南富良野の幾寅駅から次の史跡落合駅逓所跡を訪ねた。
JR落合駅の付近ということで、駅前方面を探そうと思ったが、国道38号線の落合の空き地に、白い木柱が建っていた。近寄ると、目指していた史跡 落合駅逓所の跡であった。説明文も何もないが、南富良野の沿革によると
駅逓:明治から昭和まで北海道辺地の交通補助として、宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行った。
設置 明治32年
廃止 昭和 2年6月
また沿革には南富良野の歴史として
安政5年(1858年)松浦武四郎シーソラプチ川上流を踏査し、サホロ川へ出る。
↓
明治35年(1902年12月)幾寅駅開業と記録があった。
史跡 落合駅逓所跡(訪問日:2015年10月1日)
国道の横断歩道の先に神社の鳥居が見え、手水場の屋根も見えたが、次の移動時間を考え神社社殿までは行けないので、後日、調べると、落合八幡神社のようであった。
トマムの駅
トマム防雪ドーム(豪雪地帯か・・・列車の安全を守る施設)
トマム駅から占冠に向かう途中、大きな樹木になにやら説明版があるので、見てみた。
「不思議な泣く木」であった。何とも不思議?
最初は怪談かと思ったが、読むとアイヌの若者の悲しい恋の物語であった。
説明版に
『道路工事のさまたげになるため、何度かこの楡(にれ)の木を伐り倒そうとしましたが、のこぎりの刃をあてるとうめくような鳴き声が聞こえてくるため、どうにも果たせませんでした。
以来、次の物語が生まれました。
猟場のことで争いを続けていた日高と十勝のアイヌ、日高アイヌの若者と十勝アイヌの酋長の娘は許されぬ愛に手をとり合い、カムイの棲むトマムに安息を求めましたが、若者はとらわれの身となりました。
やがて隙をついて逃げ出した若者が待ち合わせの場所で見たものは、この楡の木の傍らに力尽きて倒れている娘の姿でした。今では恋しい若者を慕う娘の魂が、この楡の木にやどっているとつたえられてます。』占冠村観光協会
この後、トマム経由し占冠から高速に乗り、千歳まで行き、千歳会所跡などを訪ねる。
JR落合駅の付近ということで、駅前方面を探そうと思ったが、国道38号線の落合の空き地に、白い木柱が建っていた。近寄ると、目指していた史跡 落合駅逓所の跡であった。説明文も何もないが、南富良野の沿革によると
駅逓:明治から昭和まで北海道辺地の交通補助として、宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行った。
設置 明治32年
廃止 昭和 2年6月
また沿革には南富良野の歴史として
安政5年(1858年)松浦武四郎シーソラプチ川上流を踏査し、サホロ川へ出る。
↓
明治35年(1902年12月)幾寅駅開業と記録があった。
史跡 落合駅逓所跡(訪問日:2015年10月1日)
国道の横断歩道の先に神社の鳥居が見え、手水場の屋根も見えたが、次の移動時間を考え神社社殿までは行けないので、後日、調べると、落合八幡神社のようであった。
トマムの駅
トマム防雪ドーム(豪雪地帯か・・・列車の安全を守る施設)
トマム駅から占冠に向かう途中、大きな樹木になにやら説明版があるので、見てみた。
「不思議な泣く木」であった。何とも不思議?
最初は怪談かと思ったが、読むとアイヌの若者の悲しい恋の物語であった。
説明版に
『道路工事のさまたげになるため、何度かこの楡(にれ)の木を伐り倒そうとしましたが、のこぎりの刃をあてるとうめくような鳴き声が聞こえてくるため、どうにも果たせませんでした。
以来、次の物語が生まれました。
猟場のことで争いを続けていた日高と十勝のアイヌ、日高アイヌの若者と十勝アイヌの酋長の娘は許されぬ愛に手をとり合い、カムイの棲むトマムに安息を求めましたが、若者はとらわれの身となりました。
やがて隙をついて逃げ出した若者が待ち合わせの場所で見たものは、この楡の木の傍らに力尽きて倒れている娘の姿でした。今では恋しい若者を慕う娘の魂が、この楡の木にやどっているとつたえられてます。』占冠村観光協会
この後、トマム経由し占冠から高速に乗り、千歳まで行き、千歳会所跡などを訪ねる。
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