Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

朱家角と上海雑技団

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
朱家角と上海雑技団



梅屋庄吉銅像が設置された日の午後、
長崎の藤参与と井川さんが
私と息子を上海郊外 朱家角に連れて行ってくださった。












水郷の街で
まだあまり日本人などがいない
穴場?の観光地。





狭い道の両サイドには
土産物屋さんやちまきの店がぎっしり。。。





あ、上海蟹。。。










橋の上から水郷の景色を楽しむ。。。







なんと前日、この地を下見に訪れた
藤さんがここの占い師に観てもらったところ
来年から超運気が上がって
特に金運アップなので
宝くじを買うように、と言われた

という話を聞いて、
占い好きの私も観てもらうことに。。。



怪しげな親父。。。。


実は私はいろいろ言われた。
ぷんぷんぷん・・・!!

私は六白金星なのに
なぜかこの怪しげな親父は
三碧木星を観ながら、私に”投機は用心しろ”とばかり言う。


息子の手相を観てあまりにながい生命線をみて笑いながら

”すごい長生きする”と言った。

そんなの、私だったわかるよ。。。とココロの中で思った。

が、息子は転びやすいので
転倒除けに、と腕輪をくれた。

いい人なのか
怪しい親父なのか
わからないが、
いずれにしても私たちが立て続けに観てもらったので
彼のこの日の売り上げはまずまずだったに、違いない。

言えば、私たちは<福の神>だ。 はははは。









占い師には参ったが
上海の郊外に来たことが無かった私は
水郷の街散策、楽しんだ。








そして、その日の夜は
上海市内のリッツカールトンホテルの近くにある劇場で
上海雑技団を観た。

実は、
こんなに何度も上海に来ているのにもかかわらず
これを観るのも、初めて。




























平均台もろくに歩けないであろう私にとって
彼らのバランス感覚と
カラダの柔らかさは神業としか思えなかった。

きっとすごい訓練しているのだろうなぁ。。。。


上海の旅、
番外編の水郷の街 朱家角の訪問と
上海雑技団の、ご報告。





上海⇔長崎航路に、乗船!

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
上海⇔長崎航路に、乗船!


2011年11月5日。

上海から長崎へ向けて出航する
Ocean Rose号に乗船した。

来年春節から本格就航するOcean Rose号の
第1便に乗船できるのは大変光栄な、こと。







船に乗るとすぐに甲板に出て
上海の風景を船上から楽しむ。













長崎総領事 李先生も一緒に乗船。






船の船室はこんな感じ。






一番安くこの船に乗るには
部屋じゃなくて
飛行機のファーストクラスのような
リクライニングシートを利用するそうだ。
(これで、片道 ¥7800!)




上海総領事 泉様もこの船に乗って長崎へ。。。





長崎県の観光を担当されている坂越さまは
息子と話をするのを楽しみにされていたようで・・・








船内にはシアターがあり
ここでイベントが行われる。

ちなみに私もまたここで講演会をやった。

本当は脚本家の市川森一先生と私との<上海談義>の予定だったのだが
市川先生のご体調がすぐれず。。。
(このブログを書いている12月10日にお亡くなりに。。。)




九州の観光地や美味しい食材を紹介するコーナーも設置されている。











飛行機だと3時間弱で上海から東京に着くところを
じっくり
27時間かけて長崎へ向かう。

刻々と景色が変わるのを
眺めることが出来る船旅もまた、良いものだなぁ、と。。。




長崎県知事も、もちろん乗船されていらっしゃる



知事の夕食会のメニューはなかなか豪華。




リンガーハットの米濱会長と。

米濱会長とは日本フードサービス協会つながりで
お世話になっている他、
孫文と梅屋庄吉展でご協賛をいただいたり、
またなんと自宅もすぐ近く・・・と色々ご縁が。






デザートには上海と長崎の文字が。。。



ひと晩あけて
翌日朝は
大海原の上。









何にもせずにぼぉ~っと客室でうとうとしていると

遠くに五島列島が見えてきた。。。。




もぉ、日本だ!


長崎港が近づいてきたところで
お世話になっている藤参与と記念撮影。





中村知事とも甲板で記念撮影を。。。


ゆっくりと船は長崎へ近づいていく。。。
















港では長崎県の関係者の皆さんが手を振って
出迎えてくださっている。。。












ゆっくり、ゆっくり港に近づく。。。

感動のひと時。 飛行機では味わえない船旅の醍醐味。


船から降りて、入国審査。

長崎に27時間かけて、到着!





到着の記念式典も行われた。







式典には
きれいなお姉チャマが勢ぞろい。



こうして、11月2日から6日の
上海の旅は終了。


ペニンシュラホテル、
Jazz Bar、
小龍包をほおばったこと、
胃痛の中切り抜けた講演会、
上海の皆様との楽しい懇親会、

そして
梅屋庄吉像の設置と上海航路乗船。。。。


盛りだくさんの思い出を抱えながら
長崎から東京への帰路に着いた。



梅屋庄吉の、銅像除幕式 at 上海 紹興公園

2011年12月10日 | 日中友好
梅屋庄吉の、銅像除幕式 at 上海 紹興公園



2011年11月4日。

梅屋庄吉が昔住んだことのある家のすぐ近く。
ここは
孫中山故居記念館などからもほど近い閑静な住宅街。

そこに緑いっぱいの小さな公園がある。

<紹興公園>。


この日、長崎の皆様の浄財で
(私と松本楼も参加させていただきました!)
梅屋庄吉像が設置された。










長崎県からは県議会の先生方や
長崎県の主だった皆様がご参列、

上海総領事 泉様、

黄浦区長、上海対外友好協会の皆様・・・

長崎と上海のVIPが勢ぞろいして
盛大に除幕式が行われた。







中村知事のご挨拶


梅屋庄吉が14歳ではじめて訪れた場所、上海。
梅屋庄吉夫妻が晩年2年ほど住んだ、上海。
私の母が生まれた場所、上海。
そして
私の大好きな場所、上海。

ここに梅屋庄吉が再びよみがえる。

こんな嬉しいことは、無い。


除幕式には息子もVIPにまざって、参加させていただいた。
息子は梅屋庄吉にとって
玄孫。第5代目、となる。











緑の中にひときわ映える
金色の梅屋庄吉像は
長崎県の彫刻家 山崎和国先生の作品。



ずっと私たち親子がお世話になっている
上海人民対外友好協会の王加新先生と作家の山崎先生と記念撮影。

今回の銅像設置にも
ひとかたならぬご尽力をいただいた。




孫中山記念館 劉館長と。




中村法道 長崎県知事と梅屋庄吉を囲んで



そして、
孫文・梅屋庄吉プロジェクトの中核を担ってくださった
藤参与とも記念撮影。


しばらく
色々な方々との記念撮影が続いた。

静かな紹興公園が、この日はとても賑やかで
近所の人たちが

”何事だろう。。。”という顔で
のぞきに来ていた。

これから、梅屋庄吉もここに居ます、
ご近所の皆様、どうぞ大切に守ってくださいね。。。。














上海・長崎友好締結15周年記念講演会とパーティー

2011年12月10日 | 日中友好
上海・長崎友好締結15周年記念講演会とパーティー









翌日からはお仕事。

上海市と長崎県が友好締結をして
15周年の節目となる今年。

まず、錦江飯店で
私が<孫文と梅屋庄吉>の講演をし、
それから
観光の取り組みなどを発表する会が開かれた。








講演会場



講演があと15分くらいで始まる、という
そのタイミングで
また胃痛がはじまってしまった。。。


講師控室の机の上で

”もぉ、だめ・・・。”とうめいてみたが

同席していた長崎県の方も
息子も全然つれない。。。。

仕方なく
胃薬を飲んで、会場に向かう。

いつものようにマイクに向かうと痛みは消えた。。。



講演を終えて、高田元長崎県知事ご夫妻と。。。



大きな宴会場に場所を移動して
300名くらい?(もっといらしたかも)の
大きなレセプション・パーティーがはじまった。





ここではいつも上海でお世話になっている
孫中山故居記念館の元館長と現館長や
上海対外友好協会のメンバーと親しく乾杯。








息子も末席に参加させていただき
長崎県議会議長 宮内さまと記念撮影をさせていただく。






さあ、いよいよ明日の朝は
梅屋庄吉の像が
上海に設置される、記念すべき日!





上海 豫園を、散歩 

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
上海 豫園を散歩






午後、少し時間があったので
豫園に行った。

目的はちょっと早めの夕食に
小龍包を食べに・・・


だがせっかくなので
庭園を散策。








上海の財閥の私邸だったところを
今はこうして一般公開している。

古き良き時代の、
富裕層の暮らしが庭の美しい造りから感じられる。









そして、お待ちかねの豫園のにぎやかな場所にある南翔饅頭店。
有名な小龍包のお店である。





1階はテイクアウト、
2階、半2階、3階、個室・・・と

階数が上がるごとに値段も味もグレードアップしていくのだと
現地ガイドが教えてくれた。

私たちは3階に運よく席が空いていて
そこで美味しくいただくことが出来た。






大きな蟹みそ入りスープの小龍包。
最初、ストローで中のスープを飲んでから、
中身をいただく。。。



息子も大満足



お店の中から厨房が見られるようになっている。



上海の旅を終えてから
息子に

”何が一番楽しかった?”と聞いたら

ぼそっと

”ショーロンポー”と。


食べ盛りの15歳には

ペニンシュラホテルの豪華さよりも
ホカホカの小龍包が一番の
思い出だったらしい。。。。




上海で、Old Jazzを楽しむ at 和平飯店

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
上海で、Old Jazzを楽しむ at 和平飯店



暗くなって
息子とぶらり、外灘を歩きながら
和平飯店のJazzを聴きに行った。




おじいチャマたちが
昔懐かしのナンバーを奏でる。

ちょっとお洒落な感じさえ、するJazz Bar。


私は大好きなビール。
息子は大好きなWatermelon Juice(すいかジュース)。




















音楽好きな息子には
色々なジャンルの音楽を聴いて
幅を広げてほしい、と思う。


おじいチャマたちの
ちょっと手抜きの演奏もまた、上海っぽくて◎。





音楽を聴き終わった後、
また外灘を散歩。



対岸の、テレビ塔


そして、素敵な洋館に入ってみた。


18号









面白いオブジェがあったので
遊んでみた。。。












雨上がりの外灘散歩を終え
ホテルに戻る。

なんとなく
さっき聴いたJazzのオールドナンバーを口づさみながら。。。。



上海ペニンシュラホテル

2011年12月10日 | 旅館&Hotel
上海ペニンシュラホテル



上海に度々行きながらずっと思っていたことがあった。

外灘に眺めの良いホテルがどうして無いのだろうか・・・。

和平飯店とか、古いホテルなら、ある。

でもいつぞや、
クラシックホテル(瑞金賓館)に宿泊して
水道管が錆びていたのか
顔中かゆくなって
はれあがって
眠れなかつた経験から、

クラシックホテルに宿泊するのはやめたほうが良い。。。


浦東にはモチロン、外灘の景色を堪能できるホテルは幾つも、ある。

ただ
私の理想は外灘の夜景をぶらぶら散歩しながら楽しめて
なおかつ、対岸の景色を眺めながら過ごせる部屋。









その希望を叶えるべく
上海ペニンシュラホテルが出来たのは昨年。


今年11月、
息子の秋休みと上海に梅屋庄吉像が設置されるのが重なり
今年頑張ったご褒美もかねて
上海ペニンシュラに1泊、した。




ホテルロビー





デラックス・リバー・ビュー ルーム



窓のむこうは行き交う船たちと浦東の景色
大きなテレビにはDVDや音楽も聴ける最新の機器が設置



ソファ



ふわふわのベッド



最強の、バスルーム




広いウォークインクローゼットとメイクルーム



コーヒーも好きな時に自分で入れて楽しめる



で、さっそくコーヒータイム







・・・なんと、トイレットペーパーにも
ペニンシュラのPがエンボス加工されている!





ネイルドライヤーが化粧台についている。。。すごすぎるっ

そして、



最強の、バスルームといった理由はこのボタンだ。


バスルームでテレビが見られる、というのは
最新の高級ホテルだったら、完備されている。

ところが、このボタン・・・

<SPA>と書いてある。

SPA?

なんだろう、と思って押してみると・・・


バスルーム全体が
ちょうどホテルのSPAと同じくらいの

薄暗い照明に変わり、
SPAで流れているリラクゼーション ミュージックが
バスルームに流れ始めた。。。。


すっ
すばらしいぃぃぃ!!!

ゆっくりバスタブにつかれば
ホテルのSPAにいるのと同じ環境で
リラックス出来るということ。。。。



このボタンで
私の上海ペニンシュラホテルに対する評価は
5つ星以上のランクに。


インテリアもうすい水色と黒の
絶妙なカラーコーディネーション。。。

そして
ホテルを一歩出れば・・・




外灘の美しい街。


朝食はロビーラウンジで
ウェスタンスタイルか
チャイニーズのお粥を選ぶことが出来る。




私はもちろん、中国では朝はお粥。









思わず私は息子に

”あなた、ハネムーンでこのホテルに泊まるといいわ”

と進言。


すると
クールな息子は

”ハネムーンで上海なんて来たいヤツ、いないんぢゃね?”

と切り返してきた。。。。


う~ん

確かにそうかもぉぉぉ。


とにかく、私の中では今一番の、
ホテルであることには間違いない。


上海ペニンシュラホテルの、話。




辛亥革命100周年記念活動 ~その6 広州 ラスト!

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
辛亥革命100周年記念活動 ~その6 広州ラスト!



最終日は孫文先生の生まれ故郷 中山市へ。









故居記念館で記念の式典を行った後、
わりと駆け足で
その場を離れ、中山市内でモニュメントのテープカットを
行う会場に移動。 

そこで高年齢のため
フルに参加出来なかった94歳の革命家の子孫の
おばあちゃまが参加。 




英語も堪能で
日本友人が孫文先生の助けになっていたことも
良くご存じでいらして

”会えてよかった。”と。



今回の辛亥革命100周年活動の最後は
広州市内を流れる珠江クルーズ




広州タワーがすごくきれい!





孫文先生ファミリーの第4世代の皆さんとも
すごく仲良しになった。








孫文先生直系brothers


ご先祖さまたちも天国で笑ってこの光景を見ていらっしゃるんだろうなぁ。。。






こうして、北京~武漢~南京~広州と
10日間にわたる

辛亥革命の関係者の子孫 100名の旅、

辛亥革命100周年記念活動は無事終了。


ハードスケジュールのわりには
体調を崩すこともなく無事乗り切れたこと。
そのことにほっと一息。


本当に素晴らしい出会いあり、
そして
勉強させられたことも沢山あり、の
実り多き旅だった。


次の100年後、
つまり辛亥革命200周年にも
こういう活動があるのかな?

私のひ孫が参加するのかな?

私はその時、

今回の活動を天国から嬉しそうに眺めていた
孫文先生や他の革命の志士の皆さん
そして梅屋庄吉みたいに

空の上から子孫が多くの体験を通じて
学んでいく様子を
応援することになるのだろうな。。。。



辛亥革命100周年記念行事 ~その2 武漢第1日目

2011年12月10日 | 日中友好
辛亥革命100周年記念行事 ~その2 武漢 第1日目



武漢到着は真夜中。

今回のホテルはWestin。
武漢にWestinがあるなんて、知らなかった。
(1年前の武漢訪問では
ひどいホテルで散々な思いをしていたので
武漢に対して非常にマイナー印象を抱いていたが
今回のWestinでだいぶ改善。)








疲れた足に嬉しすぎる足マッサージ機が
客室内に!
これにどれだけ助けられたか。。。。





武漢初日。

まず武昌蜂起で命をおとした兵士たち、革命家たちに
祈りをささげる式典から始まった。







武漢大学の馮先生と。
武漢の辛亥革命100周年の一連の取り組みで
先生は中心的な役割を果たされた。




日本の記者の方から
この活動への参加について取材も受けた。













武漢辛亥革命博物館(旧)を訪問。
ジェームズ・カントリー博士のお孫さん、そして
ひ孫のチャールズさんと。。。




道中仲良しになった
香港の辛亥革命活動の代表の実業家の方々と。




新しく100周年を記念して建設された
辛亥革命博物館の前で
全員で記念撮影。




この新しい博物館の中には
ちゃんと梅屋庄吉夫妻のことが説明展示されていた。







しかも、ジェームズ・カントリー博士の写真の横に!


というわけで
カントリー博士のご子孫たちと一緒に記念撮影!






香港からいらしたMr Lyu が
武漢で美味しい魚料理を食べさせる店があるから
ごちそうする!とおっしゃり

ランチタイムは武漢の魚料理をプライベートで
ごちそうになった。









この白い魚のスープが有名らしい・・・
すごく濃厚で栄養たっぷり、な感じだった。



最後はこの野菜をスープでしゃぶしゃぶにしていただく



Mr Lyuご家族とランチのあとの記念撮影






晩さん会の後、
辛亥革命記念のショーが
野外ステージで行われた。









中華人民共和国建国60周年のときにも
天安門広場でこのような野外特設ステージでの
ショーがあった。

踊りあり、歌あり・・・で歴史を振り返る
すごく豪華なステージ。

昨年の武漢訪問で
武漢って超苦手!と思っていたけれど
今回の武漢訪問は美味しい魚料理に出会えたり、
旅の同行者の皆さんとも仲良くなりはじめたりして
とても楽しくなってきた!


武漢2日目は次ブログにて。










辛亥革命100周年記念活動 ~その5 広州 

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
辛亥革命100周年記念活動 ~その5 広州



南京から広州へ移動。
いよいよ最終目的地。

北京~武漢~南京~そして広州。
長い旅。 
連日朝8時過ぎから夜遅くまでスケジュールがびっしり。

この一向で
私は若いグループに属するのだけれど
第3世代のお年寄りたちの元気なこと!


広州では黄花崗"七十二烈士墓"陵園で
亡くなられた多くの若者たちのためにまず祈りをささげた。














今回の旅でとても親しくさせていただいた
アメリカ民主党の代表として参加されていたWooご夫妻。



Wooご夫妻と移動のバスの中ずっと英語で話すことと、
食事中にはカントリー博士のご子孫ともお話するので
アタマはずいぶん英語漬け。

と同時にもちろん、何とか中国語を理解せねば!というシーンにもぶつかり
まるで
連日、ベルリッツの特訓を受けているような感じ。





広州にも大規模な辛亥革命博物館がオープン。

こちら黄埔軍官学校のすぐそばに完成。

昨年、この地を訪問したときには何にもなかったぞ。。。

中国ってすごいなぁ。。。と改めて思ふ。







そして、孫文先生が国共合作の政策をとられた後
設立された黄埔軍官学校。



こちらにも梅屋庄吉は孫文像を寄贈している。











黄埔軍官学校内には2004年から
孫文と梅屋庄吉展示が常設されている。

とても立派な展示会場だ。

仲良しのWooご夫妻、カントリー氏らと展示を見学。














梅屋庄吉のことが
日本でほとんど知られていない頃から
中国ではこのようにきちんと展示紹介されている。

”井戸を掘った人を忘れない”
という
中国の方々の教えはきちんと生きていて

私が梅屋庄吉に関してだけ言わせていただくと

辛亥革命に携わった多くの日本人(特に大陸浪人ら)は
梅屋庄吉に生活の面倒から
大陸に渡る資金まで援助してもらいながら
梅屋庄吉のことをひた隠しにした。



そういう意味からすると
こうして中国の方のほうがきちんと
お世話になったり、大事なことは伝えているように思う。











黄埔軍官学校跡地から
広州市内は通常1時間30分くらいかかるのだが
このようにすべて交通規制がしかれ
渋滞の激しい広州市内の道路も1台の車も無し。








この中を猛スピードで専用車で駆け抜ける。

アメリカ民主党からの代表として参加していた
Wooご夫妻も
かなりアメリカで立場の高い方と移動したこともあるが
このような交通規制は今まで経験が無い、とおっしゃっておられた。




この日も夜は晩さん会。




広州の晩さん会のお料理は
今までで一番おいしく、
さすがに
<食は広州にあり>だね、と参加者の皆さんと話す。



この中には滋味豊かそうな、スープが。



孫文先生の妹のご子孫とも仲良しに。








だんだん旅も最後に近づいてくるにつれ
皆さんとも楽しく打ち解け、<仲間>という感じになってきた。


次は広州、いよいよ最終日のレポート!

辛亥革命100周年記念行事 ~その4 南京

2011年12月10日 | 日中友好
 辛亥革命100周年記念行事 ~その4 南京



南京は雨。

中華民国が建国された南京政府の跡を訪問。
















中山陵の近くに迎賓館があり
そこで盛大な晩さん会が開かれた。

どの地に行っても
その土地のTOPが晩さん会を開催する。

だんだんパターンがわかってきたし
色々な方とお友達になり、晩さん会も楽しくなってきた。








翌日はラッキーなことに
私たちが中山陵訪問の間だけ、雨が止んだ。

もし雨だったらこの階段、
上って降りるのは大変









今回の参加者には
後で知らされたのだが年齢制限があった。

このように移動も多く、階段などもあったりするので
80歳以上の方は招待されない、ということだった。

父はギリギリセーフの79歳だが
一向の中でも特に元気で
中山陵の階段も誰よりも足取り軽く、どんどん上っていき
息切れもせず、
その体力に周囲が驚いた!










頂上には孫文先生がお眠りになられていた





・・・やはり万感胸せまる思いがした。

母が他界してから5年間、
孫文先生と梅屋庄吉関連のことを色々やってきた。

その、孫文先生とご対面出来たのだ。。。




このように高いところに孫文先生は眠っておられる



そして、
その横にある孫中山記念館の前には
梅屋庄吉が寄贈した孫文像が堂々と建っていた。









後ろ姿も良いです。。。



孫文先生のファミリーの皆さんと記念撮影。

彼らは孫文先生のお兄様 孫眉先生の子孫。
現在マカオにある梅屋庄吉が寄贈した孫文像は
昔は中山にあり、
彼らは自分の庭にあった孫文像に非常に愛着を持っていたという。

同じものがここ、南京にあり
しかも梅屋庄吉が寄贈したものだとわかると
とても喜んでくださった。

こういうコミュニケーションが
今回の旅の大きな収穫!





孫中山記念館の中には
ちゃんと梅屋庄吉夫妻も紹介されている。

孫文先生の子孫、
私と同世代(第4代)のSun君と記念撮影。





南京滞在は他と比べて短く、
次の訪問地 広州へ向けて、またまた
チャーター機で出発!  



辛亥革命100周年記念行事 ~その3 武漢 第2日目

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
辛亥革命100周年記念行事  ~その3 武漢 第2日目



武漢は辛亥革命勃発の地とあって
100周年にむけて
あちらこちら、記念の地を整備し
街全体が1年前と比べてずいぶんきれいになった。


Uprising Gateを訪問。




ここは武昌蜂起の記念碑などが飾られた
美しい公園になっていた。







大砲も・・・




武昌蜂起といえば、黄興先生!
お孫さんと記念に写真を撮らせていただいた。




武漢市内は私たち
辛亥革命100周年記念活動一向が移動するたびに
大規模な交通規制が敷かれ、
普段は大渋滞の武漢市内も車が一台も無い状態に。。。
(これ、結構、圧巻



そして、私は一向が別の博物館を見学している最中に別行動。

実は、新しくオープンした
辛亥革命博物館で

<孫中山・梅屋庄吉と長崎展>が開催。













長崎の紹介コーナーも充実した展示が半年間開催される
オープニング・セレモニーに出席。





私はこの新しい辛亥革命博物館に
孫文先生から梅屋庄吉に贈られた<同仁>の額を
数十万かけて完全複製したものを寄贈。







辛亥革命博物館館長、長崎県中村知事、宮内県議会議長、
長崎歴史文化博物館 大堀館長と記念撮影




館長さまはきさくな方!





式典スタート




中村法道長崎知事のご挨拶



マスコミ関係者もたくさん参列




武漢市劉副市長からもご挨拶をいただいた




私もご挨拶を・・・






オープニングセレモニーが終わった後は
また長崎県の皆様とお別れして
辛亥革命100周年記念活動に合流。


今度は南京に移動!

まだまだ活動はまだまだ続く・・・。



辛亥革命100周年記念行事 ~その1 北京

2011年12月10日 | 日中友好
辛亥革命100周年記念行事 ~その1 北京



2011年10月7日から16日の長期にわたり
中国政府による
辛亥革命100周年の記念行事に
孫文先生の日本友人 梅屋庄吉の子孫として参加した。


北京の空港に着くまで
一切詳細スケジュールが知らされなかった。
(宿泊するホテルまで・・・。)


飛行機を降りたところから
”国賓”だった。
まったく別ルートで中国入国。
そのままリッツカールトンホテルへ直行。


この先、すべての移動は
パトカー先導。





リッツカールトン 北京










客室は超豪華!




その夜は私も理事に就任した
<宋慶齢基金会>主催で、
孫文先生の子孫の他、
基金会関係者による夕食会が后海の宋慶齢故居記念館で開催された。






理事長の胡啓立先生と



李秘書長はお酒がとても強い!






翌朝は日本でも江沢民先生がお元気に登場したことで
トップニュースになった
北京人民大会堂での記念式典。
(人民大会堂へはいっさい手荷物やカメラの持ち込みが認められず写真は無し)



午後は孫文先生が北京でお亡くなりになられた後
南京の中山陵に移られるまでしばらくお眠りになられていた
碧雲寺にお参りに。


















その後、政治協商会議主催の晩さん会が
北京市内某所で行われた。












政治協商会議主席全国委員会主席 賈 慶林先生と



香港でお世話になった
董建華先生(元香港行政長官・政治協商会議副主席)と。

董先生は9月の香港の<孫文と梅屋庄吉展>の
開幕式にご出席をいただき、董先生の別荘で昼食会を
開いてくださった。

今回も夕食会の私の席の目の前が董先生だったので
緊張しながらも、お話させていただいた。




政治協商会議副主席 王剛先生
王先生は辛亥革命100周年記念行事の中国側のトップであられて
国務院から寄贈された<孫文・梅屋庄吉像>のことも、
長崎歴史文化博物館の展示会のことも
全部関わっておられたので、その件についてもお話もさせていただいた。

中国のトップの頭脳はすごくて
きっとあれだけ大きな国をけん引されているのだから
ものすごく色々な案件があるでしょうに
すぐにスイッチが入って
梅屋庄吉に関することがスラスラ出てくるのだから、凄い!!!




国務委員 戴乗国先生と




中国共産党中央政治局委員 劉延東女士と


中国中央テレビCCTVのニュースで
毎日登場される中国のトップの皆様とご挨拶をさせていただき感動。



今回の辛亥革命100周年記念活動には
世界中から
革命に携わった方々の子孫・関係者が100名
中国に招待されている。

そこで、歴史上の人物の子孫の皆様との
感動の出会いがたくさんあった。



黄興先生のご子孫の皆様

黄興先生は今年ジャッキーチェンが主演した映画
1911でジャッキーが演じた
辛亥革命で中心的な役割をされた方。

梅屋とももちろん、親交があった。



今回の活動のメインゲスト。
孫文先生の直系のご子孫。



孫文先生ご子孫ファミリーと。
(孫文先生にはご兄弟もたくさんおられて
それぞれのご子孫も孫ファミリーとして参加されていらした)



上海の同済大学でお世話になっている蔡建国先生は
北京大学を創立された蔡元培先生のご子孫。





今回の活動で一番うれしかったのが
英国人ジェームズ・カントリー博士のご子孫にお目にかかれたこと!
ジェームズ・カントリー博士がいなかったら
孫文先生と梅屋庄吉は出会っていません!!






この夕食会のあと、
真夜中、
北京の某空港からチャーター機で武漢へ。








武漢到着は午前1時をまわっていた。。。。







広州日本人学校&広州三菱商事30周年記念の、講演会

2011年12月10日 | せずにはいられない・・旅の話
広州日本人学校&広州三菱商事30周年記念の、講演会



2011年9月9日。

この日はまず、広州日本人学校
小学5年生~中学3年生までの児童・学生向けに
<孫文と梅屋庄吉>のお話をする。








Mr青柳が広州日本人学校の理事長をなさっておられる関係で
この講演会が実現した。


私は若い世代の日本と中国の皆様に
この友情の歴史をお伝えしていきたい、という気持ちを
強くもっているので
このお話はとても嬉しくお引き受けさせていただいた。





保護者の方も聞きに来てくださっていて
体育館には200名くらいが集まっておられた。





広州日本人学校では
孫文先生のことを事前に子供たちに学年にふさわしい形で
ご説明をしてくださっていた。


さあ、そこで、
日本人 梅屋庄吉のことを
子供たちにどう伝えようか。。。。





私はいつもより
身振り手振りも大きく、
言葉も優しく、大きくゆっくりした口調で臨んだ。

こどもたちはお行儀がとてもよく、
真剣なまなざしを向けてくれた。


東京の中華学校でも子供たち向けの講演会をしたことがあったけれど
中国人のこども、
日本人のこども、
みんな、時には不思議そうな顔をしながらちゃんと聞いてくれた。


そして広州日本人学校のこどもたちのすごいところは

小学5年生から中学生まで
どんどん、この難しいテーマであるにも関わらず
質問をしてきたところ

大人顔負けの素晴らしい質問ばかりで
私も思わず、子供たち相手に真剣勝負。

心から充実感を覚えた
印象深い講演会となった。


後日、校長先生から青柳理事長経由で
子供たちの感想文が送られてきた。



”漠然と今まで、中国で暮らしていたけれど
今日の小坂さんのお話を聞いてからは
自分が今、中国で生活していることを大切に思うようになった。”

”自分たちがミニ孫文・ミニ梅屋庄吉なんだという言葉が印象的だった。”


・・・・などなど、子供たちの素晴らしい感想文にも感動。

青柳ご夫妻のおかげで
私も本当に充実したお仕事が出来たな、と
今振り返っても、この講演会は胸が熱くなるひと時だった。


急いでホテルに戻り
軽く昼食を済ませ、少し部屋で休憩。

前日、この時間帯に胃痛に襲われたので
青柳ご夫妻も気を遣って、部屋で静かに休ませてくださった。


午後は三菱商事の方がお迎えに来てくださり
今度は広州三菱商事30周年の記念大会での
講演会。


三菱商事は日本でも一番人気の会社ですが
広州の三菱商事も日本人・中国人ともに
皆さん活気があって、明るく、素敵な会社だなぁ。。と感じた。




歴代の総経理の皆様も
30周年記念の会にご出席されていらした


講演会の後は懇親会に出席。





三菱商事らしく華やかな会。
歌あり、踊りあり・・・
そして中国風の
乾杯、乾杯、乾杯・・・・。





歴代の総経理(代表)の皆様は
中国人みたいに中国語が堪能で、
そして二胡をご披露されたり、中国語で歌を歌ったり

ビジネスを現地でやるためには
文化も学んでいらっしゃる姿に、感動。。。


広州での2日間で4回の講演会、という
かなりハードなスケジュールではあったけれど

Mr&Mrs青柳がすべて
コーディネートおよび私の体調管理までしてくださり
無事終了。


孫文先生・梅屋庄吉のゆかりも深い広州で
多くの方々にお話しをさせていただくことが出来、充実の滞在だった。


Mr&Mrs青柳にココロから感謝。










広州総領事館主催&広州日本商工会議所主催の、講演会

2011年12月10日 | 日中友好
広州総領事館主催&広州日本商工会議所主催の、講演会




2011年9月8日。

午前中、広州総領事館主催の講演会と
そのあと、かなりの数のメディアの取材を受けた。






会場は花園酒店内


広州には孫文先生の足跡がたくさん残っているが
日本の広州総領事館のよびかけで
関係者の多くが集まってくださった。

なかには学生も多くいて
興味深そうに話を聞いたり、パワーポイントの画像に
見入ったりしていた。

質問も、専門家が多いので
かなりたくさんお受けした。。。汗




広州対外人民友好協会の陳先生もかけつけてくださった




中山市からも孫文記念館の方々が・・・



広州総領事も最初のご挨拶からずっと
講演を聞いてくださった



広州黄ホ軍官学校からも館長さんらがかけつけてくださり、談笑



講演会の後は
かなりの数のメディアの質問攻めにあった。






こんな風に写真撮影も依頼されて。。。



気がついたら時間はお昼を過ぎていた。

午後にはまた日本商工会議所主催の150名くらい集まる講演会が予定されている。



Mrs青柳が大急ぎで私にワンタン麺を食べさせてくださり
30分ほど休憩。

しかし、この頃から12月初旬まで
私は胃痛に悩まされることになるのだが
午後の講演会の直前、激しい胃痛に襲われ
立っていることも不可能に。。。


会場近くのソファーで休ませていただき
いよいよ日本商工会議所主催の講演会スタート。
私の紹介を司会の方がやっている最中も

”もぉ、ダメ・・・・。

というくらい激しい胃痛に見舞われていたのだが
いざ、ステージにあがり
マイクで

”ただ今、ご紹介いただきました・・・”と始めると
全身の神経がアタマに集中し始めたせいか
胃痛のことは気にならなくなった。


日本の経済のために
ここ、広州で頑張っておられる日本の企業戦士の皆様に
梅屋庄吉の話をさせていただいた。



広州総領事の奥様たちも会場にかけつけてくださった


無事、90分間の講演を終え
そのあとは懇親会。



日本商工会議所の会長を務めていらっしゃる三菱商事の渡辺さまと



朝から緊張の連続で
激しい胃痛に見舞われたものの、何とか無事終了。

この日の夜も
青柳ご夫妻にマッサージ店にご案内いただき体力回復。


翌日は
広州日本人学校と三菱商事広州30周年記念の会にて
講演会2本立てAgain.

そのお話は次ブログにて。