山形新聞のHPに、酒田祭りの動画が載った。酒田祭
かすかに動いている立山車が写っている。元気に育つようにと祈願し、幼児達を獅子の口に入れ、カポンカポンと噛んで貰う儀式も、子供にとっては迷惑で恐くて泣き叫ぶ。大人達はそれを喜んで眺めている。そんな様子も映っている。
小耳に庄内さんのブログでも、動く立山車が映っている。
こちらの方がちゃんと見えると言ったら失礼にあたるだろうか。20m立山車巡業編
さて、20日の夜になって、厳島神社の境内に神宿があるので、出かけてみた。
相変わらずのピンぼけ写真である。
厳島神社にお参りしてから、神宿の祭壇の前に行くと、係のおじさんが「御神酒を一杯・・。」と薦めてくれた。やんわりと断り、縁起物の昆布を頂く。
当番の地区から集まった展示品を見る。
そこから早足で清水屋前の会場に向かう。立山車が動くのを見たいなと思った。正面は清水屋デパート。歩道で催しが見えないと嘆いている上では、エレベーターホールを特等席に、人が群がっていた。中央の光る物体は、硝子張りのエレベーターである。
とにかく、人の数が凄かった。私の後ろで「近年、こんなに人が出たのは初めてだ。」と話している人がいた。振り返ってみると、かじおやじさんだった。
酒田の八波会の御輿。司会やタレント業で活躍の八波 一起(はっぱ いっき)氏が、酒田の祭りに感動して、御輿をかつぐ会に協力した。
寒河江のJCの御輿。この前に同じく寒河江の徳内囃子が踊られたようだ。
さて、話は変わって、酒田祭りの間、我が家では床の間にこんな掛け軸を掛ける。
中央には山王大権現の掛け軸
左側には立山車の図
右側にも立山車の図。
明治35年の立山車の様子を描いた絵だった。明治39年を最後に、この立山車は姿を消す。この掛け軸は、明治の頃に酒田で税金を払った家に配られた物だと聞いた。勿論印刷である。
現在の神宿は持ち回りで、町内が中心になって寄付を集める。昔は大店が受け頭家になり、大枚を叩いたと言われている。3回頭家を受け持つと、破産したとも言い伝えられている。この山車の絵は本間家の物だと聞いた。こんなに大がかりな山車ではないが、本間家の物として、亀鉾が現在も保存されている。
かすかに動いている立山車が写っている。元気に育つようにと祈願し、幼児達を獅子の口に入れ、カポンカポンと噛んで貰う儀式も、子供にとっては迷惑で恐くて泣き叫ぶ。大人達はそれを喜んで眺めている。そんな様子も映っている。
小耳に庄内さんのブログでも、動く立山車が映っている。
こちらの方がちゃんと見えると言ったら失礼にあたるだろうか。20m立山車巡業編
さて、20日の夜になって、厳島神社の境内に神宿があるので、出かけてみた。
相変わらずのピンぼけ写真である。
厳島神社にお参りしてから、神宿の祭壇の前に行くと、係のおじさんが「御神酒を一杯・・。」と薦めてくれた。やんわりと断り、縁起物の昆布を頂く。
当番の地区から集まった展示品を見る。
そこから早足で清水屋前の会場に向かう。立山車が動くのを見たいなと思った。正面は清水屋デパート。歩道で催しが見えないと嘆いている上では、エレベーターホールを特等席に、人が群がっていた。中央の光る物体は、硝子張りのエレベーターである。
とにかく、人の数が凄かった。私の後ろで「近年、こんなに人が出たのは初めてだ。」と話している人がいた。振り返ってみると、かじおやじさんだった。
酒田の八波会の御輿。司会やタレント業で活躍の八波 一起(はっぱ いっき)氏が、酒田の祭りに感動して、御輿をかつぐ会に協力した。
寒河江のJCの御輿。この前に同じく寒河江の徳内囃子が踊られたようだ。
さて、話は変わって、酒田祭りの間、我が家では床の間にこんな掛け軸を掛ける。
中央には山王大権現の掛け軸
左側には立山車の図
右側にも立山車の図。
明治35年の立山車の様子を描いた絵だった。明治39年を最後に、この立山車は姿を消す。この掛け軸は、明治の頃に酒田で税金を払った家に配られた物だと聞いた。勿論印刷である。
現在の神宿は持ち回りで、町内が中心になって寄付を集める。昔は大店が受け頭家になり、大枚を叩いたと言われている。3回頭家を受け持つと、破産したとも言い伝えられている。この山車の絵は本間家の物だと聞いた。こんなに大がかりな山車ではないが、本間家の物として、亀鉾が現在も保存されている。