常々、原典にあたる大切さとか、大事件だったらあとでその真相(なんてあるのかどうか知らないが)をまとめて読まなければならないと思っている。まったくマスコミはひどい。しかたがない部分もあるだろうが、それだけでなくひどいと思う。
この本は「裁判の記録」なので、真相を暴くというようなものではないが、読んでおくべきだったし、読んで良かった。実はこの著者とは気が合わないのだが、(いや、それほどでもないかな?)それは視点(視座?)が違うという意味で、どちらが悪いという訳ではないと思う。著者の目指す、記録をきちんと残すということはきちんと意味ある形で実現していると思う。(シロートが偉そうにすみません。)
「宮崎勤よ、お前は何者だ?」なんて問いはまったく無意味だと思うが、まあいいや。
裁判制度、特に日本のそれについて、あるいはさらに人を裁くこと、あるいは犯罪と責任などについてぐるぐるとそれこそ無意味な考えが頭のなかで渦巻きながら読んだ。
現代日本成人の常識らしいけれど、裁判というのは裁判官、裁判所が真相を究明するわけではない、刑事事件だったら検察と弁護士双方の言い分を聞いて(聞くだけ!)そして「こっちの言い分が正しい」と判決するだけなのだ。この仕組みからして間違っている、と思ってしまう。
この本を読んで一番感じるのはやっぱりまた裁判所、裁判官の傲慢さ。公正にとか真相の究明とかそんなこと考えてなくて、自分らが偉そうにしているだけだと思う。たとえば、
裁判官だけでなく、検察も弁護士もそうなのだが、シロートのくせして専門家(精神科の権威)の言うことをまったく否定するってどれだけ自分は偉いの?それならなぜ精神鑑定なんかするのだ?
いくらでも思ったことはあるのだが、もうひとつこれだけは。
この本の中で、読売新聞の大ねつ造記事のことが取り上げてあってとても良かった。あれは誤報でないねつ造記事で、新聞史上最大のスキャンダルだと思うのだが、こうやってきちんと記録されているのを見たことがなかったので、よかった。もっともこれも著者は異常に好意的で、それは不快極まりない。(と思ったが、今調べたら、実は今やwikiに載ってる、すごい。)