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小津安二郎の映画

2020-09-12 | 日記

小津安二郎監督の半生に関するテレビ番組を録画で見た。小津監督の映画と言えば、テレビ放送で見た「東京物語」が印象に残っている。中学生で見た時には、何と動きのない退屈な映画かと思ったものだ。抑揚の無い笠智衆のセリフ、登場する女性たちの東京山の手の上品な言葉遣い、ローアングルで撮り続け画角がほとんど変わらずドキドキもワクワクもないシーンの連続だったと記憶している。しかし大人になって見た時の印象は少し異なる。登場人物の言葉の一つ一つ、何気ない表情の少しの変化にドキドキ・ワクワクを感じるようになっていた。

 どこの家族の日常にも起き得るような出来事や言葉のやり取りに心が動くようになったのは、自分が同じような経験を重ねて来たせいだろうと思った。時代背景などは変わっていくが、家族同士の間の感情の機微や、毎日の日常が積み重なって作られていく互いの存在感というものは大きく変わらないのだろう。そこには、時代だけじゃなく国が変わっても共通するものがあって、それが我々一人一人の考え方・行動にも大きな影響を与えている。だからこそ「東京物語」が世界の監督が選ぶベストフィルムとなった、と教えられた。おそらくローアングルを貫くという撮影・表現方法は、その描き方の一つの特徴でしか無いのだろう。

 映画を見た印象から、小津安二郎という人は静かな家庭環境で素直に育った物静かな人物なのだろうと、勝手に想像していた。しかし、少年・青年時代の破天荒で向う見ずなエピソードを知り、印象が一転した。監督初期の作品が動きに満ちたものだったことや、兵隊として激戦地区を転戦したことも意外だった。日本軍が占領地で押収した同時代の米英の映画(風と共に去りぬ、嵐が丘、市民ケーン、ファンタジアなど)を見る機会があったことも。「これはいけない、たいへんな相手と喧嘩をした」という言葉が手記にあったという。今もそうだが、映画には背景となる文化・思想の違いだけでなく、資本力や科学技術の差、そして制作に関わるスタッフの動員力の差が如実に表れてくる。ファンタジアは有名なアニメーション映画だが、映画作りに携わった人間としてそれを見れば、当時の日米の工業生産力・技術力の違いが肌で感じられたのだろうと想像される。

 映画成長期と戦争の時代を生きた映画人として最終的に行きついたのが、「家族の物語を描く」というテーマだったという。そのテーマに関する想像以上の情熱と、徹底した映画作りについても初めて知った。女優・岩下志麻は、巻き尺を指に巻きつけるシーンを100回やり直したと話した。何がどう違って100回の撮り直しになったのかは分からないが、とにかく妥協の無い映画製作によって「東京物語」などいわゆる小津作品が出来上がったのだと知った。次に小津作品を見る時は、その背景に流れていた小津監督の人生観・映画観にも思いを向けることになるのだと思う。