まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

病院、一考。

2006年07月12日 | 雑感(日記)
救急医療体制をしいた病院がある。
設備を一新し、建物ごと「新品」になった病院が多くなる中、
都内でも、老朽化をそのままにし、地域の医療体制を支えている病院もある。

受付から、各科にしつらえた椅子は、青のビニールレザー張りの、固い長いす。
いつでも移動ができるよう、固定ではない。
夜になると、救急の患者が痛々しい姿で、ある者は車椅子で、ある者はストレッチに
乗せられて、目の前を通過する。
緊急ということもあって、付き添いらしき身内すらいない。

治療なり、診断が終わると、広くはない待合室。
痛みに耐えているものもいれば、ただ宙を見つめて放心している者もいる。
遠くでは、看護士さんが、これから警察の方を呼びますのでお名前を....
それぞれの事情が、見えも隠れもする。

昔風のつくりといえばそうなんだが、かっての病院は、冷たいような蛍光灯の
明かりが寒々として、清潔感を際立たせているかのよう。
こういう時間帯に、病院で、しかも病気で、一人になりたくはない。
そういう孤独を、「ひしひし」と感じてしまう。

身内の人間が、軽微な扁桃腺の切開手術ということで、昨日から入院。
面会時間を越えて、遅くに行くことができたものの、
この雰囲気に、なかなか慣れない。
手始めに院内の探検と称して、あちこちを歩くものの、
病室の前に置かれている椅子には、あてどなく、時間を過ごす患者が、
ただ我々に目をやる姿ばかりで、声も無く、当たり前だが表情も無い、
そういう空間は、本当に、切ない。

看護士の声と、笑顔が求められるのも、そういう意味で、大変な仕事だと
思わざるを得ない。
院内感染で、あたかも「不祥事」として取り上げられもするが、
これまた、近代医療の進歩で、耐抗生剤菌の出現が引き起こした現実である。
深夜も通して、こういう医療の現場では、9時を回っても、
各科の診察室では、患者の治療が行われている。

個人にとっては、一生で何度もない事態である。
医者にとっては、それこそ無尽におこる事態である。
無力感を感じているのは、こちら側である。
それは、どの時代においても、語られることである。

そういう最中、自分も、鼻の治療に隔週で通っている。
面白いのは、毎週、医者が変わることである。
発見だが、まるで合議制のような感じで、ある意味、面白い体験だ。
もう、自分の症状を完璧に伝えられる。だって4回も説明すれば、身につくよ。

鼻のポリープは、なにやら沈静化してきたが、
そちら側でない、右の鼻腔のレントゲン写真。
今度の医者が、患者を目の前にして、「あらまぁ」だって。
素直な方々が、最近、多い。
彼の勧めで、先ほど、CTスキャンを、人生初めて受けてきた。

この病院は、きれい、清潔、照明も間接照明で、居心地がすこぶるよい。
簡単に言うと、ゴージャス。
ぐおんぐおん、と音を立てながらCTされてきました。
目をつぶっていたので、照明の加減で、動いているのがわかりましたが、
目が少し温かくなったので、多分、今、最中なんだろうと。

あくまでも、軽い症状であったのが幸い。
まだ、わかんないか?でも、多分、平気。
医者との出会いは、なんだか一期一会。
そして、何より、即決の命がかかってくる場合がある。
我々の覚悟と、不安を相手に投げかける。そういう瞬間が確かにある。
ベルトコンベヤのような、大手の病院にかかりたくないのは、まさにこういう時。
相手に覚悟を聞いて欲しい時に、伝えられない、聞くそぶりを見せない、
そういう病院にだけは、かかりたくない。