北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

祝! Weblog北大路機関777号記事 名鉄7000形

2008-04-20 14:37:05 | 北大路機関特別企画

■パノラマカー本線急行

 Weblog北大路機関、本日の記事を以て創設以来777号記事を掲載することが出来ました。阪急十三駅のホームで待ち時間を利用して立ち上げたブログも、よくぞここまで続いたもので、これも読んでいただく皆さんの声無き励ましのおかげです。

Img_3374  777号記事、その記念すべき朗報とともにお伝えしたいのは、名鉄7000形パノラマカーが引退をまえに、再び不死鳥の如く本線急行に復帰したという情報。名鉄パノラマカーは、1961年に登場して以来、小田急3100形NSEロマンスカーに大きな影響を与え(これについては諸説あるようですが、二年後に登場し、基本的に同じ構造の前面展望車を採用し、逆富士山型行先表示板、補助警報器を採用してますので、そう記載しました)私鉄特急の理想型を提示した車両として知られる。

Img_3266  名鉄7000形は、特急料金不要の私鉄特急として、前面展望車を採用し、岐阜から新名古屋を経て豊橋にいたる本線特急の重責を果たし、1000形特急パノラマSuper導入後は、補完として指定席車(現:特別車)仕様の支線特急として運行されるとともに、本線急行として特急を支えた。

Img_3364  7000形パノラマカーは、こうして本線急行の代名詞、同時に名鉄を代表する電車として活躍し、並走する東海道本線が国鉄民営化後、117系や311系といった高速のクロスシートを導入し年々、その速度差を覆うべく迫る中、1000形パノラマSuperや5700形急行車とともに、名鉄本線の高速輸送網をよく支えた車両で、登場した60年代以降進むモータリゼーションに一石を投じた車両ともいえる。

Img_9139  しかしながら、JR東海の新鋭313系などの新快速、特別快速に対抗するには加速性能において限界があり、通勤輸送には必ずしも最良ではない片側二扉転換式セミクロスシート車であることから、名鉄も3500形や3700形という片側三扉ロングシート車に本線急行の座を順次譲り、最近までは支線運行に重点が置かれていたようだ。

Img_9183  パノラマカーは、ブレーキ時に発電し架線に電気を戻す回生ブレーキも、車体設計が古いことから設置されておらず、消費電力などの問題からも今日的には不向きであり、1998年から用途廃止が始まり、本線の象徴として運行されていた時代と比して、なかなか見ることが出来ない希少な車両となりつつある。

Img_2954  7000形パノラマカーは1961年から1975年までの間、116両が導入され、既に退役した7500形パノラマカー72両とともに一大勢力を形成したが、現存するのは1月の時点で6両編成7本、4両編成6本の計13本にまで縮小されており、来年には完全廃止される見通しとされる。

Img_4201  本線付近で撮影してもなかなか7000形を見ることが出来ず、少しでも確率を高めようと支線の交差点というべき神宮前や金山、枇杷島付近が7000形を撮る新しい名所として知られるようになった。逆富士山型の行先表示板に記される急行豊川稲荷行きは、本線急行として例えば鉄道模型や鉄道写真などで親しまれた行先表示板の表示であり、近年では見る機会が少なくなった中で、再び引退を前に本線急行に復帰したことは、鉄道愛好家には朗報ではないかと思う。

Img_3367  本線急行としてのパノラマカーが運行されているのであれば、国府宮~島氏永駅間の水田地帯が間もなく田植えの季節を迎えるため、水面に写る7000形や青田に浮かぶ7000形を撮影できる、お薦めのポイントで、今年も撮影することが出来そうだ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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2.17豪雪 写真記録:豪雪下のJR小浜線・北陸本線

2008-04-19 13:05:06 | コラム

■日本海沿岸をゆく

 吹雪を越えて、2008年2月17日撮影した“2.17豪雪”の後編は、小浜線・北陸本線の状況を掲載したい。早朝から降り始めた雪はとどまるところを知らず、徐々に閑散区とはいえ、臨海部の動脈を硬化させつつあった。

Img_8137  485系『雷鳥』。いよいよ、この485系による『雷鳥』も後継車両計画が提示されたことで、鉄路の果てに終着駅が望見できる時期を迎えた。

 『雷鳥』は、加賀百万石金沢と商都大阪を結ぶ、国鉄の系譜。

 その485系『雷鳥』と、雪景色という、いわば冬の風物詩、過去の日常、不確定な将来に残すべき情景を撮影するべく、敦賀に展開することとなった。

Img_7998  舞鶴線の東舞鶴~綾部間を結ぶ113系電車。ワンマンカー運転仕様となっており、いわゆる閑散区であることを見せ付けられる。毎時普通電車・特急電車が一本、西舞鶴・綾部方面に26本(普通電車19本・特急電車7本)だけが運行され、終電は2157時、13時台には一本も電車が運行されない、と言う中にあって貴重な一本の列車が東舞鶴駅に到着、折り返しの準備にかかる。

Img_8014  豪雪を蹴って、125系が東舞鶴駅に到着する。84kmに及ぶ小浜線を二時間かけて走破するワンマンカーで、一両での運転を想定した両運転台車。ここ小浜線が電化されたのが、ようやく2003年になってとのことで、それまではキハ20系のような気動車が活躍していた路線である。一応、北陸本線と山陰線を結ぶ要衝といえる路線であるが、旅客需要は京都大阪や名古屋を指向しており、小浜線を経由する意義は少ない。

Img_8010  牙を剥きはじめた日本海の悪天候は、横殴りの釦雪を容赦なく東舞鶴駅のホームに叩きつけ、ほんの数分、ありきたりな表現だが、みるみるうちにホームを白く染めてゆく。入港した練習艦隊の候補生たちが何名か、舞鶴城などの観光地を目指し、西舞鶴への展開を試みたが、この運行状況では、と断念したようだ。

Img_8018  雪化粧した125系電車。

 小浜線には、年末など旅客需要が増加する時期のみ、東舞鶴から小浜まで、特急『まいづる』が延長運転を行う。また、NHK連続テレビ小説の舞台となったことで、敦賀から小浜(各駅停車で東舞鶴まで接続)まで臨時快速が運行されていたこともあったが、定期ダイヤ化はしなかったようだ。

Img_8022  雪景色の舞鶴を高架線から望む。1439時発車予定の列車が、1450分に発車した。運休も数本出ていたようだ。小浜線は、毎日13本のみの運行体制で、0855~1101時、1101~1309時、1642~1806時、1953~2117時まで列車が運行されず、終電も2117時という早い時間帯に設定されている。

Img_8025  小浜方面は、海水浴としては最高の立地で、海水浴場まで徒歩五分、海水浴でよく利用した民宿なんかは、鯛や平目一匹の豪快な活き造の刺身が夕食について二食付7800円(2008年現在)、観光客向けにサザエが放流されていたり、入り江のあるので離岸流の心配も少ない。観光資源はあるのだから特急が運行される程度に、もっと栄えてもいいとは思うのだが・・・。

Img_8026  若狭本郷駅のSLも雪に埋もれている。

 若狭湾一帯は原発銀座ともよばれ、美浜原発、大飯原発、高浜原発といった有力な原子力発電所が稼働中である。ということは、原発に依存するほど、困窮していたか、それとも原発建設に付随する補助金の使途が地域開発の需要と外れたところに投資されたか、ということなのだろうか。

Img_8030  日本海側の厳寒を車窓から眺めつつ、列車は1558時、小浜駅に到着した。

 この頃、福井県小浜市は、アメリカ大統領選の民主党オバマ候補と小浜市が似ている、というので、ちょっとしたオバマ祭りが展開されていた時期。少なくない寺社仏閣が並ぶ小浜市には観光資源も多く、この日も豪雪の中、観光客の一団が列車を待っていた。

Img_8031  普通列車敦賀行き。ここまではなんとか順調といえる運行を保ってきたが、小浜駅から敦賀駅までの区間で、いよいよ豪雪の影響が大きくなったと見える。先頭をゆく列車が立ち往生とたとかで、周りには名古屋や京都から観光に訪れたご年配の方々が不安そうに駅員にダイヤを尋ねたりしている。車内で小生もPCを立ち上げ、情報収集をしたところ、ようやく、この豪雪被害の一端が見えてきた次第。さりとてどうすることもできない。1647時、足取り重くようやく列車は出発した。

Img_8046  車窓から、快速鉄道の早期実現を、という看板。

 さすがにそれは無いだろう、と思ったり。

 快速鉄道早期実現や新幹線誘致という看板は、閑散区路線ではよく見かけるのだが、それよりも除雪車、一時間に一本一両編成でも良いので普通電車、可能であれば一日三本程度の特急延長運転、と言う程度の利便性はあっていいのかな、と。

Img_8053  1702時、ついに列車は立ち往生。安中駅に到着するとともに、125系電車が雪中行軍に限界を来たした。JR西日本の保線員さんが人海戦術で車体スカート部に張り付いた雪を除去する。なるほど、電車のスカートは雪を吹き飛ばす為のものだったのか、というほどに雪が詰まり込んでいた。

Img_8058  除雪車が運行されていれば、とも思った。

 しかしながら、基本的に単線、行き違い駅も限られており、変電所が20kmに一箇所しかないほどの密度であるこの路線、そんなことをすれば最悪廃線になりかねないため、年に数回の大雪の際に、急遽人員を集合させて輸送能力を維持する、というのが限界なのだろうか。

Img_8051  写真をみると、膝ほどまでの高さまで積もった雪がみえる。

 除雪した先から積もり続ける雪。しかも、この日は運休になった列車もあるため、列車を運行させてスカートで除雪、という運用を行うには間隔が開きすぎている。列車に詰まった雪を掻き出すと、今度は転轍機周囲の除雪に移る。

Img_8064  1721時に上中駅を出発。

 スカートが吹き飛ばした雪が、そのまま粉雪となって電車の窓にへばりつく。車内からの車窓の情景を少しづつ霙状になった雪が覆ってゆく。

 停車ごとに雪は落ちてゆくのだが、走り始めると、再び、三度と車窓を覆ってゆく。遅れて、もしくは運休した列車に乗りはぐれた乗客が乗り込んで、乗車率も徐々に高まってゆく。

Img_8066  125系の底力をみせた、というところだろうか。

 やっとこことで敦賀駅に到着したのは1822時。東舞鶴駅を出発したのが1450時である。閑散区ではあったが、重要な交通手段となっている小浜線、北陸本線と繋ぐ敦賀駅に到達した時には、豪雪も峠を越したようだ。

Img_8103  北陸本線は、幸いにして思ったほどダイヤが乱れていないようだ。

 実は、北陸本線のダイヤが大変なことになるのは翌日のことだった。

 しかし、煌々と照らす水銀灯の光を越えて、望見出来る夜空は、雪雲にも切れ目が見え始めている。

Img_8110  福井と敦賀を結ぶ419系電車が敦賀駅に到着する。

 食パン電車と親しまれる寝台車改造の電車、この電車の撮影も敦賀駅展開の一つの目的であった。国鉄急行型電車などが多く普通電車として運行される敦賀周辺は、みていて楽しくなる電車が多く運行されている。

Img_8115  485系『雷鳥』の敦賀駅到着。

 北陸本線は、ポイントなどの重要な鉄道施設が建造物で覆われているので、豪雪でもダイヤの維持は可能である。また、京都大阪まで湖西線を経由するが、強風など悪天候で湖西線が不通となった場合は北陸本線から米原経由で東海道本線に向かう。

Img_8136  北陸本線の敦賀駅は、駅構内のレールに散水装置が恒常的に作動しており、駅機能を維持させる為の努力が為されている。また、トンネルが多いのも、豪雪に強い一端だろうか。ちなみに、この485系は、トンネル内で130km/h運転を実施している。

Img_8079  683系『しらさぎ』が到着、ライト部分が繋がっているのが683系特急車、ライト部分が丸型であるのが681系特急車、ということかな・・・。いまでも683系と681系電車の区別が一瞬曖昧になるときがある。

 設計最高速度は160km/h、130km/h運転を行う韋駄天車両(北越急行管区内では160km/h運転を実施)。現行の485系も、この系列車両で更新される構想とのこと。

Img_8148 凄いなあ、北陸本線(一定以上の豪雪には限界はあるけど)。豪雪に辛うじて運行を維持することが精一杯の小浜線と、充実した路線設備により高い運行頻度を維持させることを可能とした北陸本線。旅客需要の差異に起因するのは確かで、致し方ないことも判るのだが、閑散区の路線は大変だ、ということを痛感した次第。

HARUNA

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写真記録 2.17豪雪下のJR嵯峨野山陰線・舞鶴線

2008-04-18 18:46:57 | コラム

■吹雪を越えて 京都~東舞鶴

 2008年2月17日、海上自衛隊練習艦隊が京都の舞鶴基地に入港した。詳細については第二北大路機関の舞鶴特集(その1)(その2)を観て頂くとして、本日は、豪雪下のJR旅客輸送の一端を掲載したい。

Img_7966  舞鶴は敦賀や境港、新潟と並ぶ日本海側の海港都市として知られ、商港西舞鶴、舞鶴鎮守府(要港部)東舞鶴が海軍主導の下で合併し誕生した街であるが、同時に日本三景として広く知られた天橋立に程近く、京都・大阪からも少なくない特急電車により結ばれている。他方で、過疎化が進む地方都市が多い中、例外ではなく、鉄道輸送の利便性は、決して高くはない。

Img_7705  早朝の京都駅。西日本旅客鉄道管区内ではまだまだ一大勢力を有する113系電車が発車に備えている。対面型固定セミクロスシートを有する車両と、JR西日本で広く使われている221系や223系に準じたクロスシートを有する車両が併用されている。ちなみに、嵯峨野山陰線、平日では明示鍼灸大学までの通学輸送需要が少なくない。

Img_7703  北大路駅から京都駅に到着して考えたのが0622時の列車に乗車するまでに、なんとか0617時発車の急行『きたぐに』を撮影できないか、ということ。寝台急行ということもあり、停車時間は比較的長い。他方で、長浜駅(米原?)始発の快速が遅れていることは、新潟と大阪を結ぶ『きたぐに』には影響が無く、この快速に影響が出る程度の北陸方面に少なくない降雪があることを意味している(両方とも米原を通るのだが)。

Img_7704  撮影して、もし0622時の福知山行きに乗り遅れても、0644時発の園部行きに乗り、園部で綾部行きに乗り換えて、綾部で東舞鶴行きに乗り換えることも出来る、それが面倒ならば『なは・あかつき』号(当時はダイヤ改正前なので現役)や『日本海』を撮影し、特急『まいづる1号』で、という選択肢もあるのではないか、と考えた。

Img_7713  ただし、快速の7分遅れ、というのが気になった。もしかして、これから本格的に雪の影響が出始めるのではなかろうか。『なは・あかつき』は後日でも撮影可能だが、雪の舞鶴に護衛艦『はるな』と練習艦隊、という組み合わせはこれが最後かもしれない。考えた末113系に乗り込んだ。早朝ということもあり、乗車率はそれほどでは無いが、進むにつれて雪景色が広がってゆく。

Img_7717  綾部市の一部では積雪が100㌢を越えた、という情報はこの時点でまだ入手していないが、雪化粧が雪景色に、そして冬山というように進むにつれて情景を変えていった。京都駅から福知山行きの普通電車や快速が運行される時間帯は限られており、乗り換えが必要な園部行きは、“乗っていればなんとかなる”直通電車と異なり、ダイヤの乱れに脆弱性を抱えている。

Img_7727  トンネルを出る前からそこは雪国だった。綾部駅に到着すると、京都行きの『たんば』号か『きのさき』号か区別できないほど雪を纏った183系特急車が待機していた。奇しくも護衛艦『はるな』が就役した年と同じ1973年にブルーリボン賞を受賞した古参の電車は、ここで同じく京都に向かう『まいづる2号』と連結するのだが、実はこの『まいづる2号』が舞鶴線内で雪による倒木で立ち往生していたとのことだ。

Img_7720  倒木不通の地点は西舞鶴と東舞鶴の間にあるトンネル出口付近ということで、無線では情報が伝わりにくくかなり混乱している状況だったが、立ち往生の『まいづる2号』は、徐行して通過できたとのこと。立ち往生は数時間に及び、東舞鶴駅から長躯京都駅に向けて出発した『まいづる2号』は最初の停車駅である西舞鶴に到達する以前に、立ち往生したということか。

Img_7739  綾部駅で、やはり113系に乗り換えて出発するが、ここで既にかなりの遅れが出ていた。しかし、一時間に一本列車があるかないかという舞鶴線にあって、この日の豪雪により、7本程度の列車が運休になった、ということを考えれば、東舞鶴に到達できるというだけでも、なかなか幸運であったのかもしれない。落雪直前の塊を傍目に、列車は慎重に徐行してゆく。

Img_7740  倒木地点。実際に見てみると、雪の重みに耐え切れず曲がった竹が、列車の進路を塞いでいる、という状況。しかし、運転台が上の方にある183系特急車で運行する『まいづる2号』には、この垂れ下がり方は危険だったのかもしれない。運転司令所と無線のやりとりがあり、運転士も降車し、安全を確認しつつ、現時点で通過に支障は無さそうということで、徐行しつつ前進。

Img_7746  やや天候は回復して(直後また悪化するのだが)、陽光を浴び、白銀の絶景が電車を迎える。福知山運転区には一応除雪車が配備されているが、聞くところでは舞鶴線と小浜線には行き渡らないようだ(伝聞情報ですので、もしかしたら間違いかも、お気付きの方はコメントなどいただけると幸いです)。架線の電柱に張り付いた雪が、その凄さの一端を伝えている。

Img_7747  西舞鶴駅を出て東舞鶴に向かう道中、車内から、やや離れた場所で雪の重みに押しつぶされた竹林の様子が見て取れる。倒木、というとその重みで架線損傷、というような被害をイメージしてしまうが、竹林の竹が線路に垂れてきた程度ならば、運行に支障が出ても、設備が破損することは無いのが幸い、というところか。

Img_7963  かくして、列車は終点の東舞鶴駅に到着した。『きたぐに』を撮影して、一本あとの普通電車を利用していれば、更に到着は遅くなったことだろう。また、その更に後の特急電車は、運休になった可能性も高い。豪雪下の嵯峨野山陰線、舞鶴線を経て東舞鶴駅に到着した小生は、舞鶴基地に向け、足を進める。雪景色を撮りたい小生には予定通りの情景が広がるが、この冬いちばんの豪雪が練習艦隊を迎えていた事実を知るのは、もう少し後のことだった。

(昨夜22時頃、Weblog北大路機関はアクセス解析開始から41万アクセスを突破したようです、たくさんのアクセス、本当にありがとうございます)

HARUNA

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陸上自衛隊 第1師団創設46周年 練馬駐屯地創立57周年記念行事

2008-04-17 13:47:07 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■練馬駐屯地祭2008

 2008年4月13日、首都防衛の重責を担う政経中枢師団として知られる第1師団が創設46周年を迎え、練馬駐屯地祭として盛大な行事が執り行われた。本日は、そのハイライトを掲載したい。

Img_0126_1  陸上自衛隊第1師団は、司令部をここ練馬駐屯地に置き、東京都、神奈川県、千葉県、茨城県、埼玉県、静岡県、山梨県の防衛警備及び災害派遣を担当する師団で、その起源は警察予備隊時代の第1管区隊にまで遡ることが出来る。1962年の陸上自衛隊部隊改編により誕生し、以来、四個普通科連隊を基幹とする頭号師団として士気練度と団結を固めている。

Img_0097_1  部隊整列。指揮官登壇に部隊旗を掲げて応える。指弾行司ということもあり、練馬駐屯地所在部隊のほか、大宮駐屯地、武山駐屯地、立川駐屯地、駒門駐屯地、北富士駐屯地、朝霞駐屯地、板妻駐屯地からも各部隊が参加している。

Img_0108_1  指揮官による部隊巡閲。

 武田正徳師団長とともに、東京都の石原都知事も巡閲に加わっている。

 部隊巡閲に地方自治体の首長が加わるというのは第3師団や第10師団などでは考えられないことで、驚かされた。

Img_0140_1  指揮官訓示、来賓祝辞、祝電披露に続き、観閲行進。

 その先頭は、東京都を筆頭に師団の防衛警備に所在する都県旗の行進。

Img_0163_1  第1普通科連隊の観閲行進。第1師団隷下の普通科連隊は、本部管理中隊と五個の普通科中隊から編成されており、他の師団とことなり重迫撃砲中隊が編成に組み込まれておらず(政経中枢師団への改編時に第5普通科中隊に改編)、10師隷下の普通科連隊にあるような対戦車中隊も配置されていない、市街戦に特化した編成を採用しているようだ。

Img_0181_1  徒歩行進とともにエンジン音を響かせ編隊にて練馬駐屯地上空に飛来したのは立川駐屯地より展開した第1飛行隊のヘリコプターである。

 3機のOH-6D観測ヘリコプターと2機のUH-1J多用途ヘリコプターが編隊を組んでいる。

Img_0195_1  武山駐屯地の第31普通科連隊が高機動車により観閲行進を行う。中部方面隊の駐屯地では、10師、3師全ての普通科連隊に軽装甲機動車が配備されているものの、第1師団には高機動車のみが配備されている。また、中央即応集団用に防弾仕様の高機動車の配備が始まっているようだが、式典の参加車両をみるかぎり、従来型の高機動車を運用しているようだ。

Img_0211_1  第1偵察隊の車両群。現在、陸上自衛隊では偵察警戒車、装甲戦闘車の後継として、次期自走高射機関砲の開発計画を軸とした“近接戦闘車”の開発が進められている。装輪式の車両であるが、M2歩兵戦闘車、M3騎兵戦闘車のような系列車両となるのだろうか。装備化されれば、十年後には、この車両群も大きな変貌を遂げているかもしれない。

Img_0219_1  第1特科隊のFH-70榴弾砲と中砲牽引車。第1師団は政経中枢師団への改編とともに、第1特科連隊を廃止、新たに第1特科隊を新編している。特科連隊は師団普通科連隊の直掩に充てる四個の特科大隊と師団全般支援を行う第5大隊より編成されていたが、特科隊としたことで、大隊を省き、特科中隊を基幹とした編成を採用している。

Img_0252_1  第1通信大隊の車両。

 第1師団ということで、「1」を冠した部隊が多い。首都防衛の重責を担うとともに、東京に駐屯している師団と言うことで中央観閲式を初めとして国賓が観閲する行事にも多く参加している部隊だ。

Img_0309  第1戦車大隊の74式戦車。第1戦車大隊は師団改編により、戦車中隊が二個にまで削減されてしまった。機動戦闘車として、105ミリ砲を搭載する装輪式の機動砲開発が行われ、これがもしかしたら戦車の代替となりうるのではないかと期待されたが、財務省の指摘もあり、機動戦闘車も戦車定数に含められることとなった。東部方面隊の第12旅団には戦車部隊が無いため、富士教導団や武器学校所要分を除けば、唯一の東部方面隊戦車部隊だ。

Img_0307  第1戦車大隊の96式装輪装甲車。戦車中隊本部などに用いられている装甲車で、路上機動性に優れる装輪式の装甲車。近年は例えばイギリスで命数6800kmという樹脂製一体形状履帯なども開発されており、装甲車は装輪式という潮流も幕を降ろし始めている。いわゆる機甲歩兵には装軌式装甲車(例えばドイツのプーマ、オーストリア・スペインのウラン)を充当し、軽歩兵を軽装甲車(例えば米軍のバッファロー、自衛隊の軽装甲機動車)により運用するというのが新しい潮流のようだ。

Img_0335  観閲行進が終了して、武山太鼓の演奏が始まる。勇壮な太鼓演奏とともに当方は撮影位置の移動を開始する。ミストラル撮影により、やや出遅れたとうこともあり、観閲行進は良好な撮影位置を確保できたが、訓練展示を撮影するとなると良好な位置とはいえなかったため。立入禁止区域の境界線を探し(グレーゾーンに立ち入るよりも、警戒の隊員さんが居て、ここから先は立ち入り禁止です!ってとこのコチラ側から撮影するのがポイント)足を進めた。

Img_0381  状況開始の喇叭とともに訓練展示模擬戦の開始。

 某国人民軍のような装備の人が某国製からしにこふ?的89式小銃により武装し、盛んに攻撃を加えてくる。

Img_0378  仮設敵の攻撃に際して、87式偵察警戒車とオートバイ斥候により、師団の目となる偵察隊は、斥候員の五感と車両の機動力を存分に発揮して任務を遂行する。

Img_0396  暴露した目標に対して、空中機動により対遊撃戦を展開する。

 ヘリボーンによる少数部隊投入は、たとえ少数でも正規戦では対戦車装備などを携行させた遊撃戦展開に、また相手が少数の対遊撃戦においては包囲網の中を駆け巡る攪乱部隊として活躍する。

Img_0423  目標に対してFH-70榴弾砲が制圧射撃を行う。

 訓練展示模擬戦には2門のFH-70榴弾砲が参加。射撃の瞬間、0.1秒以下の瞬間に写る砲焔が写りこんでいる。野砲の場合は砲焔を撮るにも、射撃指揮官が合図の旗を振り下ろすので、その瞬間を狙ってシャッターを押し続ければ、やや撮影は容易である。

Img_0430  仮設敵の攻撃により我が方に負傷者が出たとの想定で出動した救急車。

 その傍らでは油断無く81ミリ迫撃砲や各種装備が敵方を睨んでいる。その最中にも間断なく彼我混合の状態で爆竹を弾けさせたような乾いた銃声が散発的に轟く。

Img_0483  96式装輪装甲車より、敵前にまで肉薄し、普通科部隊が降車展開。背後からは機銃を搭載した高機動車が支援の態勢にある。地形を最大限利用しつつ、降車戦闘に不向きな装甲車を盾に、高機動車をできるだけ前進させ、最後の段階で、高機動車や装甲車からの降車隊員とともに、突撃に移行する。

Img_0586  突撃を支援する74式戦車。同軸機銃の発砲焔が写り込んでいる。戦車は陸上に合って、もっとも堅固な目標であり、車両自体が有するポテンシャルも大きい。74式戦車は残念ながら旧式化老朽化が進んでいるが、現在、技術研究本部では三菱重工を主契約企業として次期戦車の開発が進められている。

Img_0555  89式小銃を手に、戦闘に決着をつけるべく銃剣突撃をかける普通科隊員。

 その気迫に押される形で仮設敵は逃げ出してゆく。こうして、陣地占領を誇示するように隊員が部隊旗を振り、状況は終了となった。

 練馬駐屯地を最大限活かした、非常に見ごたえのある訓練展示というのが正直な感想。

Img_0127  装備品展示は、グラウンドとは別の場所で行われていた。

 東京都の一角に、これだけの規模の駐屯地があるのか、と驚かされるとともに、首都防衛にあたる第1師団の誇りと団結を垣間見た気がした練馬駐屯地祭であった。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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平成20年度護衛艦隊集合訓練 佐世保基地にて開始

2008-04-16 17:36:09 | 北大路機関 広報

■集合訓練2008 自衛艦21隻が参加

 15日から海上自衛隊佐世保基地にて、平成20年度護衛艦隊集合訓練が行われた。集合訓練とは、有事の際における艦隊の集合や各護衛隊群の練度などの交流を行うもので、1988年から実施されている。

Img_1361  護衛艦隊司令官高嶋博視海将の指揮により参加した艦艇は、護衛艦、輸送艦、補給艦、訓練支援艦など21隻で、参加隊員は3000名。今回特に重点を置かれた点は、イージス艦『あたご』と漁船衝突事故を契機とした航海における安全確保、事故原因の究明と安全確保による再発防止にあるとのこと。

Img_1378  今回掲載した写真は2006年に舞鶴基地で行われた集合訓練の様子。集合訓練は4月19日土曜日まで行われるとの事だが、佐世保地方隊HP()には、イベント情報として19日と20日に『あけぼの』『はまゆき』の一般公開が記されているのみ、本稿執筆時(1730時)には海上自衛隊HP()や長崎地方協力本部HP()にも集合訓練に伴う一般公開についての記載が無い、もしかして、衝突事故にともなう自粛、だろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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フランス海軍強襲揚陸艦『ミストラル』 東京港を親善訪問

2008-04-15 17:55:30 | 北大路機関特別企画

■ミストラル日本寄港 日仏国交150周年

 2008年は、日本・フランス国交樹立から150周年を迎える。この一環として、フランス海軍の強襲揚陸艦『ミストラル(L9013 Mistral)』が東京港を親善訪問した。Weblog北大路機関アクセス解析40万突破記念記事は、この『ミストラル』特集である。

Img_3_1  2008年4月8日から13日にかけて、フランス海軍太平洋艦隊司令官のフレデリック・モーリス海軍少将とともに、強襲揚陸艦『ミストラル』、駆逐艦『デュプレクス』が日本を親善訪問(天候の関係で東京入港は9日、『デュプレクス』は横須賀寄港に変更)。海上自衛隊は、第4護衛隊群司令徳丸伸一海将補の指揮する『きりしま』『はまぎり』をホストシップとして派遣した。フランス海軍艦艇の訪日は1961年以降49回を数える。

Img_9950  東京港若洲15号地埠頭に停泊する『ミストラル』と『きりしま』。若洲埠頭に次の艦艇寄港に際しての撮影備忘録としては、近傍の新木場駅の改札口を出たのが0550時。始発バスまで時間があったため、タクシーも見当たらず徒歩にて移動を開始。0613時に到着、徒歩20分強で最初の一枚を撮影した。

Img_9951  徒歩の場合は、新木場駅前交番からみえる千石橋に向かって歩く。間違えて若洲橋方面に行かないように(若洲から埠頭までは立ち入り出来ない、ただし、若洲海浜公園からの撮影についてはデータ不詳)。バスを利用する場合は、最寄のバス停は南千石橋、数百メートル離れて新木場南バス停があり、都営バスにより新木場駅から短時間で展開できる。フェンスが高く、コンパクトデジカメよりもレンズが大きな一眼レフにて撮影する場合は、一段式でもいいので小型脚立があると便利だ。

Img_9975  『ミストラル』は、『ミストラル』級強襲揚陸艦の一番艦で、『ミストラル』は2006年12月に就役。二番艦の『トネル(Tonnerre)』は2007年2月に就役している。全長199㍍、最大幅32㍍。満載排水量は21500㌧。主機はディーゼルエレクトリック方式を採用しており、出力は19040馬力、ポット式推進器二基により速力は19ノットである。

Img_9984  武装は、30㍉単装機銃二基、12.7㍉機銃四基、携帯SAM連装発射器二基。揚陸部隊450名(最大900名)と装甲車両60両(ヘリを搭載しない場合は230両)。2006年のイスラエル南レバノン侵攻に際する国連停戦監視部隊派遣任務にはルクレルク主力戦車も、『ミストラル』により派遣されている。運搬手段はヘリコプター8機、LCM中型揚陸艇(満載排水量150㌧)4隻(LCACの場合2隻)を搭載する。

Img_9988  航空機は8機とされているが、最大で海軍のNH-90もしくは陸軍のピューマ輸送ヘリ20機を搭載可能(車両を搭載しない場合で格納庫にNH-90が16機収容可能とされる)で、CH-53D輸送ヘリやMV-22ティルトローター機6機分の発着スポットを有していることから相応の甲板強度があるとされる。ただ、VSTOL機の運用は考慮されていない(ちなみに仏軍にはVSTOL攻撃機は配備されていない)。

Img_9994  『ミストラル』級は、2000年12月にフランス国防調達総局が二隻を5億6000万ユーロ(6億7470万ドル)でDCN(国有造船所)に発注した。建造は分割方式で行われ、前半分をアルストム・マリンシャンテール・デラトランティーク社が、後半分をDCNブレスト造船所が担当し、これにより建造コストの30%縮減と、大幅な工期短縮が実現した。建造費縮減のために商船規格を採用している。

Img_0033_1  商船規格ということで推進方式は360°旋回のアスルトム社製ポット式推進器“マーメイド”を採用しているため、舵は無い。機動性に優れたポット式推進器とバウスラスターを採用しているが、艦内容積を重視した為上部構造物が大型化し、航行時や接岸作業には強風の影響を受けやすいのではないかという指摘もある。

Img_0062  商船規格ということで、クルーズ船の設計が可能な限り流用されており、このため艦内は自動化が進み乗員は160名に収まっている。また、クルーズ船のキャビン設計と配置を応用したことで、上陸部隊は4~6名個室寝台を利用することが出来、これはフランス陸軍の地上施設よりも居住性に優れているとされる。ただし、クルーズ船の設計を流用したことで、20000㌧以上の揚陸艦としては非効率な輸送能力しか有さないのでは、という指摘もあるようだ。

Img_0036_1  艦内には、スポーツジムやバーの他、クルーズ船の名残として安全用の手摺も船内通路全ての取り付けられている。海上自衛隊のイージス艦『きりしま』。本艦と『ミストラル』をみると、無論、ミサイル護衛艦と強襲揚陸艦という根本的な相違があるのは当然としても、それ以上になにか異なる印象を受ける。

Img_0042_1  統合電機推進艦である本艦の推進方式は、ディーゼルエレクトリック方式が採用されており、ディーゼル発電機で発電し、推進器を作動させる方式である。ポット推進とともに、クルーズ船に多く用いられている方式で、速力はあまり重視されていない為、19ノットに抑えられている。たほう、こうしたコスト低減により、ドック型揚陸艦『フードル』級の二倍以上の大型艦でありながら、建造費は三割ほど安価に収めることが出来たとのこと。

Img_0070  『ミストラル』級は、揚陸指揮艦としての昨日も重視されており、艦自体の指揮通信能力充実はもとより、作戦指揮スペースとして1000?を確保しており、更に医療施設も800?を確保している。医療施設は、手術室二箇所と病床55床が設置されており、必要に応じて増強可能だ。

Img_0041_1  エレベータは、航空機用一基、車両用一基が上部甲板と艦内を結んでおり、航空機用エレベータは、艦尾部分に、車両用エレベータは艦橋後方に設置されている。ドック部分は、注水方式のウェルドックが採用されており、57㍍×15.4㍍のウェルドックが配置されている。『ミストラル』級は『フードル』級ドック型揚陸艦(満載排水量12400㌧)の三番艦四番艦計画に代えて導入された経緯があり、ウェルドック機能は、こうした背景から盛り込まれたものと思われる。

Img_0048_1  フランス海軍の両用戦艦艇は、この『ミストラル』級2隻、『フードル』級ドック型揚陸艦2隻、ビーチング方式の戦車揚陸艦『シャンプレーン』級(満載排水量1580㌧)4隻、CDIC級(満載排水量750㌧)やEDIC級などの揚陸艇19隻から成る。また、1991年の湾岸戦争では『クレマンソー』級航空母艦(現在は退役)が陸上部隊や車両を輸送したが、現行の原子力空母『シャルル・ド・ゴール』(満載排水量42000㌧)も必要に応じて兵員輸送能力を付与させ、任務に充当する。

Img_0056_1  このほか、フランス海軍の両用作戦能力を支える艦として、ヘリコプター巡洋艦として建造され、練習巡洋艦に当てられている『ジャンヌダルク』は1964年に建造された古い艦ながら、有事の際には10機という有力なヘリコプター運用能力を活かして、強襲揚陸艦用途に充てられる。1960年代に整備された『ウラガン』級ドック型揚陸艦(満載排水量8500㌧)は除籍されたようだ。

Img_0062_1  近年では、いわゆるヘリコプター空母(軽空母)に陸上部隊の輸送能力を付与した戦略投射艦の整備が進められており、1970年代に米海軍が制海艦構想(のちに中止)が各国に与えた影響に基づく、いわゆる軽空母とは一世代進んだ艦船の整備が進められており、イギリスの『オーシャン』(21758㌧)や先日就役したイタリア海軍の『カブール』(満載排水量27100㌧)、韓国海軍の『独島』(満載排水量19000㌧)に加え、スペインやオーストラリアでも27000㌧クラスのドックを有する強襲揚陸艦の整備計画が進められている。

Img_0068_1  近年、攻撃力に特化し航続力や個艦防衛能力に限界を来たしているミサイル艇の代替としてドイツ海軍はヘリ運用能力を盛り込んだブラウンシュヴァイク級コルベット(1662㌧)の建造をすすめ、米海軍では燃料費や建造費高騰に頭を悩ませつつも,ミサイルフリゲイトなどの代替と大型艦の補完して速力50ノット、イージスシステムも搭載可能な沿海域戦闘艦『フリーダム』級・『インディペンデンス』級の建造を進めている。

Img_0071_1  各国の大型水上艦計画をみても、仏伊共同のホライズン級やイギリスのデアリング級など多機能レーダーを搭載した高性能な水上艦が計画される中で、コスト高騰に悩み、オランダではフリゲイトの代替としてフリゲイトよりも大型の航洋哨戒艦が計画され、デンマークのアプサロン級多用途支援艦のように、輸送艦とミサイルフリゲイトの中間のような艦も誕生してきている。いわば、低コストに重点を置きつつ、冷戦時代の対潜対空対水上戦闘能力重視から現代のテロとの戦いや海洋権益保護、国際人道支援との併用に耐える、艦艇の多機能化時代に移行しているともいえる。横須賀や佐世保の米海軍艦艇や海上自衛隊艦艇だけでは、これを示す事例はみることはできないものの、今回訪日した『ミストラル』の独特の艦容は、日本にその潮流を示すMistral(季節風)のようにも思えてくる次第だ。

HARUNA

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速報!フランス海軍ミストラル東京港寄港と第1師団創立記念行事

2008-04-14 21:24:40 | 防衛・安全保障

■東京展開

 多忙につき、速報記事を二回に分けて掲載したい。4月13日に展開した行事に関して、報告(今回の速報を含めると三回に分けて掲載)。

Img_0053_1  早朝に東京に到着した小生は、YAMATO氏と合流し、東京港に寄港していたフランス海軍強襲揚陸艦『ミストラル』を撮影。満載排水量21600㌧という大型の強襲揚陸艦は、日仏国交記念親善訪問という目的。あいにくの曇りではあったが、早朝の東京港を、ホストシップのイージス艦『きりしま』とともに出港していった。

Img_0293_1  陸上自衛隊練馬駐屯地祭に続いて展開した。首都防衛を担う第1師団は、2008年をもって創立から46周年を迎えた。練馬駐屯地祭は、比較的広い駐屯地を利用して各種車両が参加した観閲行進や、工夫に富んだ訓練展示模擬戦などが展示された。

 速報については、明日と今週中に掲載したい。

HARUNA

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4月16日 舞鶴のユニバーサル造船にて新砕氷艦進水式

2008-04-13 21:36:07 | 北大路機関 広報

■いよいよ 新しらせ 進水

 4月16日、舞鶴のユニバーサル造船(ユニバーサル造船舞鶴事業所)にて建造中の新砕氷艦『しらせ』が進水式を迎えることとなった。

Img_0256  写真は4月11日に撮影した建造中の『しらせ』。満載排水量で22000㌧というだけあって、やはり大きい。昨年の大晦日には、まだ船体が出来ていただけの新『しらせ』も二月ごろから急速に建造が進み、いよいよ進水式を迎える日を来週に控えた。上部構造物は塗装を除いてほぼ完成しており、進水式を迎えれば、造船所からしかみることができなかった艦首などがみえることになろう。

Img_0261  進水式は海上自衛隊ニュースリリースによれば4月16日1200時から1210時にかけて開催。執行者は舞鶴地方総監の方志春亀海将。海上幕僚長の赤星慶治海将やユニバーサル造船の竹内信社長も出席する予定とのこと。一般公開は無いが、前島埠頭からであれば、その状況をみることができよう。

Img_0270  新『しらせ』は平成17年度計画で予算が形状された砕氷艦で、文部科学省の予算にて建造され、運用は海上自衛隊(現『しらせ』も横須賀地方隊直轄艦)が行う。1.5㍍の連続砕氷能力を有し、物資輸送用にCH-101輸送ヘリコプター二機、汎用機として観測ヘリコプター1機を搭載する。進水式ののち、公試などを経て、来年の2009年5月に就役することとなる。2008年の南極観測支援には間に合わない為、豪州の砕氷艦をチャーターする計画という(『おおすみ』にCH-47JAを搭載して空輸だけの物資補給で一年くらいは無理なのかな?)。

HARUNA

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サクラ舞う古都京都 清水寺夜間特別拝観・龍安寺石庭・円山公園枝垂桜

2008-04-12 14:54:42 | 写真

■満開から桜吹雪へ

 今週撮影した京都の桜花紀行。その前に事務的報告、10日21時頃、アクセス解析によればWeblog北大路機関は40万アクセスを突破しました。40万アクセスということで、特別企画を計画していますのでお楽しみに。

Img_0010  4月11日まで行われていた清水寺夜間特別拝観。紅葉の季節とともに、この桜花の時期の特別拝観は、夜景の絶景を撮影することができる絶好の機会。今年もカメラと三脚を手に多くの写真ファンや観光客が夜の清水寺を訪れた。小生は、ポケットサイズのミニ三脚(10㌢くらい)とデジタル一眼を手に、やや撮影は難渋したものの、収めるべく展開した。

Img_9939  清水寺は枝垂桜や八重桜が見頃。撮影には大型三脚があると非常に便利なのだが、邪魔になると言うことで係員さんにやんわり注意を受けることもある、この点、ミニ三脚というのは機動性に優れて、周囲に迷惑をかけないと言う点は理想的かもしれない。置く場所を工夫すれば意外と重宝する。

Img_0026  奥の院などでは三脚は基本的に禁止されているので用いないが、三脚を用いる時は基本的にISO100で撮影し、三脚を設置できない地形ではISO800に上げて広角で1/25から1/8程度で撮影する。清水寺のライトアップは光量がかなり大きいので、至近距離のものであれば写真のように撮影することが可能だ。

Img_0091  龍安寺石庭。場所は清水寺から大きく跳んで、きぬかけの路。石庭で有名な龍安寺には、石庭を越えてサクラの木がひとつ、観覧者の心を和ませる。撮影した日はあいにくの雨天であったが、石庭は方丈の屋根のもとで、こころゆくまで堪能することが出来る。

Img_0078  龍安寺は石庭が有名であるが、石庭だけではなく、広い池による回遊式庭園が有名である。実は、そこの桜並木も期待したのであるが、撮影に足を運んでみると、池の清掃のために殆どの水が抜かれていた。これはややザンネンと思いつつも、水位の低下した池も貴重、と考え直し、撮影を続けた次第。

Img_0093  イギリスのエリザベス女王が拝観を希望と他と言うことで知られる石庭は、派手さはないものの拝観を重ねると桜花、新緑、梅雨、猛暑、紅葉、落葉、積雪と四季の移ろい行く様子は、奥の深いものがある。広くは無い石庭を見下ろす、いつもの場所に陣取って、四季の一コマをカメラに収めた。

Img_0049  円山公園。場所は再び、清水寺の所在する東山に戻る。ここは八坂神社や知恩院からも程近く、加えて阪急河原町駅や京阪四条駅からも徒歩で距離が離れていない。円山公園は、この大きな枝垂桜が有名であるが、同時に花見(というか野外宴会)の名所でもある。多くの屋台が軒を連ねており、花見客が仮設店舗で幾度目かの乾杯の威勢を挙げる。

Img_0044  円山公園の枝垂桜。咲き始めの時期でも長時間露光で撮影すると露出調整で満開に見えなくも無いのだが、今回は正真正銘の満開である。この写真を撮影した際には実は雨が降り始めており、やや肩を高くしながら足早に八坂神社から河原町通りへと帰路についた。

Img_0038  清水寺から円山公園にいたる道程には、高台寺などの寺院があり、この参道にも多くのサクラが植えられており、例外なく美しいライトアップに満開の花々が身を燻らせている。降り始めた雨がアスファルトに染み込み、電飾を反射させる情景は、あたかも東山花灯路を思い出し、雨という負の要素と身に染み込む花冷えの寒さを少し忘れさせてくれるひと時だ。

HARUNA

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京都に春の訪れ 平野神社・北野天満宮の桜花散策

2008-04-11 19:57:51 | 写真

■平野神社・北野天満宮

 掲載予定などが山積していた関係で、やや撮影した日から時間が経過したが、3月31日撮影の桜花開花状況について掲載したい。ちなみに現在は散り初めから桜吹雪といった状況。

Img_9830  京都駅から50系統バス、阪急西院駅からは205系統バスにて西大路通りを北野白梅町へ進むと、通りに沿って平野神社にいたる。平野の夜桜として有名な平野神社には多くの仮設店舗が軒を連ねている。夜はこの仮設店舗の電燈が常夜灯を支え、稀有な美しさの夜桜を堪能することが出来る。2100時には屋台の多くが閉店してしまうが、仮設店舗は営業を続けるので、境内は煌々と照らされている。

Img_9822  常夜灯と桜の木々を見上げる。澄み渡った青空に溶け込むような桜花は、ほんのりと桜色に春の大空を染めている。境内の向こうには西大路の喧騒があるのだが、それが嘘のような静寂である。桜の天井、見上げる七分咲きの桜を、眺める人々はただ無言のままに足を進める。

Img_9837  平野神社の夜桜は名物なのだが、仮設店舗の軒並には、やや興ざめすることがある。円山公園ではなく、ここはれっきとした境内であるのだし、ドンチャン騒ぎは、どうなのかな、とも。まあ、仮設店舗には天蓋、というか屋根が張られているので、夜桜なんて殆ど見えないのだが、それでも苦情が出ないところをみると、桜花は不要なのかもしれない。

Img_9866  平野神社から北野天満宮へと足を運ぶ。双方とも学問の神様として崇敬を集めるが、徒歩で五分ほどのところにある。ただし、バスにより足を運ぶ際には、今出川通に面した北野天満宮と、西大路通に面した平野神社とではやや距離があるように感じるのだが、近いのだ。

Img_9862  白梅紅梅が名物の北野天満宮、梅園は全て花を散らしてしまったが、紅梅はやや残っていた。陽のあたる場所がやや違うだけで、開花時期も散る瞬間もかなり異なってくる。なお、本日の時点で仁和寺の御室桜は、まだ咲き始めということなのだが、桜花の時期は植えられている桜によって開花時期がかなり異なってくる。三千院や鞍馬、奥比叡もまだ満開までは時間があるとのことだ。

Img_9846  今年は、上野公園なんかは本当に開花が早かったようで、小生が足を運んだのは3月28陽であったが、すでに上野公園の桜花は満開という印象。新幹線N700系や500系、700系『のぞみ』号を利用すれば東京から京都までは2時間20分。桜花の季節が幕を閉じれば、京都には鮮やかな新緑の季節が訪れる。

HARUNA

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