せろふえ

チェロとリコーダー
自閉症の娘
本と漫画 農と食 囲碁パズル
とっちらかっているので、気になるカテゴリーやリンクを

大人の世界

2018年02月09日 | 日記

 「神聖喜劇」の中で、大前田軍曹(だっけ?)が、「戦争とは殺して、奪い取ることなんだ」と本音をがなりたてる、村上少尉というすくなくともその時点では理知的?な上官が、おそれおおくもこの戦争は天皇陛下のために、理想的な八紘一宇を実現することだ(八紘一宇なんて言ってないけれどそんな感じ)、戦争とは奪い取ることなどということは絶対に許さん、と一種感動的な演説をぶつのだ。僕もちょっと感動してしまった。そりゃあ絵空事だろうけれど、当時の軍人の一部はそういう理想を描いていたのだと思うのだ。
 そして、そのあとその少尉が一兵卒に戦争とは何だと思ってるんだ、本音を言えというようなことを聞くとなんと「戦争とは殺し、分捕ることであります」というのだ。がっくりくる。脱力した。笑ってしまった。感動的だ。
 大人の世界というか人間ってこんなもんじゃない?そしてまたそれこそが戦争の本質なのだと思う。
 永六輔が、学校の先生は怒ってはいけない、叱りなさい。感情にまかせてはいけない、きちんと悪いことはどこが悪いか説明すべきだ、というようなことをよく言っていて、ぼくは永六輔をちょっと尊敬しているのだ、だが、そうじゃないことも知っている。理屈で諭しても通じないことがある。怒(いか)って初めて、まずいことだったんだとわかってもらえることがある。
 大人になれば、怒り狂ってもそれでも通じないことがある。
 また「神聖喜劇」だけれど、剣鞘すり替ええん罪事件で、東堂が、いくら正義を叫んでもわかってもらえるかどうかわからない、証拠もなしにあいつが真犯人だと言ってもわかってもらえないし言うべきではない、それでも今の犯人断定はまちがっているし正しいことは言わなければならない、と、これも感動的なことを言う。
 大人が生きていくのは本当に難しいと思う。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。