気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

史跡旅:野幌の北海道開拓の村(その2)旧札幌拓殖倉庫など

2018-07-26 14:59:20 | 日記
野幌の開拓村(1)に続き、また歴史的建造物を巡る。
(1)旧信濃神社
北海道の開拓には、いろいろな県から移住されてきている方が多い。
この神社も旧所在地っである札幌市厚別区中央にあったそうです。この厚別には長野県諏訪地方の出身者が多かったので「信濃開墾地」と呼ばわれ、神社建立にあたっては郷里の諏訪大明神の御分霊をいただき、明治30年(1897)信濃神社と命名したとのこと。
鳥居

社殿

2)旧山田養蚕板倉
 旧信濃神社の隣に小さな木造の蔵があった。
札幌の琴似へ最初の屯田兵として青森県から移住した山田家。建物は明治14年頃養蚕用としてえ建てたもの。
開拓使は屯田兵の授産事業として養蚕をすすめたとのこと。


(3)旧能内屯田兵屋
明治28,29年、能内に屯田兵が来た。この兵屋には山口県出身の村上という方の家族が5人移住。
屯田兵になるには家族で働ける人が3人以上いっそにいるという条件があったようです。
屯田兵制度というのは国を守る役目と土地を開墾する役目を同時に行う制度で兵屋には農具や食器が用意されていたので、一般の移民よりは恵まれていたが、毎日の開墾と厳しい兵隊の訓練を行うという。
兵屋


(4)旧札幌拓殖倉庫
明治40年頃、倉庫の顕在には軟石が使用されている。
石づくりの良さは火災や地震などの災害に強く、温度や湿度が変化しにくく、玉ねぎや雑穀、小麦などお農産物を新鮮に保つ。




(5)旧浦河公会会堂
 明治27年に建てられたもの。
神戸の北海道開拓会社「赤心社」の結社として浦河の地に移住。指導者の多くがキリスト教徒で明治19年に「浦河公会」が作られた。



(6)旧藤原車橇製作所
明治3年(1898)兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、明治36年(1903)には妹背牛で車橇を開業した。以後、3代にわたり営業を続けた。この建物は開業以来使われてきた車橇を再現。作業所と住宅からなる木造切妻の構造と説明にありました。





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