気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

浦臼 松浦武四郎のみた地 2011年6月30日(晩生内に続いての旅)

2013-04-29 13:25:20 | 旅行
松浦武四郎が晩生内の三軒屋からみた樺戸連山のスケッチを見てから浦臼の郷土資料館に向かう。
浦臼役場を過ぎたあたりで「北の竜馬」という大きな看板が目に入った。この地は幕末期に活躍した土佐藩の坂本竜馬のゆかりの地でもあるのか・・・
郷土資料館の前庭にあった「田園空間博物館」の展示テーマを見て、北海道のお菓子メーカーで有名な会社の包装紙の絵が美しい花を描いた坂本直行氏のもの・・・と思っている位の知識しかない私でしたのでなるほとと納得しました。
その展示テーマの説明には『浦臼町郷土資料館は、昭和38年ころから町内に残る文化財の調査とその収集、保存の重要性が叫ばれ、その後も融資の方々によって懸命に進められてきたほ損活動の努力と資料館建設の強い願いが結実し、昭和45年に開館しました。
 資料館設立の本旨は、浦臼町の開拓に汗した先人たちの血の滲む努力や逞しい開拓精神をしのぶ貴重な文化遺産を多く展示し、町民はじめ多くの人々に文化財資料への関心を高め併せて明日の文化の創造と豊かな人間形成に資することを願いとしています。
 本資料館は、浦臼町の歩みと出来事を示す。パネル資料やアイヌ民族など埋蔵遺物、地質や自然、開拓者の生活用具や農林業・商業・通信・防災・宗教・教育等の多岐にわたる資料を展示し、総合的な学習機能を備えることを意図しています。
 その他、特色的な展示コーナーとしては入植者の一人である坂本竜馬家の甥の坂本直寛や実兄の坂本直<坂本竜馬家の養嗣子>家の遺品などに併せて、坂本竜馬にかかわる資料をパネル展示で紹介しています』と書かれてあった。
田園空間博物館

実は、浦臼郷土資料館内には松浦武四郎が描いた「信砂越え」があるので、それを見学に来たのです。
壁一杯に掲示されたその絵は案内のアイヌの人たちや武四郎の様子が分かるからです。
絵の右側に説明がありました。
『松浦武四郎がみた浦臼』て題して『松浦武四郎は江戸時代の終わりごろ、前後6回にわたり蝦夷地の探検を行い114冊もの日記を書き、それまでほとんど日本人に知られていなかった奥地のようすを明らかにした探検家です。
 安政4年(1857)石狩川一帯を探検したときの日記「石狩日誌」と翌5年(1858)道東道北を探検したときの日記「十勝日誌」にその頃の浦臼付近のようすを書いていますが、「十勝日誌」の一部には「2月23日、ウラシナイには人家が2件あって、このあたりはやや暖かい」と記されています』と記載されてます。信砂越えの中の「松浦武四郎と浦臼」が書かれているパネル
また、松浦武四郎著、秋葉實解読「丁巳東西蝦夷山川取調日誌 上」には、前述のヲソキナイの記述あとに『ウラシナイ 右の方小石川有て、去年は此処にて止宿せしなり。左の方小川、源はカバト山に達するよし也。川底小砂利のよし。よって水清冷なるが故。魚類多く入ると聞り。去年は此処にイナヲトクトミ云夷人の盲目壱人居りしが、其小屋も今は朽腐れしが故其事を問たたれば、今は浜へ下り居ると聞けり。・・・(略)当川すじくまささ多しと。ウラシとはくまささのことなり。本名ウラシナイなるかと思わる。・・・』と地名の由来が書かれている。
浦臼の郷土資料館の学芸員さんに感謝し、次の目的地である芦別に向かう。

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