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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

茶髪と店の方針に関して。

2007年05月22日 | 社会的全般
相変わらず、手持ちのパソコンも自分の環境もクライシスな状況なんだが、
頭が回らないのは、今日に限ってではない。

最近拝見した記事の中で、
不遇な環境の中で、頑張って働く少女(16)の話が出ていた。
ファミレスで1年間、働いている。
最近になって、新店長から髪の毛の色を理由に、
簡単に言うと、クビを宣告されることになる。

彼女は、こう言う。

 「1年間、一生懸命働いて時給も20円あげてもらった。それが髪の色だけで否
  定されることが悔しかった」

そして、個人加盟できる労働組合(ユニオン)に入り会社と交渉、撤回させた。
という。
  週5日、朝8時から夕方5時まで牛丼チェーン店で働く。さらに週2、3日は
  午後6時から9時半までファミリーレストランで、ダブルワーク。

このファミレスで「ダメだし」をされたわけである。
茶髪というものが、今現在、社会的にどういう位置づけをされているか、
つまり受け入れられているのか、いやいや難しいのか、
そういう観点で、これは、採用基準には入らないだろうなんて、
そういう意見が多いのも確か。

10年前に比べると、明らかにファッションなんだが、
まるで、生来のもののように受け取る雰囲気があるのも事実。
今時は、中学生でも、高校生でも、特別、珍しいことではなくなってきた。

そして、最近は特に、サービス業。特に飲食店での接客サービス。
都内では、本当に、人が不足している。
もう、応募があれば、シフトの関係上、まずは採用!ということが実態です。
繰り返しますが、10年前?20年前であれば、言語道断。
採用はされなかったでしょう。

というのは、接客は、当たり前ですが、お客様が主体です。
従業員は、まず「黒子」としての役割が立ち位置です。
とにかく「目立たない」「飾らない」「自然である」「清潔である」
が何点セットかわかりませんが、
普通のこととして、考えてきました。

つまり、そういう「コンセプト」で、店作りをしているところが、
今でも、当たり前のようにあるわけです。

もちろん、あまたの数が飲食業界ににはございます。
逆に、従業員が目立つことによって、それをコンセプトにして、
むしろ頑張っているところもあるわけです。

別に、社会常識とか、そういうことを言うつもりは、さらさらありません。
お店は、チェーン店であっても、その店のスタンダードを
主張したり、売りにしたりすることが、
当たり前なんだということです。

ところが、こういう記事を見ると、
個人のスタンダードは、こと、働く人権の問題が絡むと、
なぜか、店のスタンダードよりも優先される。
というか、こういうことが、全く、議論の余地がないくらい、スルーされる。

実は、働き手は、ものすごく、法的に守られています。
もう、どんな勤務態度であろうと、採用した時点で、
全責任を、店なり会社が負ってしまうのは事実です。

個人的には、彼女が、そのような趣味で、どのようなセンスがあろうとも、
それに関しては、その自由も理解し、問題にすらいたしません。
茶髪に関しても、特段、関わりがない限り、気にもなりません。

ただ、店のコンセプトなり方針が、何ら問題にされず、
雇用の問題として、処理されてしまった。
これは、本当に、それでいいことなのか?
ついつい、そう思ってしまい、取り上げた次第です。

消費主体として、不満を表明しなければならない。

2007年04月18日 | 社会的全般
経済活動が多岐にわたり、社会が複雑化すると、
必然的に、それぞれの抱える問題が「細分化」される。
そのために、大きな政府 が必要となってくる。
そういう解説は、いくつかの本に書かれている。

消費主体として育て上げられた「我々」という存在は、
どうやら、便利、不便を、合理的に、短絡的に解釈できる
思考を持ち合わせることなった。
よく言われる、歴史的にも主人公は「市民」である我々という考え方も、
いやいや、どうやら、「物」があって始めて、我々は存在するのではないか、

昔から、どうやらそういう危機意識が世界的にあったようだ。

「下流志向」という本に書かれていたが、
こういう切り口は、なかなか自分的に発想ができなかったんだが、
最近の傾向は、(いい加減な引用で申し訳ないんだが、)
いかに自分の不満を表明していくか。

特に、家庭内で、生活システムが便利になり、簡便化された環境では、
そもそも、実感できる「ありがたみ」が把握しにくくなる。
さらに、そのプロセスが見えにくく、まさにサービスが「提供」される
そういう段取りになってしまうと、
まさに、消費主体者としては、
「受ける側の」の理論を発動しやすくなり、感謝という気心が
案外、発動しにくくなる。

勢い、一番クローズアップされてしまうのが、
「わずらわしい人間関係」という話。
むちゃくちゃな理解をしてしまったかもしれないが、
自分が考えられる、合理的な範疇に収まらない、
そうすると、

その人間を「受け入れる」という作業に関して、
不満を表明することが、手っ取り早くも、自分という主体を維持できる
だって、消費者としては、等価交換だし、
この人間を受け入れるとした場合、
その価値を、自分が「見合っている」ということを、
認めた、という事実に、我慢がならない。

この我慢がならない、ということは、自分の価値をどこに置くか、
そんなの、当たり前なんだけど、
客観評価ではないから。
かなりの「インフレ」であることは間違いない。

よって、誰もが認識できる「偏差」の中に納まっている人間と
関わる場合において、自分も「認める」
イコール、自分の価値を代替できる。

どうやら、そういう世界観をもった集団になってきているようだと。

よって、あなたを認めることは、自分を認めてしまうこと。
それが、恐怖になるのは必然で、
相手に、雰囲気に、空気に振り回され放しになってしまう、
だから、人間が、怖くなる。
新しい人間と出会うのも怖くなる。
相手の「価値」が判然としないと、「価値交換」ができなくなる。

だから、身内を褒めない。
必要以上に、外に向かって、否定的な見解を述べる。
自分に「ぶれのない」軸があれば、平気なんだろうけど、
そりゃ、難しいよね。
と言う感じだ。
なんてね。

ええ、半分以上、自分の意見です。
ごめんなさい。
こんな風に理解してしまったんですが、
だめでしょうか?


そういえば、ゴミ箱が無い。

2007年04月03日 | 社会的全般
どこの国でも、急速に、自分で稼がなくとも生きていける、
そういう人間が増えている。
アメリカや、イギリス。
ホームステイやら研修生を預かる家庭。
それなりに、ご裕福な環境かもしれないが、
どういうわけか、部屋に引きこもっている、若い家族がいる。

これだけIT化が進んだ今日、会社へ通勤せずとも、稼ぐことは可能な時代。
要は、集団で作業を行わなくとも、個人でできる「仕事」が
社会的に定着もし、認知されており、
社会が必要としているジャンルが増えている。

とにかく話によると、全然、外に出ない。
食事時、顔をみせる程度。
年も、30をすでに過ぎ。
男性です。
多い。

人間が、集団ではなく、個体として生活をしていくという「慣習」は、
この最近のことで、動物として、どうなんであろうか?
案外、未知の状況であることは間違いないと思うんだが。

そういえば、どこぞのテレビ番組で、外国人から見た、ここが住み難い。
そういう特集で、第5位に「ゴミ」を捨てるところがない。
そういう意見があった。
あとは、物価だとか、忘れた。

考えてみると、いつのまにか、ゴミ箱が、町から消失している。
ゴミの有料化にともなって、ゴミに対するコストが意識されだしてからのこと、
なんだか、一斉に、ゴミ箱が姿を消した。

特に顕著なのは、鉄道。
私鉄は、もう、駅でゴミは回収しません、という明確な態度。
雑誌も、何もかも、捨てるところが、全くありません。
特に、危険物がどうのこうのという話があって、一時期撤去したはずなのに、
永遠と撤去中です。

ガソリンスタンドも、一時期、タバコの吸殻入れはOKだが、
ペットボトルや、ゴミくずは、お金をいただきます、と、挑戦的な所があったが、
2度と行きませんでした。
コンビニも、「ご家庭のゴミを捨てないでください」と、一応、断っているが、
なんとか、ゴミ箱は維持している。

ゴミを減らそうという「意識」と、ゴミ箱を撤去しようという反応。
特に、日本って、もともとお隣3軒とか、狭いコミュニティーの付き合いは、
あったように思うんだが、
広い、公共心とか道徳心。
あったっけ?

というのは、ゴミ箱もそうなんだが、
積極的に、大人が、損得考えて、「手を引く」ことが、あまりにも多い。
コミュニティーの消失とか、公共心が衰退してきたなんて言っているが、
こういう、寄席集まった社会集団で、地域も地縁もへったくれもない状態で、
この国というものは、さも、あったかのように「公共心」を言うが、
いやいや、ないだろう。

でなきゃ、ゴミ箱とかが、一斉に、町から撤去されるなんて事態になっている国、
多分、日本だけだぞ。
若者の拝金主義とか、孤立化とか、ニュータイプみたいな言い方しているが、
そもそも、大人も、世界的に見たら、
ニュータイプの分類にはいるんじゃないか?
だって、ボランティアの欠片も無いし。
5000円の水を毎日、飲んでいるようだし。
ごめん、違った。

日興コーディアルを事件化しないマスコミ

2007年03月12日 | 社会的全般
ライブドア事件で、「額に汗を流して働く人たちのために」
その発言は、大きな「共感」を得られたようだったが、
今回の日興コーディアル。
扱いが全然違うのは、どういうことなんであろうか?

もともと、山一證券と並行して、実態が不透明だったと噂があったが、
そこまでの業界通ではないので、
詳細はわかりかねるが、
本来であれば、逮捕、上場廃止のワンセットが発動されても
おかしくない「事件」のはずだ。

どういうわけか、金融庁も、日興のTOBに好意的だし、
買われるのであれば、起こったことを、「不問」に付すという発言、
ライブドアを再生のために、ゆうせんが名乗りを挙げかかった際に、
ぼろくそ叩いたマスコミも、
相手が外資であれば、突っ込みどころも無しか。

日興TOBハゲタカ5割増要求…もうけニオイかぎつけ

  シティは、日興株が上場廃止になった場合でもTOBを実施することを明らか
  にしている。買い取り価格は1株あたり1350円と発表したが、これに不満
  をぶちまけたのが、日興株の7.23%を保有する筆頭株主の米ハリス・アソ
  シエイツ。
  日興の不正会計問題での処分が浮上した昨年12月以降、890億円の資金を
  投入し、7050万株を一気に買いあさった。
  1株あたりの平均取得額は1263円。

  単純計算では、TOB価格が1350円の場合、ファンドの利益は約61億
  円。これが2050円になると、約555億円まで拡大することになる。

  先のハリスに続いて、英領バミューダのオービス・インベスト・マネジメント
  (6.75%)、米サウスイースタン・アセット・マネジメント(6.0
  8%)、カナダのマッケンジー・ファイナンシャル・コーポレーション(5.
  74%)が上位株主を占め、4社で計25.8%を保有している。

  外国人の持ち株比率は60%超になったとの見方もある。

これが、多分、構造改革、規制緩和と称される、日本の進む未来の絵図。
会社は誰のものか。
これを見る限り、株主のものだなんて、言っている奴の顔が見たい。

誰もが描く、「株主の顔」。
ほとんどが、ファンドだとすれば、専門家や一般大衆の方々。
どういう反応を示すのか興味深い。
所詮、この世界では、まったくどうして、
額に汗をかくような、株主なんて、どこを探してもいるわけが無い。

というわけで、ライブドアをあげた検察。
何を否定しようとしたのか、何を訴えようとしたのか、
あまりにも、世間知らずだったことだけが、はからずも自明になってしまった。

シティーバンクも、マネーロンダリング紛いの商売で、
かなり罰則を受けまくっている事実がありながら、
もう連日、報道するマスコミもいない。

テレビも「絵になる」人間がいない以上、
まったくもって、朝のワイドショーも沈黙。
ライブドアより、長く、そして、色々と底の深い事件であるのに。

結局のところ、これがスムーズに一件落着してしまえば、
本当に、この日本は、ある意味、何でもありの「地獄の蓋」が開く。
それを、マスコミが追えないのであれば、正直、部数が落ちようが、
何の関心もない。
金曜・土曜日の、折り込み広告の「表紙」くらいの価値しかないのだろう。

法人税減税分を消費税に、と、時給1000円。

2007年03月02日 | 社会的全般
キャノンの御手洗さん。経済財政諮問会議の議員。
例のホワイトカラーエグゼンプションなど、世界的に見た、日本の
競争力を、どのようにして高め、日本の景気を引き上げ、
最終的に、社会福祉等、再配分の議論にもっていこうかと。

多分、そういう話しなんだと思いますが、
先の新聞にて、法人減税を行え、現行40%から30%にすべきだと。
でないと、競争力の高い企業は、
海外へ移転してしまうぞ、ということを暗に。
キャピタルフライトである。

百歩譲って、これも、仰りたいことは、理解できますが、
その次に、よって、消費税を3%あげる。
そして最終的には、10%をこえるものを検討しなくてはならない。
みたいな事も言う。

考えてみれば、この消費税。
もともとは、社会福祉予算に充当されるべきもの。
そういう意味を、確か、当初はアナウンスされていたはず。

特に、参議院選挙後、必ず論議されるであろう消費税率アップ。
今、議論されるべき、必要な問題なはずだが、
しないよね。
その消費税。現在では、年金、社会福祉等の拡充のために、
必要だ、と、また、そういうアナウンスをしているし、させている。

が、御手洗さん。
企業が価値を高め、収益がアップすることが、
ひいては、日本にとって、最重要課題だというスタンス。
かなり、言いたい事を、言っている感じです。

そして、消費税は、企業の法人減税部分に充てるべきだという方向。
出た出た、という感じです。
先の消費税導入時、これによって、2兆円かな?税収がアップする、
そんな説明をされていたが、
結局、消費が冷え込んだために、逆に、税収が何兆円だっけ、
減収になったという、笑えない過去をもつ、この国である。

そこで、出てきたのが、民主党の
最低賃金1千円、パート差別禁止を…民主の格差是正策

  民主党は27日、今国会に提出する格差是正緊急措置法案の骨格をまとめた。
  最低賃金を全国平均で時給1000円へ引き上げることやパート労働者に対す
  る差別禁止を盛り込んだ。
  夏の参院選に向けて、安倍政権との違いとして、格差問題に積極的に取り組む
  姿勢を示すのが狙いだ。しかし、最低賃金引き上げは中小企業の負担増につな
  がるため、実現性を疑問視する向きもある。

露骨な、浮動票集め。
すごいなぁ、短絡的な発想で。
大丈夫なのかなぁ。
確かに、東京では、今時、1000円以下の時給での募集は、
チャレンジャーです。
850円の時給で、人なんか集まりません。

とはいえ、全国的にこれを実施した場合、そもそも、企業格差ござれ、
大企業の、正社員の縮小という問題もあり、
契約社員から、フリーターの正社員登用を、まさに締め出しているのが、
例の御手洗さんの会社。キャノン。

上場会社が、正規に、アルバイトを採用しているなんて、
あんまり聞かないんですが。
これって、あからさまな、中小企業に追い討ちをかける、
そういう政策になっているんですが。

本来、やりこめなくてはいけないのは、
経団連に所属している企業に、格差を含む、問題点を、
取組ませることだと思うんだが、
民主党は、どうも、ピントがずれているようで、
参議院の選挙も、苦戦しそうだなぁ。


あらゆる場面で、個人が主張し始めるについて。

2007年02月28日 | 社会的全般
どこの街でも見かける風景。
駅前に、商店街が設置している「時計」。
当たり前だが、正確に時を刻んでいるものもあれば、
なんとなく、時を知らせているものもある。

ほのぼのともしているし、意外にも、街の顔だったりもする。

合ってようが、不正確であろうが、今までは特に問題でもなかった。
いつのまにか、止まっていたり、
慌てた商店街の人間が、脚立を持ち出して、直したり、
高架専用車の料金に「目を飛び出せながら」、直すこともある。

が、最近は、止まったままにしている所を見受ける。
張り紙をするところもある。
要するに、1分でも、「間違っている」と、
それによって、「被害」を受けたと、訴える住人が出てきたからだ。

北海道で、池のある公園。
悲惨な事故だが、親子のバーベキューが開催され、
「目を離した隙に」、子供が池に落ちて亡くなった。

大きな公園で、昨日今日できた公園ではない。
長くそこにあって、池全体に柵を講じていることもなかった。
が、裁判で、市に2500万円もの「損害賠償」が課せられた。

水戸で、3月10日、どうやら「水戸納豆の日」らしいんだが、
昨年から、記念行事に、納豆早食い競争なるイベントが開催されていた。
昨年は、自由参加ということもあって、
「腹」に自慢の参加者が、わきあいあいと......。

本年から、参加費を500円だが、徴集することになった。
そして、グループ制で、女性を含んだ3人を単位とした。
それは、昨年、大会を聞きつけた、ホームレスの人達が、
繰り返し、集団で、参加し、それが、どうみても「ただ食い」に
見えたのが、今回の措置につながったようだ。

最近のニュースでは、顔にモザイクのかかった「関係者」が、
ほぼ匿名で、インタビューに答える。
それを必ず、セットでとりあげるテレビが多くなった。
昔では、考えられなかったことだ。

報道は、記者が、ある意味、記名形式で発言することで、
その能力なり、責任を前提にしていた。
安易過ぎる、「関係者」の発言を集めたものが、
記者そのものを、単なる「媒介者」に仕立て上げることを、
存在理由を毀損させていることを、
理解しているのだろうか。

そして、「関係者」や近隣に住む「住人」が、
責任の意味を履き違えて、安易に発言することを、
増長させてしまったか、
そういう「武器」を、安易に与えてしまったのか、
テレビは、もう少し、真剣に考えたほうがいい。

2チャンネルを、目の敵のように「危険」なものとして、
各マスコミ、新聞、テレビなどは、そう論じるが、
実は、一番厄介なのは、まじめに「世論を喚起する」「世論を導く」など、
それを当たり前のように言ってのける、
新聞だったり、テレビだったり、する。


薬害というキーワードに関して。

2007年02月22日 | 社会的全般
このまま、東京は、「冬」という季節を通り過ぎ、
秋から春へ、一直線。
多分、色々な問題も、弊害も、そこにはあるんだろうが、
四季折々の風景も肌感覚も、「温暖」であればよろしいに、
そんな気分を、気象予報しにしても、キャスターにしても、
言葉の端々に感じられる。

昨年の、激烈な「インフルエンザ」も、どうやら大きな問題には
なりそうにない。
が、
その特効薬として、今最も効果が高いと言われている「タミフル」。
少年の異常行動との関連性が問題になっている。

昨年も、その報告の真偽が問われ、
一応、関連性を認められないという決着をみたようだが、
先日のテレビ報道では、
何とか、タミフル「由来」の問題を喚起しようと、熱が入っていた。

「薬事書」という、市販されている薬の箱の中に入っている
普通、1枚程度の説明書。
薬局で手渡される際には、普通、薬事書を見ることが出来ない。

そのテレビでは、タミフルの薬事書を引っ張ってきて、
副作用の項目を映し出し、
異常行動、妄言、など、記入されている「事実」を公開し、
注意を喚起していた。

つまり、薬事書にも書かれているわけだから、メーカーも認めている事例。
だから、「起こるんだよ」という説明らしいが、
最近の薬事書は、真偽が確かめられなくとも、
そういう報告があれば、自動的に、可能性も含めて、
記載することになっている。

もちろん、結果的にお亡くなりになった方がいる以上、
言葉を選んで書きたいんだが、
科学、化学というものは、当たり前だが、「再現性」が重要な要素になる。

異常行動に関する「データ」が、仮に因果関係を証明するにしても、
昨年、1080万人に処方されたタミフル。
厚生省の報告によると、昨年、死亡が確認された件数は、

  中毒性表皮壊死症(Lyell症候群)※1及び腎不全※2による死亡2例につい
  ては因果関係を否定できないものの、それ以外の24例についてはタミフルと
  死亡との因果関係は否定的であるとされています
  ※2 タミフルと腎不全との因果関係が否定できない事例が、これまでに10例 
    (死亡例は本例のみ)報告されています。
  ※3 タミフル発売(平成13年2月)後に厚生労働省に報告された事例につ
    いては上記のとおりですが、これとは別に、タミフルの製造販売業者は、
    そもそもタミフルとの因果関係がないものとして死亡8例を把握している
    と聞いています。

完全ではないのだが、合計で、疑わしいものを含めて、
2足す24足す10足す8で、44例。
いずれも、平成17年度のものだが、
0.000004%。

今現在、多分、この「数値」が、ある種の判断基準になっていることは
間違いないことだろう。
報道では、厚生省が、「認めない」ことに対して、
苛立ちや不作為を「非難」していたが、

確かに、過去の薬害の事例を見るまでも無く、
起こってからでは、遅い。
しかも、過去の事例から言っても、「信用」が無い。
特に、厚生省に対してだ。

ただ、昨年、インフルエンザ由来で死亡した人数は、1800人。
今年は、暖冬のおかげ?で、大きな問題にはならなかったが、
すでに、薬局では、タミフル報道にともなって、
患者に間で、緩やかな不安が漂い始めている。

何しろ、罹ったかな?というタイミングで投薬されないと、
効果が出ない薬である。
しかも決められた日数、服用しないと「耐性」すら持ちかねない
そういうウイルスである。

現に、ウイルスとは「戦い」だと、そう宣言できる状況の中、
インフルエンザを「なめ切って」はならないし、
そういう覚悟を持って、このウイルスに立ち向かわなくてはいけないはず。
確かに「薬害」を認識することは大事だが、
誤解を恐れずに言うのであれば、
不安を煽るのは、こっちのほうでは、無いはずだ。

断片的に感じる、粋爺の取り上げられ方。

2007年02月21日 | 社会的全般
朝日新聞の日曜版だったかしら、定年後の「暮らし方」という
コラム記事。
うろ覚えなんだが、他国が、スポーツ、レジャーなどをあげるなか、
「何もすることがない」が、確か、一番多かった気がする。

昔から、仕事だけが人生だと、家庭を顧みない、あげく熟年離婚だ、
定年後、生きがいを見つけられずに「生を絶つ」など、
いわゆる社会問題的に取り上げるマスコミも多かったが、
未だに、自分の人生をコーディネートできない高年者が多数を占めているようだ。

今朝の番組でも「粋じい」「粋爺」。
こういうライフスタイルをとりあげていた。
あきらかに、格好がよく、颯爽としていて、加齢臭も感じさせない
そういう方々が登場していたが、

特に、出版関係社が、こういう層にターゲットを定め、
いわゆる団塊世代、引退した高年者のライフスタイルを
なんとか取り込もう、「啓蒙」していこう、
要するに、消費意欲のレールを引いてさしあげたい、
という魂胆が、見えも隠れもしている。

マスコミも「絵に」なれば、また、そういう方々の消費活動は、
そのままスポンサーの収益に結びつくわけで、
利害関係者としては、どうのような切り口で報道していくか、
自ずとわかるようなもんだが、

ただね、見ていて思うんだが、
社会と「遊離」している感じが、どうしても否めない。

言わせていただければ、
単なる、格好のいい、消費者のスタイルなんか、むしろ、どうぞ、ご勝手に
なんで、
もう少し、社会と関わりのある、格好のよい高年者を、
上手く取り上げてはどうか、と思うんである。

諸外国を例にするわけではないんだが、
レジャーにしても、スポーツにしても、
「集団」なりコミュニティーが、生き生きとそこにある感じで、
その周りには、その地域の生活者との交流が、ベースにもなっている。

別に、ボランティアをしようよ、とか、お台場の科学技術館のように、
ボランティアで、見学者に説明をしようよとか、
強制はしないが、
どうも、日本は、一人で格好良く過ごす、そういう人生に焦点が集まりすぎ。

自分も、NPOとか、バザールとか、どうも関心が無いせいか、
元気で、コミュニティーを大切にしている高齢者にめぐり合う機会が
無いからかも知れないが、

最近のマスコミで取り上げられている、高齢者。
どうも、俺だけ、満足していれば、
そのほかのことなんて、関係が無い。
みたいな連中に見えて、どうしようもないんだが。

こう見えてしまうこと自体、自分も、心の病に侵されているのかもしれないが、
「粋爺」を目指そうとするトレンドは、
相変わらず、バブルの頃を彷彿とさせる、
趣味なのか、何なのか、そりゃ自己満足は当然ではあろうが、

他者を拒絶するような、
「お金を儲けて、何が悪いんですか?」というフレーズと、
さして変わらない雰囲気を感じるのは、
私だけでしょうか?

せめて、この層から、何らかの、つまり、なんだ、
その「美しい国」を、目指すんだったら、
もっと、考えたり、行ったりの、あれだ、そうそう、
ビジョンというか、発信を、
まぁ、強制はしないんだけど、
もう少し、していただけたらなぁ、なんて、
多いんだから、結構、人数が。
変わると思うんだけど、無理かなぁ、無理かなぁ.......。

多分、将来、言われると思うんだよね、
あの時代を作って、壊して、突き上げられたジェネレーションとして。

PS3はしばらく買わないでしょう。DSは3台ありますが。

2007年02月17日 | 社会的全般
デジタルエンタメ天気予報 大画面テレビが、高画質ゲームを苦しめる 

  大画面テレビの普及は、日本市場でのPS3やXbox 360の立場を、むしろ苦しめ
  ることになるんじゃなかろうか と、大胆に宣言しておきましょう。
  なぜなら、据え置きゲーム機というのは、「テレビを“間借り”しなければな
  らない娯楽品」だからです。

  日本の家庭では、テレビは「みんなが集まっているリビングルームにあり、人
  がいる限り常に何かの映像が流れているもの」。もちろん例外は多々あれ、
  据え置きゲーム機を遊ぶためには、「1人がゲームを楽しむ代償として、家族
  の団欒の道具になっているテレビ放送を消す」必要が生まれるのです。

   一方、家族みんなで楽しめる「Wii Sports」や「はじめてのWii」はミリオン
  セラー目前。「1人でゲームを遊び、他の家族は何も楽しめない」タイプのゲ
  ームが苦戦していることは、このデータからもうかがえます。

  「大画面テレビが普及すれば、画質に優れたPS3やXpox 360が盛り返す」と予
  想するのは、私にはいささか無茶だと思えます。

評論家さんというのは、大変なお仕事だと思います。
今までのところ、PS3が売れていないのは、良いソフトが出ていない。
まずはこれに尽きると言っていいでしょう。

個人的な感想ですが、
誰も、高画質で、ゲームをしたいとは、思っておりません。
そもそも論として、違うんじゃないかと、思っております。

確かに、「ゼルダ」が苦戦しているようですが、
あれは、アクションロープレで、その名を借りた、難しい、パズルものです。
ドラクエや、ファイナルさんとは違って、
マリオとも異なって、ゼルダは、ピン芸人です。

そろそろ、彼が、修行なのか、時の間を行き帰るのか、
設定が難しくなったのは間違いないでしょう。
しかも、どことなく、暗いし。

それはさておいて、これだけ高画質になってしまった場合、
どうでしょう。
今までのゲームに対して、勝手に「移入」していた感情を、
最近の、すっきりくっきりの主人公に、重ねることができるのでしょうか?

これでは、映画を、自分の手で動かすことの、かったるさを、
逆に際立たせてしまうのが、おちなんじゃないかと、危惧しております。
確かに、様々な、ツールがあふれかえる今日、
攻略本ですら、「殺人的」な道具として、厚みを増しておりますし、
手を止めて、勝手に流れる「サービス映像」も、
まるで、コマーシャルの感があって、ワンオブゼムのアイテムしては、
とてもヘビーなアイテムです。

まさに、PS3が結果的に目指している世界が、
高画質、メガな容量とあいまって、
まさに映画と競合してしまう可能性がある。

ということは、語りつくされた、ストーリー。
どのように、斬新的で、革新的で、感動的な設定を作り出すことが可能なんでしょうか?
恐ろしい。

収集、謎解き、飼育。
考えてみると、どれもこれも、意外にも、他人と「競う」「自慢」を誇れる、
勝手に自己満足な部分を満たすものが、ゲームとして、
万全の地位を売り上げを築いている。

ユーザーは、案外、アイデンティティーを、ゲームの中で、
それぞれが、勝手に投影もし、反映もし、確認もし、という作業を、
どうやら行っているのは確実で、
それに意義を見出せないものは、結果的に、やらない。

ミスリルやエクスカリバーや、そういうものが普通名詞となってしまった今日、
すでに語りつくされた「レジェンド」を、
再構築する作業。
どれほど、難しくなっているか。

キャラクターに依存を深めている、ホビー関連が、多分、
その難しさを表しているのではないだろうか。
リアリティーは、ほどほどに、と、思うんですが。

我々には、もう少し理解を深めていいことがある。

2007年02月13日 | 社会的全般
ここまで暖冬であると、不安視されていたインフルエンザに罹患する患者も
数が少ない。
寒い、乾燥している、体力が弱っている、などが、幾分にでも
緩和されているのだろう。

普通、病院などは、日曜日、祝日はお休みである。
時間外診療など、それでも多くの病院は行っていて、
積極的に、ホームページで公開しているところもある。

が、会計が閉まっているために、例えば、5,000円なり、
一時金で「後日会計」を行うことが多く、
急場の時に、お金を調達できない場合、二の足を踏むことも多い。

昨年は、インフルエンザB型が猛威をふるい、タミフル特需で、
メーカーも最高益をあげたシーズンであったが、
当然ながら、この時間外診療も、てんてこ舞いであった。

時間外といえども、待合室で待たされる患者も多く、
急遽、呼び出しを受けた医者も、かなり憔悴しきった感じで、
ヘビーワーク、そのものであった。

案外知られていないのが、各都道府県、に存在する「医師会」が経営する
診療所。
 
  地区医師会とは、各区市町村において、その地域の医療・保健・福祉に貢献で
  きるような事業を実施している団体です。

  それぞれの医師会では、会員がかかりつけ医として、地域の医療、保健、福祉
  にかかわるのみならず、医師会として以下の各事業を行っています(地区医師
  会によって若干の違いはあります)。

  ・住民のための基本健康審査
  ・各種がん検診、骨粗しょう症検診
  ・予防接種
  ・乳児検診
  ・学校医(小、中、高)、園医活動
  ・休日診療
  ・小児平日準夜間診療
  ・産業医活動
  ・介護施設の運営(訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所など)

例えば東京都医師会では、都内に57もの診療所を持っている。
診療所と言っても、設備を完全に持っているわけでなく、
あくまでも、地域医療を「補完」するためのシステムで、
かかりつけの医者や、その他の病院をないがしろにするものではない。

薬についても、平日に、かかりつけの病院なり医院にいくまでの
つなぎとして、1日分とか2日分をせいぜい処方するだけで、
当たり前だが、症状が「大事」であれば、救急医療を備えた病院を
つないでくれる。

まさに当直の医師は、医師会に加盟している、各病院から「派遣」される。
ボランティ的で、こういう地域医療体制を敷いていることに、
実は、驚かされたりもするが、
もちろん、どの専門の医者が担当するかは、その日になってみないと
わからない。

当たり前だが、整形外科が専門の先生が当直の場合、
風邪等の諸症状に、どう対応できるか、不安なこともあるが、
実は、薬を扱う、薬局も、薬剤師会が経営する「会営」薬局がある。

連携して、不慣れな諸症状に関しては、
都度「疑義紹介」を通して、フォローアップするシステムが構築されてもいる。
もちろん、この会営薬局も、平日は専用の要員でまわしているが、
休日などは、各薬局から、薬剤師が、その為に派遣されている。

地方で、どのような地域診療があるのか存じ上げないが、
意外にも、こういう体制を敷いていることを、我々は知らない。
健保医療システムが、崩壊の危機を迎えているとはいえ、
こういう医療システムは、もっと、誇るべきだろうと思う。

医療も教育も、そして警察も。
時折、理解しがたい問題を目にすることもある。
が、実は、営々とした、普段目にも留まらない、地道な作業が、
我々を支えてくれていることに、
もう少し、理解を深めても、良いのではないだろうか。

この国が「終身雇用」を捨てた場合。

2007年02月10日 | 社会的全般
2000年に突入してから、特に日本は、結構な「構造的」不況を
経験をしたきたわけだ。

時期は同じではないかもしれないが、諸外国も、同じような構造的な不況が
あったわけで、それぞれが、試行錯誤を繰り返している。

案外、アメリカだけが、微妙に乗り越えている感があるが、
軍事的な特需を見込んでみたり、世界通貨であるドルの底力をみせてみたり、
それでも、安定的に実感できる、上昇感は、
もはや感じることが出来ない。

そういった中で、何かを学び続ける日本。という立ち位置は、
確かに産業の黎明期であるとか、有効な時期もあったであろう。
海外の事例なり、方法論を取り入れる、もしくは、
昨今批判を浴びている、アメリカの「言うことを」拝聴する姿勢。

どうやら顕在化してしまったのは、何かで守られていた「格差」の事実である。

年功型給与・終身雇用 復活

  年功型給与・終身雇用が見直され始めた。成果主義で豊かになったのはごく一
  部の社員だけで、ほとんどの社員は収入ダウンに見舞われ、サービス残業でヘ
  トヘト。職場の雰囲気もギクシャクし、続発する企業不祥事の一因にもなって
  いる。
  年功型給与と終身雇用の復活で、サラリーマンの働き方は変わるのか――。

こういった記事を見つけた。
繰り返し、自分も考えを修正してきているのだが、
どうやら、超高度経済成長が見込めず、確固たる目標というか、動機付けが
難しくなってしまった今日、
見えてきた問題点は何か、ということ。

例えば、会社でいうのであれば、
給与体系が、成果主義というのを超え、会社自体が「単年度」の
成果を追求せざるを得ない状況になってきている。

  成果主義によって社内の給与格差が広がり、かえって社員がやる気を失うとい
  う弊害が目立ってきたんです。また、社員が目先の成果ばかりを追いかけるも
  のだから、日本企業の強さだった商品開発力や技術力で欧米企業に負けること
  が多くなりました。

上記の弊害は、社員のみならず、昨今の企業の「不祥事」にみられるように、
長期的に作り上げていかなくては成らない、
しかも、短期的に成果が実感できない、
地味な作業、検査、管理、研究、開発、検証などに、
多大な弊害が出てきているということだ。

  日本独自の最先端、超高級、未来型の商品やサービスを目指す企業は終身雇用
  のほうがいい。
  ……現場に成果主義を入れたら、さんたんたるものになりかかっているという
  話だ。命令する人と、それを聞いて実行する人がはっきりしていた方が仕事す
  るらしいんだな。

数年も前から、過去を回帰するというわけではないが、
一部では、そういう声が上がっていたのは事実である。

  成果主義は米国のシステムのように思われているが、米国でもエクソンやGE
  などのエクセレントカンパニーは終身雇用に近く、昇進昇給が保証されている
  という。

考えてみたら、「終身雇用制」というものは、会社だけにあるものではない。
国というまとまりを見るにつけても、
その国で「民」を終身雇用するのが、「長」の「長」たる使命であった。

昔で言えば、使命を果たせない「王」は、次の有力者によって追われるわけで、
幾多の戦乱が、その事実を語っていたわけだが、
現在は、そんな野蛮な時代ではないし、そうあってはならない時代だ。

しかしながら、この国では、官民一体となって取り組んできた「構造改革」が、
どうやら、この国の「終身雇用」でさえも、
時代遅れのものとして、無駄、無理と言う。

確かに、官僚やら公務員の「無軌道」ぶりには飽きれるものがあったが、
その批判の「矛」は、必ずや我々にも向かってくるわけで、
そういう結果と成果を、同じように、我々も出さなくてはならない、とかね。
まさに、経団連が中心になって進める、
経済偏重の舵取りは、深いところで、結果の出せない奴は、
つまり「用無し」なんだよ、と言っているのと変わらない。

アカウンタビリティーということが、企業にもあまつさえ個人にも
求められ始めている。(説明責任だよね)
その言葉自体、なんら問題はないんだけど、
それが成果的な結果を視野に入れてしまうと、

できないやつが悪いんだ。
いじめられている奴にも、実は問題があるんだ。
それは、個人責任で片付けられる話だろ。

まさに、今、様々に噴出している問題を代表する「言葉」に、
ほら、置き換わる感じでしょ?

ある意味で、格差も階級も、振り返れば、どこでもあったに違いない。
自分なり人を「揶揄」して「身分不相応」なんて言葉もあった。
が、出しようもない結果なり、成果を、それぞれが
日々、単年度で求められる場合、
「所得」という一番分かりやすいものに「置換」されていく。

その「哲学」が、新しい世界で生き抜く、最善の「処方」であるのなら
致し方ないのだが、
どうやら、この先訪れるのは、格差なんて生易しいものではない。
「所得絶対主義」の到来が、人間評価の絶対基準に置き換わり、
果たせない者は、自己責任として排除される、
「絶対格差」の到来が、目前に迫っているのだろう。


デフレっていうけど、もうこっちは適正価格なんですが。

2007年02月03日 | 社会的全般
何がデフレか、というのが正直分からない。
最近、外食産業では、マクドナルドの「メガマック」の売れ行きに、
デフレ脱却という位置づけを与えようとしているが、
個人的には、疑問視している。もう、気分は、適正価格でしょ。

外食デフレ終焉!? 「ちょっと奮発」完売相次ぐ

  1月12日に発売された「メガマック」。発売から4日間の販売数量が想定し
  ていた2倍の332万食に達し、材料のパテの調達が間に合わなくなるとい
  う、うれしい誤算に見舞われ、限定販売を余儀なくされた。

  1日の販売数量は、店舗の来店客数に応じて、数十個から数百個。連日完売が
  続いており、当初は2月4日までの期間限定商品の予定だったが、定番商品に
  昇格させた。

  日本フードサービス協会によると、06年の外食産業全体の売上高は、新店を
  除く既存店ベースで前年比0・1%増となり、同協会が統計調査を開始した9
  4年以降で初めてのプラスを記録した。利用客数は0・7%減のマイナスだ
  が、お客1人当たりの販売単価が0・7%増と94年以降で2番目に高い伸び
  率を記録したためだ。

  マックが00年に打ち出した65円の平日半額バーガーが引き金を引いたとも
  いわれる“外食デフレ”。メガマックの大ヒットは、その終焉(しゅうえん)
  を象徴しているかのようにみえる。

この記事では、ちょっと奮発してでも、ちょっとおいしい食べ物を、なんて風な
傾向が出てきた。だから、デフレ脱却も....。
なんてリードをしているようだが、
あのマック。
個人的に言わせてもらえば、未だに、低価格で頑張っている。

実際に、彼らが出しまくっている「クーポン券」やら、携帯マックの利用促進を
考え合わせれば、あのメガマックですら、280円で食べられる。
朝マックですら、380円を払ったことがない。(300円です)

ミスタードーナッツも、月に何度か行われる「1個100円デー」。
システム変更で、お得意の「景品」プレゼントを、ポイント性にし立て、
100円デー以外の期間は、ポイント2倍!
涙ぐましい、集客方法をとっている。

吉野家、吉野家とこの記事は書き込んでいるが、
松屋の低価格路線は、徹底しており、今時、ハヤシライスが280円で
食べることが出来る。
また、新メニューのシーズン投入も定番化しており、
今時、指標として吉野家使っている意味がわからない。

  日本フードサービス協会では、「4、5年前に起きた低価格化戦略を見直す動
  きが広がっている」と分析する。

確かに客単価から見れば、4、5年前に起こった低価格戦略の激震は大きかった。
が、本当に大事なことは、
100円から500円の中における、貨幣価値の再構築に他ならない。

あらゆる情報を享受できる時代にあって、
500円がどういう価格帯なのか、比較できるものが「山ほど」ある中で、
我々は、案外、冷静に行動をとるようになっている。

メガマックにしても、食べれば分かるんだが、あれ一つで、完全に「昼食」代わり
にすることができる。そんな量だよ。
一方で、すかいらーく系の「ガスト」。
苦戦しているようだが、簡単に言うと、安くても、「量が少ない」に尽きる。

そのガストも「クイックガスト」として、小スペースで展開する、
カウンタースタイルのガストは、正直、ワンコインで、充分、腹持ちがいい。
客が途絶えることがない。

あのサイゼリアが、ガストに比べて健闘しているのは、
あの料金で、案外、腹持ちがいいこと。
マックでさえも、100円のマックシェイクと100円バーガーで、
腹持ちを満たしている夕下がりの客数が、どれだけいるか。

悪いんだけど、デニーズが苦戦しているのは、ロイヤルホストと来た道を
辿っているかのような気配があるからで、
セットで、無造作に、1000円を超えてしまう価格帯には、
何のポリシーも感じられない。

そういう「腹持ちメーター」を、今、どの金額で充足しきれるか、
そういう世界の中で、外食産業は正味、立たされているわけで、
さらに、メニューの「多品種」を、どう効率よく、並べるか。
そういう意味で、吉野家を殊更ピックアップする、マスコミには、
本当に、ちゃんと見ているの?と思わざるを得ない。
だって、あんだけしか、メニューないんだよ?

デフレをなんだか、お題目のように取り上げているが、
いやいや、こっちとすれば、すでに、安いとかいうのではなく、
すでに「適正価格」というバーを、持ってしまっている事実。
なので、これから意味もない「価格上昇」は、
デフレ脱却ではなく、単にインフレだと、そう理解してしまうんですが。

線路内に人が立ち入ったという遅れに関して。

2007年01月22日 | 社会的全般
朝、東急線のホームにて、電車を待っていた。
JRとは違って、2駅の間隔が非常に近く、眺めれば手前の駅が見える。
住宅地の中を通り過ぎることもあって、踏み切りも、道々に数が多い。
ただ、3両編成。
踏み切りで、痺れを切らすことも無い。

朝のラッシュを少し過ぎたホーム。
それでも電車を待つ客でにぎわう。
思い思いのあり方で、多分、間もなく来るであろう電車を待っている。
そんないつもの刹那な時間が流れている。

定刻が近づき、すぐ近くの踏切が警報を鳴らし始める。
自分たちが待つ電車の侵入を、見る間でもなく、その音で、確認する。
ホームで待つ乗客も、やおら、白線の位置を確認して、少し移動が始まる。

まさにそんな時。
思いがけない「瞬間」に、電車の警報が轟きわたる。
続いて、金属的なブレーキ音が、短く、鳴る。

何が起こったか、
ホームにいる乗客は、誰彼と無く、音の出るほうを見やる。
本来であれば、空気の塊を、投げるように入ってくる電車が
そこにあるはずなのに。

身を乗り出すように、音の出る方向を、それぞれが見始める。
小走りで、ホームの先に集まる乗客。
そして、慌てて駆けつける車掌の姿。
さらに、2人の、駆けつける駅員の姿。

電車が、踏み切りに、差し掛かった状態で、停車している。
駆け出せば、数十歩で、到達できるその間近な距離である。

警報の音が、間段なく止まぬ踏切の中で、
そう、老人が、手押し車に体を預ける格好で、踏み切りの中に、立ち往生?
生きている?
立っている?

えっつ?

閉じた踏切のバー。
本来なら、「外側」で、電車の通過を待つ。
が、その老人は、踏み切りの「中」で、線路を背にして、
きちんと、バーの手前で、「待っていた」。
まさに、電車が、バーと、わずかな空間を作り出している、その隙間に。

駆けつけた駅員。車掌。
身振り手振りで、何かを説明しているかのよう。
老人は、ただ淡々と、うなずいているかのようだ。

「渡り切れなかったの?」
「いや、いたみたい」
「なんでなんで」
「踏み切り、上がるの、中で待ってたみたい」
「嘘!」

切れ切れに、ホームの客が、説明をし始める。
さらに、我々の後方を、2人の駅員が走って、現場に向かおうとする。
多分、社内連絡で、相当な「案件」のように一報が入ったのかもしれない。

そうこうしている内に、駅員に促されるように、
老人は、踏み切りのバーをくぐる様に、外に、出される。
「外」まで体を支えるように、2人の駅員がついていく。

間もなく、電車は、ゆるやかに動き始め、ホームに入ってくる。
一瞬のざわめきも、何事も無かったように、
一部始終を見納めた乗客は、また、いつものように無口に乗り込む。

その電車に乗っていた乗客も、変わらずに、変わらない雰囲気で、
いつものように、後からの客の為に、位置を変える。
そして、車内放送も、何も無く、いつものように、扉が閉まり、
そして、そんな我々を乗せたまま、走り出していく。


たまに、JRで、「線路内に人が入り込んだという情報がありましたため、
現在、安全確認作業をしております。御急ぎのところ、大変ご迷惑様ですが、
いましばらく、お待ち下さい」という放送がある。
人身事故が、実は、どこかしこで、毎日、起きているかのような日々が続く。

我々は、すでに、列車の遅れに対して、いくつもの覚悟と処方を覚え始めている。
ただ、線路内に立ち入った、という放送には、まだ、我慢が効かない。
行き場の無いストレスやら、文句を言う客も、これには、まだいる。
が、自分は、これを見てしまった。

悪意がある、ない、に関わらず、こういうことが「現実」に起きていることを
知ってしまった。
人身事故に対する覚悟と処方とともに、
線路内立ち入りに関しても、自分は、相応の覚悟と処方を、持ったことになる。

そういう時代になったんだなぁ、という感慨と共に....。

納豆の売り切れと、山崎拓が戻ってきた話。

2007年01月13日 | 社会的全般
なんだか、テレビの影響力って、健在だな。
納豆が売り切れ続出と言う話。
NHKが、キナーゼが血管に吸収される訳は無い、って、「あるある」も
比喩で使っただけです、なんて苦し紛れの弁明があったらしく、

みのもんたの番組でもそう。
今回の番組でもそう。
その都度、こういった番組の影響で、「食卓」が激変する家庭があるんだろうな。

痩せる、という永遠のテーマでもそうなんだけど、
きっと、全員は知っているはずなんだけど、
摂取カロリーと消費カロリーは、基本的に「等価交換」だってことを。
ただ、昨日の本で紹介されていたんだけど、

「水」。
これって、体中に蓄えられているってこと。
筋肉にも、内臓にも、かなり蓄えられているらしく、
エマージェンシーの時に、排出するシステムになっていて、
妙に水分の摂取をしない「食事療法」なんかすると、
機能が不全になる場合もあるし、
数日の断食みたいなことで、水もあんまりってことやって、
わーい、痩せた!なんて、翌日水を飲んだら、即効体重が元に戻った、
なんてリバウンドの正体は、水ってこともある。

米朝協議直後に6者再開望む 認識が一致と訪朝の山崎氏

  北朝鮮を訪問していた自民党の山崎拓安全保障調査会長は13日午前、平壌か
  ら空路北京に入り、同市内で記者会見した。山崎氏によると、9日からの平壌
  滞在中、宋日昊(ソン・イルホ)・日朝国交正常化交渉担当大使ら複数の要人
  と会談。
  その中で宋氏は、米国の北朝鮮への金融制裁をめぐる米朝協議が今月22日に
  も開かれるとの見通しを示したうえで、その後直ちに6者協議を再開すること
  が望ましいとの認識で山崎氏と一致したという。

きっと、この程度の話で、彼は行ったんじゃないと「思って」おります。
まさか、「自腹」でいったんじゃないと、思うからで、
会見をした人なんですが、ところで、誰って?
電話なんかで済む程度の話で、帰ってきたとは、誰も思っておりません。

  山崎氏によると、宋氏は「朝鮮半島の非核化は故金日成(キム・イルソン)主
  席の遺訓であり、その方針に変わりはない」と表明。そのうえで両氏は、北朝
  鮮の核計画放棄を盛り込んだ05年9月の6者協議の共同声明を一日も早く実
  現に移すべきだとの考えでも一致した。

金日成が、非核化を「主張」していたとは、
ごめんなさい。自分は、その真逆だと思っておりましたので、
これからは、そういうことを言う、山崎さんを信じることにします。

ていうか、金日成の遺訓って、じゃぁ、その子供の金正日さんが
今、まさに、2回目いくよ!ってしているのは、
「子供の暴走」ってことになるんですかね?

軍部の暴走?
山崎さん、それって、北朝鮮の高官が、まさに言っていたんなら、
「特ダネ」もいいところなんですが。

中国側が、北朝鮮のエリートを「留学」で受け入れていたことは事実で、
中国側の「意向」を、まさに敷衍してくれる人材が北朝鮮内部にいる。
もちろん、様々な「利権」「権益」を握る、毎度の人的戦略の一環でもあるが、
どうやら、胡錦涛主席。
金正日のことが大嫌い。

アメリカメディアに、この発言がすっぱ抜かれた手前もあって、
この人的資源を、内部クーデターに、いよいよ使うか、
という、まさに、そういう、様々なオプションが策動しているときに、
山崎さんのこの発言。

 また、02年に小泉首相(当時)と金正日(キム・ジョンイル)総書記が署名
  した「日朝平壌宣言」について、現在も有効であることを確認。宋氏は「近い
  将来に情勢の大きな変化があり、勇気をふるえば道が開かれる」と述べた。

なにこれ?
意味深だよねぇ。
本当に、この「宋」って人、誰なのかしら?
近い将来に情勢の大きな変化って、
核実験のことじゃないよね、この流れから言って。
ちゃんと、日本に戻ってから、ちょっとでもいいから、正確なこと、
教えて欲しいものです。
無理だろうけど。


海外日本食レストラン認証は、農水省の生き残り戦略か

2007年01月11日 | 社会的全般
最初、自分も何だか妙なことにならなければいいのにな、
と思っていた。

海外日本食:変わった味に”選別”必要?

  海外の日本料理店で出される「ちょっと変わった日本食」を“選別”する制度
  を、農林水産省が検討している。背景には日本食材の輸出もあるようだが、お
  役所が味付けにまで注文を付けることに疑問の声も少なくない。

  農相は「日本の農林水産物は世界の市場で十分受け入れられる」と主張する輸
  出促進論者。優良店構想には、沈滞する農業を食材の輸出増で元気にする狙い
  もある。具体化は同省の有識者会議で検討中で、07年度にスタートする予定だ。

例の、「認定制度」みたいなやつ。
自分は、海外旅行など行く機会が今のところないので、スルーな記事だったが、
どうやら、色々な事情があるようです。

日本でも、本場が顔色を失うような、ピザやらスパゲティーを提供している、
イタリアンレストラン、通称イタ飯なんて感じで利用しているが、
「味」が勝負ということで、どういうものであれ、
行きたくなければ行かないし、利用もしない。

まぁ、日本料理は、案外、素材勝負。
お寿司など、海外では定着し始めているが、テレビで紹介される「ご当地巻き」
なんかは、とても食べたいとは思えないし、
そもそもあれは、寿司なんだろうか?と思うことが多い。

とは言っても、日本料理風な料理に、いちいち目くじらをたてることも
あるまいし、認定などと、事を大事にするのも、大人気ない。
多分、世間ではそんなトーンであるようだ。

こういう「認定」みたいな作業。
どうして農水省が?日本ピーアールみたいな作業を?

昨今の世界情勢の中、物品の輸出入に関しては、「障壁」を取り除く作業が
どこも盛ん。
経済産業省やら外務省などが、積極的に「多角的な貿易自由化や
通商ルールの整備」を進めているが、
農水省は、必ず自国産の農産物保護を打ち出し、「足を引っ張る」省として
有名だ。(理解はしているつもり)

おまけに、国内では、農業経営の再編など、農協問題やらあって、
ある時には、「こんなに予算、いらないんじゃないか?」など、
非常に影が薄くなってきているのは間違いない。
頑張ってほしいところなんだが。



この省が、今、まさに取り組んでいることは、「農林水産物等の輸出促進」!
「皆さん、日本は農林水産物の輸入国だと思っていませんか」

このキャッチフレーズ。
2004年度実績で3000億円を、2009年には倍の、6000億円に
したいという目標があるのだ。
そして、画像が、その決意を表明する「輸出促進ロゴマーク」なんである。

すでに中国、マレーシア、シンガポール、タイにはその為の常設店が。
アメリカ、アラブ、イギリス、そしてフランスには、
「展示・商談会」が設営。

さらに、農林水産物等輸出促進メールマガジンが、昨年9月から毎月発刊。

   農林水産物等の輸出拡大は、国内生産の拡大を通じて農林漁業者
   の所得の向上等に寄与するという直接的な意義を有しますが、それに
   とどまらず、自分が生産した農林水産物等が海外で高い評価を受ける
   ことにより、農林水産漁業者の発想の転換、勇気と活力にもつながり、
   農林水産業の活性化が図られるという、極めて大きな意義があるもの
   と考えています。
   さらに、日本の食生活・食文化の良さが海外で評価されることに
   より、国内での再認識につながることも期待できるのではないかと
   考えています。

そうなんです。
この「政策」の一環として、行われる作業なんです。

以前、いちごの、とある品種を持ち帰り、
栽培して、とある国のいちご消費を拡大させた「事件」がありましたが、
その国では、いちごはいちご、「特許」もへったくれも、
農産物にあるものか、という市民の声が取り上げられていましたが、
もちろん、「遺伝解析」を含めた「部署」もございます。

ただ、今更ながらという声もあります。
国内で、生かさず殺さず、法人化なんてご法度!
補助金行政で、農協の指導の下、「完全管理下」が大自慢だった「農水省」。
異端であった「ブランド戦略」を、どうやら推し進めるようです。
何だか、生き残りをかけて、というエネルギーを感じますが、
そっちに、使うのか?という気もいたします。