前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

保育園で泣いていた頃の話

2016年12月18日 17時28分16秒 | わたしの思い
今は保育所に入るのが大変な時代だと言います。
この問題にはまったく門外漢なのですが、まだ一歳にもならない赤ちゃんを
来春から保育所に預けて仕事復帰する親戚が、くじ引きの話をしていました。

わたしは三才の終わりから、保育園に行くことになったのですが、辛くて辛くて
毎日シクシクと片隅で隠れて泣いていました。わたしには地獄みたいなところでした。

先日片づけをしているとふと当時のことを思い出しました。
のような話を聞いた後だったので、物心つかないうちからちょっと可哀そう
かな、親もつらかろうと思ったりしていた矢先のことですからね。

でも、これから書くことは40年過ぎても腹立たしいことで、当時は傷ついて一層悲しかったのです。

ちょっと中途半端な時期から入ったこともあって、すでにみんな馴染んでる世界の中で、
ポツリと取り残されているような不安と、当時から集団の中の一人でいることが苦手で、
毎日すごく我慢していました。持ち物を奪われたり、壊されたりするのも嫌でしたし。

でも、一番つらかった思い出は・・・・
受け持ちの先生の他に一人、若いニキビ面の学校出たばかりか?勉強中?の助手みたいな人がいました。
いまいちこの人の立場がわたしには理解できず、(当時のことなので資格とかもしかしたらなかった?)
すでに早くから通園しているボスみたいな子たちは彼女のことを『お姉さん』と呼んでいました。

みんなが外で遊んでいるとき、わたしはあまり遊具で遊んだりするのが、好きでなく怖いので、
部屋で何人かと本を見たりして過ごしました。
そんなわたしたちを見張る?のがこのお姉さんの役目でした。
つまり、あまり手がかからない、悪さもしないっていうタイプの子数人ですね。
それでも時にわたしはメソメソと家が恋しくなって、陰に隠れて泣いてしまうことがありました。

ある時、涙をぬぐって戻ると、
『お姉さん』に遭遇、面倒くさそうな顔と、中傷の笑みを浮かべて、
「また泣いてたの?」泣いてないと答えると、意地悪な顔して
「まつげが濡れているよ すーぐ泣くんだから」クスクス
そして冷たい顔に戻ります。

それから、他の先生がいるときには静かに言われたままに働いていましたが、
一対一で過ごす瞬間とかに態度が一変して意地悪になることに気が付きました。
しかし、ボス的存在の子達には実に親し気で意地悪をしないのです。

極力わたしは彼女を避けて、ゲームなどにも参加するよう努めました。

そんなわたしですが、ある時それがなぜだったのかは思い出せませんが、
ちょっだけ保育所をおやすみします。
そして同じころ担当の優しくてきれいなG先生が結婚退職をしてしばらく、
担当が決まらない時期があったと記憶しています。
この頃になると少し保育園にも慣れて泣き暮らすことはありませんでした。

ある日、まだ担当が決まらないので、数人とあの『お姉さん』と過ごす日がありました。
みんなとその頃になると明るく過ごせていました。
何か用事があって仕方ないので思い切って『お姉さん』と声をかけました。
すると・・・・・

それはそれは冷たい声と怖い顔で、
「おねえさんじゃないよ先生でしょ先生」
その時もそこに他の人がいませんでした。わたしの文章力では伝わりませんが、
注意の仕方や言い方が非常に、陰湿で、何で?この間まではみんなお姉さんと
呼んでいたじゃないと、すごく戸惑った覚えがあります。
ちなみにわたしが自分から彼女に声をかけたのはそれが最初で最後です。

一体いつから先生になったのかはしりません。多分少し休んだ間だったのでしょう。

明らかにわたしはこの人に嫌われているということを感じていましたけれど、
本当に、手のひらを返したように態度が変わるし、それも裏で、
子供なので戸惑うし、傷つくし、悪いことをしたのかと思い巡らし胸を痛めました。

その後担当の先生も別の先生で、とても優しいいい先生で『お姉さん』改め、
I先生とは関りがなくなり、ホッとして過ごした記憶があります。

この後、いじめられたり、他にも嫌なことはありましたけど、
後から入ってきたMちゃんが助けてくれたり、同じく後から入ってきたYちゃんと
歌を歌ったり、『お姉さん』改め、I先生から嫌がらせを受けることもなくなりました。
今思うと、年配の先生になって、I先生のことを気づいてもらえたように思えます。
それからI先生から露骨な態度変化がなくなったので、注意してくださった気がします。

こういういつまでも覚えている嫌なことってありますが、そういうちょっと子供らしくない子供
が嫌いだったのでしょうね。今思うとですけど。当時はわたしにとって深刻な問題でした。
いまでも、休んでいた間にお気に入りのタオルがなくなったことを覚えています。
まさか、あの先生が嫌がらせで捨てたとか?

今だったら、もう少し自分で打開策を見つけられたかもしれませんが、
あまり家に帰って、そういう嫌だったこととかも言えずにいましたしねぇ。
それなので、今頃になって、年老いた母に散々語って聞かせたのでした。
保育園って、子供もつらいけれど、親も後ろ髪をひかれる思いなのですね。

でも、な~んだかここで40年ちょっと前のうっぷんを晴らせた気がします。

一体あの先生は今頃どうなっていることでしょう。
もうおばあさんになっていることでしょうけど・・・・
あの意地悪い表情がありありと今も思い起こされます。
後でアルバム見てみようっと。







コメントを投稿