おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

赤坂から下北沢へ

2009年12月06日 20時11分57秒 | Weblog
●11月17日の行動その2

永田町から赤坂を車でグルッと回った。日本新党時代、自民党を下した地として経験し、新党さきがけ時代には毎月さきがけ塾生として全共連ビルに通い、新進党時代は松沢成文やら伊藤達也やらに都議選を妨げられ、民主党時代には自民党旧三木派の長老たちに圧力をかけられ、自由連合時代には言わずもがな苦労を重ねた血の場所である。


そして小泉政権中盤の頃には、給料も貰えなかったために妻と一歳の長女と赤坂のビルで寝泊まりした。そんな戦前からのビルももうなく、もう一つのビルも違うテナントが入っていた。

旧平和党時代に作った非営利法人は未だに存在するようだった。


議員会館通過パスを持ちながら、赤坂に住み、赤坂のコインランドリーで洗濯し、青山の銭湯か事務所の湯沸かしで入浴し、食うや食わずの時代を過ごした。


その後、不動産屋の社長になり、千葉県の奥地に引っ越すなどは毛頭考えもしなかった。

しかしよく見てみると永田町・赤坂は栄枯盛衰極まりない。

以前は永続的に見ていたから気づかなかったが、三年も留守にしてみると、大小関わりなくほとんどの事業は長続きできずに赤坂から撤退している。

ビルもまた栄枯盛衰を極めている。

このような都会で、日々人々は貨幣獲得競争に明け暮れる。私がやったのは主に政治だが、赤坂で動いていれば否応なくガツガツ経済人との接触は年がら年中ある。

人数で言えば、彼らの圧倒的多数は負け組に位置している。勝つのはごく少数、それも元々資本を持つものばかりである。

本当は、政党というのは赤坂か永田町に拠点を設けるのがいいんだろうが、このようなカネカネの土地に本拠を置いていったいいかなる意味があろうというのか。

東京はかつての京都であり、「流通と天皇しかいない」バーチャル権力の場所である。いまこそ「土地と実態自治のある」リアル革命を起こさねばならない。

上からやれば物事が変わるというのは平時のみであり、朝廷がこれをやってきた。しかし有事にあっては上からは機能せず、内から変わる。それが幕府のときであり、土地に根ざした政治が、貨幣依存の経済都市を駆逐していく。この繰り返しが歴史である。これを赤坂を見て強く感じた。

渋谷で斯波東京ブロック支部長を拾い、迷いながらも下北沢に向かい、ヘンプレストランで平和党東京ブロック支部の定例会場へ入った。

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