北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

2.17豪雪 写真記録:豪雪下のJR小浜線・北陸本線

2008-04-19 13:05:06 | コラム

■日本海沿岸をゆく

 吹雪を越えて、2008年2月17日撮影した“2.17豪雪”の後編は、小浜線・北陸本線の状況を掲載したい。早朝から降り始めた雪はとどまるところを知らず、徐々に閑散区とはいえ、臨海部の動脈を硬化させつつあった。

Img_8137  485系『雷鳥』。いよいよ、この485系による『雷鳥』も後継車両計画が提示されたことで、鉄路の果てに終着駅が望見できる時期を迎えた。

 『雷鳥』は、加賀百万石金沢と商都大阪を結ぶ、国鉄の系譜。

 その485系『雷鳥』と、雪景色という、いわば冬の風物詩、過去の日常、不確定な将来に残すべき情景を撮影するべく、敦賀に展開することとなった。

Img_7998  舞鶴線の東舞鶴~綾部間を結ぶ113系電車。ワンマンカー運転仕様となっており、いわゆる閑散区であることを見せ付けられる。毎時普通電車・特急電車が一本、西舞鶴・綾部方面に26本(普通電車19本・特急電車7本)だけが運行され、終電は2157時、13時台には一本も電車が運行されない、と言う中にあって貴重な一本の列車が東舞鶴駅に到着、折り返しの準備にかかる。

Img_8014  豪雪を蹴って、125系が東舞鶴駅に到着する。84kmに及ぶ小浜線を二時間かけて走破するワンマンカーで、一両での運転を想定した両運転台車。ここ小浜線が電化されたのが、ようやく2003年になってとのことで、それまではキハ20系のような気動車が活躍していた路線である。一応、北陸本線と山陰線を結ぶ要衝といえる路線であるが、旅客需要は京都大阪や名古屋を指向しており、小浜線を経由する意義は少ない。

Img_8010  牙を剥きはじめた日本海の悪天候は、横殴りの釦雪を容赦なく東舞鶴駅のホームに叩きつけ、ほんの数分、ありきたりな表現だが、みるみるうちにホームを白く染めてゆく。入港した練習艦隊の候補生たちが何名か、舞鶴城などの観光地を目指し、西舞鶴への展開を試みたが、この運行状況では、と断念したようだ。

Img_8018  雪化粧した125系電車。

 小浜線には、年末など旅客需要が増加する時期のみ、東舞鶴から小浜まで、特急『まいづる』が延長運転を行う。また、NHK連続テレビ小説の舞台となったことで、敦賀から小浜(各駅停車で東舞鶴まで接続)まで臨時快速が運行されていたこともあったが、定期ダイヤ化はしなかったようだ。

Img_8022  雪景色の舞鶴を高架線から望む。1439時発車予定の列車が、1450分に発車した。運休も数本出ていたようだ。小浜線は、毎日13本のみの運行体制で、0855~1101時、1101~1309時、1642~1806時、1953~2117時まで列車が運行されず、終電も2117時という早い時間帯に設定されている。

Img_8025  小浜方面は、海水浴としては最高の立地で、海水浴場まで徒歩五分、海水浴でよく利用した民宿なんかは、鯛や平目一匹の豪快な活き造の刺身が夕食について二食付7800円(2008年現在)、観光客向けにサザエが放流されていたり、入り江のあるので離岸流の心配も少ない。観光資源はあるのだから特急が運行される程度に、もっと栄えてもいいとは思うのだが・・・。

Img_8026  若狭本郷駅のSLも雪に埋もれている。

 若狭湾一帯は原発銀座ともよばれ、美浜原発、大飯原発、高浜原発といった有力な原子力発電所が稼働中である。ということは、原発に依存するほど、困窮していたか、それとも原発建設に付随する補助金の使途が地域開発の需要と外れたところに投資されたか、ということなのだろうか。

Img_8030  日本海側の厳寒を車窓から眺めつつ、列車は1558時、小浜駅に到着した。

 この頃、福井県小浜市は、アメリカ大統領選の民主党オバマ候補と小浜市が似ている、というので、ちょっとしたオバマ祭りが展開されていた時期。少なくない寺社仏閣が並ぶ小浜市には観光資源も多く、この日も豪雪の中、観光客の一団が列車を待っていた。

Img_8031  普通列車敦賀行き。ここまではなんとか順調といえる運行を保ってきたが、小浜駅から敦賀駅までの区間で、いよいよ豪雪の影響が大きくなったと見える。先頭をゆく列車が立ち往生とたとかで、周りには名古屋や京都から観光に訪れたご年配の方々が不安そうに駅員にダイヤを尋ねたりしている。車内で小生もPCを立ち上げ、情報収集をしたところ、ようやく、この豪雪被害の一端が見えてきた次第。さりとてどうすることもできない。1647時、足取り重くようやく列車は出発した。

Img_8046  車窓から、快速鉄道の早期実現を、という看板。

 さすがにそれは無いだろう、と思ったり。

 快速鉄道早期実現や新幹線誘致という看板は、閑散区路線ではよく見かけるのだが、それよりも除雪車、一時間に一本一両編成でも良いので普通電車、可能であれば一日三本程度の特急延長運転、と言う程度の利便性はあっていいのかな、と。

Img_8053  1702時、ついに列車は立ち往生。安中駅に到着するとともに、125系電車が雪中行軍に限界を来たした。JR西日本の保線員さんが人海戦術で車体スカート部に張り付いた雪を除去する。なるほど、電車のスカートは雪を吹き飛ばす為のものだったのか、というほどに雪が詰まり込んでいた。

Img_8058  除雪車が運行されていれば、とも思った。

 しかしながら、基本的に単線、行き違い駅も限られており、変電所が20kmに一箇所しかないほどの密度であるこの路線、そんなことをすれば最悪廃線になりかねないため、年に数回の大雪の際に、急遽人員を集合させて輸送能力を維持する、というのが限界なのだろうか。

Img_8051  写真をみると、膝ほどまでの高さまで積もった雪がみえる。

 除雪した先から積もり続ける雪。しかも、この日は運休になった列車もあるため、列車を運行させてスカートで除雪、という運用を行うには間隔が開きすぎている。列車に詰まった雪を掻き出すと、今度は転轍機周囲の除雪に移る。

Img_8064  1721時に上中駅を出発。

 スカートが吹き飛ばした雪が、そのまま粉雪となって電車の窓にへばりつく。車内からの車窓の情景を少しづつ霙状になった雪が覆ってゆく。

 停車ごとに雪は落ちてゆくのだが、走り始めると、再び、三度と車窓を覆ってゆく。遅れて、もしくは運休した列車に乗りはぐれた乗客が乗り込んで、乗車率も徐々に高まってゆく。

Img_8066  125系の底力をみせた、というところだろうか。

 やっとこことで敦賀駅に到着したのは1822時。東舞鶴駅を出発したのが1450時である。閑散区ではあったが、重要な交通手段となっている小浜線、北陸本線と繋ぐ敦賀駅に到達した時には、豪雪も峠を越したようだ。

Img_8103  北陸本線は、幸いにして思ったほどダイヤが乱れていないようだ。

 実は、北陸本線のダイヤが大変なことになるのは翌日のことだった。

 しかし、煌々と照らす水銀灯の光を越えて、望見出来る夜空は、雪雲にも切れ目が見え始めている。

Img_8110  福井と敦賀を結ぶ419系電車が敦賀駅に到着する。

 食パン電車と親しまれる寝台車改造の電車、この電車の撮影も敦賀駅展開の一つの目的であった。国鉄急行型電車などが多く普通電車として運行される敦賀周辺は、みていて楽しくなる電車が多く運行されている。

Img_8115  485系『雷鳥』の敦賀駅到着。

 北陸本線は、ポイントなどの重要な鉄道施設が建造物で覆われているので、豪雪でもダイヤの維持は可能である。また、京都大阪まで湖西線を経由するが、強風など悪天候で湖西線が不通となった場合は北陸本線から米原経由で東海道本線に向かう。

Img_8136  北陸本線の敦賀駅は、駅構内のレールに散水装置が恒常的に作動しており、駅機能を維持させる為の努力が為されている。また、トンネルが多いのも、豪雪に強い一端だろうか。ちなみに、この485系は、トンネル内で130km/h運転を実施している。

Img_8079  683系『しらさぎ』が到着、ライト部分が繋がっているのが683系特急車、ライト部分が丸型であるのが681系特急車、ということかな・・・。いまでも683系と681系電車の区別が一瞬曖昧になるときがある。

 設計最高速度は160km/h、130km/h運転を行う韋駄天車両(北越急行管区内では160km/h運転を実施)。現行の485系も、この系列車両で更新される構想とのこと。

Img_8148 凄いなあ、北陸本線(一定以上の豪雪には限界はあるけど)。豪雪に辛うじて運行を維持することが精一杯の小浜線と、充実した路線設備により高い運行頻度を維持させることを可能とした北陸本線。旅客需要の差異に起因するのは確かで、致し方ないことも判るのだが、閑散区の路線は大変だ、ということを痛感した次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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