡骸は、大急ぎで墓に入れられました。安息日が迫っていたからです。本来は亡骸に施すべき丁寧な処理をする時間がありませんでした。取り急ぎ亜麻布に包まれ墓に入れられた、その亡骸には時間の経過しただけの状況があるはずです。安息日に墓に行くことのできなかった婦人たちは、おそらく亡骸に施すべき処理をするために安息日が開けると大急ぎでかけつけたのです。婦人たちは主イエスの亡骸をねんごろに葬りたかったのです。それがせめてもの、主イエスへの誠意であると婦人たちは考えたのです。婦人たちの精一杯の善意でした。しかし、遺体はなかった。そこにあるべき、既に時間がたった、紛れもなく死のにおいをはなっているはずの遺体はなかったのです。

 天使たちは言います、「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」そう、婦人たちもすでに聞いていたのです。主イエスが苦しみにあって死に、三日目に復活をするということを。しかし、誰もそのことを分っていなかったのです。ただ精いっぱいの善意で、没薬や香料などをもって墓に駆けつけたのです。しかし、善意にあふれた婦人方は肝心なことは分っていなかった。<かねてから言われていた>キリストご自身から何度も聞いていたのに、その主イエスの言葉を分っていなかったのです。

 天使たちから復活の事実を聞いた婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、他の弟子たちに知らせるために走っていきました。婦人たちは走ったのです。一刻も早く知らせようと走ったのです。これはどういうことだろう不思議なことだと話し合いながら歩いて行ったのではありません。走って行った。おそらく婦人たちもこの時に論理的にこの出来事を理解していたわけではないでしょう。しかし、一目散に走って行った。ほとばしるような喜びの内に、もちろんただならぬことが起こったという恐れの気持ちもありながら、抑えることのできない感情をもって走った。ゆっくり歩いていくことなどできなかったのです。

<出会ってくださる復活の主>

 その婦人たちの前にキリストは立っておられました。「立っていて」という言葉は「出会って」というニュアンスでもあります。キリストは走ってきた婦人たちに出会ってくださったのです。復活のキリストは婦人たちと出会ってくださったのです。

 かねてから復活の話を聞きながら、そのことを信じていなかった婦人たちと出会ってくださった、なぜ信じなかったのか?と、主イエスはとがめることはなさらず、出会ってくださった。そして「おはよう」とあいさつをされた。そしてまた、「わたしの兄弟たちに告げよ」と言葉を残されます。「わたしの兄弟たち」とは誰か、兄弟ですから男性の弟子たちです。キリストを捨てて逃げ去った弟子たちです。婦人たちは、番兵が見張っている墓まで勇気を持ってやってきて精一杯のことをしようとしたのです。しかし、男の弟子たちは、おそらく息をひそめて隠れていたのです。衝撃的な出来事に茫然自失していたかもしれません。その弟子たちを「わたしの兄弟」と主イエスは呼ばれるのです。

 主イエスを裏切ったのは祭司長たちに主イエスを銀貨30枚で売ったユダだけではありませんでした。弟子たちすべてが裏切ったのです。逃げたのです。しかしなお、その裏切り者のかつての弟子たちを「兄弟」と呼ばれ、彼らもまた、自分と出会えるのだとおっしゃるのです。

<復活という現実>

 しかし、このキリストの復活の出来事は理屈で解明できることではありません。しかし、また復活はキリスト教会がねつ造した作り話でもありません。キリストは信者の心の中に思い出の中によみがえった、ということでもありません。キリストは肉体をもってよみがえられました、そして弟子たちと、出会ってくださった、逆に言えば、復活のキリストと出会った人々にとって復活は現実なのです。

 11節からは、主イエスの復活の出来事を隠ぺいしようとする人々の様子が記されています。弟子たちが夜中に来て遺体を盗んでいった、そのような噂を流すように祭司長たちが画策したことが描かれています。しかし、祭司長たちが画策しなくても、通常、死体が墓からなくなるようなことがあれば、死体が盗まれた、そう考えるのが、筋の通ったことです。論理的に納得できることです。

 復活は、人間の理解できる範囲で筋を通そうとしていくとき、けっして理解できるものではありません。合理的な説明はできないのです。しかし、復活のキリストと出会った人、いえ、復活のキリストに出会っていただいた人には紛れもない事実として復活は信じることができるのです。復活のキリストと出会うことのなかった番兵や祭司長たちは復活をもみ消そうとしました。そんな彼らにとって、依然としてこの世界は死に支配されたものでした。かねてから聞きながら復活を信じていなかった婦人たちも、主イエスを裏切ってひそんでいた弟子たちにもキリストは出会ってくださるのです。「おはよう」と言ってくださるのです。婦人たちが、弟子たちが立派だったからではありません。キリストはそんな夫人や弟子たちと出会うために復活してくださったのです。婦人や弟子たちだけではありません。私たちとも出会うために復活をしてくださいました。

<見ていないのに信じる>

 今日の聖書の場面では息をひそめて隠れている、そして裏切った自分を責めていたであろうペトロにもであってくださいました。そのペトロがのちに伝道者となり、こう語っています。「あなたがたは、キリストをみたことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ち溢れています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」三年半、実際に主イエスと行動を共にし、間近に主イエスを見てきたペトロが、主イエスが天の戻られたのち、つまり地上でのイエスとお会いしたことがなくてなお主イエスを信じるようになった人々に対して語った言葉です。キリストを見てないのに愛し、今見なくても信じている。これは私たちのことでもあります。私たちは2000年前、復活のキリストと出会ったわけではありません。しかし、なお、復活のキリストは聖霊によって私たちと出会ってくださいました。肉体の目では見えなくても、わたしたもまた信仰によって確かに復活のキリストと出会いました。いえキリストの方から出会ってくださったからこそ信仰を与えられたのです。

<死の終わり>

 その復活のキリストは、すべての人々に告げ知らせるために出会ってくださいました。何を告げ知らせるためか?それは「死」が取り去られたことを告げ知らせるためです。

 さきほど、墓の中に主イエスの亡骸がなかったと申しました。当時の墓は洞窟でした。その洞窟は大きな石で閉ざされていました。その石の向こうに、亡骸があったのです。石で閉ざしたのは、もちろん亡骸を大事に保存するためでありました。しかし、心理的なことでいうと、石によって墓を閉ざす行為は、亡骸を、そしてその亡骸によって人間がいやがおうにもしらされる「死」という現実を人の目から隠すためでもありました。誰にでも訪れる「死」。その死を人間は石の向こうに洞窟の中に普段は目につかないように閉じ込めていたのです。しかし、「死」は破られました。キリストの十字架によって打ち破られました。石は転がされ、墓は空でした。キリストの復活、それは死への勝利宣言でした。その勝利宣言をするために主イエスは復活されたといえます。

 しかし、まだこの世界には現実には死が存在します。今日の午後、墓前礼拝に向かいますが、ここにおられる多くの方の肉親や友人方で、すでに地上を去られた人々とは、いまはこの地上であいまみえることはできません。大阪東教会の教会墓地がある服部霊園にはおびただしい数の墓石が並んでいます。そのおびただしい墓は空ではありません。その下にまぎれもなく死があります。その中にあってキリスト教徒の墓だけは空などということはないのです。キリストが死に勝利されたのに、キリストの墓は空なのに、なぜまだこの世界に死はあるのか。服部霊園の墓は空ではないのか?それはまだ終わりの時ではないからです。

 キリストは死のとげである罪を滅ぼされました。そして新しい時代が始まりました。しかし、完全にすべてが完成するのは終わりの日です。ヨハネの黙示録で語られるキリスト再臨の時です。その時までまだこの地上に肉体の死はあります。墓は空ではありません。しかしすでに私たちは復活の主イエスと出会っています。新しい命への扉は既に開いています。そしてやがて終わりの時にすべての墓は命に向かって開かれるのです。完全に死が取り去られるのです。それは絵空事ではありません。それは壮大な命の完成の時です。しかし、すでに復活のキリストと出会っている私たちには、そのさきがけとして、もうすでに命への扉は開かれています。今日、新しく一人の方が、その新しい命の扉を開かれます。洗礼によって扉が開かれます。輝く天使が、いま、その方の前の大きな石を取り除きました。そして新しい命がはじまります。復活の主イエスと新しく出会われます。私たちと共に「おはよう」という声を聞くのです。主イエスのその声を聞きながら、私たちは新しく歩んでいきます。イースターおめでとうございます!


2017年4月9日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章45~56節

2017-04-20 17:38:36 | マタイによる福音書

説教「神に見捨てられた御子」

<主イエスは弱音を吐かれたのか?>

 主イエスは十字架におかかりになり、苦しみののちに死なれました。他の福音書の記事と合わせて読みますと、同時に十字架に架けられた他の囚人たちに比べたら比較的早く息を引き取られたようです。それは十字架の前の夜通しの裁判、鞭打ちなどの残虐な暴行のために十字架に打ちつけられる前にすでにずいぶんと衰弱されていたせいであると思われます。

 十字架を取り巻く人々は、イエス様が死んでいく有様を見世物のように見物していました。これまで、さまざまな奇跡を起こして、群衆の間で評判だったイエスが、最後になにか奇跡的なことを起こすのではないかという興味もおそらく持って見守っていたことでしょう。しかし、主イエスは、十字架の上で奇跡的なことを起こすことはなく息を引き取られました。

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」この言葉は、聖書を読む上で、昔から、大きな議論になってきた言葉です。これは、詩編22編の言葉であると言われます。しかし、「わが神、なぜお見捨てになったのか」この言葉だけを聞く時、主イエスが最後の最後になって、まるで弱音を吐かれたかのようにも取られかねない響きがあります。実際、ある著名なクリスチャン小説家は、そのエッセイの中で、この言葉はイエス様の言葉として聖書に記されていない方が良かったとすら書いています。しかし、聖書の中に、書かれるべきでない言葉はありません。そこから読み取るべきことがあるから記されているのです。

 主イエスは逮捕に先立つゲッセマネの祈りにおいて、ご自身が十字架にかかることをご自身の飲むべき杯ととらえ、父なる神に「わたしの願いどおりではなく、あなたの御心のままに」と祈られました。主イエスは父なる神のみこころに従うことを祈りの内に決められたのです。

 ですから、裁判の時も、ピラトの尋問の時も、主イエスはご自身が死をまぬがれることができるような証言は一切なさりませんでした。基本的に沈黙を貫かれたのです。裁判ではほとんど沈黙を貫かれた主イエスは、十字架の上ではいくつかの言葉を語られています。四つの福音書の十字架の場面でそれぞれに主イエスが語られた言葉は少しずつ違って記されています。この「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」という言葉はマタイとマルコの福音書に出てきます。なぜマタイとマルコは、あえて読みようによってはイエス様の弱音ともとられるような言葉を残しているのでしょうか。

<神の裁き>

 私たちが、ここではっきりと知らねばならないことは、主イエスは、父なる神の裁きを受けられたということです。罪なき御子が、罪ゆえの裁きを受けられたということです。そして罪の報いとして死を迎えられたということです。罪の報いとしての死は、それは明確に父なる神と切り離されること、神から打ち捨てられることを指します。主イエスは父なる神と切り離される死を迎えられたということです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」主イエスはまさに今、これまでのご生涯をもっとも親しく交わってきた父なる神から打ち捨てられている、その絶望的な死を迎えようとしている、それが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」という言葉に現わされているのです。容赦ない、罪の裁きを主イエスはお受けになったということがこの言葉から分かるのです。その死は美しいものでも、かっこいいものでもない、極めて残酷で悲惨で、主イエスは決定的に恐ろしい死を死なれた、その死に向かう思いが、この「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉に現わされています。

 見物人からは、そしてまた、あとからこの福音書を読む多くの人々からも、主イエスはここで弱音を吐いている、結局、みじめに無力に死んだのだ、自分で自分のことを神の御子と言いながら、結局、神から救われることなく死んでいったのだと思われたのです。実際、神の御子である主イエスは父なる神から確かに見捨てられたのです。

 私たちはそのことの恐ろしさを知らないのです。神の裁きの徹底した恐ろしさを知らないので、神の怒りを受けて、いま死のうとされている主イエスに何らかの救いが来るのではないかと期待して見守るのです。惨めな死ではなく、なにか神々しい、ヒーローのような死を期待するのです。

 実際、「エリ、エリ」という言葉が「エリヤ」と響きが似ていたからかもしれませんが、見物人の中には「この人はエリヤを呼んでいる」という人もいました。そして、本当にエリヤが救いに来るか見守っている人たちがいたのです。ちなみにエリヤは旧約聖書を代表する預言者の一人ですが、エリヤ自身は、生きたまま、天に上げられたと旧約聖書に記されています。列王記下2:11を見ますと、エリヤの天に上る場面は実に派手といってもいいある種の荘厳さをもって描かれています。火の戦車、火の馬が現れて、エリヤは嵐の中を天に上って行った、とあります。このようなことが目の前で主イエスに起これば、人々は主イエスがやはり神の子であったとその場で納得したかもしれません。でも火の戦車も火の馬も現れず、嵐の中を主イエスが天に昇られることはありませんでした。ただ最後に、大声でなにごとかを叫び、主イエスは息を引き取られたのです。

 もちろん、そのあとに神殿の垂れ幕が裂けたり地震が起きたり、聖なる者が生き返ったりという異常なことは起こりました。いえ、それ以前にも、そもそも昼の12時に、全地は暗くなったとあります。しかしむしろ、神の御子が息を引き取られる、そのことに伴って、何の不思議なことも起こらないということは考えにくいことです。

 しかし、たとえば主イエスの降誕の場面でルカによる福音書ではみどりごイエスの誕生を知らされた羊飼いの前に天の大軍が出てまいります。天使と天の大軍の讃美が鳴り響くのです。でも本来それは驚くべきことではありません。神の御子が御降誕になった。その場面で、天の大軍が出てくることなど、ある意味、当たり前のことなのです。驚くべきことは、その神の御子が貧しい若い夫婦の家に、非衛生的な飼い葉桶の中に寝かされているということです。神の御子である方がそのように貧しい姿でこの地上に来られたことの方が天の大軍の讃美よりも驚くべきことです。同様のことがこの主イエスの死の場面でも言えます。罪なき御子が父なる神に見捨てられてみじめに息を引き取られた、それはたいへん驚くべきことです。全地が暗くなったことや、神殿の幕が裂けたり地震が起きるなどということは、神の御子が罪の裁きを受けられたことに比べれば驚くに足りないことです。

<新しい時代の始まり> 

もちろん、ひとつひとつのことには意味があるのです。昼に全地が暗くなるというのはアモス書に記されている裁きの場面の預言です。裁きの時、全地は暗くなるのです。まさに主イエスの上に神の怒りの裁きが到来したことを示します。また、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことにも意味はあるのです。長く教会に来られている方はお聞きになったことがあるかもしれません。この垂れ幕は神殿の中の至聖所と呼ばれる場所を区切っている幕です。この幕で隔てられた至聖所には年に一回、大祭司だけが入ることがゆるされています。そして大祭司は年に一回、そこで罪の贖いの儀式をするのです。動物の犠牲を用いて、動物の血を使って、人間の罪の贖いの儀式をしたのです。しかし、今、まことの神の子羊であられる主イエスの血によって、永遠の贖いの業が成就しました。ですから、もう大祭司が至聖所で贖いの業をなす必要はなくなったのです。ですから、この神殿の垂れ幕は裂けたのです。そもそもこの「裂けた」という言葉は、原語では「裂かれた」となっています。そしてまた、上から下に裂けたということからも分かるように、天におられる父なる神が裂かれたと言えます。別の言い方をしますと、人間の罪ゆえに神と人間との間を隔たらせていたものが、今、神ご自身によって上から下に裂かれたのです。まったく新しい時代が始まったということです。

 そしてまた、地震が起こり、墓が開いた、聖なる者たちの体が生き返ったとあります。墓が開くと聞くと、わたしたちはおぞましい幽霊やゾンビみたいなものが出てくるようなイメージを持ちます。しかし、ここで言われているのはまったく違います。死の力、おぞましい汚れた力ではなく、命の力が新しく起こったということです。この世界を支配していた死の力が敗北したということを示しています。

 これらの出来事を見ても、多くの人々は何が起こったのかを知ることはありませんでした。ただ、ローマの兵隊である百人隊長と見張りをしていた人たちだけが「本当に、この人は神の子だった。」と語るのです。神から特別に選ばれた民であるはずのイスラエルの人々ではなく外国人である百人隊長、ローマの人々が主イエスが神の子であると告白しているというのは皮肉なことです。

 この世界は混沌に満ちています。恐怖に満ちています。すぐる週、世界には大きな緊張が走りました。何が正義で何が事実であるかメディアからだけでは私たちには理解が及びません。正義であれ、悪であれ、弱き者、小さな者が、悲惨な状況においては、多く命を落とし、また傷つきます。そして、一方において正義であったとしても相手にとっては往々にして憎悪を深めることであります。そうして憎悪が憎悪を産みます。

<この世界の片隅で>

 いま日本で、ことにこの大阪の地にいる限りにおいては、かろうじて平和が守られているように感じるかもしれません。しかし、この大阪の地もまた、混沌とした恐怖に満ちた世界のただなかにあることには変わりはありません。昨年公開された「この世界の片隅で」という映画がありました。わたしは映画は見ていませんが原作のコミックは読みました。戦争中の一地方の人々の暮らしが味わい深く描かれた作品でした。少女だった主人公が、結婚して大人になっていく、嫁ぎ先でのいろいろなこと、人生のさまざまなことを経験しながら生きていく、当時の風習や文化がリアルに描かれていて、生き生きとしていました。小姑との確執とか、子どもができないとか、いろんなこの世のいってみれば平凡な営みが、淡々と、しかし愛を持って描かれていました。そしてその主人公の人生に戦争が影を落としていきます。最後には広島の原爆投下へと至ります。この世界の片隅のほんのささやかな、でもかけがえのない、一人一人の生活、人生が踏みにじられていく、それがある種、淡々と描かれていました。今日生きるわたしたちもまた、恐ろしい、恐怖に満ちた世界の片隅にあります。その片隅で精一杯に生きています。世界の大きな枠組は私たちの思いを越えて揺れ動き、時として罅が入って行きます。

 私たちは何に頼れば良いのか。ミサイルが飛んできたとき、祈っていれば、助かるのか?毒ガスがまかれたとき、神を信じていれば大丈夫なのか、いえ、そういうことでなくても、この日本には多くの自然災害があります。今日の聖書箇所のように地震が起こり、地が揺れ動き、岩が裂け、とんでもないことが起こるかもしれません。わたしたちはどうしたらよいのか。

 そのなかでいえるただひとつのことは、ごく当たり前のことですが、私たちの命も死もすべて神のご支配の中にあるということです。祈ればミサイルを逃れられる、地震で助かる、そういうことはわからないことです。それは神の御心のうちにあるからです。しかし、大事なことはこの地上に生きる時、なおキリストの十字架を見上げ、そこにこそ命と死のすべてがあることを確信することです。そこにこそ力があり、そこにすべてをかけるのです。

 揺れ動く世界の中にあって、たしかなものはなにひとつない、しかし、ただ一つ確かなものとして、十字架があります。そしてその十字架が復活への命へと続くものであることを、今日も明日も明後日も、繰り返し覚えます。死は既に滅びました。たしかに肉体の死は私たちに訪れます。しかし、それで終わりではない命があります。神と共に生きる命があります。

 百人隊長たちは地震が起こり、あり得ないことが起こる状況の中でなお役目として職務としてその場を離れることができなかったということもありますが、キリストのもとにとどまったのです。キリストのもとに留まったからこそ「この人は神の子だった」と告白ができたのです。わたしたちもまたキリストのもとに留まり、キリストへの信仰に生きる時、この世界の片隅にあって、世界はどのように動揺しても、なお平安を得、明るい命の中に生きることができるのです。この受難週をそのことを覚えつつ喜びのイースターを共に迎えましょう。


2017年4月2日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章32~44節

2017-04-20 17:28:52 | マタイによる福音書

説教「十字架の上のイエス」

<あなたもそこにいた>

 いよいよ主イエスは十字架におかかりになります。カトリックの教会や修道院に行くと、主イエスが「されこうべの場所」まで歩まれ十字架におかかりになる場面~十字架の道行~といいますが、その十字架の道行が描かれた絵やレリーフのようなものがあって、それに従って、主イエスの苦難を黙想することができます。だいたい全体で14枚から15枚あります。「イエスさまが十字架をかついでを歩まれる」「ここでイエスさまが倒れられる」「キレネ人のシモンが十字架を担いだ」とかイエス様が十字架を担って歩まれた道行きの場面がひとつひとつ描かれているのです。この道ゆき、この道のりをヴィアドロローサともいいます。

 この受難節、わたしたちは、普段以上に主イエスの御受難を覚えて、そのことのゆえに神との平和をわたしたちが今、得ていることを感謝したいと思います。しかし、わたしたちはたとえば、さきほど申しましたキリストの十字架の道行の絵に従って、一枚一枚をどのように詳細に主イエスの御受難を思い描いても、黙想しても、本当のところは主イエスが味あわれた御受難のほんの少ししか理解することはできません。キリストの十字架の道行きは、ヴィアドロローサは、人間の想像を、また体験をはるかに超えたもので、そのようなとてつもない苦難をイエス・キリストは受けてくださったからです。

 そのキリストの受難の場面において、おおまかにいって、三種類の人間が出てきます。

 一人は通りすがりに無理やりに主イエスの十字架をかつがされたキレネ人のシモン、そして大勢の主イエスを罵る人々、そしてまた本日お読みしました聖書箇所にはまだ直接出てきませんが、主イエスを遠巻きに見守っていたと考えられる婦人たちです。

 何回かお話ししたことがある話ですが、あえて話をさせていただきます。わたしは洗礼を受けましたとき、もちろん、理屈としては主イエスの十字架のことは、ある程度理解していたのです。イエスさまの十字架によってわたしたちの罪が赦された、わたしたちは救われた、そのことは頭では理解していました。そしてわたし自身、その救いを渇望していたのは事実です。しかし、ほんとに、「ああ本当にこのわたしが主イエスを十字架につけたんだ、私の罪によってイエス様が十字架につかれたんだ」と理解したのは受洗して、しばらくしてからでした。

 イースターの前の週に、洗足木曜日の礼拝がありまして、これは朗読礼拝でした。受難に関わる聖書箇所を次々と読んでいく礼拝でした。わたしは何人かの人たちと共に聖書朗読の奉仕をしました。そのときわたしが朗読担当をした箇所がマルコによる福音書の15章の主イエスが十字架にかかられる場面でした。今日お読みしましたマタイによる福音書と同様、十字架上のイエスが、人々からあざけられる場面でした。「おやおや、神殿を打倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」あるいは「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」マルコによる福音書ではそのような言葉が並んでいました。あんまり読みたくない場面でした。いやだなあと思いながら読みました。

 でも、礼拝の時、読んでいるうちに、その十字架の場面が異様にリアリティをもってわたしの心の中に湧き上がって来ました。人々の雰囲気とか、土の匂いとか、血なまぐさい感じとか、そういうものが突然、立ちあがって来ました。そしてその時、はっきりとわかりました。この十字架の場面で、イエス・キリストを罵っていたのはわたしだ、ということが。変な言い方ですが、わたしはあの時、2000年前のあの場所にいた、とすら思ったのです。

 わたしはキリストに唾を吐きかけ、口汚く罵ったのです。自信を持って思ったというと、とても変ですが、わたしは主イエスを遠巻きにして心配しながら嘆きながらついて行った婦人たちの中にはいなかったと思ったのです。この私は、祭司長や律法学者と一緒に罵っていたと、はっきり思ったのです。

 2000年前に十字架におかかりになったイエス・キリストと、20世紀に生まれたわたしが何の関係があるのか、そんな思いはすべてそのとき、かき消えました。キリストを十字架につけたのは、ほかならぬこの私なんだとはっきり悟りました。わたしはあの時、あの場所に、ヴィアドロローサにそしてされこうべの場所に、たしかにいたのだと感じました。

 ところで讃美歌21の306番に「あなたもそこにいたのか」という讃美歌があります。<あなたもそこにいたのか 主が十字架についたとき ああ、いま思いだすと 深い深い罪にわたしは震えてくる>という歌詞です。これはとても有名な黒人霊歌です。黒人として苦難の日々を送っていた人々がなお、自分たちの苦難を嘆くのではなく、むしろ自分自身がキリストの十字架に場面にいて、そしてその自分の深い深い罪に震えるという歌です。とても深い歌だと思います。

 わたしたちもまたこの歌の歌詞のように、震えるのです。キリストを十字架につけることをなんとも思わず罪を犯してきた自分自身に。自分の罪ゆえにキリストを十字架につけておきながら、その苦しみを、徐々に衰弱して、人々の罵りの中、残酷な形で死んでいくその有様をみて、なお罵ることのできる自分自身に震えるのです。

 キリストがメシアであると知らなければ、民衆に一時期もてはやされただけの、ただの愚かな偽預言者として、わたしたちはキリストを罵ることができるのです。「他人は救ったのに自分は救えない。」そう人々は罵りました。たしかにキリストはメシアとして他人を救ったのです。病を癒し悪霊を追い出し、目の見えない人が見えるようになり、歩けない人が歩くようになったのです。その事実を人々は確かに見たのです。しかし、その救いを見ながらキリストがメシアであることに気づけなかった。それが罪ある人間の限界です。そしてキリストをメシアだと理解できない人々は、キリストが自分は救えない、その無力なさまも見て馬鹿にしました。なぜキリストは自分を救わなかったのか、それは自分を罵る人々を救うためでした。「自分で自分を救え」とキリストに対して罵っている、まだ救われていない罪深い人々を救うためでした。

<強いられた恩寵>

 ところで今日の聖書箇所に出てくるキレネ人のシモンと言う人は、この十字架の出来事の中で、ある意味、とばっちりを受けた人です。キレネと言いますから、アフリカの北部、現在のリビアから来た人です。当時、ユダヤ人が多く住んでいたようです。きっとこのシモンは、過ぎ越し祭に合わせてエルサレムに巡礼に来ていたのでしょう。ところが、たまたま、主イエスをされこうべの場所へ引いていくローマの兵士と出会ってしまって、主イエスの十字架を無理やり担がされてしまったのです。主イエスは十字架をかつがされる前、鞭打ちを受け、またそれ以外にも、ローマの兵士から暴行を受けておられました。ですから、この時点ですでに重い十字架を担ぐだけの体力がなかったのだと思われます。映画「パッション」などで、ご存知の方もおられるかと思いますが、ローマにおける鞭打ちというのは残酷なものです。鞭には肉がえぐれるような突起がついていました。その鞭で打たれると、その鞭うちだけで死んでしまう人がいるくらいえげつないものでした。そんな鞭打ちを受けられた主イエスの十字架をシモンは無理やり担がされました。おそらく家族や親族と一緒にエルサレムに来ていたのではないでしょうか。ある意味、楽しい家族旅行的なことでもあったはずです。それが、これから死刑になる男の十字架をかつがされるというとんでもないことに巻き込まれました。

 「強いられた恩寵」という言葉があります。神の恵み、恩寵というものは、いつもいつも素直に感謝できるものではありません。むしろ、いやちょっとそれだけは勘弁してほしい、そういうことを、言ってみれば、強いられてしまう、強制されてしまう、そういうことも時にあるのです。そして私たちはたいへん迷惑で困ったことだと思うのです。いやだな逃げたいなと思いながらそのことをやっていくうちに、やらざるを得ないうちに、やがてそれがたいへんな恵みであったことに気づく、そういうことがあります。ああまさに神に「強いられた恩寵」だったなあと感じるのです。

 キレネ人のシモンの強いられた恩寵もまた、衝撃的なものだったといえます。やじうまたちの騒ぐ中を何の関係もない自分が、十字架をかつがされる、迷惑千万なことです。しかし、ローマの兵に命令された以上、逆らうわけにもいきません。

 しかし、このシモンは、やがて知るのです。主イエスの十字架を担ぐことになったのは、ローマの兵に無理強いされたのではない、まさに野次馬たちの中から、神ご自身が自分を選び、召して、その役割につけられたことを。十字架を運ばされたのは、まさに大いなる恩寵、強いられた恩寵であったことを。

 このシモンはおそらくこののち、主イエスを信じるクリスチャンになったと考えられています。マルコによる福音書は、「アレクサンドロとルフォスとの父」とこのシモンのことを記しています。このように名前が記されているということは、アレクサンドロとルフォスという人物が初代教会において良く知られていた人物だからだと考えられます。そのよく知られている人物の父がシモンなんだとマルコによる福音書に記されているわけです。実際、パウロはローマの信徒への手紙の16章13節に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」とルフォスという名を書いています。このルフォスは十字架を担いだシモンの子供だと考えられます。また、使徒言行録13章1節には「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」と記されていて、この中のニゲルと呼ばれるシメオンというのが、シモンのことだと考えられます。ニゲルというのはアフリカ系の人を指す言葉ですし、シメオンというのはシモンのラテン語的な呼び方なのです。ですからシモン自身ものちに教会の指導者となったと考えらえます。つまり、シモンとその家族は、皆、クリスチャンになって、やがて宣教の業に励むことになったのです。そして伝道者パウロを助けたのです。

 シモンの回心がどの時点でなされたのか詳細はわかりません。

 しかし、やがて主イエスを救い主と信じることになったシモンの目にも、主イエスは最初はただの無力な弱々しい囚人としか映らなかったでしょう。せっかくの巡礼を台無しにされた、いまいましい相手であったかもしれません。主イエスは、おそらく同時に十字架につけられた他の囚人たちと比べても弱々しく、また惨めな有様であったと思われます。いくたびも道で倒れるその姿を見ながら、しかしなお、シモンの心に何かが生まれていったのかもしれません。

 しかしなによりシモンは、イエスと共にヴィアドロローサ、涙の道を歩いたのです。シモン自身は望んではいなかったのですが、十字架の道行をシモンは主イエスと共にしたのです。そして、歴史上ただ一人、主イエスが担われた十字架の重さを自分自身のその腕に感じたのです。血と汗のにじんだ十字架の生々しさを感じたのです。聞くに堪えない、主イエスに投げかけられる罵詈雑言や嘲笑を聞いたのです。土埃の中を汗を流してシモンは主イエスと共に歩んでいったのです。シモンはまさに讃美歌21の306番に「あなたもそこにいたのか」と歌われた、その現場に、いたのです。そして、やがてその十字架の重さが、血と汗のにじんだその十字架の生々しさが、他ならぬ自分の罪の重さであり、生々しさであることに気づいたのです。そしてそのとき、十字架を担い主イエスと共に歩んだ道行がヴィアドロローサが恵みであったことに気づいたのです。

 なぜならヴィアドロローサは死で終わるものではないからです。無力でみじめに見えたキリストは実は勝利者だったのです。やがて復活され死に勝利をされる方でした。その方によって自分が救われたことをシモンは知りました。わたしたちも救われました。罪を贖われました。そんな私たちはまた歩み出すのです。自分自身の十字架を背負って。シモンのようにキリストと共に日々のヴィアドロローサを歩んでいくのです。

 しかしその道は、すでにキリストが歩んでくださった道です。そして勝利してくださった道です。私たちの十字架は私たちが担いきれないようなものではないのです。時には耐えられないように思われる強いられた恩寵であったとしても、なおキリストと共に歩むとき、それは喜びへと向かう道なのです。勝利へと向かう道です。その歩みをキリストと共に歩んでいくのです。


2017年3月26日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章15~31節

2017-04-20 16:57:54 | マタイによる福音書

説教「茨の冠を載せた王」

 今日の聖書箇所では主として三パターンの人間が出てきます。ポンテオ・ピラト、バラバ、群衆です。それぞれに立場が違います。もちろんこれ以外にも主イエスを十字架につけることに最も積極的に関与した祭司長たちや長老もいました。しかし、今日の聖書箇所ではこれまでいくたびか言及してきた祭司長や長老と言ったイスラエルの権力者以外の人々に目を向けて行きたいと思います。これらの人々は、もともとは祭司長たちのように明確に主イエスを十字架につけようという意思は持っていなかったように思われます。しかし、結果的に、それぞれがイエスを十字架につけることに関わっていくのです。

<権力者ピラト>

 まず、ローマから派遣された総督のピラトが出てきます。イスラエルを支配していたローマの権力を握っていた人物でした。在位期間26年から36年と言われます。今日の聖書箇所を読みますとピラトは「人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていた」とあります。ピラトはイスラエル人から見たら神から遠い存在とされる異邦人でした。しかし、分かっていたのです。主イエスには罪がないということを分かっていました。今日の聖書箇所の少し前のところにピラトが主イエスを尋問する場面がありますが、その場面で、主イエスがご自身に不利な証言をされても答えられないのでピラトは非常に不思議に思ったとあります。権力者として多くの人間を見て来たピラト、ことに反逆者と言われる罪人を多く見て来たであろうピラトからしたら、主イエスはたいへん不思議な存在だったでしょう。なんとも捉えどころのない、判断に困る人物だったでしょう。仮に訴えられている罪を実際に犯した人間であったなら、ピラトに対してさまざまに情状酌量を願ったでしょう。まして罪を犯していないとすれば、最高権力者のピラトに、ありとあらゆる訴えをしたでしょう。しかし、主イエスはお答えにならなかった。そのイエスさまの様子を見て、そしてまた主イエスを訴える人々の様子を見て、ピラトは主イエスがいってみれば冤罪、罪もないのに訴えられていることを見抜いたのです。

 権力の座にある人間としてそれは当然の判断力であったとも言えます。しかしまたピラトにとって、主イエスは見たこともない存在であったでしょう。彼の政治家としてのそしてまた実務家としての判断を越えた存在であることもおそらく彼は感じ取っていたでしょう。そしてピラト以上にそれを感じ取っていたのは彼の妻でした。妻はピラトに伝言したとあります。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」それに対してピラトがどのように思ったか、その詳細は聖書に記されていません。しかし、あえてこの妻の伝言が聖書に記されていることから考えられますのは、この妻の言葉はピラトに対して何らかの影響を与えたということです。主イエスはピラトにとってどうにもとらえどころのない不可思議な存在で、かつ、妻からも奇妙な伝言が届き、権力者とは言え、ピラトの心になんらかの不安というか、嫌な感覚が兆したであろうことは想像に難くありません。

 ピラトはどうにかして罪なき罪人であるイエスを釈放しようとしました。それは上に立つ人間としてのまっとうな判断から来るものでもあり、そしてまた、なにか捉えどころのない不安のようなものからも来るものでした。「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」そうピラトは問います。しかし、祭司長たちに扇動されていた群衆は「バラバを釈放しろ」と叫びます。この時点で、すでにピラトは弱腰なのです。自分自身の判断でどちらを釈放するということを決定できないのです。群衆に委ねているのです。そもそもピラトも総督と言っても、最高権力者ではありません。ローマに仕える役人に過ぎません。騒動が起これば責任をとらされる立場でした。ですから、結局、暴動が起こりそうだと恐れたピラトはバラバを釈放します。

 24節でピラトは群衆の前で手を洗って「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」と言います。ここでは完全にピラトは自分の責任を群衆に転嫁しています。本来、死刑を決定する立場にありながらその立場を放棄したのです。

 これはピラトがローマ皇帝ではなく、一官吏であったからということだけのせいではありません。ここに権力者の限界があるのです。この世の最高の権力を持っていても、悲惨な最期を遂げる権力者は古今東西、歴史上いくらでもいました。権力が人間の世界によって立つ以上、それは普遍なものでも、永劫続くものでもなく、容易に崩れ去るものだからです。

と ころで、私たちが毎週告白します使徒信条においてはピラトは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と信条中、出てくる名前です。この使徒信条を読みますと、ピラトはなんて悪い奴だろうと感じます。しかし、実際には彼は積極的には主イエスを十字架へつけようとはしていないのです。しかし人間の世界の権力の限界としての象徴であるともいえます。また権力者がその権力を放棄した、権力を正しく用いることのなかった権力者の罪そのものも問われているといえます

<群衆は赤面しない>

 そしてまたそのピラトを追いつめたのは祭司長やユダヤ人の権力者たちともいえますが、群衆たちでもありました。主イエスがエルサレムに入ってこられた時、「ホサナ、ホサナ」と熱狂して迎えた群衆がそのわずか数日後に主イエスを十字架につけろと叫んでいます。もちろんそこには祭司長たちの誘導があったわけです。そしてまた独特の群集心理というものもあったのです。バラバと呼ばれる囚人はおそらく政治犯ではなかったかと言われています。反ローマ活動をして、おそらくそこで暴動なり殺人なりを犯したのでしょう、それで捕えられた人物であったと推測されます。16節にバラバ・イエスという評判の囚人がいた、とあります。人々にとってローマへ抵抗する人物というのは一定の人気があったと思われます。そうであったとしても、バラバではなく、主イエスを十字架につけろと叫ぶ群衆は残酷であると思います。長時間にわたってじわりじわりと殺されていく十字架に一人の生身の人間をつけることを熱狂して叫ぶ群衆の姿は醜悪です。

 教会学校の教案誌もこの箇所を扱っているのですが、この箇所の群衆についてこう記されていました。「群衆は赤面をしない」と。個人の人間、たとえばピラトであれば、ピラトという個人の名前が使徒信条に残る、そういう形である意味、その罪の責任が問われます。しかし、「バラバではなく、主イエスを十字架につけろ」と叫び、ピラトを恐れさせた群衆はその自らの行いについて、後に赤面することも恥じることもありません。責任を問われることもありません。それこそが群衆が群衆であるゆえんと言えます。なにかそのときの特別な状況で、熱狂してしまう、そういう恐ろしいことが起こったのです。群衆の中の一人一人にしてみたら、のちに主イエスが十字架の上でおっしゃる言葉である「自分で自分が何をしているのかわからないのです」という状況なのでしょう。その自分で自分が何をしているか分からないままに、救い主を、神の御子を、十字架につけろと叫ぶ、それが赤面しない群衆であるといえます。しかし赤面しない群衆が熱狂して異常なことをしているとき、一人一人が別人に変化しているわけではありません。もともとあった一人一人の罪が浮き上がってきているのだと考えられます。

 バラバという、政治的な目的であれ本当に罪をおかした罪人ではなく罪なき救い主を十字架につけろと叫ぶ、2000年後の私たちから見たら狂気とも言える出来事です。しかし、それは当時の愚かな群衆が引き起こしたことではなく、人間の心の底にある罪があぶりだされ姿を現した出来事であるといえます。

 私たちもまた罪にある時、「バラバではなく、主イエスを十字架につけろ」と叫ぶ者であるのです。ローマに抵抗してくれる、つまり自分たちの現実を良くしてくれるヒーローを求め、真の救い主、神からは目をそらします。そのとき人間は救い主を十字架につけるのです。教会もまたそうです。この世的なことにおもねっていくとき、教会自身が主イエスを十字架につける過ちをすることもあるのです。教会が世俗化するとき、教会自体が主イエスではなく、バラバを選ぶ、そういうことは歴史的にいくらもあったのです。

<バラバという男>

 それにしてもこのバラバという男もイエスという名であったことは皮肉です。イエスのいう名自体がよくある名前であったということもありますが、この世の人気者と、神の子が同じイエスという名であり、人々がこの世の人気者を選んだというのは実に象徴的な出来事です。

 ところで、「バラバ」という小説がありました。ペール・ラーゲルクヴィストと言う人が1950年に発表したものです。本日の聖書箇所で出てきます死刑囚バラバを主人公にした物語です。もちろん、聖書にはバラバのその後については記されていません。そもそもバラバの氏素性の詳細もわかりません。ですから、この小説は全くのフィクションと言っていいのだと思います。

 その小説では死刑囚の身分を解かれ自由になったのち、最初、キリスト教のことを胡散臭く思っていたバラバが、少しずつ変わって行くという内容になっていました。自分の代わりに死刑になったイエスという男について、また、その後出会ったキリスト者について、最初は怪訝な思いを持ちながら、馬鹿らしい思いを持ちながらも、しかし何か不可思議なことも感じていたバラバの姿が描かれます。そしてまた後半では、キリスト教をしっかりと理解していないゆえに、キリスト教に心ひかれながら、とんちんかんなことをしてかえってキリスト教の迫害に手を貸してしまうようなことも描かれながら、バラバが変わっていくという物語でした。

 現実のバラバのその後がどうであったか、もちろんわかりません。しかし、ラーゲルヴィストの小説を思い起こすとき、私たち一人一人もバラバなのだと改めて思います。

 バラバ自身がピラトに交渉して死刑を免れたわけではありません。バラバが群衆に働きかけたのでもありません。バラバにしてみたら、<棚から牡丹餅>のように死刑を免れ、命を得ることができたのです。いま、<棚から牡丹餅>と言いましたが、こういうことを申し上げると不遜なことの出ようですけれど、わたしがまだ洗礼を受ける前、牧師から聖書の学びを受けておりました時、イエス様の十字架の話を聞いて、それってまさに<棚から牡丹餅>だと思ったのです。イエス様の十字架が私たちの罪の身代わりであり、そのことを信じさえすれば救われるなって、そんな虫の善いことがあるのかと思いました。まさに<棚から牡丹餅>みたいなことがあるのかなと感じました。そんなお気軽な馬鹿げた話があるのかと。

 しかし、現実にそうなのです。主イエスは私たちの代わりに死んでくださった。そして私たちはバラバのように、代わりに生かされたのです。それも死刑を免れただけではなく、永遠の命をいただいたのです。

 ですから私たちは小説のバラバのように変わっていくのです。少しずつ。キリストの方を向きながら変わっていきます。バラバではなく主イエスを十字架につけろと叫ぶ罪人であった私たちが、新しい命の光の中を歩んでいくのです。

 ある方は、この裁判の場面を神が働かれた裁判だとおっしゃっています。祭司長たちがいてピラトがいて群衆がいる、彼らが動かしているように思われるこの裁判の場面が、なお、神の裁判の場面なのだというのです。人間の愚かさ醜さがあふれているこの場面になお神の愛が注がれているというのです。このときイスラエルにおいてピラトに権限を与えらえたのも、イエスと言う名をもつバラバをこの時この場に置かれたのも、つきつめればすべて神の業です。人間の力ではありません。神ご自身がその御子を罪人として裁かれたということです。そしてそこにこそ、限りない神の愛が注がれているのです。<神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された>、神はその独り子を「十字架につけろ」と叫ぶ群衆へ、罪深い世へと与えれました。十字架へと与えられました。父なる神ご自身が御子へ死刑判決を下されたのです。そこに、限りない深い愛がありました。人間を罪から救う愛がありました。

 


2017年3月12日主日礼拝説教 マタイによる福音書27章1~15節

2017-04-20 16:44:08 | マタイによる福音書

説教 「後悔をしない」

<後悔のゆえに死んだユダ>

 人間は罪を犯します。そして自分自身が犯した罪ゆえの苦しみがあります。そんな罪を犯したゆえの苦しみの一つに<後悔の念に囚われる>ということがあるかと思います。なぜあんなことをしてしまったのだろう。なぜあんなことを言ってしまったのだろう。どうしてあのとき、あのことをしなかったのか。悔やんでも悔やみきれない後悔の念に苦しめられるということがあるかと思います。何年たっても悔やみ続けるそんな苦しみがあります。

 受洗して間もないころ、ふと疑問に思ったことがあります。神の御子であるイエス様は私たち人間の苦しみを何でもご存じの方だと言われます。病いも疲れも喉の渇きも裏切られる苦しみも、人間の味わう苦しみのすべてをご存じだと言われます。しかし主イエスは、その地上での生涯において、罪を犯しにはなりませんでした。ですから罪を犯したゆえに後悔をするという苦しみを味わわれたことはないのではないか?そう疑問に思いました。イエス様は人間の苦しみをすべてご存知だというけれど、後悔の念に囚われる苦しみはご存じないのではないか?

 当時、牧師にその点を聞いたことがあります。それに対する答えは、「罪の苦しみの本質は神から離れていることにあります、後悔の念というのは罪から派生してくる<影>のようなものです。後悔の念そのものと言う点ではたしかにイエス様は感じられたことはないかもしれません。しかし、罪人として十字架の上で、父なる神と切り離され、罪の裁きを受けられた主イエスは、罪そのものの苦しみは味あわれたのです」でした。

 今日の聖書箇所には、自分の犯した罪ゆえに後悔をしている人物、12弟子の一人であったイスカリオテのユダが出てきます。ユダは後悔のあまり、結局、首をつって自殺したと記述されています。なんとも暗澹とする救いのない最期です。逆に言うと後悔の念は、人を死にすら追いやるものだということが言えます。そこには希望がないということです。 しかし、このユダの悲惨な最期から、なお聖書は私たちへ希望の物語を語ります。共にそれに聞いていきたいと思います。

<お前の問題だ>

 26章に最高法院での主イエスの裁判の様子が描かれていました。その裁判において主イエスの死刑は確定していたのでした。しかし、本来は夜の内に正式には死刑判決の手続きを行えないことから、夜があけてから、改めて正式に主イエスを死刑にするということを決めたのが、27章の冒頭の記事です。これは実際には正式な手続きをとらずに最初から主イエスを殺すということありきで行われた裁判を後付けで正当化しようとしたことだと考えられます。一方、当時、ローマに支配されていたイスラエルでは、独自に死刑は執行できず、ローマの許可が必要でした。ですから、祭司長たちは、ローマから派遣されてきていた総督のピラトへ主イエスを引き渡しました。今日お読みした聖書箇所では、ピラトへの引き渡しと、実際にピラトから主イエスが尋問されることの間に、ユダの自殺の記事が挟まっています。

 今日の聖書箇所の少し前で、大祭司のところで主イエスの裁判が行われ、その外の中庭でペトロの裏切りがあったことを共にお読みしました。ここでは、旧約聖書の預言の成就としての主イエスの死刑判決とメシア宣言があり、その傍らでペトロという一人の男の裏切りが記されていました。壮大な神の救いの歴史と人間の物語が並行して、また交わりながら進んでいるのだとお話しました。

 本日の聖書箇所でもユダの裏切りもまた旧約聖書の預言の成就として描かれています。その神の壮大なご計画の歴史と、ユダ、そしてまたピラトという人間の物語が交錯して進んでいきます。

 ユダに着目しますと、ユダは「イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとした」とあります。ユダはまさか主イエスが死刑になるとまでは思っていなかったのでしょう。後悔したユダは「わたしは罪のない人の血を売渡し、罪を犯しました」とはっきりと祭司長たちに語っているのです。しかし、もともと何とか理由をつけて主イエスを殺してしまおうと考えていた人々にとって、いまさらユダがみずからの罪を告白しても何の意味もありませんでした。

 しかし、本来なら、祭司長たちは宗教家であるのですから、罪の告白をしている者に対しての誠実な対応ということが求められるはずです。しかし、彼らの答えは「我々の知ったことではない。お前の問題だ。」と恐るべき冷酷なものでした。主イエスが繰り返し批判されていた祭司長たちの問題はまさにここにあったのです。聖書は罪からの救いについて記されていると言って良いものです。その聖書の専門家である祭司長たち、長老たちが、罪を告白する者に対して「知ったことではない」と答えているのです。祭司長たちは人の罪の赦し、そして救いを語ることはありませんでした。「それはお前の問題だ」。この言葉は「お前が自分で処理しろ」という意味です。それが祭司長たちの愛のないそのままの姿でした。マタイによる福音書二十三章にイエス様ご自身が律法学者やファリサイ人を非難された言葉が記されていました。「律法学者やファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。」あるいは「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。」これはユダに対する祭司長たちの態度でもありました。

 ユダの苦しみを知りながら、その苦しみの重荷を「我々の知ったことではない。お前の問題だ。」自分で処理しろと彼らは今日の場面でも言っているのです。

 しかし、人間には自分の犯した罪であっても、それを担いつづけることはできないのです。自分で処理することはできないのです。しかしなおユダは自分で担おうとしたのです。まさに祭司長たちがいうように自分の問題として自分で解決しようとしたのです。自分で本来担いきれない罪を自分で処理しよう、解決しようとしたとき、結局、人間は自分で自分を殺すしかないのです。ユダは後悔した。取り返しのつかないことをしてしまったと後悔して、死にました。罪を自分の問題として自分でどうにかしようとしたら、後悔して死ぬしかないのです。

<ユダは何を後悔したのだろうか>

 前にもお話ししましたが、おなじく裏切ったという点ではペトロも同様でした。しかし、ペトロは「あなたは鶏が鳴く前に三回わたしを知らないという」とおっしゃった主イエスの言葉を思い出し、涙を流し、とどまりました。主イエスの言葉にとどまったのです。それゆえ、ペトロは救われたのです。

 ペトロとユダはどちらが人間的に見て責任感が強かったのか、誠実だったのか、難しいところです。しかし、ユダはどうにか自分で責任を取ろうと思った、自分で自分を裁いたとも言えます。そしてそこには救いはなかったのです。一方、ペトロは言ってみれば、ただ泣いていただけでした。何もできない、罪深い、どうしようもない自分を知らされ泣いているだけでした。自分で自分をどうにかできるとはペトロには思えなかった。だからとどまったのです。人間的な目からみたらユダの方がむしろ自分で責任を取ったのであり、ペトロは情けなく泣いていただけの人でした。

 さて、ユダは祭司長たちからもらった銀貨を彼らに返すことができず、神殿に投げ入れて自殺しました。その額は銀貨三十枚でした。銀貨三十枚は前に申し上げましたように、当時では、奴隷一人も買えないような安い値段でした。ユダにとって、そしてまた祭司長たちにとって、主イエスはそのくらいの値踏みをされる存在でした。

 ペトロは主イエスの言葉にとどまりました。ペトロは主イエスの言葉を思い出すことができたのです。しかし、ユダは主イエスの言葉を思い出すことはなかったのでしょう。なぜ思い出すことができなかったのでしょう。おそらく彼にとって、銀貨三十枚で値踏みした程度の主イエスの言葉は彼の心に届いていなかったのでしょう。

 ユダの罪は、罪のないキリストを銀貨三十枚で売ったことそれ自体だけでははなく、神であるキリスト、主イエスから離れていたということです。神から離れていた、主イエスの言葉から離れていた、むしろそちらのうが本質的な罪です。その罪の表れとして銀貨三十枚で売るという裏切りはなされたのです。

 ユダは自分の行為の悪はわかっていたのです。だから後悔をしました。ユダとて、悪ではなく善を生きたかったでしょう。でも、罪がある以上、ユダでなくても、人間は善く生きることはできません。本章としての罪がある以上、人間は悪を犯すのです。ユダは自分の罪は分ってはいなかったのです。だから良く生きることのできない自分を自分でさばいて死ぬしかなかったのです。

<取り返しのつかないことなどない>

 ユダが神殿に投げ入れた銀貨で陶器職人の畑を買ったとあります。これはゼカリヤ書十一章十三節の言葉がもとになっています。<主はわたしに言われた。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を。」わたしはその銀30シュケルを取って、主の神殿で鋳物師に投げ与えた>という言葉です。またエレミヤ書18章2節には陶器師のたとえ話があります。つまり、この出来事は神の大きな計画の中にあったということです。

 その大きな計画の中に、今読み進んでいます主イエスのご受難もありました。すべてが神の歴史の中で、一歩一歩確実に救いの成就に向かって物語は進んでいるのです。その物語の中にユダというひとりの人間の物語もありました。本来は、救いのなかに入れられるべきユダが、主イエスに留まることなく、後悔の果てに死んでしまった。罪を知り、悔い改めるのではなく、その罪の影である後悔のなかで死んでしまいました。罪の本体を、罪の本質を知ることなく後悔したのです。しかし、ペトロは罪そのものを知ったのです。キリストの言葉のゆえに。キリストにとどまったがゆえに。

 復活のイエスと出会い、罪の赦しにあずかり、後悔ではなく、悔い改めて、主イエスと共に歩むことのできなかったユダの物語を読むとき、あらためて思います。私たちは自分たちの罪を後悔をするのではないということを。

 私たちはすでに復活のイエスと出会ったのです。公に信仰告白したとき罪は赦され救われました。ですから、私たちはもう後悔をしないのです。すべてを赦されているからです。現実には後悔という名の過去の罪の影によって苦しむこともあるかもしれません。しかし、復活のキリストの光の中でみるとき、後悔は影にすぎません。キリストの光の中で、かききえてしまうものです。後悔をするとき、それは赦されたはずの罪の影ををまだ自分で握りしめているということです。そもそも罪の影を自分で握りしめても、後悔してもどうしようもないのです。繰り返しになりますが、後悔は突き詰めると自分を殺してしまうものなのです。

 主イエスは、私たちが後悔して自分を殺してしまうことがないように、命の中でいきていくことができるように、十字架にかかってくださいました。罪も、その罪の影ももうありません。

 ユダは取り返しのつかないことをしてしまったと後悔して死にました。しかし、主イエスの十字架のゆえにこの地上から取り返しのつかないことはなくなりました。

 ただひとつ取り返しのつかないことは、神に立ち帰らないことです。

 主イエスの言葉に留まらないことです。

 赦されない罪はありません。罪を後悔する人生ではなく、罪赦されて、光の中に生きる人生を主イエスは与えてくださいました。

 長い長い神の救いの歴史によって、私たちにそれは与えられました。

 罪の影である後悔ではなく、春の光のような赦しと救いの中を私たちは明るく歩みます。