平成太平記

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ノンフィクションライター・井上理津子が読む『戦後の貧民』塩見鮮一郎著

2015年12月05日 14時52分57秒 | Weblog

ノンフィクションライター・井上理津子が読む『戦後の貧民』塩見鮮一郎著

ぎりぎりに生きた人たち

「戦後」のありさまはそれなりに学習しているつもりだったが、不遜だった。

自身も少年の日に辛苦をなめた著者が、昭和20~25年頃にぎりぎりに生きた人たちの実態とその背景を、信頼の置ける記録をひき、私見を軸に綴(つづ)った。

国内外にいた兵隊800万人弱、

民間引き揚げ者300万人。

家路につこうと必死で「大移動」した人たちの合計が1000万人強だったと冒頭にあり、

まず驚愕(きょうがく)する。

親類縁者に頼れず、闇市で糊口(ここう)をしのぐ者も増える。

戦争未亡人、浮浪児だってそうだ。

GHQは、都内の露店を25年までに取り払うように指示。

餓死者や病死者が続出する。

バタヤ(屑(くず)拾い)、

特殊慰安施設・赤線・青線の女性たち、

孤児、混血児、原爆被災者、シベリア抑留者らに言及する。

戦争未亡人と傷痍(しょうい)軍人についての件(くだり)に、思わず傍線を引いた。

戦争未亡人は56万人。

著者の母もその一人で、「鍋や釜を洗っていても不意に涙をこぼしたし、洗濯ものをたたみながら声をあげた」。

GHQは、旧軍人関係者だけを優遇するのは平等でないという論理で「恩給」ばかりか「扶助料(恩給を受給する軍人が亡くなった場合、遺族に支払われる年金)」も21年2月に打ち切った。

同年10月の警視庁の調査によると、「闇の女」の7%が未亡人、3%は夫が未復員の女性。

28年に「遺族扶助料」が復活するまで、何の手立てもなかったのだ。

白衣、義足でアコーディオンを弾き、寄付を募っていた傷痍軍人の姿は私も記憶する。

義肢や義眼は国から費用が支給されたが、メンテナンス費用は支給されなかった。

相当数が死ぬまで「療養所」に隔離されたという。

戦後の貧民は、社会によって苦境に投げ出され、抜けられない構造下に置かれた。

すでに、80代か90代か。

読後、彼ら彼女らの目に、現代の格差社会がどう映っているのだろうか、とふと思った。

著者は13年生まれ。

被差別の歴史や、江戸・東京の都市史を長くテーマにしてきた。

知見の蓄積と取材力、資料の取捨選択力の、集大成の書に違いない。



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