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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

テレビでは連日連夜言われているけど....。

2007年11月16日 | 社会的全般
たまたまこういう「記事」をネットで見かけた。
NBonline という日経ビジネスが行っているサイト。
その中のコラムで竹中 正治氏が「ニュースを斬る」というタイトルで
2007年10月25日にアップされたもの。
「所得格差拡大論の誤謬」

最近では、医療費が払えなくて公園に捨てられてしまった患者の話や、
「無保険者」として、病を抱えながらも、働き続ける方の話や、
ネットカフェ難民、日雇い作業のいける派遣従業員の悲劇など、
毎日毎日、まるで社会から「切り捨てられていく」人々のニュースの嵐。
国の政策が悪いのか、問題はどこにあるのか、
内容を見る限り、救いようのない社会の「歪」が、深刻さを増しているようだ。

あの不況であった10余年。
その影響が深刻であったのか、どうなのか、
実は、今もって、なぜ、こうも社会が「機能不全」を起こしてしまっているのか、
明快な回答を寄せるメディアを見たことがない。

話としては、格差社会、規制緩和の弊害、アメリカのスタンダードこそが元凶。
細かいきっかけなり、その社会システムの変化、そして勤労の意味の変化など、
あげれば、多分、多く語ることができるかもしれない。
が、
なぜ、こうも、社会的な難民が、毎日ニュースで取り上げられるほど、
深刻化しているのか、
「ずばり」がなんだかわからない。

先日発表された「いじめ」の報告であるが、
いきなり6倍以上も数が増加された。
この数は、それこそ、調査の内容を変えたとはいえ、
あまりにも、それこそ、日常的でどこにもここにも「起こっている」
それくらいの数になってしまった。

本当に、その極端な数を見せられると、もう、その深刻さのレベルが
もはやわからないくらいになってしまって、
いやー今日も「いじめ」がおこっちゃって、みたいな現象に化している。

たとえば、格差社会においても、その報告の原典となっているのは、
「平成17年、所得再分配調査報告書」(厚生労働省)によるものだが、
そこで明らかにされているのは、世帯所得の格差が実態的には拡大していない事実。

  日本の所得格差を他国と比較してみよう。これについては10月に発表された
  IMF(国際通貨基金)の調査リポート(World Economic Outlook Oct.2007、
  「グローバル化と不平等」)が興味深い。

  IMFのリポートは各国の1人当たりの年間所得を低い方から20%、次の20%と5
  分位に分けた所得分布を推計している。
  最高所得層(上位20%)が最低所得層(下位20%)の何倍の年間平均所得を得
  ているか(所得格差倍率)、またその所得格差倍率が過去数年拡大しているか
  どうかで各国の格差の状況を比べてみたのが表である。



  この報告書によると、日本の下位20%の1人当たり平均所得に対する上位20%
  の所得格差倍率は1994年時点で2.27倍であり、対象として挙げられた代表的な
  9カ国(米国、英国、フランス、日本、ロシア、ブラジル、中国、インド、メ
  キシコ)の中では一番低い(格差が小さい)。

アメリカの8倍とか中国の12倍とか、聞いている「話」と、ほとんど変わりない
その姿と一致している。
が、日本は、この10年ほとんど変わりがない。
全然、世間で言われている姿と一致していない。

ある漫画がまた評判を呼んでいるようだが、
結局、日本では、転職したり転々と仕事を変えていく数は、
実は増えておらず、ほとんどが、普通に同じ職場に留まるとされている。
逆に、生涯賃金は、同じ職場のほうが結果的に得られる賃金が「上」だとも。

自分は、それこそ毎日といっていいくらいの感覚で、
スキルアップを生かした、転職によるサクセスストーリーとか、
生涯雇用制度の崩壊とか、ヘッドハンティングによる、
年収アップの方式など、さも日常のように思っていたし、
所得格差の拡大など、もう、結構、アメリカと同じくらい、
開いちゃっているんだと、そう、テレビとか週刊誌、新聞で慣らされてきた。

が、本当は、どうなんだろう。
なんか、聞いていた話と違う。
何かが過剰反応している気がする。
本当に、どえらく、格差社会や、深刻ないじめの数が増加しているのだろうか?
自分が生きてきた「過去」と、まったく違うレベルの時代が
今、ここに、本当にあるのだろうか?

実は、最近、よくわからなくなってきている。
もちろん、地方の疲弊は知るところなんだが、
また、高齢者のあり方など、それも知っているのだが、
本当に、問題は、どこにあるのか、わからなくなっている。


本人が納得してしまえば。

2007年11月13日 | 社会的全般
何度かバーゲンに付き合うことになって、行く。
体のサイズが、横ではなく、縦に大きいので、
なかなかバーゲンにて、自分のサイズで、しかも気に入った物を探すのが
一苦労。
よって、気乗りしない。

最近、自宅にある衣類。正規の金額で購入したものが無い。
あのユニクロですら、ワゴンのやつか、特売品。
書いていて、なんだか、とても悲しい気持ちになるのだが、事実だ。

そういうわけでも、なんでもないのだが、最近は、時計のコーナーに逃げる。
買いもしないのだが、着けているもの、20年近く同じもの。
頓着が無いといえばそうなんだが、
はっきり言って、時計なるものの価値がわからない。
確かに、「桁」が1個も2個も違うのは、かなり心が動く。
多分、最低限の人間としての「感性」は持っているのかもしれない。

ただ、当たり前で、買うことも、買おうとも、思えない。
今の自分では。
そういう意味で、自分にとっての「レンジ」は、1万円~2万円の商品。
もう、この辺、玉石混交。玉ぽいのが見あたらないのはわかっているのだが、
たまたま目に入ったのが、「服飾メーカー」もの。

6万円程度の定価だが、前回の時は、3万円だった気がするが、
なんと、今回は、寂しく、ブースすら用意してもらえない状態で、
その半額。1万5千円。だ。
薄型で、皮ベルトが長いこともあって、
「金属バンド」という表現しかできないんだが、
そういうやつは、重い、分厚い、冷たいと、極力避けてきたジャンル。

買いました。もう、なんだか、車も新しくなったこともあって、
何かが憑依したとしか思えません。
しています。
もう、この時計も、10年はし続けるんだろうな。

そういう中で、ジュエリーコーナー。
もちろん、ブランドものばかりでない。
「自社製品」として、あらゆる種類が出品されているが、
もう、皆目、何が何だかわからない。
特に宝石類なんて、指輪さえ、したことがない自分にとって、
まさに「鬼門」。

ただ、最低限の「感性」は所有しているらしく、
見事だと、見入ってしまうものは、必ず、破壊的な金額である。
もちろん、中途半端?な金額の一群。
これが、全く、わからない。もちろん、売れ残ったからバーゲンなんだろうが、
そもそも「可愛い」とか「ちょっとつけてみたい」の按配が、
1万円以下。

その上の「攻防」から、物凄く立ち入ることができない世界になる。
もちろん、ダイヤモンドなり、鑑定書付きは論外にして、
ブランドもの以外で、何が、買い手の購買意欲をそそるのか。
先に、バスツアーにて、最後の停留したジュエリーの館でも、
それは見事な加工と装飾。
原価が分からない。比較のしようがない。

そう考えてくると、もう「暴論」の域に入ってくるのだが、
これは、神社の破魔矢とかお札にも近い、
そもそも、精神的で宗教的な部類に入ってくるのかもしれない、とか、
思ってしまうわけだ。

例の破魔矢を新年に買って、その足で帰宅したら、家が全焼していたなんて
そういうことをもって、神社を「訴えた」なんて聞きもしないが、
羽毛布団リフォーム詐欺:中古原価は6880円 利益の4割、社員のもうけ

  原価7000円程の中古布団を数十万円で売っていたことが県警生活環境2課
  などの調べで分かった。製造業者らでつくる「日本羽毛製品協同組合」(東京
  都中央区)によると、羽毛布団のリフォームは通常、1枚3万~5万円とい
  う。
  羽毛布団を約30万円でリフォームした都内の無職の男性(77)は「最初は
  断ったが『私どもが責任を持って修理させていただきます』と押し切られた。
  専門的な話に納得してしまったが、その後は一切連絡がない」と憤る。

納得してしまった。
なるほど、これだ。
この納得具合。
この被害者は、多分説明のときに、完全なアフターを言われたんであろう。
ただ、リホーム自体には、納得がいっているご様子。
とすれば、「連絡」が取れなくなったことに、憤っているというのが、
この文章で読み取れるんだが、どうだろう。

なんだか、もう荒れに荒れた内容になってしまいましたが、
一日一日、頑張って仕事します。


今更ながら気づかされる時代の潮流

2007年10月27日 | 社会的全般
先日取り上げた「新聞社」という本で指摘されていたが、
広告収入で成り立っているビジネスである以上、
新聞であれ、テレビであれ、その「支援」がなければ、経営は苦しい。
部外者として、「売る収益」よりも「広告収益」に立脚するというモデルは、
本当に構造改革ができるのか、しなければならないのか、
今のままでいけるのか、存じ上げないが、

最近の新聞の過半を占める「広告」の嵐に、
記事と言うよりも、カタログを見ているような錯覚に囚われているのは、
自分だけなんであろうか?

テレビでも、先日、踊る走査線の真下なんとかバージョンを見たが、
飽きれるくらいのCM。
次週に放映予定の柳葉主演の作品が繰り返し流れ、
理解は出来るが、植えつけられた「映像」に、映画の流れがぶち壊しで、
どうにもこうにも、何の作品を見ていたのかも忘れてしまうほどであった。

そういう意味で、DVDを借りてみるとか、
録画してCMをスキップして見るとかは、必然の成り行きで、
生で見るのであれば「冠スポンサー」の番組とか、
CMに配慮を感じられるものしか、興味がわかないのは事実。

現に、大手スポンサーも、対費用効果という見地から、
まぁそれを「専門」に解析するのを仕事にしている、というかそうしなければ
お金がとれないからかもしれないが、広告代理店さんも、
もはや、いつ誰がどのように、この広告を見ているか、
これほど確信をもてなくなっている時代は無いんじゃないか。

スポンサーも、テレビCMは、その何割かは録画なんぞで「飛ばされている」
という実態はご存知のようで、
テレビにしても、理解もしているからか、
「即時性」が高い、ニュースをネタにしたワイドショーとか、
もちろんスポーツ番組とか、
視聴者の「姿」をリアルタイムで見ることが出来る、そういうコンテンツに
命を削っていこうという姿勢が、最近は顕著である。

そういう意味で、TBSの亀田をあそこまで固執してしまったのは、
明らかに、安易な「コンテンツ作り」の顛末で、
確かに商売の方法論としては、実は、正しいあり方でもあった。
ただ、ああいう結末になってしまい、
他局が、ワイドショーネタとして、ああもロングに取り上げ、
視聴率を稼ぐとなると、何をやってんだか、
他人の土俵で相撲を取られる格好となっているわけで、
まさに「地団駄を踏む」とは、こういうことなんだろうなと笑ってしまった。

で、どういう風に書いていいかわからないが、
実は物作りと言う見地から、こういう流れは、それを衰退させていくわけで、
例のアニメにしても、マンガにしても、
こういうネット環境では、もう、昔で言う「回し読み」が、
破壊的なスケールアップで起きている。

驚いたのは、金曜の夕方の時点で、ハンターハンターの連載が
ネット上で見ることが出来る。
これは、いくいらなんでも、ダメだろう。
確かに、週刊誌の売り上げというよりも、「単行本」にて収益を確保する、
そういうモデルに舵取りをしているのは事情として、
それでも、版元にとっては、ただ読みがこれほどまでにイージーに
されてしまうと、こういう「文化」を維持できなくなる危険性はある。

映画もアニメも、違法コピーやら、ネット上の閲覧に関して、
声をあげ始めているが、
ユーザーの「新しいビジネスモデルを考えればいいじゃん」とか
「いい作品だったら買うし」やら「売れない作家が何文句言ってんじゃ」
には、もう太刀打ちできないだろうな。
これでは、到底、母集団を大きくすることは出来なくなるわけで、
突出した「才能者」やら「プロデュースで成功した作家」などが、
一部で儲けるという、いわゆる「格差社会」を出現させてしまう結果となり、
さんざん格差社会をどうのこうの言っている人間が、
その出現に、結果的に「関与」してしまう事実に気づくこともない。

考えてみると、知らずのうちに、我々は案外とんでもない変革の時代に、
生を受けているのかもしれない。
物も、文化も、文明も、さらに人間自身のボディーすらも、
数十年後、100年後に振り返ってみれば、
あの時期はと、語られているのかもしれない。


現代日本の社会システムと保険のあり方。

2007年10月22日 | 社会的全般
JAFの会員誌。JAFメイト。JAFをジャフと記すると妙な違和感を感じるが、
たまに読んでみる。

海外交通ニュースというコラム。

「GPSを使った自動車保険」

人工衛星を使った情報通信技術が自動車保険にも現れた。
英国のノリッジ・ユニオン社が昨年10月から始めた「ペイ・アズ・ユー・ドライブ」
(走った分だけ払う)がその一つ。
同社が無料で提供するGPS内蔵の小箱をダッシュボードに取り付ける。
この装置はドライバーがいつ、どの道路を、何㎞走ったかを記録し、
データセンターに送る。
会社はこれを基準に車ごとに毎月の保険料を決める。

狙いはサンデードライバー。通勤や業務用の運転は対象とならない。
週末だけ、年に9600㎞以内の運転なら、通常より最高30%保険料が
安くなるという。

考えてみると保険というものは、こういう仕組みであった。
運転をあまりしない人と、かなり走りこむ人と、保険料が同じであっては
いいはずはない。
万が一という「話」を、通常リスクとして計算するのであれば、
車を常用していない人よりは、常用している人の方が、
リスクが高いともいえる。

逆に、サンデードライバーの不用意な運転が、案外事故の素にもなるケース。
むしろリスクは、サンデードライバーの方が高いとの声もある。
ただ、概して「若者」の運転に対して、保険料が高額になるのは一理。
また、最近よく話題にもなっているが、高齢者の保険料も高くなる傾向。

保険は、そういう「事故率」から事故の可能性を含め、算出されるが、
これが国に当てはめると、そうはいかない。
延々と払い続け、年々上昇する社会保険料。
高齢者に安く済む。乳幼児に安く済む。
というのは、本質的に、保険の考え方ではない。

よって、これは「保険」というものではなく、福利厚生料と呼んでもいいのではないか。
また、国というか自治体というか、保健所が行う定期診断。
予防と早期発見が、医療費の削減につながるということで、
むしろ熱心に取り組まれているが、
もう少し、これはちゃんとしたほうがいい。

たとえば、行われる40歳診断とか、乳がんの検診とか、
これを受ける受けないは、市民の勝手かもしれないが、
受けなければ、将来的に「リスクを管理」できない、ということも言える。
だったら、保険料が「高く」設定されてもおかしくない。

逆に、受けた分だけ、保険料が「安く」済むのであれば、
いちいち公報でアピールしなくとも、効果的な感じがするのだが。
まぁ、そんなこと、しないか、できないか。

言いたいことは、実はこんなことではなくて、
この国、規制緩和とか構造改革とか、妙に自由度が高くなったと考えている方が
多いが、実はその逆で、
全て、「公平なルールの中で」ルールに従えば、誰でも参加できる世の中に
なったということ。
というのは、えらく、関連法案なり規制が逆に強化されたということ。

箸の下げ降しからというと語弊があるが、
参加するのなら、こんなにあるルールを順守してくれ。という次第。
だから意外にも、昔よりは自由度が「減っている」。

ということで、その保険は最たるもので、
責任とその所在が、ますますもって「明確」になってしまったのが現代日本。
当然「不慮」の事故やら、過失なんてものはつきものなんだが、
世間は、それを許さなくなった。
すべてにわたって、保険が「適用」される事態となり、
特に日本の保険会社は、その事態に混乱している。

いわゆる「掛けっ放し」で、関所というか消費税みたいな売り文句で長いこと
やってきたが、それが通用しない。
それぞれの事情に、それぞれのリスクがあって、
もう、実は、ハンドメイドにならざるを得ない。
そのくせ、「競争社会」でもあり、収益を確保しなければならない。
商品構成を再構築してみたり、構造改革をやっているのは、
むしろ保険会社だ。

病気も、難病とか指定された解明されてもいない病があるが、
それ以外、10年、一度も保険を使用しない人間と、
よく行く人間とで、同じ保険料だということに、納得がいかない連中が、
そろそろ声を上げ始めるのではないか。
もちろん、簡単にそうモデル化はできないかもしれないが。


バブルは、起きないと思うんだけど。

2007年10月20日 | 社会的全般
実際、バブルがおきてもいいくらい、社会的にお金が余っている。
全然、実感も、予感もないぐらい、あっちの世界の出来事。
確かに、大きな不況が現実あって、
国自体が、まだまだ、不況の真っ只中にあって、
民間では、ようやく不良債権の処理、目処が立った言われているのに、
「国の不良債権」処理が、実は、全く終わっていない。

市場への介入。
政府がどれだけできるのか?
そういう議論は、昔から、そして現在に至るまで、様々に尽くされてきた。
どこかの国で、「今日から値段を半額にしろ、しないと処罰するぞ」
という、笑い話のような「命令」を出した国家元首がいたが、
ご存知の通り、1国で経済は完結していない。
バカな元首のお陰で、その国の経済は崩壊しかかっている。

例の90年代。バブルがあわ立ち、消えていったあの時代。
そのすぐ手前、85年は、結構な不況であった。
フリーターも中途採用も、転職もほとんどありえなかった時代。
ようやく、コンビニだファミレスだ、
そういう「労働者」を吸収できる事業体が出現した時代。
女性の社会進出を、法的に解釈しようとしていた時代。

いきなり経済が活性化してきた。
証券も活性化してきた。
今で言う、ITバブルだとか、商業地バブルだとか、
もうそんな「狭い」感じではない。
全国的に、あわ立つような感じだった。

それこそ、連日、マスコミもテレビも、今思えば、
何の反省もなく、ひたすら全面的に「煽り」をいれていた。
考えてみると、そういう方々なんだよなぁ、マスコミは。

でね、色々な議論があると思うんだが、
なんで、あんなふうに燃え上がってしまったか、そうなってしまったか、
今と比較して考えてみると、
結果的に、すごい「自由度」が高かった。
なんにしても。

規制緩和とか、昔はえらいがんじがらめの風に語られていますが、
今のほうが、かなり、規制が「高度化」している。
責任の所在であったり、そのルールが、
自己責任といわれている今日よりも、変な意味で「自己責任」が、
自由にそこかしこにあったような、そんな時代だった気がする。

つまり「私」が、変にいい加減とも言うが通用した時代で、
その方のルールが、なんでか、面白いように通用した時代。
今ではそんなことはない、何らかの規制に照らし合わせての自己責任であって、
結構、いい加減が通用しない。

よって、格差だとかとかく言われている昨今、
厳格にルールを遵守すれば、結局はもてるものが、そのまま強くなり、
持たざるものは、そのまま、その手段を持たざる、そういうルールが
現在の「再生日本」の姿なんではなかろうか?

というのは、景気の上昇を、一生懸命歌い上げる政府にしても、
そしてマスコミにしても、
今のルールだと、従業員に還元するだとか、
めちゃくちゃな「オレの感だ」みたいな投資だとか、
そういうことがてんで出来ない。

もちろん、ITによる情報の取得のしやすさとか、税の負担率の問題だとか、
社会保障のあり方だとか、細かく言うとキリが無いが、
まず、銀行が、融資できない。
あの誰でも彼でもジャブジャブいただけた資金。
これが、本当に出ない。
もう、地銀クラスで、1000万円程度のお金ですら、
支店長「面談」が実施される始末。
都銀は出さないからね。

おまけに「政治と金」の問題以降、国系のお金が、本当に言うことを聞かない。
例の「ざる」みたいな信用保証協会やら国民金融公庫なんか、
責任の所在を明確にするために、センターの一元管理を始めるは、
銀行にも責任負担率を求めるはで、大変な事になっている。
ええ、昔よく言われた、OO先生の力なんて、
もう全く効かない。

効いたとしても、その事業の「事業計画」やら、収支予定やら、
おまけに使用用途など、その後の領収書など、
いやいや、お前ら、本当に「金融屋さんじゃないか」というくらい、
金融屋さんなんだけど、それくらい、マジが入っている。

マスコミなどが、企業が儲けて、従業員にその金が還流されないなんて、
そうい報道なり、特集を組んでいるが、
そういう「株主」をメインに、ステークホルダーを考慮しない煽りを入れたのも
マスコミさんだし。
結果、今一番深いところで「反省中」なのは、
小泉路線に乗り、その構造改革に乗せられ、あげく、企業会計なり、
資本の論理を得意げに、グローバルスタンダードを連呼し、
給与が下がってしまった、マスコミの方々だったりして。

そういう社会構造の劇的な変化を問わずして、政府の各論の問題点を
槍玉に挙げている方々もいるが、
もう、思い切ったことが、手も打ちようが無いくらい、
「自由度」も「オレの責任」も通用しがたいシステムに「変貌」している。

結果的にバブルは、相当の必然が無い限り、もう、2度と起きない気がするし、
土地バブルも、いけいけなのは、持っているものだけで、
買い手側も仲介者も、ほとんど動きが取れない。

昔は、インフレなど、「素材」「原価」の上昇が引き金になったが、
それでも、経済は離陸ができない。
だって、その値上がりのコストは、人件費で吸収しなければ、
コンプラ問題に抵触するからね。
首都高が、値上がりするみたいだけど、
ああいうことが、まだまだ出来るのは、国系の企業だけかもしんないね。


日本の携帯電話は、本当に特殊なんでしょうね。

2007年10月05日 | 社会的全般
昨日、報道ステーションにて「携帯電話」の販売価格についてのレポ。
まぁ、この番組だけでなく、どこもここも、話題が皆さんに直結しているんで
取り上げるほうも、それぞれ熱が入ってます。

報道の仕方も、色々な切り口があって、
今回の報道ステーションでは、海外の「シンプル機能」の携帯を取り上げ、
日本の、毎年のようにバージョンアップしては、
購買意欲を煽る?スタイルと対比させています。

もう常識かもしれませんが、
海外では、日本の携帯シェアは、とんでもなく低く。
同じように、日本では、海外製のシェアは、無いに等しい。

街頭インタビューで、簡易機能に焦点を当てた話を「まとめ」ていたが、
日本の高機能型が、どのように簡易型に取って代われるか、
もちろん、価格にも反映されるであろうし、
当然、海外のノキアもそうだし、機器の販売価格で勝負できるので、
2極化は避けられないであろうが、
個人的には、この問題を、こういう切り口で紹介するのは、
いかがなものであろうか?

というのは、世界で標準なスタイル。
電話は電話。そしてスケジュール管理は、パームコンピュータ。
なんてね、日本で、この携帯型小型コンピュータ。
ええパームコンピュータが全く、ブレイクしなかったのは、
実は、この日本の携帯電話のせいだ。

そもそもiモード。
リクルートご出身の方が、開発したというの?、モデル化したもんだと
聞いていますが、
携帯で、インターネットに接続できる、
なんて発想は、当時の世界にはなかった。

最近では、おまけにワンセグとかいって、
なんで、携帯でテレビが「きれい」に見ることが出来るのか、
ちょっと昔の世界では、まさに、007にでも出てくるような、
諜報員の「特殊アイテム」に近い製品だ。

なんだかカメラとしての画素数も、
デジカメなんか買わなくて全然平気、という、
これを「高機能」と呼ぶのか、
それとも、「統合型」と呼んでいいのか、
これはもう、意見が分かれるところだろう。

こういう独特の製品に「慣れている」日本では、当たり前のように
受け取っているが、世界では、まったくそんなことは無い。

最近では、子供のパソコン利用率が、著しく低下している。
パソコンが、売れなくなっているのだ。
なんで?
だって、携帯電話で、ネットもメールも音楽も、検索もできる。
らしい。(自分は、全くそうは思えないので......。)
さらに写真の編集やら、動画の保存、ゲーム。

さらに凄いのは、電話も、これでかけられるっていうから、
もう、奥さん、とんでもなくお買い物ですよ。だ。

ということから、一概に簡易機能型が、日本の「高機能型」に取って代われるか
は、こういう理由で、ちょっと疑問なんだが、
もちろん、自分は、2年で1回程度しか「機種変」しません。
おまけに、12年近くも、ドコモユーザーで、番号を変えたことがありません。

よって、販売奨励金となるもので、
1台あたり、4万円近くも、例の「1円携帯」という販売価格に充てられていて、
通話料に「転嫁」されているのなら、
通話料金が下がるのであれば、今回のauの英断に賛成です。

結局、メーカーが、「儲かっている」なんてことは言いません。
そのおかげで、研究開発費が捻出でき、
こういう、スパイ大作戦か!という携帯電話が出現したわけですから。
これはこれで、よかったんではないでしょうか。


「今朝、新聞を見て思い出した。すっかり忘れてた」

2007年10月02日 | 社会的全般
小泉、安倍、福田歴代首相が試写会に!?

  米映画「大統領暗殺」(6日公開)の試写会の企画で、コント集団「ザ・ニュ
  ースペーパー」演じる福田首相(渡部又兵衛)、安倍前首相(福本ヒデ)、小
  泉元首相(松下アキラ)が出席。

朝から、笑った。
すいません、こんな程度のセンスで笑えるのか、と思われようとも、
気が重い昨今、このネタには笑わせていただきました。

  偽小泉元首相は念願だった郵政民営化初日を迎えたが

  「今朝、新聞を見て思い出した。すっかり忘れてた」

  偽福田首相は「所信表明よりこちらの方が大切」と登場した。
  映画は米ブッシュ大統領が暗殺されたと仮定した物語だが「私自身の暗殺は考
  えられない。何もやってないし、何もやるつもりもないです」

にも笑えたが、むしろ、勢い良く、快活に悪びれず、目を細めて言いそうな
小泉さんの、「すっかり忘れてた」には、
いかにも、と笑ってしまいました。

朝日新聞の記事。
「消えゆく巨大銀幕」というテーマ。
そういえば、昔は横幅30メートル弱にもわたる「銀幕」がありました。
あれって、3つの映写機をつかって、映像の劣化を防ぎながら
映写していたそうです。
さらに、フィルムも35ミリとか良く聞きますが、
これ、70ミリフィルム。

今は、なかなか聞きません。
それくらい大きな銀幕ですと、観客席もモンスター。
1000人とか、そういう規模になってあたりまえ。
今では、「小館」、シネコンとかいう感じで、
前列で見ても、そこまで目が疲れません。
いや、首が疲れません。

面白かったのは、
「大型画面の3Dが日本で根付かないことは世界でも不思議がられている」
というコメント。
自分も、眼鏡を使用しているので、
眼鏡の上に、例の3Dメガネをかけるのは、ちょっと違和感。

以前、ピアリで、3Dの「ナイト・メア・ビフォア・クリスマス」でしたっけ、
例のティム・バートンのやつですが、
これ見ました。
確かに、それなりに面白かったですが、
大型画面でみたらどうなるのか、そこまで思いはしませんでした。

にしても、映画を見るということを、レジャーとか、アトラクション
としてよりも、日本では、ある意味、
内容を語り合う、その映画を見たことによって、
その人間のセンスが「問われてしまう」という、
複雑な?コミュニケーションツールにもなりがちなので、

3D?大型画面?という感じなんでしょうか?

今度こそは、なんとなく、生活できそうな「仕事」になりそうです。
唐突ですが、今度、手がけている、事業の製品を、UP、
できたら、いいなぁ。と考えております。
今は、色々合って、難しいんですが。


気持ちはわかるけど、やっちまったパチンコ業界。

2007年09月13日 | 社会的全般
ご興味のない方には、本当にごめんなさい、第2弾。

商業地バブルの原因を作ったといわれているパチンコ店。
超1等地でもないのに、平気で坪10万円以上ものお金をつぎ込んだり、
お金も無いのに、店舗を拡大しまくったりと、
その先に、「上場」できる、そういう可能性があったにしても
(今は、まったくございませんが)
あまりにも、この業界はバブル過ぎましたねぇ。

北朝鮮問題に端を発した、金融の締め付けは、
どんどん風下に下りてきて、
あのオリックスですら、この業界に見切りを付け始めています。

例の「5号機問題」。
簡単に言うと、全国に100万台とも数百万台といわれる
スロットマシーンの機械。
全面的に「入れ替える」という事態。
1台、40万円。
確かに「死活問題」でした。

こういうのは、リースとか割賦とか、現金で買える会社はともかく、
こういう金融締め付けが厳しい昨今、
どこの金融機関さえも、新規で受け付けません。
機械を売る「販社」さえも、割賦だとか、手形販売、
これを自粛せざるを得ない、そういう緊急事態。

新しい機械を買いなおさなければ、「営業ができない」という、
どこの国だというくらい、世間ではあまりにも知られていない、
嘘みたいな「強権発動」が、徹底されました。

その結果、プツンと糸が切れたオーナーも数知れず、
特に、お金を借りまくって、
新規のお店を、がんがんとオープンしまくっていた店が、
一気に、黒字なのに、苦しくなっていきました。

だって、100台の機械。
簡単に言うと、4000万円の「設備投資」にも匹敵。
普通の町工場であれば、無理。
もちろん、パチンコ店には、大概、国民金融公庫とか
信用保証協会とか、国系の資金はつきませんから、
銀行とか、リース会社が引き上げたら、とんでもないことになります。

「本当に、俺達は、そこまで悪いことをしたのか」
なんて、思ったのかどうかわかりませんが、
彼らの一部、とんでもないことをしでかしはじめました。

ええ、分割として使われていた「手形」、そしてリース。
苦しくなると、
「ごめんなさい、少し待っててね」とか、
「1ヶ月づつ、ずらして、遅らせてくれる?」なんて、
そういうジャンプ相談が始まりだったんですが、

この情報は、簡単に言うと、あっという間に、広がります。
そういう「業界」なんです。
そうなると、もう、「浮上」できません。
昔より、強力な「アラーム」として、認識されていますので、
ジャンプ相談をしただけで、
今は、あらゆる金融が、「訪問」に訪れる感じ。

現金商売は、案外しぶとくて、金融機関も、つぶすよりは、
より建設的な話し合いをしようと、がんばります。
だって、売上が毎日あるわけなんで、
上手くすれば、時間はかかろうとも、回収できる見込みがあるから。

ところが、「掟破り」の行動に、とあるホール業者が打って出ます。
弁護士からの通知で、
「業績が回復するまで、一切、御社のリースをお支払することができません」

どういうつもりでやったか、理解はできませんが、
これが及ぼした効果は絶大で、
ええ、ほとんどの金融機関が、この業界への関わりを
完全に「絶つ」、そういう事態になってしまいました。

もちろん、優良に、法令を遵守し、固く営業を続けておられる
立派な会社さんもございますが、
ええ、一部のこいつらのせいで、
完全に「窓が閉められました」。

おそらく、来年の6月くらいまで、
強制的に「謹慎」させられるのではないでしょうか。
そうなると、「設備投資」ができなくなるわけで、
何百といわれる設備関係の会社が、言ってみれば「連鎖倒産」。
ホールさんよりも、先に、周辺業者が、飛ぶことになります。

こういうことを、結果的に、言い分もあるんでしょうが、
やっていては、到底、上場なんかできません。
ただ、こういう「淘汰」を、意図的に、国がやっている気配も濃厚なので、
3年後、そして5年後、
何かが始まる時、
再編された業界として、残った法人は、大恩典を受けることになるでしょう。


ニュースが、犯罪者への手引き事例集に成り下がっている。

2007年09月06日 | 社会的全般
皆さんがとりあげている話題。
例の高校2年生を平手打ちにした警察官。
なんだか、警察を支持する「異例」の電話、メールが届いているらしい。

傷害警官:乗車マナー悪い高校生殴打、支持する声続々

  横浜市旭区で4日、神奈川県警大和署の巡査長(33)が乗車マナーの悪い男
  子高校生(16)を平手打ちし傷害容疑で現行犯逮捕された事件で、巡査長の
  行動を支持する電子メールや電話が続々と県警に寄せられ、5日午後4時まで
  に計300件を超えたことが分かった。監察官室は「警察官の逮捕事案でこう
  した反応は初めて」と戸惑い気味だ。

元の事件は、このように報道された。

巡査長を現行犯逮捕=高校生を平手打ち-神奈川県警

  横浜市内の路上で定時制高校の男子生徒(16)を平手打ちし、けがを負わせ
  たとして、神奈川県警旭署は5日までに、傷害の現行犯で同県警大和署巡査長
  小磯慶洋容疑者(33)を逮捕した。「大変申し訳ないことをした」と容疑を
  認めているという。
  調べによると、小磯容疑者は4日午後10時50分ごろ、同市旭区の相模鉄道
  鶴ケ峰駅改札前の路上で、男子生徒と口論の末、顔面を平手で殴るなどし顔面
  打撲を負わせた。
 
  高校生が電車内で回転式拳銃の形をしたライター(全長約36センチ)を乗客
  に向けて遊んでいたため、降車後に小磯容疑者が注意しようと呼び止めたとこ
  ろ口論になったという。同容疑者は同僚と酒を飲んだ後、1人で帰宅する途中
  だった。

巷間では、「同僚と酒を飲んだ後」に焦点が当てられ、
賛が多いものの、否が少なからずあった。
しかし、このライター。
案外大きく、人を「不快」にさせるどころか、
恐怖を与える可能性が高く、おまけに当たり前だが「火」も点く。
形状が、拳銃となれば、
「悪ふざけ」の域を超えているのは、自明であろう。

最近、公共の場にとどまらず、あらゆる場で、
明らかに「非常識」な行動をとる若者や、ご年配の方々を見る。
子供が、事の大小を考えもせず、
社会を舐めた行動に出るのは、時間の問題であった。

また一方で、最近のニュースでは、
例の電車内で、女性に乱暴を働いた逮捕歴もあり、収監もされた前科者が、
見て見ぬ振りをする乗客の「無責任」さを、合わせて報道していたし、
あるショッピングセンターの飲食コーナにて、
ごろんと横になっていた人間を「注意」した年配の方が、
いきなり暴力を受け、大怪我?亡くなった?事件もあった。

一昔前では、
これほどまでに、何度も何度もテレビで、こういった事件、
報道されることが無かった。
深夜の時間帯で、ちょこと、非常識な人間たちの「事件」を、
ストーリー仕立てで、面白おかしくやっていたはずであった。

確かに、知ることも大事だし、知ろうとすることも大事である。
が、あまりにも、こういう「過度」の内容は、
自粛したほうが、良いのではないだろうか?

一時、様々なメディアも含め、ネット社会の「弊害」として、
「情報の洪水」をテーマに、
情報の過多が、人間の判断基準を混沌とさせるみたいな内容が、
議論されていたように思うが、
まさに、現実社会が、立証してきているのではないか?

何しろ、平手打ちをされた「子供」は、
どう考えたって、注意された大人に「口論」をしかけることに、
いい悪いの判断がつかない連中だ。
止めさせるために、どうやら結果は、平手打ちになってしまったようだが、
いやいや世間って面白い。

子供がやった「非常識」な行動を問題にするのではなく、
やった大人の「暴力」を問題にしてやがんの。

普通だったら、こういうことをしてしまったら、
「どうされたって文句はいえねぇ」という価値判断が社会的に
用意されていたはずだ。

それが、そういう「事の是非」を飛び越えて、
その行為を、どうあれ、やめさせた大人の行為が「問題視」されている。
これはまさしく、あれやこれやのすさまじい情報が、
あらゆるニュースの形をとって、
考えるまもなく、「脊髄反射」を促すがごとく、
どうやら社会を、人間を、洗脳してしまったかのような「反応」だ。

確かに「暴力」は、歯止めが利かない。
良い暴力、悪い暴力なんて基準なんか無い。
ただ、明らかに常識を超えた行動を、悪意を持った行動を、
やったとしても、「理由」さえ、明確にさせれば、
どうにかなってしまうかも?
という理解は、特に、若年層に広く蔓延しているように思う。

いわゆる「やったもん勝ち」という認識が大手を振って、
たしなめる、注意する、反攻される、仕方なく行動に出てしまう、
が、明らかに注意した側が、圧倒的に「不利」な状況下では、
鉄板で、見てみない振りが、反射的に行動プログラムされるだろう。

万引きで、取り押さえた店員が、「誤って」殴り殺してしまうという
事件があった。
やってはいけない「結果」だった。
ただ、あれやこれや、毎日、ほぼ同時並列に、
あらゆるニュースが流れ込んでくると、
何をどう、バランスとっていったらいいか、
普通、わからなくなるだろう?

最近のニュースを見たりしていると、
どうも、犯罪者の「手口」を、または、犯しても犯罪の回避の仕方を、
懇切丁寧に解説してくださる、事例集を、
ニュースという形をとって、
各種報道番組がやっているように思えてならない。


ゴミの問題と、ネットカフェ難民?について。

2007年09月01日 | 社会的全般
ゴミの分別。
東京のとある市では、かなりの作業を市民に強いている。
強いているって表現はあれだが、やってみると、結構、根性がいる。
ペットボトルにしても、キャップから、包装まで、
全てを分離、紙類でも、貼ってあったりするビニールはもちろんと、
厳密に「素材」を分離する。

一方で、同じ東京都でも、とある区では、
「燃えないゴミ」と「燃えるゴミ」と「資源ゴミ」と分類は3つ。
これも、10月辺りから、
鉄製品以外は、全部、「燃えるゴミ」でいいよ。

何がどうなっているのやら。
以前、環境系の仕事をされている人に聞いたんだが、
最近の焼却炉、性能が著しく向上して、
いわゆるダイオイキシンとか、有害ガス、
こういうものを出さない。

ただし、超高温で焼却する必要があるので、
半端な「ゴミ」では、かえって面倒なことになる。
しかも、様々な国民の意識の高まりもあって、
ゴミの量も減っている。
さらに、再生がきくゴミは、「売れる」ので取り合いになっていて、
焼却場にまで、やってこない。

ええ、焼却場にとって、燃料である「ゴミ」。
これがそもそも減って、なんだか、採算がとれないところまで出てきている。
変わらないのは、事業系のゴミ。
それと、意外にも、高齢化が進んでいる地域。

まぁ、そういう訳で、特に東京では、意外にも、焼却温度の維持のために、
せっかく分別した「石油系の燃えないゴミ」を燃料として、
わざわざ混ぜるということをしていた。
が、
今回、どうやら、一緒にしてしまった。
その代わり、燃えないゴミの回収を、毎週から、月2回程度に抑え、
思い切った、経費の削減につなげた。

ネットカフェ難民5400人 4分の1が20代 厚労省

  住居を失い、主にインターネットカフェで寝泊まりしている「ネットカフェ難
  民」が全国で約5400人に上ることが28日、厚生労働省の調査で明らかに
  なった。
  半数は日雇いなど短期雇用を中心とした非正規労働者で、約4分の1が20代
  の若者だった。若年層を中心に広がる、働いても住居費さえ賄えない「ワーキ
  ングプア」の厳しい生活が浮き彫りになった形だ。ネットカフェ難民の公的調
  査は初めて。
  今年6~7月、全国の24時間営業のネットカフェや漫画喫茶計約3200店
  の店長や店員、一部店舗の利用者を対象に実施した。

厚生労働省は、別の調査もやっているんですが、
この20代を、問題にしてとりあげるのは、どうかとも思うんですが。

ネットカフェ自体も、全国と言っていますが、
そのほとんどは、東京、名古屋、大阪、など、大都市に集中しています。
地方の実態は、多分、とらえておりません。
ええ、都市には、正社員の仕事があるんです。

ただ、不動産の仕事をしていると、結構意外なのは、
敷金はともかく、礼金、2年でむしりとられる更新料や、おまけに仲介手数料。
これ、地方では無い。
就職では、生活拠点が住居でないといけませんから、
ここに問題がありそうなんですが、
というのも、6万円の家賃のところに住もうと思ったら、
約、前家賃もいれて、6カ月分の初期費用がかかります。36万円!

それで、2年ごとに、実は更新料と称して、意味がわからない、
1.5カ月分から2カ月分のお金をとられます。
若い人は、2年ごとに、色々な意味で「くじける」タイミングが訪れるわけで、
そのままネットカフェにGO!ということもあるわけなんです。

まぁ、そういうことを抜きにして、
20前後の人たちは、正社員になろうという意識は、ほぼありません。
何かをしたい、夢がある、何かをやっている、
そういう動機で、日雇いを「進んで」やっていますが、
当たり前ですが、25を過ぎると、
安定を優先してきます。

30を過ぎると切実になってきます。
40近くなってくると、もう、自分の希望するジャンルの仕事はありません。
それでも東京では、山ほど39歳くらいなら、
正社員の仕事は、あります。

切実な事情の方もいらっしゃると思いますが、
多くの方々は、かなり、未だに、「長く続けるんであれば」、
自分の好きな仕事をしたいと、地方のそれとは違った、
案外、選択肢のある日雇い人生を歩んでおります。

いつもどおり長くなりましたので、止めますが、
ワーキングプアといわれる、アメリカから出てきた単語ですが、
これは、ちょっと、使いすぎなんではなかろうか。
何度も言っているように、
例の「団塊ジュニア」と呼ばれる層。

フリーターの魁でもあり、転職世代のパイオニア。
バブルの崩壊に伴って、影響をまともに受けてしまった世代。
それと、40代、50代で、会社の倒産やらリストラ、そして、
あの当時に購入した住居なんかで、破産を余儀なくされた世代。

ここが、問題なんであって、
多分、20代。
これを問題にすべきでは、ないんじゃないかと思いますが、
どうなんでしょうか?


ダメなもんは、ダメだという発想を、政策に行政に。

2007年08月23日 | 社会的全般
先日、犯罪者の更正プログラムが機能していない、
そういうことを書かせていただいた。
中には、「改心」して、被害者に真の謝罪をして、
その一生を通して、遺族に保障をしていくという方もいる。

日本の考え方は、できれば、皆、そうあって欲しい。
人間は、過ちを犯しても、悔い改めて、真っ当な社会人として、
「隣人」として、生きていける。
なんだか、そういう風に「考えたい」という傾向が見える。

ところが、結構、「ゴミの焼却所」は、近隣に作って欲しくない。
学校は、煩いから、できれば、住宅地に作ってほしくない。
電車の「高架」工事は、自分が生きているうちには、やってほしくない。
そういうことも、また一方で、普通に主張したりする。

【解答乱麻】明星大教授・高橋史朗 子育てに親も責任を

  フランスでは親が教育義務を放棄した場合には、2年の禁固刑、360万円の
  罰金、子供が学校を理由なく月に4回以上欠席した場合には9万円の罰金を親
  に課している。

  イギリスでは10年前に「子育て命令法」を制定し、違反した場合には約25
  万円の罰金、滞納した場合には禁固刑を科し、子供が更生し、登校できるまで
  最長で1年間、親の講習を義務づけている。アメリカでは5年前に「子供を置
  き去りにしない法律」を定めた。不登校は親の教育ネグレクト(怠慢)と見な
  され、シアトル市では1日約3000円の罰金か、それに充当するボランティ
  アを課している。

  わが国には親の責任を問うべきでないという根強い風潮がある。昨年、埼玉県
  が主催した子育て支援シンポでも汐見稔幸東大大学院教授(当時)とこの点で
  論争になった。

  汐見氏は「親が子を教育するのは危険が付きまとう」(7月24日付埼玉新
  聞)と主張した。

  確かに子育てをめぐる環境は大きく変化したので、親の責任を問う意識改革だ
  けでは不十分だ。核家族化と少子化が進み、ケアの必要な子供が増え、父親も
  近隣の人々も子育てを支援してくれない中で、母親が孤立し、子育て以外に魅
  力的な生きがいを見いだす機会も増えている。

などなど。
確かに、親に子育てを、管理責任を含め、厳重に法制化するというのは、
なかなか、この日本では馴染めないし、
そうなったら、ひょっとすると、少子化に歯止めがかからなくなるかもしれない。

かといって、「親の責任を問うべきでないという根強い風潮」は、
一事が万事で、
「普通の生活者」に落ち度は無い、
というこれまた無責任ぽい、日本の風潮は、
最近、あらゆる現場で、まずいんじゃないか?という危機意識を芽生えさせている。

そうこうしている内に、
児童虐待、過去最高更新 18年度は3万7343件

  平成18年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の件数は、過去最高だっ
  た前年度より約3000件増え、3万7343件に上ったことが11日、厚生
  労働省の集計(速報値)で分かった。

要するに、もう、我々は、甘い幻想を抱いて、見ない振りをしていては、
もうだめであろうということ。
一度はっきり、認識しなければならないんじゃないか?

子を儲けてしまったけど、
絶対的に、子育てができない親がいて、
その親に育てられたというか育ってしまった子は、
社会規範の中で、残念ながら、やっていくことが難しい割合が高い。

これを認識しなければ、
どう考えても、次のステップにいかない。

なんだか、そういう家庭にあっても、力強く生きていける子はいるし、
そもそもそういう考え方は、失礼だし、人権的に酷い言い様だと、
この考え方を突き進めて行くと、
なんとか、サポートさへしていけば、何かが立ち直るかもしれない、
「人間に非は無い」という世界。

じゃなくて、ダメなもんは、絶対ダメなんだという認識。
もしかしたら大丈夫かもしれないという発想は、
もう、根拠が無い限り、しないほうがいいんじゃないかという考え。

その子育てに関しても、
親が、でたらめで、育てられる人間でないことを、誰でもわかるんであれば、
強制的にでも、次世代のためにも、国の「宝」なんだから、
子供を「ケア」する施設なり、
保護できる、医療並びにとれるシステムを作るほうが
親に罰金を取り立てるよりは、
人道的なんじゃないか?

確かに宗教的歴史的な「土壌」の違いがあるから、
イギリスやらフランスの制度を見て、あれやこれやと参考にしても、
根本的に日本の風土には合わない。
導入するにしては、正直、安易だ。

まずは、できなくないかもしれない、じゃなくて、
出来ないことがあるんだ、と、もう、絶対言うべきなんじゃないか。

  児童相談所で調査や保護者の指導に当たる児童福祉司は今年4月1日現在、全
  国で2263人。児童心理司は959人で、ともに昨年より増加した。

  このほか虐待を未然に防ぐため、国が本年度から新たに始めた生後4カ月まで
  の乳児を抱える家庭の訪問事業は、全国の市町村の7割近くが実施していた。

でないと、国は、何かの満足の為に、こういうことしかしないぞ。
これで、何の解決が果たされるんだ?
もう、国ができませんということを言わないから、
果てしなく、「ための仕事」ばかり増殖していくぞ。



僕には、この記事にかかれていることが理解できません。

2007年08月22日 | 社会的全般
生活保護。
非常に難しい問題だと考えている。
なにしろ、生活保護自体、8種類あるとも知らなかった。
よく、病院に罹る患者さんで、支払が無料なのは、
医療補助ということも、詳しくは存じ上げなかった。

どちらの問題か、それはわかりかねるが、
薬を、大量に持ち帰るのは、「せいほ」と呼ばれる生活保護者に多く、
その多くは、生活習慣病とか、昔で言うなら、贅沢病といわれる、
高血圧、糖尿などなど、
緊急性の低い、そういう疾患が目に付く。

当たり前だが、遺伝的な仕組みで、そういう疾患を抱える患者もいるが、
多くの人間は、
大量の投薬のために、受付を済ませて、改めて取りにくる方も多い。
その間、少なからずの人間が、
近くのパチンコ屋に向かうのも、目にして嫌な光景である。

もともと、事情があって、子を抱えながら、生活に困窮するというイメージが
個人的にあった生活保護であるが、
いつからか、失業保険にかわるものとして、
次に生活の糧を見つけるまでの繋ぎとして。
もしくは、甚大な障害をもったために、家計を崩壊させぬための一助として。
または、産業構造の変化に伴って、
結果的に行き場を失った人々のためにと。

あくまでも、繋ぎの補助として、活用をという背景があったかもしれないが、
急速に進む高齢化によって、
ひょっとしたら、永遠に補助を受ける数が多くなってきた。
年金が、将来に向けて、そのシステムを引き継ぐこともあったが、
その年金よりも、生活補助費が高いと言う現実。

そして、終に、こういう問題も。

年金担保に借金 生活保護費の返還を要求 札幌市、来年度にも

  年金を担保に借金し、返済のため「収入がなくなった」として生活保護を受け
  る事例が増えている問題で、札幌市は二十一日、借金の担保期間が終わり年金
  が満額支給されるようになった受給者から、生活保護費の返還を求める方向で
  検討に入った。同市は運用方法などを整理した上で、二○○八年度にも適用を
  始める方針だ。

  厚生労働省によると、同様の取り組みは全国でも例がなく、「年金と生活保護
  費の二重取りは深刻な問題。効果や課題を検討したい」(社会・援護局保護
  課)としている。

  厚労省の調査では、昨年四月から十二月までに、年金担保の借金を理由にした
  生活保護費の申請は全国で三千五百六件。うち97%の三千四百三件で支給が
  認められた。五百四十九件は繰り返し借金しては保護を受ける「リピーター」
  だった。

  札幌市は道の判断に「借金を繰り返すことを認めれば、税金で借金を返済する
  ようなことになる」(上田文雄市長)として対応を検討。「本来生活費に使え
  る資力があった場合、定められた金額を返還しなくてはならない」とする生活
  保護法に基づき、借金の返済完了で年金が満額支給されるのを待ち、生活保護
  費の返還を求めるとする基本方針をまとめた。

借金が出来ること自体、どういうことなんだと、
非常に不思議に思うことなんだが、
年金を担保にして「借りる」ということ自体、
もう、借金自体、どこにも借り入れできないだろう自分にとって、
ビバ!年金!とすら思ってしまう。

さらに、それで生活が出来ないんで、生活保護を?
なんだ、このシステム。
借金するにも、全ての家庭環境を、洗いざらい喋らないといけない
一般人に比べると、
どういう審査で「貸しているのか」?
今の、サラ金より、凄い審査だね。

そんで、生活保護で、支援するの?
ごめんなさい、僕には、意味がわかりません。
理解できません。


痛すぎる親の証言。

2007年08月01日 | 社会的全般
この事件は、別の意味で嫌な事件だ。

渋谷の妹殺人「180秒首、締めた」 父親は妹の生活態度語る

  東京・渋谷の裕福な歯科医師宅で、妹を殺害した上に遺体を切断するという事
  件を起こし、社会に衝撃を与えた武藤勇貴被告(22)は、東京地裁で31日
  に開かれた初公判で起訴事実を認めた。歯科医師を目指して3浪中だった勇貴
  被告と、女優になる夢を抱いていた妹の亜澄さん。一つ屋根の下に暮らしなが
  ら、心が通じ合わなかった家族。弁護側証人として出廷した父親らの言葉を、
  勇貴被告は表情をほとんど変えることなく聞き入っていた。

記事を読むと、弁護側が明らかにしていく家庭内の状況。
証言台に立つ両親。
語られる内容は、どう読んでも、殺された「被害者」に対する非難。

いちいち述べてもしょうがない事件だが、
親の証言を読むと、いやいや、「加害者」になりそうなのは、
むしろ殺された娘の方なんじゃないか、一歩間違えれば。
そう感じずにはいられない。

たまたま弟が、姉に「手をかけた」という事件なんだが、
娘が、親に手をかけてもしょうがないような「家庭」。
そのまま親の証言を読めばね。

だって、ちっとも殺された娘に対して、
「非常に気が強く、人の話を聞けず、感謝の念に欠けていた」
「亜澄が強く出ないでいれば丸く収まる」
なんてこと、
実の親が、なんでいえるのか、理解できない。

むしろ、この娘が殺されて、ほっとしているような「親」の姿が見て取れる。
もう、マスコミは、何の「解説」もできないんだったら、
あえて、報道しなくてもいいよ、この事件。

でもね、弁護士は、この事件のストーリーを「仕立てている」。
仕事だからしょうがないんだろうけど、
例の本村さんの裁判でもそうなんだけど、
殺人を犯すには理由があるんだ、という展開。
いつも思うんだけど、その理由を明らかにしていく作業、
これ、間違いなく、今の日本人に「悪影響」を及ぼすよ。

だって、普通じゃ考えられない、常識を外れた感情の形成を、
辻褄合わせみたいに仕立てていくことで、加害者を「守る」ことと、
その人間を「更生」させようとすることを、
どういう風に、この国で行っていけるのか、
弁護側は、まさか、その辺は、投げっぱなしジャーマンではないよね。

でないと、この国では、結局は、人命の尊重を毅然とした態度で
立ち向かっていないと、諸外国から判断されても可笑しくない。

考えてみれば、拉致事件でも、
拉致をした「側」にも相当の理由がある、なんてことを、
世界に向けて言っているのと、同じことなんだけどなぁ。
近いこと、言っている専門家や、活動家もいるけど。

そういう意味で、この国に住むこと自体、
怖くてしょうがないし、
さらに言うと、これもありか、と思わせるような判決がでてしまったら、
まさに、日本の道徳から、規範まで、過去の「教え」を
全て、一から構築しなおさなければならない事態になると思うんだが。

でも、だめな親だなぁ、これは。


宇治市の平和条例請求を題材に考えてみました。

2007年07月28日 | 社会的全般
この2日間、月末という事もあって、確かに色々と大変。
それはそれとして、仕事を具体的にするための打ち合わせが、
だらだらと入って、なかなか、パソコンに向かうことが出来なかった。

非常に頭が、ぼんやりとしておりますが、
そういう中で、この手の話題に食いつくのは、チャレンジャーだな、
と思いながら、考えて見ます。

もちろん、自分も「平和ボケ」が著しい人間なのは理解しておりますが、
「平和条例」請求で臨時議会 宇治市、反対の意見書を提示

  市民団体「平和・無防備地域をめざす宇治市民の会」が新たな平和条例の制定
  を宇治市に直接請求したのを受け、同市議会の議会運営委員会は26日、制定
  について審議する臨時議会を8月2日に開くことを決めた。

  同会は、宇治市にある自衛隊施設の撤去や戦闘行為への非協力などを盛り込ん
  だ「市無防備・平和のまちづくり条例」の制定を求めて署名を集め、5966
  人分の有効署名を添えて17日に市に直接請求した。

  一方、市は直接請求の議会審議にあたって付加が必要な市長の意見書を委員会
  に提示。意見書は、市はすでに平和都市宣言を行っている上、▽災害・復興時
  の支援などに力を発揮する自衛隊の市内2施設が地域社会に果たす役割は大▽
  無防備地域宣言はその性質上、国で行われるべきで、市が宣言しても実質的効
  力はない-など6点の理由を挙げ、制定に反対する内容となっている。

勝手に思っているんだが、この、今の世界で、国として「戦争」を遂行しようと、
可能性がある国は、アメリカ、中国、北朝鮮、そしてロシア。
そんなところだと思う。
アラブは、どうみても、国ではなく、民族、宗教がからむ、
これを近代の戦争といっていいのか、自分ではわからない。

そういう中で、当面、日本が「攻め込もう」とする国は、ないであろうし、
今後も、ありえないという事実は理解できる。
ただ、イラク派兵に見られるように、
結果的に「加担」するシステムが、ある以上、
「懸念」される材料はあるわけで、
恒常的に機能している限り、「攻め込むことはない」と
言っても、そうは、受け取られないだろう。

さらに、我々は、全くといっていいほど、戦争に対しての「実感」も「記憶」も
無い。
例えば、いかに「無防備」を宣言したところで、
占領は、地域というものがこの日本には無い以上、
国として管理されてしまうのは当たり前で、
あらゆる場面で、「徴用」「管理」ひいては「間引き」されることは、
肝に銘じていたほうがいい。

当然ながら、この日本の文化、環境に理解がある「占領者」が、
やってくるとは、到底思えない。
現に、アラブがああも怒りまくっているのも、
自由主義、民主主義が、スタンダードだという文化に、抵抗しているんだと、
そういう見方も出来るわけだし。

確かに、住んでいる地域に、自衛隊の基地がある、
その環境に抵抗もあり、不安もあり、色々なシチュエーションを考えてしまうのは
理解も出来る。
また、経済合理性から言っても、
国同士が行う戦争の可能性が低いのも確か。

論理的に、無防備宣言をすることで、世界的にアピールし、
「秩序ある」世界を前提に、
世界から、「認識され」「守ってもらう」という、
虫のいい話を考えるのも、ありかもしれない。

だったら、どの世界から「認識」されたいのかも、
戦略的に考えないと、
そして、積極的に、非戦活動を世界中で取り組まないと、
単なる「理念のただ乗り」と言われてもしょうがない。

この宣言を提唱している団体の宣言文を読むと、
一方的に「宣言」しているだけで、
これは、世界的にピーアールしている「内容」ではなく、
ジュネーブ諸条約に決議されている内容を遵守していれば、
問題ない、という、誠に「ありがたい」話になっている。
本当か?検証できているのか?鉄板か?

さらに「ウトロ地区」の問題が、何度も宣言書に出てくるあたり、
本当に、どういう市民団体なのかも、疑問。
ウトロに住んでいる居住者が「立ち退き」を迫られている問題なんだろうが、
いわゆる「在日」問題。

マスコミは、どうやら、戦後の在日問題として、
取り上げているようだが、
立ち退きを命じているのも「在日」で、その土地の所有者も「在日」で、
立ち退きを迫られているのも「在日」という、
どこをどうとったら、日本の戦後処理の問題に絡めるべきなのか、
わからない問題。

結構、最近目に付くのは、協力させられた、巻き込まれた、意に反して、
という文言。
戦争は、確かにそういう側面があっただろうが、
戦争は、本当に、加害者と被害者が「明確」にできる、
そういうメカニズムをもったものだろうか?
そうシンプルに理解していいものだろうか?

まだまだ理解が中途半端すぎて未消化なんだが、
8月に入る時期なんで、考えてみました。


ちょっとした些細な話。

2007年07月23日 | 社会的全般
ケータイは電話にあらず? 通話「ほとんどない」44%

  民間研究機関「モバイルマーケティングデータ(MMD)研究所」(東京都渋
  谷区)が携帯サイト経由で調査。9584人の有効回答を得た。約97%はデ
  ータ通信の定額サービスに入っており、携帯電話をよく使うヘビーユーザーと
  いえる。

  だが、1日の通話回数は「ほとんどない」が最も多く、44%を占めた。「3
  回未満」(35%)と合わせ、約8割がケータイを「電話」として活用してい
  ない格好だ。

電車に乗ると、6人から8人も座席に座った方々が、
見事に携帯電話とにらめっこしている。
もちろん、大声で会話をしているのは、なぜか、中高年の層に多いのは
ご愛嬌として、
その黙々ぶりは、見ていて、何だか可笑しい。

昔のことだが、ある専門家が、携帯のメールに関して、
そのコミュニケーションツールとして、大いに評価していたことがあった。
案外、近頃の子供は、文章を「作成」することに慣れており、
そんなに心配することはないと。

でもね、最近の携帯の進化は凄い。
文字変換ですら、「自動」で、変換可能な単語、文章が
ウインドウにて参照できる。
つまり、過去の履歴も含めて、単語を切り貼りしているだけで、
文章が書けてしまう。

これは、親切な設計が高じて、思考能力を減退させるには、
うってつけのものだと思ったが、どうなんであろう?
ただ、40歳過ぎの「親父」が、
覗き見防止のフィルムを、自分の携帯に貼って、
メールを打つ姿。
これは、何かと、そういう都合があるんだろうと、
自分で「白状」しているもんだと思ったが、どうなんだろう?

これだけ携帯が機能的に進化してしまうと、
高価格なパソコンに向かわず、携帯で事足りてしまう。
そういう話を聞いたことがある。
20代前後から20代の若者の普及率が、落ちているという。

結局、いくらハイエンドなパソコンを購入しても、
ワンセグなどの機能が使い放題であれば、
いやー、パソコンも、もっともっと安くなってしまいますよね。
つまり、「会話」なんて、
どんどん二の次な「ツール」になりかかっている。
まぁ、この記事だけで、ここまで考えることもないかもしれないけど。