馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

園部陣屋・園部城

2019-05-15 16:44:42 | 丹波国の史跡
日曜日は、丹波山陰街道歩きの続きをした。
前日と同じく京都駅で乗り換え。
時間が遅いせいか、珍しく電車が空いてました。
11時半、八木駅到着。


八木は宿場町として栄え、今もいい雰囲気が残ってます。
八木から北上すると堤防沿いの道ばかり。
史跡も無くて、ただ暑いだけ。
今日も30度近くまで気温が上昇しそうです。
ふと、竹藪を見ると手書きの絵看板発見。


看板にしたがって竹藪を掻き分けると川岸に出た。
この付近は、園部川と桂川が合流し保津川へ向かう場所で、江戸時代水運として栄えたそうです。


その痕跡を探そうかと思ったが、藪蚊につきまとわれて、とてもじゃないがそれどころではない。
早々に退散しました。
この後、
しばらく宿場らしい街並みが続いてた。

宿場の出口で、ここが鳥羽宿だったとわかった。
これはミスった。

わかってたら、もっとじっくりと街並みを見て歩いたのに、残念無念。

吉富駅でしばし休憩する。

これからは、暑さが厳しくなるので街道歩きは休憩必須。

そして15時、園部町に入りました。

園部駅は街道に近いが、園部城下町は山の反対側で遠い。
鉄道は火を吹くという意識があり、駅が町から遠ざけられたらしい。
同様の例は他にもあり、同じ丹波の篠山城、我が近江八幡もそうです。
後々、これが良かったのか悪かったのか…


園部駅は地図の右下付近です↑

街道を北上し、園部本町で街道歩きはストップ。
これより南下し城下町を探索しました。




1619年、園部藩主小出義親は小麦山周辺に築造を開始した。
陣屋は完成したが、櫓は幕府の許可が得られず断念。
結局江戸時代通じて園部陣屋としての城下町でした。
しかし、築城の願望は強く、幕末に再び幕府に申請し、
そして、明治新政府の時にようやく許可された。
表向きは京都守護の名目でした。
小麦山山頂の他に本丸周辺に櫓門や櫓など10個の建物が造られた。
ようやく念願の堀に囲まれたお城が完成したのもつかのま、2年後に廃藩置県が断行された。
このため、園部城は
日本で最後に建てられた城郭建築
と呼ばれます。

裁判所正門に石垣。




城郭風のような建物は、園部町公民館。

近寄ってみると、現在は廃墟のような感じ…



国際交流館の建物も城郭風です。


園部城には天守が無かったのでこれはあり得ない。

すぐ隣に南丹市立文化博物館。
15時で閉館と思ってが、近寄ったら開館していて、館員が入ってもいいというので、300円払って入りました。
ここで、城下町マップget!

この後、マップを頼りに城下町探索しました。
しかし、小麦山は時間的に無理なので今回はパス。
肝心の本丸は、現在園部高校の敷地になってる。
高校の回りを一周する。

フェンスの向こうは、蓮池跡。

そして、正門に。


巽櫓、番所、櫓門が現存してます。
右に太鼓櫓があったが、その後八木町の寺に移された。
太鼓櫓も現存するので、次回八木町に立ち寄って確認するつもりです。
というか、今回は八木駅から出発してるのだから、先に立ち寄るべきでした。
下調べが不十分でしたわ。

正門は閉まってます。


なので、テニスコート横の南側の通用門から入って
裏側を撮影しました。


巽櫓と櫓門の間に番所。
この番所で、現在は高校への入門を監視してるのかな?

誰もいないので勝手に撮影した。

高校なので敷地に入るのは基本的に事前に許可が必要。
良い子は真似しないように!



最後に『生身天満宮』
なまみ、

じゃなくて、「いきみ」と読む

全国にたくさんの天満宮があるが、
日本で最古の天満宮
と言われてます。

菅原家の知行地が園部にあり、小麦山に邸宅があった。
道真公が大宰府に左遷されることになり代官が道真の子を預り養育し、道真の祠を建てた。
なので、道真公存命中の祠として
「いきみ」と名づけられたようです。

そして、道真公無くなった後、正式に神社になりました。

お城は日本最後、
神社は日本最古、

園部という町、いいですね。

実は、学生時代の先輩が園部出身で、自分のことを
丹波守と呼んでました。
園部町史の編纂に携わっておられたので、現在も歴史に関わることをされてると思うのだが…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
関西テレビ、カンテレの深夜に

『トゥルーマン・ショー』
という映画が放送されてたので見た。

アメリカの製作で、大ヒットしたらしい。

最初、わけわからなかったが、
そのうちのめりこんでしまった。

びっくりポンの企画!

いやぁ、凄い映画でした。

いろいろ突っ込みどころもあるけど、
奇想天外な内容はアメリカ映画らしいですな。

主人公の俳優さんのあの明るさが
この映画のすべて、と言ってもいい。

大いに満足したけど、
その後の主人公の人生はどうなったのか?
気になります…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大和郡山城 | トップ | 『阿波徳島』その20 徳島城 鷲の門... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿