ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

しおがま/shiogama

2018年11月07日 16時15分30秒 | 塩竈の散歩道
しおがま/shiogama


過去の動画と新しい動画を組み合わせました。 休みの日に天気が悪く、もう少し入れたかったのですが、とりあえずUPしました。

下の右側にある倉庫をご覧ください。

昭和初期
    

2007年時
    

震災後(現在)
    

以前に上記二枚はUPしていましたが、震災後取り壊されてしまい、いつかもう一度写真を撮らなければと考えていました。
こうして塩竈は少しづつ、姿を変えて未来へと変化を遂げています。


コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 志波城跡 | トップ | 真極流柔術 »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい (車 寅次郎)
2018-11-08 15:12:38
懐かしい。仙台まで50円の時代駅を降りて左手に靴屋さん右側の商店でラムネを飲みました。踏切横に松島行きってまだ遊覧船乗り場今の○ょうた○付近の時代ですね。
返信する
昔の駅の夢を時々みてしまいます (クロンシュタット)
2018-11-09 04:49:28
ひーさん!
泣かせてくれるねえ..........

火野正平さんの「とーちゃこ」で塩釜神社の回があって、彼は「今まで訪れた中で一番立派な神社だ」て言ってました。
「下馬」なんて地名が残っているだけでも大したもんですよね。

車さんがコメントしている靴屋さんは、たぶん三中の同級生の家です。
踏切前の倉庫の反対側の薬局に母親の薬をしょっちゅう買いに行かされました。
倉庫の奥の眼鏡屋さんは中学で初めてお世話になったお店です。

帰省するたびに更地の前にじっと佇んでしまいます。
「姿を変えて未来へと変化を遂げています」の言葉が救いです。


返信する
車 寅次郎さんへ (ひー)
2018-11-13 19:48:31
自分の想いでは、壷焼き芋があってよく買ってもらったことですね~
鹽竈神社のお祭りには、女坂に傷痍軍人がアコーディオンを弾いてカンパをしてもらっていた。のが目に焼き付いていますね。
この駅も私が高校の辺りまであったと思います。
友人の親父さんが国鉄のこの駅にいました。
懐かしいです。
返信する
クロンシュタットさんへ (ひー)
2018-11-13 19:54:54
どんな番組だっけって調べてみたら思い出しました。
自転車で回ってましたね。 たまにしか見ていなかったので、そのシーンは見逃しました。
あの薬局の並びにおもちゃ屋さんがあって、私はあそこの前で寝転んで駄々をこねていたようです。
返信する
懐かしい (車 寅次郎)
2018-11-14 11:05:00
まき玩具店ですね。同級生です。
商店街塩釜のアーケード?懐かしいです。
返信する
車 寅次郎さんへ (ひー)
2018-11-14 12:48:50
そうそう、闇市もよく行きましたよ。
同級生でしたか・・・
撮影しておきたい建造物はできるだけ撮っておきたいのですが、震災の後にかなり消滅したような。
まぁ、モノクロの思い出として記憶していきたいですね。
返信する
闇市 (車 寅次郎)
2018-11-15 10:56:26
闇市今はばらばらですが2件の魚屋も同級です。
以前ジャスコの屋上から撮影したり尾島町などもモノクロで(笑)実家にてさがしてみます。みつかりましたら連絡します。私の能力ではアップできませんので・・・・
返信する
車 寅次郎さんへ (ひー)
2018-11-15 19:44:25
ありがとうございます。
ブログの左サイドバーに「メッセージ」があります。
そこは私のところにメールが来るようになっています。
その時、メルアド送ります。
メッセージはブログで公開されませんので大丈夫です。
返信する
千賀の浦は思い出たっぷり (クロンシュタット)
2018-11-16 04:59:36
「東洋一」の魚市場が出来て、闇市ていうか昔の魚市場が移転した頃の記憶がかすかにあります。
毎週港駅周辺の操車場に蒸気機関車やトラ・ワム(貨車の種類です)の入れ替えを見に行ってましたから。

闇市の魚屋さんではホヤとか殻付きの牡蠣とかがバケツ単位で売ってましたよね。
学生時代の帰省の際は生ものは買えないので、指くわえて通り過ぎていました。
吉祥寺のハモニカ横丁がかすかに闇市時代の雰囲気を残していて、そこの魚屋さんが行きつけのお店です。

塩釜は雨模様になると魚の匂いが街中に漂ってきましたよね。三小あたりでも授業中は窓閉めてました。
未舗装の道路が残っていて揺れるトラックから魚がよく落っこちていたものです。
猫は落ちてる魚は見向きもせずに「またいで通る」って言われてました。

あと近所の友人が巡視船(みやけ?)の船長でして、一緒に船内めぐりをした記憶があります。
操舵室とか機関室とか割と勝手にもぐりこめた時代でした。
返信する
クロンシュタットさんへ (ひー)
2018-11-17 10:36:36
落ちてましたね~  魚・・・昔親父がタクシー回してまして魚拾ってきたことあったような。
猫も見向きしないのにwww

匂いと言えば大代の加工場の匂いが多賀城を覆っていました。
返信する

コメントを投稿

塩竈の散歩道」カテゴリの最新記事