諏訪神社
残念ながら由緒が見当たりません(しばらくお待ち下さい!きっと「ぐずらさん」が「七ヶ浜町史」から写真を撮って私のところに送ってくれるでしょう)
一の鳥居
実は、この神社は菖蒲田にありメインストリート沿いにあるわけですが、小さい頃から、親戚の家に行くのにこの前を通りながら気づいて居なかったのです。
今年、正月を迎える為の注連縄等の飾りで気づきました。
二の鳥居
お手水
何やら沢山ぶら下がってますね。
やっと狛さまが見えてきました。
苔むしてますね~ 年齢不詳
鐘楼 釣鐘がありましたね。
暗いのでストロボ
三の鳥居
この拝殿・本殿・・・造りが、先日の鼻節神社とそっくりですね。
大正15年の文字が・・・
合縁奇縁
縁とは不思議なものです。
この諏訪神社の写真を撮り終え、最初の一の鳥居に戻った時、一人の青年が鳥居のあたりで写真を撮っていました。
おっ! 同士発見か? きっとブログでも書いているのかも知れない?と思いながら、彼とすれ違いました。
声を掛けようと、道路を渡らずチョット待っていたのですが、写真に夢中だったようで私も道路を横断し車に戻りました。
この日は、鼻節神社とこの諏訪神社を参拝しましたが、彼も同じく二つの神社を参拝したようです。
何故わかったのか・・・・
鼻節神社の記事をアップしたとき、林さんからのコメントに「同じ神社の記事をアップしている人が居ましたよ。」とあったのです。
最初見逃していたのですが、家内が見つけ、そのアドレスにアクセス・・・・
家内は「あの時の人だよ!」・・・・すぐにわかりました。
青いバイクを鳥居の背景に入れ写真を撮っていたからです。
あの時の彼のブログがこんなに早く見つかるとは、あまりの偶然に私は驚きました。
そのブログがこれです。 「東海林順の一人旅」です。その時の記事を貼り付けました。
彼も私のことは覚えていてくれたようです。
残念ながら由緒が見当たりません(しばらくお待ち下さい!きっと「ぐずらさん」が「七ヶ浜町史」から写真を撮って私のところに送ってくれるでしょう)
一の鳥居
実は、この神社は菖蒲田にありメインストリート沿いにあるわけですが、小さい頃から、親戚の家に行くのにこの前を通りながら気づいて居なかったのです。
今年、正月を迎える為の注連縄等の飾りで気づきました。
二の鳥居
お手水
何やら沢山ぶら下がってますね。
やっと狛さまが見えてきました。
苔むしてますね~ 年齢不詳
鐘楼 釣鐘がありましたね。
暗いのでストロボ
三の鳥居
この拝殿・本殿・・・造りが、先日の鼻節神社とそっくりですね。
大正15年の文字が・・・
合縁奇縁
縁とは不思議なものです。
この諏訪神社の写真を撮り終え、最初の一の鳥居に戻った時、一人の青年が鳥居のあたりで写真を撮っていました。
おっ! 同士発見か? きっとブログでも書いているのかも知れない?と思いながら、彼とすれ違いました。
声を掛けようと、道路を渡らずチョット待っていたのですが、写真に夢中だったようで私も道路を横断し車に戻りました。
この日は、鼻節神社とこの諏訪神社を参拝しましたが、彼も同じく二つの神社を参拝したようです。
何故わかったのか・・・・
鼻節神社の記事をアップしたとき、林さんからのコメントに「同じ神社の記事をアップしている人が居ましたよ。」とあったのです。
最初見逃していたのですが、家内が見つけ、そのアドレスにアクセス・・・・
家内は「あの時の人だよ!」・・・・すぐにわかりました。
青いバイクを鳥居の背景に入れ写真を撮っていたからです。
あの時の彼のブログがこんなに早く見つかるとは、あまりの偶然に私は驚きました。
そのブログがこれです。 「東海林順の一人旅」です。その時の記事を貼り付けました。
彼も私のことは覚えていてくれたようです。
手前にあるセブンと農協が目立ちますからね
町誌の件、了解です!
ぐずらは只今ウォーキング中。戻ってきたら伝えておきますね
まさか、煙草銜えながらじゃないだろな?
煙草をやめるように言って下さい。
「お父さんにはまだまだ働いてもらわないといけないだから!」と・・・
んでもストレス溜まっかな~。
久しぶりにひーさんの記事見て
ホッとしましたっ!!
二の鳥居への階段は何段くらいあるんだろ?
ここを駆け上がったら息切れそう・・・。
疲れました~
ウソデス
しかし、残念
創建は古いというだけで年代がわかりません…
でも一応気を取り直して由緒を、
ここは菖蒲田浜の鎮守として里人の尊崇を集めており、古くは狩猟神として
藩政時代には武神として信仰されたようです。
また、昔は祭礼に神輿渡御の他に相撲の奉納があり近在から力自慢が集まって賑わったそうです。
祭神は当然のことながら武御名方富命(タケミナカタトミノミコト)で諏訪大社の末社に当たりますね。
社殿の造りは神明造と書いてありましたが、神明造りなら切妻の平入りで
高い千木と太い鰹木が目立つはずなので、これは間違いでしょう。
いずれにしても、本来なら出雲系の神社なので大社造りでないとね…
おそらく、昔からこの辺りでは神社といえば塩竈神社なので
鼻節神社も諏訪神社も塩竈さんの社殿のまねしてんだろうねぇ~
ところで、町誌の書かれた昭和42年頃にはお諏訪さんの社林が一度皆伐されたらしく、
本には裸の社殿の写真が載ってたので、今の杉林は後から植えられたもののようです。
歴史を感じさせる狛様です。
思わぬ同好の士との出会い、ちょっと嬉しいですね。
歴史が刻まれていますね
戦争の中生き抜いてきたんだね
でも~
鳥居の門が木では無いみたいだねぇ~
ご足労掛けました。
まぁ、諏訪大社の末社という形でしょうね。
相撲の奉納もありましたか~
いずれ時代時代で人々の信仰は、内容が変わって来るのは当然でしょうね。
サンキューでした。
すれ違った人の名前もブログをしてることも知らないのに、その数日後、ブログを通じて挨拶をしているなんて・・・
不思議な感じです。
石のようですね。
この神社に比べれば
、モコさんは、ピチピチ・・・・
赤ちゃんだね。wwwww