江原ひであき

新社会党

7月25日(月)。 午前は休養。 パスポ-ト。「新社会」配達。参院選総括

2011-07-25 | Weblog

7/25、 晴れ。暑さが戻ってきた。  いちごの苗を(30株)自立させた。

◆午前は休養。                                                                     いちごの苗をランナ-から切り離して自立させた。30株ぐらいはうまくいきそう。

◆パスポ-ト。                                                                                  まだ切れていないと思っていたパスポ-トの有効期限が過ぎていた。急ぎ再申請したが、きょう大金16、000円を支払い、再発行して貰った。

◆「新社会」配達・集金。

◆参院選総括--大会決定は間違い。                                                                     参院選闘争はどのように言いつくろっても誤っていた。なぜなら、党本部の副委員長だった原和美さんが、新社会党を離党して社民党に入党し、参院選比例候補として闘うことを、認め、政策協定や選挙協定など合意のないままに、我が党の公認候補であるかの如き選挙戦を展開したからである。 しかも、原和美さんの離党届は未処理のままに放置したのだ。結果として、原さんは二重党籍のまま選挙を戦ったのである。即ち、新社会党の原和美が社民党の公認候補として戦い、社民・新社の党員や有権者を欺くことになったのだ(このことが党の意志として行われたがゆえにあえて私見を述べている)。 このようなことは、私の政党認識論からすればあり得ないことである。 ところが16回大会では、この参院選闘争を変則的共同闘争として位置付け、成果の多い闘いであったと総括したのである。 少なくとも新社会党は日本社会の権力構造を選挙を通じて変革すると公言している革命政党である。 そのことが変わっていないという前提に立つなら我が党の参院選闘争は誤った闘いであったと言わざるを得ない。                                              さらに問題なことは、原和美氏の党籍の所在だ。 130名ほどの大会代議員の多数は理解した上での賛成なのか疑問である。 書記長報告は “原さんは社民党を離党した。新社会党への離党届は原さんにお返しした。したがって、原さんの党籍は新社会党で復活(離党はしていなかった)した” という趣旨での報告である。こうした重要案件が参院選全体の総括案として一括賛否で問われたのである。


7月24日(日)。全国大会2日め。政党の基本が崩れる。中国新幹線大事故。

2011-07-25 | Weblog

7/24、 晴れ。

◆全国大会2日め--富山栄子さんが本部副委員長に。                                                   最近、新社会党の国際的な存在感は希薄になり、結党時の面影はゼロに等しい? そうした状況下、中南米や中東情勢に見識を有する富山栄子さんが中央本部副委員長に選出されたことは明るい材料だ。

◆政党の基本が崩れる--無原則、無規律。                                                       党の本部副委員長、(原和美 氏)を他党籍(社民党の公認候補)として立候補させ、落選するや実質的な党籍復活を認め、ほとぼりが冷めるとお咎めなしで公然化させる。(本大会で党・執行部方針が了承されたということになるのだろう)。                        私は、原さんの選択(客観的に)は今回は問うまい。問題は新社会党兵庫県本部と中央本部にある。およそ政党(革命政党?)として超えてはならない一線を越えてしまった。新社会党の歴史的な汚点となるだろう。

◆中国新幹線(高速鉄道)で追突脱線の大事故。                                                        朝刊トップに高架から逆さ宙づり状態になっている客車、地上に落下して大破している車両が大写しで報じられている。時速250キロの猛スピ-ドで追突した事故の凄まじさが想像できる。 いずれ、中国社会の急激な近代化(西欧化)の歪みや矛盾が噴き上げて来るだろう。