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名鉄7000形『パノラマカー白帯』(7011F)復活記念運転

2008-10-19 22:19:52 | コラム

■パノラマカー白帯車 中小田井→三柿野

 本日10月19日、名古屋鉄道は、同車の象徴的人気電車7000形パノラマカーの特急仕様白帯車の復活記念運転を犬山線中小田井駅から各務原線三柿野駅の区間で実施した。

Img_0053  白帯車とはなにか。その歴史について紹介したい。1961年5月に日本初の全面展望車を備えた冷房クロスシート車としてデビューした名鉄パノラマカーは、特急料金を必要としない特急車として最高峰のサービスを提供した。スカーレットの車体とともに名古屋本線の、いわゆる本線特急として、また急行として支線運行として、おおきな活躍を続けていた。しかし、パノラマカーの登場と同時に、支線特急では特急料金不要という関係もあるのだが、数を確保するべくAL車や、場合によってはHL車も特急として運行されており、パノラマカーを別格としても名鉄特急、という一つのカテゴリとして私鉄他社の特急と比べた場合、一部の特急には見劣りするものもあったのは否めなかった。

Img_0058  そこで、名鉄は1977年3月のダイヤ改正を以て、特急を全車指定席とし、新たに特急停車駅と同じ駅に停車する通勤運用の高速、を運行することで、特急自体の水準の向上を実施した。これにより、指定席料金を必要とするパノラマカーの特急運行が開始された訳であるが、特別料金を必要とするのに、通常の急行や高速として運行されるパノラマカーと同じ内装では、問題がある、そういった経緯で、パノラマカーの近代化が行われることとなった。パノラマカー全盛期の77年当時は東海道新幹線の主力、0系新幹線がリクライニングシートではなく転換式クロスシートを採用していた時代である。

Img_0061  もともと、パノラマカーは、国鉄急行型153系よりも優れた内装を有していた為。当初は、シートカバーやカーテンの一部を新しいものと取り替える程度であったが、特急用として白帯車が導入、その際に転換式クロスシートは新型のツートンカラー仕様、ヘッド部分が個別となり、床にはカーペットが敷かれた。白帯車は、特急用として最終的に四両編成11本が改造され、ラッシュ時には増結用の7700形と連結し六両編成として運行することが出来た。7000形白帯車は、8800形パノラマDX,1000形パノラマSuperや1900系特急が導入されるまで、特急として運行された。

Img_0063  パノラマカー白帯車の本日の運行は『白帯復活』号として、1101時に犬山線中小田井駅を出発、各務原線三柿野駅に1148時に到着する団体列車として運行された。この列車に乗車するには、一日乗車券などが必要で、更に整理券として着席券238名、立席券162名分が配布された。賛否両論ある乗車方式であるが、これまでの記念列車運行では、もちろん他社の記念列車も含め指摘されることだが、阪急で言えば京都河原町から三宮まで、十三駅で乗り換えず始発駅の大阪梅田との区間を二重乗車するという不正があるようで、名鉄でも、これと同種の、一種の二重乗車という不正が行われているとも聞く。今回の措置も、そういった事案の抑止が目的なのかもしれない。

Img_0067  一日乗車券が必要、という団体列車運行ではあったが、三河湾号、日本ライン号、さよならP6編成号の運行と同じく、展望車はラッシュ時を越える乗車率であり、加えて沿線もパノラマカーファンがカメラの列を並べていた。幸い、愛知岐阜は快晴、やや逆光気味のコースではあったものの、1200時から1600時まで三柿野駅で行われた撮影会とともに、多くのファンが駆けつけ、満員御礼、好評の内に幕を閉じたようだ。今回のイベントは、白帯車の復活記念イベントであり、今後、この白帯車は通常運行に就き、名鉄線に活躍を続けることとなるのだろう。

HARUNA

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