無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

鐙谷古文書研究会

2023-05-15 16:31:40 | 歴史

飽海地域史研究会の分会に、鐙谷古文書研究会がある。
飽海地域史研から酒田市史研究会が生まれ、本間家研究会と鐙谷古文書研に移行した。
本間家の方は、酒田市史に書かれてあった物を読み短期間で終わったが、鐙谷の方は、実際に古文書を読み解く方に移ってきた。
江戸時代(北前船で栄えた頃)の文書に触れることは、その頃の歴史だけでなく空気さえも伝えてくれる
鐙谷が酒田町の町年寄として、行政に携わっていたことを示す「御用記録」は読み終わり。
「蝦夷地一件所事ご用控」では、幕府の命令で蝦夷地へ向かう鶴が岡の侍たちが、酒田湊から船で蝦夷地へ向かい、ロシア人とどう戦ったかを読み。
「鐙谷・米沢藩御用達」では、鐙谷の敷地には米沢藩の蔵があり、米沢藩の蝦夷地への貿易での古文書を読み。
現在は「鐙谷勤書」と言う鐙谷家代々の家系に取り掛かっている。
1704年に書いたのが7代目鐙谷惣右衛門で、159年以前の物は火災の為古い系図は残っていないと記されている。

古文書を読むのが目的ではあるが、小野寺先生は少しの時間でも他の興味の湧く事柄を取り入れてくれる。


今回は、手に入った古文書の整理の様子を、実際の古文書を前に見せてくれた。
箱の中には証文の束が入っている。
ピンクのインデックスは、番号が付けられており年代種類に分かれていて、それを元に目録を作成する。


今回の古文書は旧八幡町から見つかった古文書だそうだ。
貸借の証書や、領収書、物の売買の書類の数々。


巻物は、仏教系や宗教系の掛け軸が多かった。


会員のIさんは、スラスラと文書を読む。
借金の文書でも、どうしてこの様な事態になったか、(天災や税金が払えないなど)田畑を抵当に入れるなどの内容が記されていた。
保存が良いのか、和紙が良いのか、無傷で亨保のあたりの文書もある。
手触りでは、幾らか厚いようだ。


圧巻はこれだ。
その頃の税金の内容が事細かに1m以上の長さの書状に認められている。
こんなに細かいことまでと驚く物だった。
単に年貢として米だけを差し出せばよいものではなかった。


江戸時代から明治大正に渡る文書があった。
聞いたことのある店舗もあった。


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