Bunkamura シアターコクーンで上演された
「マクベス」
言わずと知れた、シェイクスピアの名作です
演出は 長塚 圭史さん
主演のマクベスは 堤真一さん
マクベスの妻は常盤貴子さんです
このキャストだけでも、
おもしろくない訳がない と思わせます・・・
11世紀中頃、スコットランド
マクベスはスコットランド王の座につくため
そしてマクベス夫人は 夫を王にするため二人で
ダンカン王の殺害を企て実行します。
しかしそこからが本当の悲劇の始まり----
二人は猜疑心や、不安、良心の呵責から 精神を追い詰められていきます
さらには、一緒に王に仕えたバンクォーをも殺害し
犯罪に次々と手を染めていくのです
この愚かで、普遍的な人間模様は
長い時間を経て、現代でも繰り返し上演され
人々の興味を捉えて離しません。
この舞台を楽しむうえでのキーワードとなる言葉が
3人の魔女の予言---- 舞台の序盤
スコットランド、ダンカン王に仕える
将軍マクベスとバンクォーは、ノルウェー軍に勝利をおさめた
帰り道、荒野で3人の魔女に出会います
そこでもたらされたのが
「マクベスは・・・・やがて王となる」
「バンクォーの息子は将来の王になる。」という予言です
その予言に翻弄されマクベスの権力欲は強まり
自ら破滅の道を進むのです
さらには、魔女たちは、こんな言葉を残します
「きれいは汚い、汚いはきれい-----」
これは有名な台詞です。。。
きれいは本当にきれいなのか。。。?
汚いは本当に汚いのか。。。。?
いろんな物事に当てはめると、非常にオモシロイ言葉です。
きれいと汚いは同一線上に存在して
決して 別のものとして分けられないのではないかと思うのです。
きれいが汚いに変化する事もあれば
汚いの中にもきれいが潜んでいるかもしれませんし・・・・
現に こうして、行き場の無い悲劇を
楽しみに見に来ている観客の心理にも同じ事が言えるかもしれません・・・
今日、良しとされた事が 明日そうとも限らない・・・
そうして考えると 私たちに毎日起こる不可解な出来事
や 人の行動が 腑に落ちる事があるのです。
自分たちも少なからず、マクベスであり
バンクォーであり魔女なのです。
白と黒だけで表せない、何種類ものグレーで
人の心と行動が 成り立っていると判ったら
欲・妬み・劣等感・恨み そして疑心暗鬼までも
人間を構成する一部だと思えます。
きれいと汚いという相対する言葉が一緒に存在するように
欲や妬みの後ろにも、相対するものが
存在しているのかもしれません。
本当に大事なのはそれを、どこまで感じ取れるかというところ。。。
少なくとも 舞台上の役者さんや長塚さんの
感性は秀でている事が分かります。。。。