■1954両の軽装甲機動車
LAV,軽装甲機動車について。今の視点と配備開始された当時の陸上自衛隊を見ますと何しろ10年一昔という単語を二つ重ねたほどです。
軽装甲機動車の配備が開始された時代には、陸上自衛隊には古いものの重装備の数が揃っていましたので、もちろん戦車と火砲が多少減ることはあっても、普通科連隊を支援する戦車はせめて74式戦車14両の小隊から新戦車5両の小隊とか、火力戦闘車といいますか将来火砲が普通科連隊を支援するものだと考えられていましたが、空振りに終わる。
74式戦車がいずれ10式戦車に置き換わるという期待は2014年の防衛大綱改訂により戦車定数が400両から300両に削減された際に砕けました、この発表で今津駐屯地では2016年10式戦車配備予定、と大書された張り紙が剥がされ饗庭野演習場のスラローム射撃場整備も中止されています、期待されたのは開発中の機動戦闘車配備でしたが、これもない。
16式機動戦闘車は偵察戦闘大隊に1個中隊が配備されるのみですので、普通科連隊には行き渡りません、そしてFH-70榴弾砲も大幅に削減され師団や旅団からは廃止され方面特科連隊に集約、1個師団に1個大隊程度は有事の際に担当大隊として配属されるのでしょうが、連隊戦闘団には駐屯地祭の模擬戦じゃああるまいし2門づつなど配備されない。
軽装甲機動車の後継車両の大量調達は、戦車も火砲もない普通科連隊、いや陸上自衛隊は対戦車ヘリコプターと戦闘ヘリコプターも全廃する方針ですので空からの支援もない普通科部隊がまともな戦闘を展開するにあたって、いっそ四輪でも90mm砲を備えたAML-90のような車両でも来ないかというほどに重要な普通科部隊の装甲車両となるのです。
軽装甲機動車の後継装備、課題はいくつもあるのですが問題は時間がない、そしてひっ迫した重要な装備だという事です。なぜひっ迫しているかといいますと、2022年ロシアウクライナ戦争においてウクライナ軍は装甲車不足に悩まされ、装甲のない野戦車両により移動していた歩兵部隊がロシア軍砲兵により甚大な損耗を強いられた血の戦訓がある。
ロシアウクライナ戦争ではウクライナ軍は開戦当初、装甲車両の数が十分ではなく、それでも実は兵員1000名あたりでは陸上自衛隊よりも配備される装甲車数は多かったのですが、SUVまで動員しての歩兵機動では、道路上を移動していた自動車化部隊がロシア軍砲兵の格好の標的となりかなり戦死者がでている、欧米の装甲車供与まで悲劇は続きました。
自衛隊の軽装甲機動車を考える場合、いや普通科部隊全員が装甲車両で移動するか、若しくは普通科連隊に装甲輸送隊を置いてせめて20両程度の装甲車を例外なく配備するくらいは、なにしろ“一円五十銭の赤紙で兵隊などいくらでも徴兵できる”時代でもないのですから普通科隊員は日本の至宝、少子高齢化の時代に砲撃で簡単に傷ついては困るのです。
しかし、完成度の高い軽装甲機動車ですので後継車両は難しい、軽装甲機動車と最低でも同数を配備する必要があります、こういうのも普通科以外に本部車両に硬い車両を必要としている部隊は多いのですからね、そして生産数も生産単価も陸上自衛隊の装備体系とも適合性が高いものですから、そして後述の事情から改良型を再生産することも出来ません。
1954、ゴジラが公開された年度ではありません、まあ1954年ですけれども。軽装甲機動車は陸上自衛隊と航空自衛隊で合計1954両もの多数が量産されています、陸上自衛隊で1835両と航空自衛隊に119両、普通科部隊の機動用に情報小隊、偵察部隊や戦車部隊に戦闘中隊の本部所要、航空自衛隊の基地やレーダーサイトの警備用など、用途も実に広い。
小松製作所防衛産業新規開発撤退、もう一つの課題は軽装甲機動車を生産した小松製作所が度重なる不合理な防衛省の要求から株主や経営陣を納得させることができず防衛産業の新規開発から撤退しています、そして2000年に開発された軽装甲機動車は新造車の排気ガス規制に適合せず、小松製作所が撤退した新規開発には排気ガス規制対応も含まれる。
2700万円、もう一つ軽装甲機動車の後継開発を悩ませるのはその安さです。開発と量産初期の頃には生産は一両当たり3500万円、設計に際して参考としたフランスのVBL軽装甲車が3500万円でしたが製造された時期が1980年代ですので2000年代にこの安さに抑え、量産が進むと共に2700万円まで下がった、安価に量産しなければ数は揃えられない。
1954両という“装備品の枠”があるのだから“多少高性能で高い装備でも充足できる”と言い切れないのが不安なところです、AH-1S対戦車ヘリコプターの後継であるAH-64D戦闘ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプターの後継というOH-1ヘリコプター,どちらも枠はあっても予算の上限で削られ調達に失敗した、軽装甲機動車の後継装備は難しいのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
LAV,軽装甲機動車について。今の視点と配備開始された当時の陸上自衛隊を見ますと何しろ10年一昔という単語を二つ重ねたほどです。
軽装甲機動車の配備が開始された時代には、陸上自衛隊には古いものの重装備の数が揃っていましたので、もちろん戦車と火砲が多少減ることはあっても、普通科連隊を支援する戦車はせめて74式戦車14両の小隊から新戦車5両の小隊とか、火力戦闘車といいますか将来火砲が普通科連隊を支援するものだと考えられていましたが、空振りに終わる。
74式戦車がいずれ10式戦車に置き換わるという期待は2014年の防衛大綱改訂により戦車定数が400両から300両に削減された際に砕けました、この発表で今津駐屯地では2016年10式戦車配備予定、と大書された張り紙が剥がされ饗庭野演習場のスラローム射撃場整備も中止されています、期待されたのは開発中の機動戦闘車配備でしたが、これもない。
16式機動戦闘車は偵察戦闘大隊に1個中隊が配備されるのみですので、普通科連隊には行き渡りません、そしてFH-70榴弾砲も大幅に削減され師団や旅団からは廃止され方面特科連隊に集約、1個師団に1個大隊程度は有事の際に担当大隊として配属されるのでしょうが、連隊戦闘団には駐屯地祭の模擬戦じゃああるまいし2門づつなど配備されない。
軽装甲機動車の後継車両の大量調達は、戦車も火砲もない普通科連隊、いや陸上自衛隊は対戦車ヘリコプターと戦闘ヘリコプターも全廃する方針ですので空からの支援もない普通科部隊がまともな戦闘を展開するにあたって、いっそ四輪でも90mm砲を備えたAML-90のような車両でも来ないかというほどに重要な普通科部隊の装甲車両となるのです。
軽装甲機動車の後継装備、課題はいくつもあるのですが問題は時間がない、そしてひっ迫した重要な装備だという事です。なぜひっ迫しているかといいますと、2022年ロシアウクライナ戦争においてウクライナ軍は装甲車不足に悩まされ、装甲のない野戦車両により移動していた歩兵部隊がロシア軍砲兵により甚大な損耗を強いられた血の戦訓がある。
ロシアウクライナ戦争ではウクライナ軍は開戦当初、装甲車両の数が十分ではなく、それでも実は兵員1000名あたりでは陸上自衛隊よりも配備される装甲車数は多かったのですが、SUVまで動員しての歩兵機動では、道路上を移動していた自動車化部隊がロシア軍砲兵の格好の標的となりかなり戦死者がでている、欧米の装甲車供与まで悲劇は続きました。
自衛隊の軽装甲機動車を考える場合、いや普通科部隊全員が装甲車両で移動するか、若しくは普通科連隊に装甲輸送隊を置いてせめて20両程度の装甲車を例外なく配備するくらいは、なにしろ“一円五十銭の赤紙で兵隊などいくらでも徴兵できる”時代でもないのですから普通科隊員は日本の至宝、少子高齢化の時代に砲撃で簡単に傷ついては困るのです。
しかし、完成度の高い軽装甲機動車ですので後継車両は難しい、軽装甲機動車と最低でも同数を配備する必要があります、こういうのも普通科以外に本部車両に硬い車両を必要としている部隊は多いのですからね、そして生産数も生産単価も陸上自衛隊の装備体系とも適合性が高いものですから、そして後述の事情から改良型を再生産することも出来ません。
1954、ゴジラが公開された年度ではありません、まあ1954年ですけれども。軽装甲機動車は陸上自衛隊と航空自衛隊で合計1954両もの多数が量産されています、陸上自衛隊で1835両と航空自衛隊に119両、普通科部隊の機動用に情報小隊、偵察部隊や戦車部隊に戦闘中隊の本部所要、航空自衛隊の基地やレーダーサイトの警備用など、用途も実に広い。
小松製作所防衛産業新規開発撤退、もう一つの課題は軽装甲機動車を生産した小松製作所が度重なる不合理な防衛省の要求から株主や経営陣を納得させることができず防衛産業の新規開発から撤退しています、そして2000年に開発された軽装甲機動車は新造車の排気ガス規制に適合せず、小松製作所が撤退した新規開発には排気ガス規制対応も含まれる。
2700万円、もう一つ軽装甲機動車の後継開発を悩ませるのはその安さです。開発と量産初期の頃には生産は一両当たり3500万円、設計に際して参考としたフランスのVBL軽装甲車が3500万円でしたが製造された時期が1980年代ですので2000年代にこの安さに抑え、量産が進むと共に2700万円まで下がった、安価に量産しなければ数は揃えられない。
1954両という“装備品の枠”があるのだから“多少高性能で高い装備でも充足できる”と言い切れないのが不安なところです、AH-1S対戦車ヘリコプターの後継であるAH-64D戦闘ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプターの後継というOH-1ヘリコプター,どちらも枠はあっても予算の上限で削られ調達に失敗した、軽装甲機動車の後継装備は難しいのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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