霊峰とされる石鎚山とはそもそもどんな山なのか。そんな疑問に由緒正しく丁寧に答えてくれているのが、石鎚神社のホームページである。登る前に読んでおくべき事柄でもある。少しばかり、文章を引用してみよう。
石鎚山は、四国山地西部に位置する西日本最高峰(1,982m)で、山頂まで豊かな植生を育むパワースポットです。
読後感:高いだけじゃない。パワースポットという言葉が登山者を惹き付けるねえ。
愛媛県の西条市と久万高原町の境界にあり、古くから山岳信仰(修験道)の山として多くの人々から、篤い崇敬を受けています。
読後感:修験道の山。これもまたパワースポットという言葉と同じく登攀意欲をかき立ててくれる。
日本百名山、日本百景、日本七霊山のひとつとされ、石鎚山脈の中心的な山であり、国定公園にも指定されています。
読後感:絶賛、高評価といった勲章に彩られた山であることが分かる。
正確には、最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ・標高1,982メートル)、石鎚神社頂上社のある弥山(みせん・標高1,974メートル)、南尖峰(なんせんぽう・標高1,982メートル)の一連の総体山を石鎚山と呼びます。
読後感:なるほど、石鎚山とはトリオの名称だということが改めて理解できた。
古来より山岳信仰の山として、奈良時代には修行道場として知れ渡りました。
かつては弘法大師空海も修行したと伝えられており、山岳仏教や修験道が発達しました。
読後感:弘法大師空海は各地に足跡を残している人物だ。もしかしたら5人ぐらいで手分けして各地を回って修行をし空海の名を広めたのでは。そんな空想をしたくなるほどに行動的である。
パワースポット、修験道の山、日本百名山、日本七霊山、空海も修行した山。そして西日本最高峰。極めつけは諸願成就を叶えてくれる山という触れ込みである。家内安全や交通安全、商売繁盛などと個別なことではなく、全ての願い事をめいっぱい受けて応じますよ、という訳である。こんな山の履歴と効力を知れば、その頂上を極めてみたいと想うのは自然なことである。そして、わたしは相棒とともに登攀に挑んだ。
途中リタイアした相棒は麓を目指して下山し、凍結路を見上げるわたしは山頂を目指して登山を続行した。悪戦苦闘の35分を経て、弥山の頂きにある広場に到着した。風はなく好天で360度の風景を遠望できた。想いを達成した登山者たち約30人ほどが腰を下ろして安堵の表情を見せている。ちょうどお昼どきだったので、お弁当を食べたり、珈琲を沸かしてくつろいでいた。そんな登頂者風景の中にジャージにスニーカーという服装で弁当を食べることもしない男たちの集団がいた。年のころ20代で10人ほど。集合写真を撮ったり、山頂の広場をあちこち見歩いたりしている。弁当を愉しげに食べている登山者をうらやまし気に眺めたりもしている。
大きな声で話している言葉から中国人の青年たちと分かった。あんな軽装で、どうやって凍結路を登ってきたのだろうか。やたら元気な面々である。そのうちドローンを飛ばし始めた。ヴオーンという音が昼食を愉しむ登山客の上空でこだましている。そのうちドローンと青年たちは、弥山から尾根伝いに200m先にある最高峰天狗岳へ向かっていく。怖いもの知らずで岩場を軽々と歩いていく。どんな集団なのかは知らないが、溢れるばかりのバイタリティーは学ぶべきものがある。
弥山の山頂にある石鎚神社の鳥居と祠。青空に映え、登山者たちがこの前で記念写真を撮り合っていた。
最高峰の天狗岳を遠望しながらお弁当だ。海苔を巻いたおにぎりと麦茶が登攀の疲れを回復してくれる。それにしても、このナイフリッジの姿、忘れがたい強烈な印象を与えるねえ。腹ごしらえも済んだし、にぎやかな中国人の青年らも去って静けさが広がった。登攀の仕上げに入ろうか。わたしは立ち上がり、天狗岳を目指すことにした。ナイフの刃を歩んで、切っ先に触れるのだ。