Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

辛亥革命100周年記念活動 ~その5 広州 

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
辛亥革命100周年記念活動 ~その5 広州



南京から広州へ移動。
いよいよ最終目的地。

北京~武漢~南京~そして広州。
長い旅。 
連日朝8時過ぎから夜遅くまでスケジュールがびっしり。

この一向で
私は若いグループに属するのだけれど
第3世代のお年寄りたちの元気なこと!


広州では黄花崗"七十二烈士墓"陵園で
亡くなられた多くの若者たちのためにまず祈りをささげた。














今回の旅でとても親しくさせていただいた
アメリカ民主党の代表として参加されていたWooご夫妻。



Wooご夫妻と移動のバスの中ずっと英語で話すことと、
食事中にはカントリー博士のご子孫ともお話するので
アタマはずいぶん英語漬け。

と同時にもちろん、何とか中国語を理解せねば!というシーンにもぶつかり
まるで
連日、ベルリッツの特訓を受けているような感じ。





広州にも大規模な辛亥革命博物館がオープン。

こちら黄埔軍官学校のすぐそばに完成。

昨年、この地を訪問したときには何にもなかったぞ。。。

中国ってすごいなぁ。。。と改めて思ふ。







そして、孫文先生が国共合作の政策をとられた後
設立された黄埔軍官学校。



こちらにも梅屋庄吉は孫文像を寄贈している。











黄埔軍官学校内には2004年から
孫文と梅屋庄吉展示が常設されている。

とても立派な展示会場だ。

仲良しのWooご夫妻、カントリー氏らと展示を見学。














梅屋庄吉のことが
日本でほとんど知られていない頃から
中国ではこのようにきちんと展示紹介されている。

”井戸を掘った人を忘れない”
という
中国の方々の教えはきちんと生きていて

私が梅屋庄吉に関してだけ言わせていただくと

辛亥革命に携わった多くの日本人(特に大陸浪人ら)は
梅屋庄吉に生活の面倒から
大陸に渡る資金まで援助してもらいながら
梅屋庄吉のことをひた隠しにした。



そういう意味からすると
こうして中国の方のほうがきちんと
お世話になったり、大事なことは伝えているように思う。











黄埔軍官学校跡地から
広州市内は通常1時間30分くらいかかるのだが
このようにすべて交通規制がしかれ
渋滞の激しい広州市内の道路も1台の車も無し。








この中を猛スピードで専用車で駆け抜ける。

アメリカ民主党からの代表として参加していた
Wooご夫妻も
かなりアメリカで立場の高い方と移動したこともあるが
このような交通規制は今まで経験が無い、とおっしゃっておられた。




この日も夜は晩さん会。




広州の晩さん会のお料理は
今までで一番おいしく、
さすがに
<食は広州にあり>だね、と参加者の皆さんと話す。



この中には滋味豊かそうな、スープが。



孫文先生の妹のご子孫とも仲良しに。








だんだん旅も最後に近づいてくるにつれ
皆さんとも楽しく打ち解け、<仲間>という感じになってきた。


次は広州、いよいよ最終日のレポート!

辛亥革命100周年記念行事 ~その4 南京

2011年12月10日 | 日中友好
 辛亥革命100周年記念行事 ~その4 南京



南京は雨。

中華民国が建国された南京政府の跡を訪問。
















中山陵の近くに迎賓館があり
そこで盛大な晩さん会が開かれた。

どの地に行っても
その土地のTOPが晩さん会を開催する。

だんだんパターンがわかってきたし
色々な方とお友達になり、晩さん会も楽しくなってきた。








翌日はラッキーなことに
私たちが中山陵訪問の間だけ、雨が止んだ。

もし雨だったらこの階段、
上って降りるのは大変









今回の参加者には
後で知らされたのだが年齢制限があった。

このように移動も多く、階段などもあったりするので
80歳以上の方は招待されない、ということだった。

父はギリギリセーフの79歳だが
一向の中でも特に元気で
中山陵の階段も誰よりも足取り軽く、どんどん上っていき
息切れもせず、
その体力に周囲が驚いた!










頂上には孫文先生がお眠りになられていた





・・・やはり万感胸せまる思いがした。

母が他界してから5年間、
孫文先生と梅屋庄吉関連のことを色々やってきた。

その、孫文先生とご対面出来たのだ。。。




このように高いところに孫文先生は眠っておられる



そして、
その横にある孫中山記念館の前には
梅屋庄吉が寄贈した孫文像が堂々と建っていた。









後ろ姿も良いです。。。



孫文先生のファミリーの皆さんと記念撮影。

彼らは孫文先生のお兄様 孫眉先生の子孫。
現在マカオにある梅屋庄吉が寄贈した孫文像は
昔は中山にあり、
彼らは自分の庭にあった孫文像に非常に愛着を持っていたという。

同じものがここ、南京にあり
しかも梅屋庄吉が寄贈したものだとわかると
とても喜んでくださった。

こういうコミュニケーションが
今回の旅の大きな収穫!





孫中山記念館の中には
ちゃんと梅屋庄吉夫妻も紹介されている。

孫文先生の子孫、
私と同世代(第4代)のSun君と記念撮影。





南京滞在は他と比べて短く、
次の訪問地 広州へ向けて、またまた
チャーター機で出発!  



辛亥革命100周年記念行事 ~その3 武漢 第2日目

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
辛亥革命100周年記念行事  ~その3 武漢 第2日目



武漢は辛亥革命勃発の地とあって
100周年にむけて
あちらこちら、記念の地を整備し
街全体が1年前と比べてずいぶんきれいになった。


Uprising Gateを訪問。




ここは武昌蜂起の記念碑などが飾られた
美しい公園になっていた。







大砲も・・・




武昌蜂起といえば、黄興先生!
お孫さんと記念に写真を撮らせていただいた。




武漢市内は私たち
辛亥革命100周年記念活動一向が移動するたびに
大規模な交通規制が敷かれ、
普段は大渋滞の武漢市内も車が一台も無い状態に。。。
(これ、結構、圧巻



そして、私は一向が別の博物館を見学している最中に別行動。

実は、新しくオープンした
辛亥革命博物館で

<孫中山・梅屋庄吉と長崎展>が開催。













長崎の紹介コーナーも充実した展示が半年間開催される
オープニング・セレモニーに出席。





私はこの新しい辛亥革命博物館に
孫文先生から梅屋庄吉に贈られた<同仁>の額を
数十万かけて完全複製したものを寄贈。







辛亥革命博物館館長、長崎県中村知事、宮内県議会議長、
長崎歴史文化博物館 大堀館長と記念撮影




館長さまはきさくな方!





式典スタート




中村法道長崎知事のご挨拶



マスコミ関係者もたくさん参列




武漢市劉副市長からもご挨拶をいただいた




私もご挨拶を・・・






オープニングセレモニーが終わった後は
また長崎県の皆様とお別れして
辛亥革命100周年記念活動に合流。


今度は南京に移動!

まだまだ活動はまだまだ続く・・・。



辛亥革命100周年記念行事 ~その1 北京

2011年12月10日 | 日中友好
辛亥革命100周年記念行事 ~その1 北京



2011年10月7日から16日の長期にわたり
中国政府による
辛亥革命100周年の記念行事に
孫文先生の日本友人 梅屋庄吉の子孫として参加した。


北京の空港に着くまで
一切詳細スケジュールが知らされなかった。
(宿泊するホテルまで・・・。)


飛行機を降りたところから
”国賓”だった。
まったく別ルートで中国入国。
そのままリッツカールトンホテルへ直行。


この先、すべての移動は
パトカー先導。





リッツカールトン 北京










客室は超豪華!




その夜は私も理事に就任した
<宋慶齢基金会>主催で、
孫文先生の子孫の他、
基金会関係者による夕食会が后海の宋慶齢故居記念館で開催された。






理事長の胡啓立先生と



李秘書長はお酒がとても強い!






翌朝は日本でも江沢民先生がお元気に登場したことで
トップニュースになった
北京人民大会堂での記念式典。
(人民大会堂へはいっさい手荷物やカメラの持ち込みが認められず写真は無し)



午後は孫文先生が北京でお亡くなりになられた後
南京の中山陵に移られるまでしばらくお眠りになられていた
碧雲寺にお参りに。


















その後、政治協商会議主催の晩さん会が
北京市内某所で行われた。












政治協商会議主席全国委員会主席 賈 慶林先生と



香港でお世話になった
董建華先生(元香港行政長官・政治協商会議副主席)と。

董先生は9月の香港の<孫文と梅屋庄吉展>の
開幕式にご出席をいただき、董先生の別荘で昼食会を
開いてくださった。

今回も夕食会の私の席の目の前が董先生だったので
緊張しながらも、お話させていただいた。




政治協商会議副主席 王剛先生
王先生は辛亥革命100周年記念行事の中国側のトップであられて
国務院から寄贈された<孫文・梅屋庄吉像>のことも、
長崎歴史文化博物館の展示会のことも
全部関わっておられたので、その件についてもお話もさせていただいた。

中国のトップの頭脳はすごくて
きっとあれだけ大きな国をけん引されているのだから
ものすごく色々な案件があるでしょうに
すぐにスイッチが入って
梅屋庄吉に関することがスラスラ出てくるのだから、凄い!!!




国務委員 戴乗国先生と




中国共産党中央政治局委員 劉延東女士と


中国中央テレビCCTVのニュースで
毎日登場される中国のトップの皆様とご挨拶をさせていただき感動。



今回の辛亥革命100周年記念活動には
世界中から
革命に携わった方々の子孫・関係者が100名
中国に招待されている。

そこで、歴史上の人物の子孫の皆様との
感動の出会いがたくさんあった。



黄興先生のご子孫の皆様

黄興先生は今年ジャッキーチェンが主演した映画
1911でジャッキーが演じた
辛亥革命で中心的な役割をされた方。

梅屋とももちろん、親交があった。



今回の活動のメインゲスト。
孫文先生の直系のご子孫。



孫文先生ご子孫ファミリーと。
(孫文先生にはご兄弟もたくさんおられて
それぞれのご子孫も孫ファミリーとして参加されていらした)



上海の同済大学でお世話になっている蔡建国先生は
北京大学を創立された蔡元培先生のご子孫。





今回の活動で一番うれしかったのが
英国人ジェームズ・カントリー博士のご子孫にお目にかかれたこと!
ジェームズ・カントリー博士がいなかったら
孫文先生と梅屋庄吉は出会っていません!!






この夕食会のあと、
真夜中、
北京の某空港からチャーター機で武漢へ。








武漢到着は午前1時をまわっていた。。。。







広州日本人学校&広州三菱商事30周年記念の、講演会

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
広州日本人学校&広州三菱商事30周年記念の、講演会



2011年9月9日。

この日はまず、広州日本人学校
小学5年生~中学3年生までの児童・学生向けに
<孫文と梅屋庄吉>のお話をする。








Mr青柳が広州日本人学校の理事長をなさっておられる関係で
この講演会が実現した。


私は若い世代の日本と中国の皆様に
この友情の歴史をお伝えしていきたい、という気持ちを
強くもっているので
このお話はとても嬉しくお引き受けさせていただいた。





保護者の方も聞きに来てくださっていて
体育館には200名くらいが集まっておられた。





広州日本人学校では
孫文先生のことを事前に子供たちに学年にふさわしい形で
ご説明をしてくださっていた。


さあ、そこで、
日本人 梅屋庄吉のことを
子供たちにどう伝えようか。。。。





私はいつもより
身振り手振りも大きく、
言葉も優しく、大きくゆっくりした口調で臨んだ。

こどもたちはお行儀がとてもよく、
真剣なまなざしを向けてくれた。


東京の中華学校でも子供たち向けの講演会をしたことがあったけれど
中国人のこども、
日本人のこども、
みんな、時には不思議そうな顔をしながらちゃんと聞いてくれた。


そして広州日本人学校のこどもたちのすごいところは

小学5年生から中学生まで
どんどん、この難しいテーマであるにも関わらず
質問をしてきたところ

大人顔負けの素晴らしい質問ばかりで
私も思わず、子供たち相手に真剣勝負。

心から充実感を覚えた
印象深い講演会となった。


後日、校長先生から青柳理事長経由で
子供たちの感想文が送られてきた。



”漠然と今まで、中国で暮らしていたけれど
今日の小坂さんのお話を聞いてからは
自分が今、中国で生活していることを大切に思うようになった。”

”自分たちがミニ孫文・ミニ梅屋庄吉なんだという言葉が印象的だった。”


・・・・などなど、子供たちの素晴らしい感想文にも感動。

青柳ご夫妻のおかげで
私も本当に充実したお仕事が出来たな、と
今振り返っても、この講演会は胸が熱くなるひと時だった。


急いでホテルに戻り
軽く昼食を済ませ、少し部屋で休憩。

前日、この時間帯に胃痛に襲われたので
青柳ご夫妻も気を遣って、部屋で静かに休ませてくださった。


午後は三菱商事の方がお迎えに来てくださり
今度は広州三菱商事30周年の記念大会での
講演会。


三菱商事は日本でも一番人気の会社ですが
広州の三菱商事も日本人・中国人ともに
皆さん活気があって、明るく、素敵な会社だなぁ。。と感じた。




歴代の総経理の皆様も
30周年記念の会にご出席されていらした


講演会の後は懇親会に出席。





三菱商事らしく華やかな会。
歌あり、踊りあり・・・
そして中国風の
乾杯、乾杯、乾杯・・・・。





歴代の総経理(代表)の皆様は
中国人みたいに中国語が堪能で、
そして二胡をご披露されたり、中国語で歌を歌ったり

ビジネスを現地でやるためには
文化も学んでいらっしゃる姿に、感動。。。


広州での2日間で4回の講演会、という
かなりハードなスケジュールではあったけれど

Mr&Mrs青柳がすべて
コーディネートおよび私の体調管理までしてくださり
無事終了。


孫文先生・梅屋庄吉のゆかりも深い広州で
多くの方々にお話しをさせていただくことが出来、充実の滞在だった。


Mr&Mrs青柳にココロから感謝。










広州総領事館主催&広州日本商工会議所主催の、講演会

2011年12月10日 | 日中友好
広州総領事館主催&広州日本商工会議所主催の、講演会




2011年9月8日。

午前中、広州総領事館主催の講演会と
そのあと、かなりの数のメディアの取材を受けた。






会場は花園酒店内


広州には孫文先生の足跡がたくさん残っているが
日本の広州総領事館のよびかけで
関係者の多くが集まってくださった。

なかには学生も多くいて
興味深そうに話を聞いたり、パワーポイントの画像に
見入ったりしていた。

質問も、専門家が多いので
かなりたくさんお受けした。。。汗




広州対外人民友好協会の陳先生もかけつけてくださった




中山市からも孫文記念館の方々が・・・



広州総領事も最初のご挨拶からずっと
講演を聞いてくださった



広州黄ホ軍官学校からも館長さんらがかけつけてくださり、談笑



講演会の後は
かなりの数のメディアの質問攻めにあった。






こんな風に写真撮影も依頼されて。。。



気がついたら時間はお昼を過ぎていた。

午後にはまた日本商工会議所主催の150名くらい集まる講演会が予定されている。



Mrs青柳が大急ぎで私にワンタン麺を食べさせてくださり
30分ほど休憩。

しかし、この頃から12月初旬まで
私は胃痛に悩まされることになるのだが
午後の講演会の直前、激しい胃痛に襲われ
立っていることも不可能に。。。


会場近くのソファーで休ませていただき
いよいよ日本商工会議所主催の講演会スタート。
私の紹介を司会の方がやっている最中も

”もぉ、ダメ・・・・。

というくらい激しい胃痛に見舞われていたのだが
いざ、ステージにあがり
マイクで

”ただ今、ご紹介いただきました・・・”と始めると
全身の神経がアタマに集中し始めたせいか
胃痛のことは気にならなくなった。


日本の経済のために
ここ、広州で頑張っておられる日本の企業戦士の皆様に
梅屋庄吉の話をさせていただいた。



広州総領事の奥様たちも会場にかけつけてくださった


無事、90分間の講演を終え
そのあとは懇親会。



日本商工会議所の会長を務めていらっしゃる三菱商事の渡辺さまと



朝から緊張の連続で
激しい胃痛に見舞われたものの、何とか無事終了。

この日の夜も
青柳ご夫妻にマッサージ店にご案内いただき体力回復。


翌日は
広州日本人学校と三菱商事広州30周年記念の会にて
講演会2本立てAgain.

そのお話は次ブログにて。




海南島から広州へ ~2011.9月6・7日

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
 海南島から広州へ ~2011.9月6・7日



文昌から海口に戻ったその日は
Mrs青柳のBirthdayだったので
シェラトン海口リゾートのBarでお誕生日のお祝いをした





今回の旅に広州からわざわざいらして同行してくださった
T氏は私と同じくビール党




ビールの注ぎ方にもこだわります。。。


ビールを飲みながら、お誕生日のケーキを食べるという
なんともカロリーオーバーなテーブルだったが
南国の開放的なムードも手伝い、
その日も夜遅くまでたくさん、おしゃべり。


その翌日、広州へ。

広州に到着して、Mrs青柳に最初にご案内いただいたところが
<石屋>


石好きの私を是非連れていってあげたい、と
以前からお話しをいただいていた
広州の<石専門デパート>






建物すべての売り物が石、石、石・・・・。

私のテンションはかなり上がって
大興奮!

なかでも
アクアマリンのお店はとても質が良いものがおいてあり
たくさん購入。

またちょっとおしゃれなアクセサリーも購入!












石のお買い物が終わった後は
広州市内で、<お粥のお鍋>のお店にご案内いただいた。





Mrs青柳は中国滞在中に色々な勉強をされて
中国語はもちろんのこと、
中国茶や薬膳料理の専門家。

なので、Mrs青柳がご紹介してくださるお店は
東京だろうと、中国だろうと
美味しいお店ばかり。。。





お粥のお鍋にお野菜や海鮮を入れて
いただく。


 




これがマイルドで美味!



レタス



シイタケ



どんどん具を鍋にいれて・・・



かきまぜていただく



温かいお鍋をいただいて
そのあとはお約束の4Hands Massage.

Mr青柳行きつけのマッサージ店に
3人で行った。

(実はこの日から3日連続でここに通った。。。)


1人に2人のお姉チャマがつき
マッサージをしてくれる、という超贅沢なマッサージだ。


次の日からは広州での、
1日2回の講演会を2日連続、という
超ハードスケジュールが始まる。。。。


その模様は次ブログにて。




宋氏故居訪問 ~海南島レポート その2

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
宋氏故居訪問 ~海南島レポート その2



あまり日本人にとって<海南島>というのは
馴染みがまだ薄いかもしれないけれど

<海南(ハイナン)飯>

というメニューはわりと浸透している。


海南島で鶏、といえば
文昌の鶏が有名なのだという。

これ。


なんと、文昌の道端にふつうに
丸丸太った鶏たちが歩いている。

なんでもココナッツなどを食べるので
身が柔らかくて、マイルドなのだそうだ。


文昌は海南島の首都 海口から
車で2時間以上も島の東へ向かったところにある。




街では変わった形の帽子をかぶっている人々を多く見かけた。












街中を抜け、赤土の舞い上がる
超田舎に、宋慶齢のお父様の生まれた家、
故居記念館が、ある。

そこだけ、やたら立派に整備されていた。





今回、海南島から広州への旅を
Navigateしてくださった青柳ご夫妻は
以前、海南島でお仕事をされていらして
海南島の名誉島民でもあられる。

今回も広州から日本商工会議所のメンバーもお連れして
ここ、文昌までご案内いただいた。

宋氏故居では
現地の宋慶齢基金会の理事の方々が温かく出迎えてくださった。






ぐちゃぐちゃの筆で来訪記念の字も書かされた。
こんな大きな半紙に書くのは
小学校の書初め以来で、全然ブーな仕上がりだった。












宋氏故居は本当に田舎の小さな家だが
日本軍が<ここは壊してはならない>として残しておいたのだという。









あのような戦争でも
宋慶齢の父親の家をきちんと残す、というモラルがあったことに
感動した。

この写真の家の前にはそのことがきちんと
プレートに記載され、説明してあった。











海口に戻り、今度は
青柳氏が手掛けられた会社<海南海宇>を訪問。







青柳ご夫妻と


ヘルメットをかぶって
工場内を見学もさせていただいた。

なんと24時間稼働しているスチールの工場で
私はあまり工場見学などしたことが無いので
規模の大きさに驚いた。


その後、この会社の中国サイドのトップの方々と会食会。

この中国サイドのトップの方々は
大変なグルメでいらっしゃるとのことで、
海鮮料理中心の、
すごくゴージャスな夕食だった。




とても和やかな雰囲気で
海南島の皆様、
日本の企業の皆様とテーブルを囲んだ。


(後日、わざわざ
この海南海宇の方々が
日本にいらした際に、私の店まで来てくださった。)




記念撮影


街の中も
街路樹はすべて椰子。

海南島は中国であるけれど
南国の島。

あたたかいのは風だけではなく、
この島で出会った方々もみなさん、とても温かかったのが印象に残る、
旅だった。



シェラトン海口リゾート~海南島レポート その1

2011年12月09日 | 旅館&Hotel
シェラトン海口リゾート~海南島レポート その1



マカオからCOTAI STRIPに乗り、香港空港へ
直接入る。  空港でしばし待ち時間。

ワンタン麺などを食べながら
マカオでの疲れを癒し、 夕刻の飛行機で海南島 海口へ。


海口は海南島の首都。

よく、<東洋のハワイ>と言われている場所は
海口から3時間もかかる<三亜>という場所だ。

海南島は私たち日本人のイメージだと
韓国のチェジュ島くらいの大きさだと思ってしまうのだが
なんと、九州ほどの大きさのある、島。

今回は宋慶齢のお父様の生まれ故郷が海南島の文昌というところにあり
記念館があるというので、そこを訪れる目的で海南島入りした。


そして、
ご夫妻で私を心から応援してくださっている
青柳ご夫妻も休暇をとって
広州から海南島まで来てくださり、文昌までご一緒してくださる。

私たちは
首都 海口から少し離れたところにある
シェラトン海口リゾートホテルで
待ち合わせることに。。。



シェラトン海口リゾートホテル




私は1日早く海南島入りしたので
次の日は
大好きな南国ムードたっぷりのホテルライフをエンジョイすることに、した。







部屋の前は椰子が生い茂って
もぁ~っとする、南国の独特の風が流れてくる。。。




部屋はわりとシンプル。









敷地内を散歩。

いくつもプールがある。
しかも、
ほとんど人もいない。

・・・やっぱり、南国のリゾート、いいなぁ。。。。

香港、マカオと
緊張の連続だった旅の疲れが南国の風と
花の香りで癒されていく。。。




















このプールでひとりで泳ぐ。
すごく、贅沢なひと時。





プールサイドにはジャグジーも。



散歩するとビーチに出た。

誰もいない。

大好きな海!

だが、泳ぎたいと思うほど、海はきれいではない。










海が泳ぎたいと思うほどきれいではないので
プールサイドで過ごすことにした。















青柳ご夫妻は夕刻にホテルにご到着の予定。

なので、ホテル内のSpaにも行ってみた。




トリートメント・ルーム









ホテルのロビーは海からの風がそのまま入ってきて
何ともいえず気持ちがよい。







夕食に青柳ご夫妻と合流。

私の香港、ならびにマカオの旅の話を楽しそうに聞いてくださった。

私は
マカオで一人置き去りにされてから
約2日ぶりに他人と話をするので

しかも大好きな青柳ご夫妻だったので

何時間も、ビールや食事を楽しみながら、おしゃべりした。



海南鶏入り米麺



青柳ご夫妻は大きなバーガーを・・・




翌日は、いよいよ
宋慶齢のお父様の故郷、文昌へのドライブ。。。


その様子は次ブログにて。






マカオ ~ホテル・ヴェネチアン(・・・&ちょっと大変だった話)

2011年12月09日 | 旅館&Hotel
マカオ ~ホテル・ヴェネチアン(・・・&ちょっと大変だった話)



マカオの路上で一人
大きなスーツケースを持ったまま
取り残されてしまった私。


香港で朝から重要な式典があったものだから
Jun Ashidaのお高いお洋服を着たまま。


こんな恰好で
スーツケース抱えて、タクシーを何とか拾おうと努力するものの・・・

全然つかまらない。 っていうか
全然止まってくれない。


そして
タクシーを拾いたいと思っている
ライバル観光客も道なりにいっぱいいる。


・・・30分くらい経った頃
だんだん
泣きたくなってきた。・・・


だいたい、長崎県一向に同行している
マカオ人のガイドが適当なことを言って

”この辺に立ってたら、すぐにタクシーつかまるよ。”

と言ったのが大きな間違いだ。


私はせめて、皆様を夕食会場に送った後でもいいから
ホテルまで送ってくれるものとばかり思っていた。

だって、10日以上にわたる旅行用の大きなスーツケースと
女性一人を
マカオの繁華街に置き去りにするハズはないだろう、と思っていたからだった。


しかし、

大型バスで長崎県ご一向さまは
みなさんバスから手を振りながら去っていき

私はこうして
夜のマカオの繁華街で止まらないタクシーを延々と
大きな荷物を引きづりながら
つかまえる、という過酷な体験を強いられることになったのだ。


もし私が旅慣れた女性でなかったら、
もし私が英語も、中国語も話せなかったら・・・

と思うと背筋が寒くなる。 今でも。


しかし、何とかホテルまで行かなくては・・・

もぉ、歩道で手を挙げてもらちがあかない。
無理やり道路に出て、タクシーを探す。

少しくらい、ぼられてもいい。とにかく、ホテルまで連れて行ってほしい。。。


で、45分後くらいに、1台、停めた。

そしてやっと、予約していたホテル・ヴェネチアンに着いた。


名前のとおり、ラスベガスにもあるヴェネチアンと
まったく同じスタイルのホテルで
ホテル全体がヴェネチアの街のようになっている
巨大エンターテイメントホテル。

だが、
ホテルに着いたときには疲れ果てていて、
その美しい外観をカメラに収める元気さえ、なかった。。。
(画像が無くて、スマン。。。)


チェックインを済ませた後がまた大変。

巨大ホテルゆえに
今度は部屋にたどり着くまで
ホテルの中をえんえんと歩き続けなければならない。




ゴージャスな天井



やっと部屋にたどり着いた。

このホテルはすべての客室がスイート・ルーム。


















素敵なお部屋なのだけれど

その日、

朝8時からのVIPとの朝食会に始まり、
展示会開幕式、
香港元行政長官邸での昼食会、
マカオへ移動、
マカオでの散策、

そして、緊張と疲れの中で45分にわたる
タクシー探しと巨大ホテルの移動・・・・


で、披露困憊の私。

シャワーを浴びて、倒れるようにベッドに横になった。

(・・・全然、スイートルームをエンジョイできず。。。)



こんなRomanticなベッドだったのに・・・




後から中国通の方にこの件を話したら

”信じられない!” と驚かれた。

マカオでは、夜の銀座みたいに
ちゃんと決まった場所でしか、タクシーを拾えないのだという。
ましてや
路上で捕まえようとなんて、無謀すぎる、
せめてどこかのホテルのエントランスで下すべきだ、と。

しかも、
女性一人、大きなスーツケースを持って、しかも正装。


次の朝、

疲れで起きるのもつらかったが
チェックアウトの時間もあるので
やっとの思いで荷物をひきづって、フロントへ。。。。


また、驚き。


この日、平日。しかも夏休みも終わった頃。

にもかかわらず、巨大なエンターテイメントホテルは中国人で埋め尽くされている!!!


チェックアウトするのにも
ディズニーランドみたいに何重もの列・・・。

聞こえてくるのは、中国語。(少し韓国語)


私たち日本人はこの現実をちゃんと見ておいたほうがよい、と思った。



チェックアウトをやっと済ませ、

COTAI STRIPという高速船で、香港空港へ。






香港空港でトランジット、そのまま海南島へ向かう。


海南島のお話は次ブログにて。





2度目の、マカオ~2011.9.3→4

2011年12月09日 | せずにはいられない・・旅の話
2度目の、マカオ~2011.9.3→4



香港での昼食会のあと、
長崎県の皆様とフェリーに乗り、マカオへ。

マカオは2度目。
2010年3月にたった50分間だけ、行ったことがあった。

国父記念館の梅屋が寄贈した孫文像をみて
マカオ料理屋さんでランチをしただけ。

なんとなく心残りの私は再度マカオ訪問を試みた。




今、ニュースで騒がれている某御曹司が
かなりお金をおとしたことで注目のマカオ。

カジノで本当にうるおっているということで
政府から還付金が出たり、マカオの住民はとても豊かに
楽しく暮らしているのだとか。




グランドリスボア 派手。


まずは梅屋庄吉が寄贈した孫文像にご挨拶。



国父記念館の住所



ハロー!孫文像

実は去年の3月にこの孫文像には説明書きがなかったため
私が管理者の台湾政府の方にきちんと<梅屋庄吉寄贈>と書いてほしい、と
リクエストしたところ

なんと3か月後には金の大きなプレートがつけられ
そこには、

この銅像が梅屋庄吉から贈られたことと、
そのことについてひ孫の小坂文乃がその由来をきちんと
銅像につけてほしいとの依頼があった、とまで書かれている。



マカオの国父記念館
晩年
孫文先生の最初の奥様 蘆夫人が暮らしていた素敵な洋館
現在は台湾政府の管理となっている。



マカオは島全体がリゾートな雰囲気。




ポルトガル領だった頃の名残のある素敵な建物をいくつかご紹介。






















長崎の皆様とマカオで有名なセナド広場へ。






聖ポール天主堂跡にて











にぎやかな商店街を抜けていくと
まるで長崎のランタンフェスティバルのときのように
街全体がランタンでうまっていて

とてもきれい!!!




















長崎の皆様はこの散策のあと
マカオの観光局の方との会食があるということで
会食会場へ向かわれた。



・・・セナド広場先の路上でひとり残された私・・・


このお話は次ブログにて。。。




香港での、孫文と梅屋庄吉展~その3

2011年12月09日 | 日中友好
香港での、孫文と梅屋庄吉展~その3



展示会開幕式の後、
香港元行政長官 政治協商会議副主席の董建華先生の別荘で
昼食会が開催された。






以前香港訪問の際にも
香港の政治の要職を務めていらっしゃる
Henry Tang氏の私邸での夕食会にお招きいただいたことがあるけれど

香港のTOPクラスの方々のおもてなし、は
自分の家に招く、という欧米スタイル。






敷地内には大きなプールも。。。









庭でお肉を焼いている。これがメインディッシュ



プライベートビーチのある
香港でも有数の高級な別荘地。






孫文・梅屋プロジェクトで大変にお世話になっている
谷野元中国大使と。





董建華先生と福田元総理を中心に
いろいろな話題で昼食会は盛り上がった。






素敵なバルコニーで食後に記念撮影。






日本商工会議所の岡村会頭と。





香港でのさまざまな活動を応援してくださり
成功に導いてくださる香港貿易発展局の日本首席代表 古田さまと福田元総理とも
記念撮影。





素晴らしい香港でのひと時を過ごさせてくださった
董建華先生、福田元総理と。



董建華先生の別荘でのランチョンが終わった後
香港フェリー乗り場に直行。

フェリーに乗り、マカオへ移動。
これは長崎県のご一向さまに同行させていただいた。


マカオのお話はまた次のブログにて。