気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

晩生内 松浦武四郎の描いた樺戸連山2011年6月30日

2013-04-28 21:03:10 | 旅行
北村牧場の石川啄木の歌碑を見て、再び、道道6号線を北上。札比内を通り、晩生内(私はばんせいない・・・と読んでいた。正しくはおそきないと読む。)にある松浦武四郎が描いた樺戸連山のスケッチがあるので、その絵を見る目的です。晩生内駅を右折していくと家が2~3軒あった。水田のあぜ道のような所に木製の看板があった。

 そこには『松浦武四郎 三軒屋より樺戸連山を望む
       1857年安政4年5月21日(陽暦6月12日)リイノタフより眺望』
 歴史上、最も古く浦臼を紹介した眺望絵である。資料提供 美唄市  平 隆一氏
  浦臼町 教育委員会 浦臼町文化財保存会  と書かれていた。
「ヲソキナイ」についての松浦武四郎の記録は「丁巳東西西蝦夷山船地理取調日誌 上」松浦武四郎著、秋葉實解読によると(第四巻再篙石狩日誌(二)
『右の方、川幅三間。源はカハト山より落ちるよし。相応の川なり。樹木源には椴も有るよしなり。然し川口には柳・赤たもの木・其の外楓・がんびのみ也。少し行  ヒン子タシナイ』の記録がある。
また、近くに「田園空間博物館」という立て看板があり、そこには『石狩川の流れ 時代の流れと樺戸の自然  三軒屋沼は石狩川の屈曲した河道が
氾濫時に取り残されてできた三日月形成の沼で、過去大氾濫を繰り返した石狩川の歴史を物語る。自然形成的な三日月湖を代表する沼の一つです。
石狩川の氾濫は、明治年間で8回、大正年間で2回、昭和年間では、昭和7年から15年かで17回を記録し、その都度、農作物や人々の生活に、甚大な被害を及ぼしました。
 大きな氾濫が起こると左右に河道をかえて、取り残された旧河道として三日月湖が形成されます。
  人工的な三日月湖の多い月形に比べて、浦臼は自然形成的な三日月湖が多くあります』と紹介してある。

次に浦臼の郷土資料館を訪ねる。

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