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28日、山形県建築士会女性委員会が山形市で全国女性建築士連絡協議会山形大会の準備会で喧々諤々している頃、私は酒田で杉原先生の講演会に出没していた。
時は幕末に近い安政2年(1855年)三川町横内村の鈴木治兵衛(数えで27歳)が書いた「伊勢参宮道中記・24巻」を、杉原氏が手に入れた。
道中記なる物は数々あれど、24巻が良い状態で揃っているのは珍しい。
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1巻から順に訪れた國名に分けられており、伊勢神宮往復と思いきや、広島(宮島)から岩国の錦帯橋、四国に渡って金毘羅山にまで書かれていた。
ついで往路と復路ではコースを変え、箱根から江戸へと向かっている。
これは当時の女性を伴う関所越え(江戸からの出女禁止)のコースに似ているのだそうだ。
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江戸時代の農村では、一世一代の「お伊勢参り」に、伊勢講と言う仕組みを用い各個人が毎年積み立てをする。
ある程度お金が貯まったら、数人が順送りで伊勢に旅発つのだ。
今回は安政2年2月5日から6月9日までの130日間、鈴木治兵衛を含め6人が同行している。
この道中記を見ると、鈴木治兵衛が単なる農民とは思えない。
村の肝煎や5人組の一人なのだろうと思うが、書かれている内容も若者ながら学問を極めていると言うことだ。
村の肝煎や5人組の一人なのだろうと思うが、書かれている内容も若者ながら学問を極めていると言うことだ。
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いくら伊勢講でも、集まった金額では130日間もの宿賃や飲食、それに各地の土産を買うには足りない。
そんな纏まった金額を持ち歩くことも難しいだろう。すると米の売買にも当時は為替を使って商売したそうだ。
また宿泊予定の宿にも、きちんと連絡はとれていて、宿の者がかなり離れた場所にも迎えにきてくれたらしい。
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この他にも様々な道中記はあるが、それに混じって道中安全ナンチャラの冊子があった。
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何処の國にどんな旅籠があるのかが、ずらっと印刷されてある。
今で言う宿泊先パンフレットなのだが、インターネットがない時代でも情報はきちんと手に入れることが出来ていたのだ。