無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 通史講座 酒田が生んだ人々

2024-01-22 17:05:48 | 歴史


時を遡ること令和5年10月9日、「酒田が生んだ人々・小倉金之助・土門拳・須階ときを」と題して、鶴岡市在住の阿部博行氏から講義を受けた。


ゆざ酒田歴史日めくりカレンダーより



庄内日報社 庄内の先人・先覚33小倉金之助より

庄内の有名な3名の話が聴けると喜んで参加した。
小倉金之助も土門拳も身近な人物なのである。


私の曽祖父、佐藤泰太郎は小倉金之助と従兄弟同士だと、以前から聞いていた。
阿部博行先生の講義が終わった後に、実は・・・と内情を話すと喜んでくれて、東京にいる金之助の孫の方と交流があるから連絡してくれる。とのことだった。

数日後に、そのお孫さんから電話を頂く。
ご母堂の法事で酒田へ行くので、会えないかと仰る。お互い身の上話などしていると、ご本人は早稲田大学の名誉教授だと仰る。
ええ~っ、高卒の私がお付き合い出来る人ではないと、泰太郎直系の本家に電話し内容を説明する。
小倉金之助の母方の親戚とは交流がなく、初めて知って喜んでおられる由を告げて、私とバトンタッチして欲しい旨を伝える。
「えっえ~~!」私と同様の驚きの声と共に、見事に断られた。

酒田に父方の従兄弟がいるとして、東京都との連絡はその方にお願いすることにした。
その間、1-2回は連絡が着いたのだが、その後のやりとりがなかなか着かない。
酒田プランの冊子が手に入ったので、細々と手紙を書こうと努力するも、私の無教養が災いして進まない。
ようやく纏めて速達で送ったが、その頃には東京の方は急逝されていた。
「連絡が着かないのが、悪い方向に行ってしまった。」と従兄弟の方は嘆いておられた。
お葬式は年が明けてから、もしかすると酒田で行われるかも知れない。
生前、お電話でのやり取りに、「自分も歳だから、いつまでも生きている訳ではないし。」の言葉が最後となった。
会えなかった私が悪いのだけど。


さて、話は変わって「土門拳」は、幼い頃同じ町内の台町に住んでいた。
私の祖父は彼のことをよく知っていた。なかなかの悪ガキだったそうだ。
ある日、「土門拳が俺と今野屋靴屋さんの写真を撮した。」と祖父が言うことがあった。
「ま~たまた、冗談だろう。」と家族は信じなかった。


後日、写真集に載っていた。



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