馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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新発田城下町寺町エリア

2016-09-01 14:40:25 | 旅行
2016年04月28日(木)、

昼御飯食べて午後の部スタート!

『寺町エリア』

城下町にはたいがいお寺集中地区がある。
広大な敷地と建物が並ぶので、いざという時には軍事上の施設になりうる。
城下町建設時に意識的に配置された場合が多い。

12時51分、
『宝光寺』

藩主溝口家の菩提寺。

入母屋造二重の「山門」は幕末の建物で、県内随一だとか?

まさかまさかの藤棚。

今回の旅ではあきらめてたが、温暖化で藤棚前線も早まったかな?


三代将軍家光寄進と言われる垂れ桜はさすがに葉桜なり。

「寺町たまり駅」

先ほど休憩したばかりなので、こちらはパス。
雨降りの時はこのような休憩施設は貴重です。
我が市も、見習うべし!

『福勝寺』

門前に新発田重家公像がある。

門の屋根を見ると「四つ目結紋」

そうでした、そうでした、新発田氏は佐々木源氏系統でした。

南魚沼郡の雲洞庵三世が開山したという。

ということは、「わしはこんなとこ来とうなかった」のセリフで有名な天地人のあの寺と関係ありそう。

「新発田重家公廟」

新発田城落城とともに亡くなった。
42歳だったそうです。

「羅漢堂史料館」


自由に入ってよし、と書いてあるが、
靴下濡れてるので、中に入るのは遠慮した。

「新発田重家公墓」

さっきは廟、こっちは墓、
どっちがどっちやねん?

「佐治家の墓」

佐治氏といえば、浅井三姉妹の江の最初の嫁ぎ先。
尾張大野城主の佐治氏ですな。
婚姻に関しては諸説あり、真偽のほどはわかりません。
ただ、はっきりしてるのは佐治氏は近江国甲賀の佐治郷出身。
滝川一益が甲賀大原地区なので、近くですわ。
近江の佐治氏と尾張の佐治氏が繋がってるかどうかに関しては何とも言えないが、
信長の時に佐治水軍を率いて活躍。
秀吉の時、江を迎えたが後に背いて領地没取されてしまった。

その後、新発田氏の家臣になったそうです。

旅先で近江ゆかりの史跡を見つけるとうれしい。

知多半島の大野城にも行かねばなるまいな…。

寺町エリア一番南へ来ました。

解説板によると、
この付近は「上人数溜(かみにんずうだまり)」
1686年の大火で消失した蓮昌寺跡地を広場にした。
城下町の上手に位置し、会津街道の要所なので、
緊急時の軍勢の集合場所にした。
先に休憩した中央町には中人数溜、
大手町には下人数溜という広場もあり、
軍事上の集合場所と火災の際の避難場所も兼ねて設置されたようです。
寺町たまり駅のたまりはこの溜だったんですな。

幕末、藩主が米沢応援のために進軍した時、阻止するために領民が集まった場所がここでした。

通せんぼされて、しかたなく藩主が待機した場所がこちら、

13時09分
『清水園』





続く!


Φ(*^ひ^*)Φ
今日から9月になりました。

これから年末まで、あっという間だろうな。

寝苦しかった夜も、今は涼しくなって、寒いくらい。

でも、朝起きたら暑い!


寒暖の差が身体にこたえる…。


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コメント
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