笑顔に逢いたい

笑顔の人は美しい

西安を訪ねて ③

2009年08月08日 | 日記
 西安を見ずして中国を語るなかれ」と耳にしていました。昔は万里の長城だったと思います。西安だけに完全に残っている城壁は約12km、高さは12m。ホテルから、車窓からも目に入り落ち着いた古都となっていました。

 
兵馬俑は1974年に果樹園の農民が井戸を掘っていた時に偶然発見してから3000年の歴史が西安で甦ったのですね。20世紀最大の発見といわれながら、ボーナスはたったの5元だったそうです。村の人達はその紙幣を始めて見て驚いたらしいですが、手柄をお金に換算しないで国の宝物と出来たその人の誇りは末代まで続きますね。30年前ですからその方は現在80歳になられていて、お元気に其処の名誉館長としておられ、お目にかかる事ができ感激しました。浦島太郎を見た感じです。兵馬俑坑博物館は1号抗から3号抗まで案内してもらいました。見つかった約6000体の実物大の兵馬俑は一体一体の顔、髪型、服装が違います。地下に在ったという意味、青銅の精巧な馬車を目の辺りにしながらの説明は真に迫っていてタイムスリップして体験でき感動しました。今も発掘中で修復作業は続いています。




 大雁塔・・・西安大慈恩寺のシンボルとなっている。玄奘(三蔵法師)が難行苦行しながら悟りを開いて行き、まとめた経典が収めてある所です。塔と寺の名前を見てビックリしました。さいたま市岩槻区の町外れに立派な慈恩寺があり、少し離れたところに似た小さな塔もあります。10歳の頃に父に連れて行ってもらって三蔵法師の分骨が入っている処と聞いていました。今年の3月父がまだ存命の時に再訪してハッキリと見ています。西安との繋がりに感無量となってしいました。大雁塔の話を墓前に報告したいと思います。



遣唐使・・・鑑真の居た時代です。宗教、学問の交流のためでしょうね。教科書の事はうろ覚えになってしまいましたが。学問が優秀な安倍仲麻呂という人が居て帰国途中に船が難破し長安に逆戻りし高級官僚として皇帝に使え活躍して、西安では知らない人は居ないほど有名だそうです。記念碑があると聞きました。
 四国香川県出身の空海が真言宗を開祖した青龍寺が第0番札所としてあり庭は日本庭園になっていて記念碑を見てきました。

日中友好関係は古くからあったのですね。身近に感じられ嬉しいことが多くありました。

 唐代歌舞ショー・・・玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスなど唐時代の歴史を華やかな民族衣装で再現した一流の舞台の踊りや楽器、口笛は大きくて楽しめました。


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 今回の旅行パンフレット案内にビックリとあり、その通りになり中身の濃いものでした。何処に行っても意味がありそれを理解しながら見るのが良くて勉強になりました。観光目的だけだと直ぐに忘れてしまうと思います。ガイドさんは西安出身でとても詳しく、日本語が上手い。今まで旅行の楽しみ方は、元気、天気、現金次第と思っていたが、ガイドさんの力によることが一番大きいとハッキリと実感しました。日本に来たことがなくテレビドラマから興味を持ったと言うことです。
ネットをやらなくても日本通なのです。せめて日本の絵葉書でも遅れないものでしょうか。考えてしまいました。
コメント
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