■74式戦車へのこころみ
74式戦車の近代化改修への歩みについて、前回に続いて後編を掲載します。
74式戦車改への改修が広く行われる計画ではありましたが、幾つかの事由が重なった為に実現しませんでした。改修が行われる背景は、戦車生産を行う三菱重工相模原製作所の生産ラインの生産能力にあります、74式戦車は月産5両を生産し年間60両が調達されていました、特に74式戦車が大量生産された時期は1980年危機説として東西の軍事均衡が東側有利となる状況下にありました。
この緊張はそのままソ連太平洋艦隊太平洋進出経路の確保へ宗谷海峡通行を担保するため、北海道北部への限定侵攻の可能性は現実味を帯びていましたので、ソ連軍戦車師団と北海道の自衛隊戦車部隊が北海道北部において戦車戦を展開する現実的脅威があり、これだけの数が生産されていたのです、が。、後継となる90式戦車が開発される事には、ソ連はマルタ会談により冷戦構造が終結し、部隊配備開始となる事にはソ連が崩壊します、このため戦車生産は削減される事となりました。
戦車の改修は、三菱重工相模原製作所の生産ラインが、90式戦車の年産が30両程度に抑えられるようになる事から生産ラインの一部に余裕があり、その一列に74式戦車を並べ、改修する余裕が出てきたためです。併せて、74式戦車は、90式戦車の生産数縮小の関係から長期運用される可能性が高くなり、戦闘能力を強化する必要性が生じていました。
第一に暗視能力の強化、第二に装甲防御力の強化が構想されていた、といわれ、その結果誕生したのが74式戦車改です。74式戦車改造は、熱線暗視装置搭載の他にレーザー検知装置と連動発煙弾発射装置による対戦車ミサイル防護、そして脱落防止型転輪の採用等が行われ、試作ではHEAT弾対策としてサイドスカートの装着も行われています。
この計画は、非常に残念な理由から頓挫したようです。一般に説明されるのは予算的理由、というものですが、予算的理由の大きなものは、暗視装置の量産が行われなかった、というもの。暗視装置は89式装甲戦闘車の搭載する熱線暗視装置を原型としたもので、赤外線灯光器の装着位置に搭載する事で車体に設計変更を加えることなく装備可能、というものでしたが、肝心の89式装甲戦闘車が大量生産されなかったため、価格が高騰したのです。
御承知の通り、89式装甲戦闘車の生産は68両という少数生産に終わりました。しかし、元々89式装甲戦闘車は4個連隊分、300両程度が生産される構想でした、これが68両で生産終了となったのですから、89式装甲戦闘車用暗視装置や火器管制装置等を利用し74式戦車を改造する計画も高コスト化からは逃れる事は出来ません。
89式装甲戦闘車は、開発当時、ソ連に近い北海道の北部方面隊隷下の四個師団の内、一個連隊が戦車部隊と協同できるよう装甲化されていました、陸上自衛隊は1992年に高機動車が大量配備開始となるまでは、普通科連隊の輸送小隊と師団輸送隊の支援を受け自動車化するのがやっとの水準で、73式大型トラックは後部に24名を定員として自動車化輸送を担当していました。
これは山間部が多い我が国の地形での地形防御を重視し、装甲車を充分配備しない分ヘリコプターを多数装備する事で機動力を確保していた為なのですが、その中に在って、北海道の師団は一個連隊を装甲化していたのです、戦車師団である第7師団の第11普通科連隊、第2師団の第3普通科連隊、第5師団の第27普通科連隊、第11師団の第18普通科連隊、以上が機械化普通科連隊で、この4個連隊へ当初は89式装甲戦闘車を配備する計画があった訳です。
この計画が頓挫したのは、やはり東西冷戦の終結に伴う北海道重視姿勢の解消で、その分陸上自衛隊は1992年より開始されるカンボジアPKO任務を契機とし、一部の部隊を装甲化するのではなく広範に安価な装甲車を配備する必要性が生まれます、そして1995年には新防衛大綱として陸上自衛隊の全国への師団配置を改め、一部師団を旅団とする縮小構想が示されたため、全体的に機械化と装甲化を進める必要が生じました。
そこで96式装輪装甲車の開発と共に、少なくとも全国の普通科連隊の第4中隊を装甲化する指針が示され、陸上自衛隊の訓練教範や野号令などに4中隊をAPC中隊とする記述が出てきます。この為当初は比較的早い時期に750両程度を調達するとの視点があったようですが、財政難により中期防衛力整備計画へ反映できず、今に至る。
これにより74式戦車は夜間戦闘能力向上に関する近代化改修の機会が、89式装甲戦闘車の大量生産中止により困難となりましたが、陸上自衛隊は試作車1両と量産改修を僅か4両ではありますが行う事で、予算措置が就き89式装甲戦闘車の大量生産への見通しが就くならば即座に対応できる基盤だけは構築する事は出来ています。
しかしその部分についても、89式装甲戦闘車の生産終了により見通しは無くなりました。同時期に防衛計画の大綱が再改訂され、戦車定数が縮小した事により、90式戦車への早期更新が行われるとの視点があり、自衛隊は74式戦車を早い時期に90式戦車や新戦車、現在の10式戦車に置き換える方針へ転換しています、ただ、これも更なる二度の防衛計画の大綱改訂により、戦車定数が縮小され、戦車を機動戦闘車で置き換える状況となってしまったのは御承知の通り。
74式戦車の防弾性能向上改修は2000年から2002年にかけ、道北地区において試験が行われています、実は同じころ駒門駐屯地にて砲塔形状の異なる74式戦車が目撃されましたが、こちらは訓練仮設敵部隊用の改修車でした、増加装甲の装着などが行われ、一方戦闘室内への内張り装甲、スポールライナーの装着が行われたようで、APFSDS弾へは対応しませんが、RPGのような携帯対戦車火器に対する生存性は相当増強されたようで、これは1990年代より顕著化した北朝鮮武装工作員浸透懸念へのゲリラコマンドー対処能力強化の一環として行われたようです。
そして74式戦車は現在、新たな近代化改修が進められています、それは広域多用途無線機コータムの搭載です。今年に入り、駐屯地記念行事において従来よりも太いアンテナを装着する戦車が目立ち始めましたが、コータム搭載戦車です。陸上自衛隊は東日本大震災災害派遣に際し、10万という史上最大の統合任務部隊を編成しましたが、全国から結集した陸上自衛隊部隊が師団旅団毎に無線機仕様の近代化度合いに開きがあり、一部で通信が不能となる問題が発生しました。
これは大きな問題で、特に南海トラフ地震発生の危惧があり、その具体政策として全国の原子力発電所が緊急停止するほどの緊迫化した状況下、自衛隊が次の震災においても通信不具合が生じるわけにはいかず、新野外通信システムをほぼすべての師団旅団所要を震災補正予算により一括取得することができました。数年前の写真と比較するとアンテナが明らかにちがう。
コータムはデータ通信が可搬通信速度11Mbpsにて可能で、HF・VHF・UHF帯域に対応、師団等指揮システム及び基幹連隊指揮統制システムとの連接が可能となっています、言い換えれば、例えば対戦車中隊の中距離多目的誘導弾が収集したミリ波レーダー情報等との連接が可能となるため、目標捕捉能力が抜本的に強化される基盤を74式戦車は得た訳です。まもなく機動戦闘車への置き換えが始まる訳ですが、74式戦車と運用する陸上自衛隊機甲科部隊は、その能力維持を厳しい財政状況と防衛環境の変化に際し、如何にして対応するかを見極めようと奮闘している様子がみてとれるでしょう。
北大路機関:はるな くらま
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
74式戦車の近代化改修への歩みについて、前回に続いて後編を掲載します。
74式戦車改への改修が広く行われる計画ではありましたが、幾つかの事由が重なった為に実現しませんでした。改修が行われる背景は、戦車生産を行う三菱重工相模原製作所の生産ラインの生産能力にあります、74式戦車は月産5両を生産し年間60両が調達されていました、特に74式戦車が大量生産された時期は1980年危機説として東西の軍事均衡が東側有利となる状況下にありました。
この緊張はそのままソ連太平洋艦隊太平洋進出経路の確保へ宗谷海峡通行を担保するため、北海道北部への限定侵攻の可能性は現実味を帯びていましたので、ソ連軍戦車師団と北海道の自衛隊戦車部隊が北海道北部において戦車戦を展開する現実的脅威があり、これだけの数が生産されていたのです、が。、後継となる90式戦車が開発される事には、ソ連はマルタ会談により冷戦構造が終結し、部隊配備開始となる事にはソ連が崩壊します、このため戦車生産は削減される事となりました。
戦車の改修は、三菱重工相模原製作所の生産ラインが、90式戦車の年産が30両程度に抑えられるようになる事から生産ラインの一部に余裕があり、その一列に74式戦車を並べ、改修する余裕が出てきたためです。併せて、74式戦車は、90式戦車の生産数縮小の関係から長期運用される可能性が高くなり、戦闘能力を強化する必要性が生じていました。
第一に暗視能力の強化、第二に装甲防御力の強化が構想されていた、といわれ、その結果誕生したのが74式戦車改です。74式戦車改造は、熱線暗視装置搭載の他にレーザー検知装置と連動発煙弾発射装置による対戦車ミサイル防護、そして脱落防止型転輪の採用等が行われ、試作ではHEAT弾対策としてサイドスカートの装着も行われています。
この計画は、非常に残念な理由から頓挫したようです。一般に説明されるのは予算的理由、というものですが、予算的理由の大きなものは、暗視装置の量産が行われなかった、というもの。暗視装置は89式装甲戦闘車の搭載する熱線暗視装置を原型としたもので、赤外線灯光器の装着位置に搭載する事で車体に設計変更を加えることなく装備可能、というものでしたが、肝心の89式装甲戦闘車が大量生産されなかったため、価格が高騰したのです。
御承知の通り、89式装甲戦闘車の生産は68両という少数生産に終わりました。しかし、元々89式装甲戦闘車は4個連隊分、300両程度が生産される構想でした、これが68両で生産終了となったのですから、89式装甲戦闘車用暗視装置や火器管制装置等を利用し74式戦車を改造する計画も高コスト化からは逃れる事は出来ません。
89式装甲戦闘車は、開発当時、ソ連に近い北海道の北部方面隊隷下の四個師団の内、一個連隊が戦車部隊と協同できるよう装甲化されていました、陸上自衛隊は1992年に高機動車が大量配備開始となるまでは、普通科連隊の輸送小隊と師団輸送隊の支援を受け自動車化するのがやっとの水準で、73式大型トラックは後部に24名を定員として自動車化輸送を担当していました。
これは山間部が多い我が国の地形での地形防御を重視し、装甲車を充分配備しない分ヘリコプターを多数装備する事で機動力を確保していた為なのですが、その中に在って、北海道の師団は一個連隊を装甲化していたのです、戦車師団である第7師団の第11普通科連隊、第2師団の第3普通科連隊、第5師団の第27普通科連隊、第11師団の第18普通科連隊、以上が機械化普通科連隊で、この4個連隊へ当初は89式装甲戦闘車を配備する計画があった訳です。
この計画が頓挫したのは、やはり東西冷戦の終結に伴う北海道重視姿勢の解消で、その分陸上自衛隊は1992年より開始されるカンボジアPKO任務を契機とし、一部の部隊を装甲化するのではなく広範に安価な装甲車を配備する必要性が生まれます、そして1995年には新防衛大綱として陸上自衛隊の全国への師団配置を改め、一部師団を旅団とする縮小構想が示されたため、全体的に機械化と装甲化を進める必要が生じました。
そこで96式装輪装甲車の開発と共に、少なくとも全国の普通科連隊の第4中隊を装甲化する指針が示され、陸上自衛隊の訓練教範や野号令などに4中隊をAPC中隊とする記述が出てきます。この為当初は比較的早い時期に750両程度を調達するとの視点があったようですが、財政難により中期防衛力整備計画へ反映できず、今に至る。
これにより74式戦車は夜間戦闘能力向上に関する近代化改修の機会が、89式装甲戦闘車の大量生産中止により困難となりましたが、陸上自衛隊は試作車1両と量産改修を僅か4両ではありますが行う事で、予算措置が就き89式装甲戦闘車の大量生産への見通しが就くならば即座に対応できる基盤だけは構築する事は出来ています。
しかしその部分についても、89式装甲戦闘車の生産終了により見通しは無くなりました。同時期に防衛計画の大綱が再改訂され、戦車定数が縮小した事により、90式戦車への早期更新が行われるとの視点があり、自衛隊は74式戦車を早い時期に90式戦車や新戦車、現在の10式戦車に置き換える方針へ転換しています、ただ、これも更なる二度の防衛計画の大綱改訂により、戦車定数が縮小され、戦車を機動戦闘車で置き換える状況となってしまったのは御承知の通り。
74式戦車の防弾性能向上改修は2000年から2002年にかけ、道北地区において試験が行われています、実は同じころ駒門駐屯地にて砲塔形状の異なる74式戦車が目撃されましたが、こちらは訓練仮設敵部隊用の改修車でした、増加装甲の装着などが行われ、一方戦闘室内への内張り装甲、スポールライナーの装着が行われたようで、APFSDS弾へは対応しませんが、RPGのような携帯対戦車火器に対する生存性は相当増強されたようで、これは1990年代より顕著化した北朝鮮武装工作員浸透懸念へのゲリラコマンドー対処能力強化の一環として行われたようです。
そして74式戦車は現在、新たな近代化改修が進められています、それは広域多用途無線機コータムの搭載です。今年に入り、駐屯地記念行事において従来よりも太いアンテナを装着する戦車が目立ち始めましたが、コータム搭載戦車です。陸上自衛隊は東日本大震災災害派遣に際し、10万という史上最大の統合任務部隊を編成しましたが、全国から結集した陸上自衛隊部隊が師団旅団毎に無線機仕様の近代化度合いに開きがあり、一部で通信が不能となる問題が発生しました。
これは大きな問題で、特に南海トラフ地震発生の危惧があり、その具体政策として全国の原子力発電所が緊急停止するほどの緊迫化した状況下、自衛隊が次の震災においても通信不具合が生じるわけにはいかず、新野外通信システムをほぼすべての師団旅団所要を震災補正予算により一括取得することができました。数年前の写真と比較するとアンテナが明らかにちがう。
コータムはデータ通信が可搬通信速度11Mbpsにて可能で、HF・VHF・UHF帯域に対応、師団等指揮システム及び基幹連隊指揮統制システムとの連接が可能となっています、言い換えれば、例えば対戦車中隊の中距離多目的誘導弾が収集したミリ波レーダー情報等との連接が可能となるため、目標捕捉能力が抜本的に強化される基盤を74式戦車は得た訳です。まもなく機動戦闘車への置き換えが始まる訳ですが、74式戦車と運用する陸上自衛隊機甲科部隊は、その能力維持を厳しい財政状況と防衛環境の変化に際し、如何にして対応するかを見極めようと奮闘している様子がみてとれるでしょう。
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