光丘神社の北側の山王森高台の一角に、官軍兵士の墓がある。
時折、親族の方のお参りもあったと聞くが、長い間自治会の人達の手で守られてきた。
手前の中央から2つめの墓が最近土の中から見つかって、新たに礎石の上に載せられた金蔵さんの墓である。どの墓にも花と水が供えられている。
戊辰戦争で戦死した兵士の墓かと思っていたら、新政府からの進駐軍の方が病死された墓だった。
新たに見つかった神立金蔵さんの墓も並んでいる。
ここは酒田市内でも、季節が少し遅れる場所でもある。紫陽花もまだ咲いていた。
9つ目の墓碑が見つかった時の地元のコミニュティ新聞の記事。この他にも地元新聞にも取り上げられた。
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私は佐賀県に在勤したこともありますが、鍋島藩の支藩の一つが蓮池(はすいけ)藩ということを初めて知りました。先般のコメントに「蒲池藩」と書きましたが、肥前のとなり筑後を治めた「蒲池(かまち)氏」のことを知っていましたので、てっきり「蒲池藩」と思い込んでいました。
こうして故郷を遠く離れた地で供養していただくのはありがたいことです。
鍋島藩は有名ですね。その支藩が蓮池藩だったのですか。不思議な繋がりを感じます。
先日、地元の方に官軍の墓誌を案内していただいたのですが、画像を撮るのを忘れてしまいました。観光協会の画像も探したのですが、いいのがなく。お借りしてよろしいですか?
また、是非とも酒田にお出でくださいますよう、よろしくお願い致します。
本当にありがとうございました。掲載は明日の11:00予約なので、お時間がありましたら、読んでみてください。
アメーバの会員ではなかったので、コメントできませんでしたが、もし光丘文庫にご興味がお有りでしたら、少しだけですが、私も載せておりますのでご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/habanero-hu/e/b2aa9168b7e7f5877138f32c6f24e158